『チーム•バチスタの栄光』海堂 尊

東城大学医学部附属病院の臓器統合外科・桐生助教授は、アメリカ帰りの凄腕心臓外科医。桐生率いるチーム•バチスタは、成功率60%といわれる拡張型心筋症に対する心臓小型化手術「バチスタ手術」の成功率100%を誇ってきた。その偉業はマスコミでも報道されたことがある。
それが、ここへきて3例の術中死が起こった。

新装版 チーム・バチスタの栄光 (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)
海堂 尊
宝島文庫  2015年10月

卒後15年目の神経内科田口講師は、病院長に呼び出され、バチスタ手術の術中死がリスク•マネジメント委員会の検討事案に値するかどうかの予備調査をして欲しいという。田口は不定愁訴外来、通称「愚痴外来」で1日限定5名の患者を細々と診療する窓際医師だ。
外部監査は、桐生自身が要請したものだった。

田口が、桐生を筆頭にチーム•バチスタのメンバー7名の聞き取り調査を順次行うなか、再びバチスタ手術が行われ、4例目の術中死が起こった。
田口はもはや手に負えないと、病院長にリスク•マネージメント委員会に委ねるべきだと進言した。

そこに現れたのが、厚生労働省大臣官房秘書課付技官・白鳥。
病院長が同級生の厚生労働省の局長に相談したところ派遣されたという。ぶっ飛んだ男・白鳥はアメリカ3泊4日、弾丸出張の帰国後その足で病院に駆けつけた。
白鳥が田口とともに、聞き取り調査を行うこととなった。

ビデオをすべて見たあとに、白鳥は事故ではなく殺人だという。
白鳥は、常識的な接し方をせず傍若無人。相手を傷つけても反省は皆無だ。白鳥は、論理を純粋に追求できる資質の持ち主で、そのことから「ロジカル•モンスター」の異名を持つ。白鳥が通った後はぺんぺん草も残らないことに由来し「火喰い島り」とも呼ばれている。
田口からすると、白鳥には論理に一貫性がないように思えるが、勘所は抑えている。

白鳥が留守にしている間に、バチスタ手術の予定患者が心臓発作を起こし緊急手術が行われた。白鳥の予告どおり、術中死となってしまった。
白鳥は死亡した患者の「Ai」を強く要求する。
そして死亡患者のMRI検査が行われ、犯人が突き止められる。→人気ブログランキング

「Ai」とは、オートプシー•イメージング(Autopsy imaging)・死亡時画像診断のこと。画像診断によって死因を検証する。
本作が発表された当時、日本ではAiの概念は浸透しておらず、Aiに目をつけた著者の慧眼は鋭い。そういう事情だから、白鳥はAiを行う前準備として、病院長に承諾を取り、病院長が放射線科部長を説得し、検査の際はMRI撮影室の周囲を人払いしている。

第4回「このミステリーがすごい!」(2005年)大賞受賞作。海堂尊のデビュー作。
登場人物のキャラクターが巧みに描かれていて、アイデアに満ち、展開は緻密、医療ミステリーの傑作と評されるにふさわしい。

「このミステリーがすごい!」大賞受賞作
がん消滅の罠 完全寛解の謎』岩木 一麻(2016年)
女王はかえられない』降田 天(2014年)
チーム•バチスタの栄光』 海堂 尊 (2005年)

『がん消滅の罠 完全寛解の謎』

第15回「このミステリーがすごい!」大賞受賞作。巻末の選評では、4名中2名の選者が、「医療本格ミステリーの大傑作」と賛辞を送っている。
登場人物が描き切れていない感があるとしても、幾重にも仕掛けが施され、最後の1行にも驚きのトリップが仕組まれていて、ミステリの醍醐味を満喫できる。

がん治療の分野で学会では無名に等しい湾岸医療センターが、有名人や有力者たちに支持されている。その理由は、がんの早期診断と進行がんに対する独自療法により、飛びぬけた治療成績を上げているからだ。
呼吸器外科医の宇垣玲奈が手術を担当している。

【2017年・第15回『このミステリーがすごい!大賞』大賞受賞作】 がん消滅の罠 完全寛解の謎 (『このミス』大賞シリーズ)
岩木 一麻
宝島社   2017年1月
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日本がんセンターに勤務する呼吸器内科医の夏目が末期がんで余命半年と診断したシングルマザーが、完全寛解したという。夏目が書いた診断書によって保険給付金を受け取った末期がんの患者のうち完全寛解したケースは、このシングルマザーを含め4人いると告げられ、夏目は「ありえない」と思った。
高校時代からの友人で保険会社に勤める森川は、夏目に疑いの目を向けたが、夏目は潔白だった。
保険に加入して時間をおかず、保険金の支払い請求がされるケースを、保険会社は「早期事故」と呼び、慎重な調査を行う。いずれのケースも不正は見つからなかった。

湾岸医療センターの理事長は、10年前に夏目が大学に在籍していたときに、師事していた西條教授だった。教授が、突然、大学を辞めると言い出したとき、夏目が辞職の理由を尋ねると、「医師にはできず、医師でなければできず、そしてどんな医師にも成し遂げられなかったことをやるためです」と答えた。
教授室のホワイトボードに、「neoplasm(がん)」、「救済」、「TLS(腫瘍崩壊症候群)」という字が書かれていた。TLSとは、抗がん剤が著しい効果を発揮した際などに、腫瘍内部に蓄積されていた核酸、リン酸、カリウムなどが一気に血中に流れ出し、重度の電解質異常や急性腎不全を引き起こす病態のことである。これらの言葉に謎を解く鍵が隠されている。

森川が、湾岸医療センターに絡んだ保険金請求事例の社内データを調べると、二つの謎が浮かび上がった。
ひとつは、低所得者が末期がんと診断され、高額の保険金を手にしたあと、がんが完全寛解しているケースがいくつもあること。もうひとつは、早期がんと診断された有名人や社会的地位の高い患者が手術を受けたあと、転移が見つかり、抗がん剤治療を受ているケースが多いことである。
夏目たちは、二つの謎のからくりを解明しようと、湾岸医療センターの西條理事長と宇垣医師を探りだす。→人気ブログランキング

「このミステリーがすごい!」大賞受賞作
がん消滅の罠 完全寛解の謎』岩木 一麻(2016年)
女王はかえられない』降田 天(2014年)
チーム•バチスタの栄光』 海堂 尊 (2005年)

『神々のワード・プロセッサ』スティーヴン・キング

スティーヴン・キングの短編集。
「しなやかな銃弾のバラード」のなかの次の一文が、本著の内容を大まかに表している。
〈本当にあったとこだと断言するつもりもない。わたしが言えることは、そういうことがあったと、わたしが今でも信じているということだけた。大して違いはないようだが、わたしにとってはすこぶる重要なことでね。〉

スケルトン・クルー〈2〉神々のワード・プロセッサ (扶桑社ミステリー)
スティーヴン キング
扶桑社ミステリー文庫
1988年5月

「神々のワード・プロセッサ」
亡くなった甥がくれた手作りのワープロは、「実行」や「削除」を押すと、書いたことが、その通りになった。
「実行」と「削除」を繰り返すうちに、ワープロは煙を発して悲鳴をあげる。
「オットーおじさんのトラック」
酔っ払ったオットーおじさんとマカチャンが無茶な運転をして、車をお釈迦にした。
マカチャンはトラックに踏み潰されて亡くなった。
マカチャンが車から降りて、車の前に座り車の状況を調べようとしたときに、車をオットーおじさんが押して、下敷きにしたらしいのだ。
車は野原に放置された。
マカチャンと組んで土地の売買をし、大金持ちだったオットーおじさんは、道路を挟んで車のまん前に建てた学校を村に寄贈したが、受け取りを断られた。
オットーおじさんはその家に住みはじめたのだ。
そして、徐々に車が家に近づいてくると、オットーおじさんは言いだした。
「ジョウント」
転勤で火星行きのジョウント・サーヴィスに、オーツ一家4人がやってきた。
ジョウントとはテレポテーションのこと。
ジョウントの開発のエピソードと、ジョウントの順番を待つ一家の様子とが、交互に語られる。父親は子どもたちがパニックに陥らないようにと、気を紛らわすかのようにジョウントの安全性について説明する。
そして、オーツ一家に順番が回ってきた。
「しなやかな銃弾のバラード」
編集者が、銃で自殺した小説家レグ・ソープの短編の出版に関するすったもんだを、小説家夫婦とエージェント夫婦に聞かせる。
著者が狂っていくと同時に、語る編集者も狂っていった。
「猿のシンバルン」
30年前に、井戸に放り込んだ香港製の猿のおもちゃが出てきたのだ。
ぜんまい仕掛けの猿のおもちゃが災いをもたらす話。→人気ブログランキング

神々のワード・プロセッサ
ミスター・メルセデス
ジョイランド
11/22/63
書くことについて
幸運の25セント硬貨
1922
ビッグ・ドライバー
スタンド・バイ・ミー』(DVD)

『開かせていただき光栄です』皆川博子

第16回(2012年度)日本ミステリー文学大賞(光文社主催)の受賞作。
舞台は18世紀前半のロンドン。
私的解剖教室を開いている外科医のダニエル・バートンが弟子たちと、妊娠6ヶ月の若い女性の解剖を手がけているところに、警察が踏み込んでくる。墓から違法に盗み出された屍体を探しているのだ。弟子たちは屍体を隠し、犬を解剖していたようにとり繕った。
警察の追求はかわしたものの、次に現れたのが、盲目ながら鋭い感と推理力で知られる治安判事のジョン・フィールディングだった。ジョンには有能な助手である姪のアンがついていて、ふたりのコンビに孫助手のアボットが加わって謎を解いていく。

開かせていただき光栄です―DILATED TO MEET YOU― (ハヤカワ文庫 JA ミ 6-4)
皆川 博子
ハヤカワ文庫
2013年9月

女性の屍体は、いつの間にか四肢を切断された少年と、顔を潰された男に変わっていた。女性の屍体は、準男爵の娘、16歳のエレインであることが判明した。エレインは妊娠を儚んで、ヒ素による服毒自殺に及んだのだった。
エレインに関する謎は決着がついたが、手足を切断された少年と顔を潰された男の正体は?少年の手足が切断された理由は?と、謎は尽きない。

ダニエルの兄である内科医のロバートは解剖教室の経営者である。ロバートは、上流階級の患者しか相手にしない金の亡者で、ダニエルたちを危機に追い込むような胡散臭い行動をとる厄介な存在なのだ。

解剖教室のハンサムな一番弟子のエドワードや、解剖の写生を一手に引き受ける天才絵書きのナイジェルらの素性や行動が描かれるにともない、謎は少しずつ解けていくが、新しい謎が出てきて読者は煙に巻かれるのだ。

17歳のネイサンの詩人としての才能に目をつけた仲買人のエヴァンスは、ネイサンが羊皮紙に古語で書いた古詩集を、古書の稀覯本として売ろうと企んだ。さらに、エヴァンスは、ネイサンに詩を書かせ儲けようとネイサンを監禁した。
エヴァンスは株価操作を行い、市長や議員などの有力者に多大な利益をもたらして、見返りにうまい汁を吸っている人物である。

ナイジェルとエドワードは、ネイサンの自殺の痕跡を隠すために左手を切断したが、左手だけでは、偽装がバレてしまうと両手足を切断したのだと打ち明けた。
弟子たちは、赤貧に甘んじるダニエル先生をいたく尊敬していて、解剖の標本がどうなるのか、それを守ることが使命だと考えている。

真相が見えてきても事態はひっくり返り、行き着くところが見えないまま、ストーリーは進んでいく。
18世紀前半のロンドンというなじみの薄い舞台設定が、違和感なく受け入れられるのは、著者の巧みな筆の力による。さらに、人体解剖という特殊なテーマが扱われていて、舞台設定と相まって幻想的な雰囲気が醸し出されている。 →人気ブログランキング

『ねずみとり』 アガサ・クリスティー

本作は、1952年に、ロンドンのアンバサダーズ劇場で初演され、1974年まで21年間わたり同劇場で公演が行われた。同年、隣のセントマーティンズ劇場に公演の場を移し、今なおロングランを続けているアガサ・クリスティの戯曲。
『ねずみとり』は、シェイクスピアの『ハムレット』の劇中劇と同じ題名だという。

ねずみとり (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
ねずみとり
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アガサ・クリスティー/鳴海四郎訳
ハヤカワ文庫
2004年3月

大雪のなか、若夫婦が山荘に客を迎える準備をしているところから始まる。 ラジオは殺人事件のニュースを伝えている。
イカれた若い男、クレーマーの熟年夫人、厳格そうな少佐、男っぽい若い女性、さらに雪で車が動かなくなった飛び込みの外国人の5人が、順に到着する。
そこに、スキーを履いた刑事が現れる。

刑事は、ラジオで流れた殺人の現場に手帳が残されていて、殺人現場と山荘の2つの住所の下に〈3匹のめくらのネズミ〉と書かれていた、と言う。
さらに、〈1匹目〉と書かれた紙が死体の上あって、文字の下に〈3匹のめくらのネズミ〉の楽譜が書いてあった。
そして、大雪で密室となった山荘で〈2匹目〉の殺人が起こる。 →人気ブログランキング

本作は、王太后メアリー・オブ・テックのの80歳の誕生日を祝うラジオ・ドラマとして、BBCの依頼により執筆された。メアリー・オブ・テックはジョージ5世 の妃。映画『英国王のスピーチ』(2010年)の主人公ジョージ6世の母親。

ねずみとり』1950年
さあ、あなたの暮らしぶりを話して』1946年
そして誰もいなくなった』1939年
アクロイド殺し』1926年

『現代美術コレクター』高橋龍太郎

著者は精神科開業医。現代アート、特に日本人作家の作品のコレクターである。
ひりつくような同時代感覚を作家と共有できること、これが現代アートを購入するときの喜びであると、著者はいう。
著者の現代アートとの出会いは、草間彌生の追っかけからはじまった。

現代美術コレクター (講談社現代新書)
現代美術コレクター
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高橋 龍太郎
講談社現代新書
2016年10月

著者は自らのコレクションについて、
〈バブル崩壊後の日本という比較的アートに買い手がつかなかった時代背景のなか、購入してきた高橋コレクションは、ある程度、日本の現代アートの概要を示すものになっている気持ちもある。〉と書いている。
それゆえ、これまで、日本国内で計3回、「ネオテニー・ジャパン」(2008〜10年)、「マインドフルネス!」(2013〜14年)、「ミラー・ニューロン」(2015年)と銘打って、高橋コレクション展が行われてきた。各展覧会の名称は著者が命名している。

日本の現代アートのキーワードは、ネオテニー、職人的技巧、なぞらえ(ミラーニューロン)、貧、一瞬の美、だという。ネオテニーとは、発生学上の幼形を保ったまま性的に成熟してしまう現象のこと。

日本は美術展に集まる観客は非常に多いが、美術品の購入となると低調であるという。
現代アートの買い方で絶対損しない方法は、1作品あたり、国際価格で500万円以上、できれば1000万円以上が必要だという。金を持っていないなら、手を出すなということだ。
毎年、1万5千人くらいが、美術学校や美術の専門学校を卒業する。10年後も100年後も作品に値がちゃんと付くのは、そのうちの1人くらい。日本では作品を売るだけで食べていけるアーティストは、せいぜい50人くらいだという。

国の文化予算の低さ、現代美術に対する理解のなさ、現代美術を購入している美術館の少なさ、日本のアートシーンの風通しの悪さ、つまり、日本画、洋画、現代アートという奇妙な分け方、が日本の現代アートの発展を阻んでいるという。

日本の現代アートにコレクターとして関わっている著者の視点は、愛情に満ちていると同時に、日本の現代アートの抱える問題点を的確に分析し、有効な処方箋を示しているように思われる。→人気ブログランキング

現代美術コレクター』高橋龍太郎 2016年
"お金"から見る現代アート』小山登美夫 2015年
巨大化する現代アートビジネス』ダニエル・グラム&カトリーヌ・ラムール 2015年
現代アート経済学』宮津大輔 2014年
キュレーション 知と感性を揺さぶる力』長谷川祐子 2013年
現代アートを買おう!』宮津 大輔  2010年
現代アート、超入門!』藤田令伊 2009年
現代アート入門の入門』山口裕美 2002年

『炎路を行く者』 上橋菜穂子

ヒュウゴはいかにしてタルシュ帝国の密偵になったのか?バルサの女用心棒としての出発点は?
「文庫あとがき」では、著者が最近作品を発表できない理由について述べている。

炎路を行く者: 守り人作品集 (新潮文庫)
上橋 菜穂子
新潮文庫
2017年1月

「炎路の旅人」
南のタルシュ帝国がヨゴ皇国に攻め上がる。ヨゴ皇国の近衛兵〈帝の盾〉を父に持つヒュウゴは、追っ手から逃れようと炎の中をくぐり抜け、気を失ったところで助けられた。ヨゴ皇国はタルシュ帝国の枝国となった。
マール酒場で下働きの仕事についたヒュウゴの真面目な仕事ぶりが、料理人や仕事仲間の少年たちに認められていく。
マール酒場の最年少のライにノルアン酒場の連中が暴行したことの仕返しに、ヒュウゴはノルアン酒場の連中を叩きのめした。こうして、ヒュウゴはならず者の頭になった。
謎の男がヒュウゴの前に現れ、〈帝の盾〉の息子であることが見破られる。
男はタルシュ帝国の内情をヒュウゴに語り、タルシュ軍に入っての帝国を内側から見てみないかとヒュウゴを誘った。ヒュウゴは、国も民も幸せにするために生きていると思える仕事に就きたいと願っていたのだ。
そして、ヒュウゴはタルシュ帝国の密偵となった。

「十五の我には」
商隊の警護についた父・ジグロと15歳になったバルサは、盗賊に襲われた。
ふたりは盗賊が多すぎて、勝ち目がないことを悟った。誰かが内通していたのだ。
矢がバルサの腿を貫き、やがて気を失ったが、ジグロに助られた。
バルサは内通者を突き止め、ひとりで闘いを挑むが、返り討ちにあい命を落としそうになる。
ジグロは、詩の一節を口ずさんだ。
「・・・十五の我には 見えざりし、弓のゆがみと 矢のゆがみ、二十の我の この目には、なんなく見える ふしぎさよ・・・」と。→人気ブログランキング

炎路を行く者 守り人作品集
精霊の守り人
獣の奏者 Ⅰ 闘蛇編
孤笛のかなた
鹿の王 上下

『彼女がエスパーだったころ』宮内悠介

擬似科学を容易に受け入れてしまう人間社会の危うさがテーマ。事件を追いかけるジャーナリストの「わたし」が俯瞰的視点で語る。
著者の多岐にわたる豊富な知識、奔放な発想力、そして卓絶な表現力に脱帽である。

彼女がエスパーだったころ
宮内悠介
講談社
2016年4月

「百匹目の火神」The Biakiston Line
火を使うことを人から教えられたニホンザルの能力が、猿たちの間に広がっていき、猿による放火事件が起きた。空き巣のあと、火をつけたのだ。
猿たちは日本各地で集団放火事件を起こす。共時性の願いが伝播した現象と説明された。
人々は猿を殺傷したが、ニホンザルは天然記念物である。法律が障害となり対策は後手に回った。ある日、雨が止むように猿の放火が終焉する。
「彼女がエスパーだったころ」The Discoveries of Witchcraft
スプーン曲げで有名になった千晴は、大学の物理学教授と結婚した。
ところが、千晴の不在時に夫が非常階段で足を滑らして転落死した。超能力者とされた千晴に疑いがかかり、魔女狩りの事態にまで発展する。
「ムイシュキンの脳髄」The Seat of Violence
バンドのリードボーカルの網岡はなにかにつけ逆上した。
同棲相手で、同じバンドのベース担当のかなえは、網岡に対するオーギトミーに反対した。手術後、天使のように変わってしまった網岡に、かなえは違和感を感じた。
そして、網岡はかなえと別れ郷里に引退した。
オーギトミーの普及に努める医師を批判するフリージャーナリストが殺害される。
「水神計画」Solaris of Words
放射能汚染水に「ありがとう」と声をかければ浄化される話。
「薄ければ薄いほど」Remedy for the Remedy
ごくごく薄めてしまえば毒も薬になるというホメオパシーの疑似科学性が暴露される。
「沸点」The Budding Point
世の中を変えるには、一部の人たちが変わればいい。ある人数の人々が変われば、それが転換点(ティッピング・ポイント)となって、世の中は変わるという。

彼女がエスパーだったころ/講談社/2016年4月
アメリカ最後の実験/新潮社/2016年1月

『東京新大橋雨中図』 杉本章子

明治初期の激しく移り変わる世に、『東京新大橋雨中図』や『猫と提灯』などの名作を描き、最後の木版浮世絵師と称される小林清親の半生を描いた、杉本章子の時代小説である。直木賞(第100回、昭和63年度下半期) 受賞。
清親は、身の丈六尺のいかつい顔をした偉丈夫だったという。

Book

東京新大橋雨中図

杉本章子
文春文庫
1991年 ✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎




御家人であった清親は、明治時代の到来とともに職を失い、住み慣れた江戸をあとにし、幕臣たちとともに駿府に移った。財政が逼迫する静岡藩に定職があるはずもなく、清親は3年で東京に戻ってきた。
浮世絵や錦絵の版元屋の2階に居を構えた清親が、暇に飽かせて描いた絵が、有力な版元の大黒屋の目に止まり、一本立ちの浮世絵師を目指しての修行がはじまった。この時、清親29歳、絵の修行をはじめるには遅すぎる歳だった。
自ら「画鬼」と名のる天才絵師・河鍋暁斎の口利きで、写真家・下岡蓮杖の弟子・桑山が経営する写真館で色つけの修行をはじめ、めきめきと腕を上げていった。

そんな折、桑山から極秘で色つけを頼まれた写真の女性は、音信不通となっていた兄・虎造の妻・佐江であった。病に臥す虎造から、共同事業を持ちかけられた相棒に騙され借金を背負ったと聞かされる。清親は虎造の借金を返そうと、金を工面して佐江に渡すのだった。

Photo

自ら光線画と名付けた『東京新大橋雨中図』は、爆発的に売れた。雨の降る中を蛇の目傘をさした後ろ姿の女は、清親が淡い思慕の念を抱いた佐江を描いたものだった。
こうして光線画は脚光を浴び、清親は「明治の広重」と呼ばれるようになる。また、洋画の手法をとりいれた『猫と提灯』を、第1回内国勧業博覧会博覧会(明治10年)に出品し、好評を博した。
月岡芳年の弟子だという井上安治郎が、清親に弟子入りを願い出た。安治郎は「血まみれ芳年」の激しい画風についていけず、光線画に憧れているという。

やがて、光線画の人気も下火になり、西南戦争の錦絵や大久保利通と西郷隆盛の似顔絵などの、商業ベースの注文に応えざるを得なくなる。
さらに、版元から火事場に出向き臨場感あふれる絵を描くよう求められるようになった。この時、身重の妻と幼い娘を家において、火事の現場に出向いたことが原因となり、妻は実家に帰ってしまった。夫婦の関係は修復されず、ついには、清親が娘をひきとり離縁となった。

「火事場の絵なんぞ書く暇があったら、『猫と提灯』のようなこれぞという上質の絵を描くことだと言ったろう」という暁斎の言葉が、清親は気にかかって仕方がなかった。そうは言っても、背に腹を変えられぬ清親は新聞や雑誌のポンチ絵(風刺画)を描くようになる。

そんなある日、足をくじいて歩けなくなった老女を背負って家まで送り届けたことが縁で、清元の師匠・延世志(のぶよし)と親密な仲になるのだが、清親はひとり娘をかかえ、延世志は老いた母をかかえる上に3人の子持ちであった。

【絵師が主人公の歴史小説】
東京新大橋雨中図』杉本章子 1988年
眩(くらら)』朝井まかて 2016年
『ごんたくれ』西條加奈 2015年
ヨイ豊』梶とよ子 2015年
若冲』澤田 瞳子/2015年
北斎と応為』キャサリン・ゴヴィエ/2014年
フェルメールになれなかった男』フランク・ウイン/2014年

『移動祝祭日』アーネスト・ヘミングウェイ

1920年代前半に、作家として駆け出しだった20歳代前半のヘミングウェイが、妻ハドリーとパリで暮らした数年間を綴った回顧録。その当時、パリで生活した著名な人物が数多く登場する。
とくに、自らも小説家で詩人であり、パリに集まる芸術家たちに自宅をサロンのように解放していたミス・ガートルード・スタインと、すでに『グレート・ギャツビー』を発表し、有名になりつつあったスコット・フィッツジェラルドについて多くのページが割かれている。

移動祝祭日 (新潮文庫)
移動祝祭日
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アーネスト・ヘミングウェイ/高見 浩 訳
新潮文庫
2009年

"ユヌ・ジェラシオン・ペルデュ"というタイトルの項では、「ロスト・ジェネレーション」という言葉が生まれた経緯について書いている。
ミス・スタインのフォードが故障して、自動車整備工場に修理に出した。整備工場の若い整備工は、第一次世界大戦に従軍した経歴の持ち主だが、車の修理に当たって手際が悪かったのか、他の車より先回しにしなかったのだろう。ミス・スタインから抗議を受けた整備工場の主人は整備工をきつく叱った。「おまえたちはみんなだめなやつら(ジェネラシオン・ペルデユ)だな」と主人は言ったという。
ミス・スタインがヘミングウェイを前にして、「こんどの戦争に従軍したあなたたち若者はね。みんな自堕落な世代(ロスト・ジェネレーション)なのよ」と言った。「あなたたちは何に対しても敬意を持ち合わせていない。お酒を飲めば死ぬほど酔っ払うし・・・」
へミングウェイは反論したが、ミス・スタインは譲らなかった。

ヘミングウェイは家に帰ってからミス・スタインに毒づくが、ちゃっかり、最初の長編『日はまた登る』のエピグラムに、ロスト・ジェネレーションという言葉を採用し、それと釣り合いをとるべく旧約聖書の一節を並べたと、舞台裏を明かしている。

ミス・スタインとの良好な関係の終焉についても書かれている。それは、ミス・スタインと恋人の女性との痴話喧嘩を耳にしたことだった。そのあと理性的な付き合いができなくなったという。

スコット・フィッツジェラルドの妻ゼルダは、米国南部の資産家の令嬢だが、スコットを振り回す難儀な性癖の持ち主であった。スコットはセルダにベタ惚れで、ゼルダはスコットの嫉妬心を煽るような行動を平気でとるのだった。
スコットが、アルコールの量を減らし体調を整え執筆に取り組むような生活が軌道にのると、ゼルダはスコットを自堕落なパーティーに引き込もうとした。スコットはセルダの派手好きで節操のない行状に嫉妬し、ゼルダはスコットの仕事に嫉妬した。一時は、夫婦は落ち着くが、ゼルダは徐々に正気を失っていった。

ゼルダに指摘されたと、スコットがペニスのサイズについてヘミングウェイに悩みを打ち明ける話が出てくる。ヘミングウェイは、「ゼルダの嫌がらせだ。鏡に映して確かめろ、上から見ているから短く見えるんだ」とアドバイスする。このエピソードから、スコットの頼りない性格や、当時スコットがヘミングウェイをいかに信頼していたかがわかる。

そういえば、ウッディ・アレンの映画『ミッドナイト・イン・パリ』(2011年)には、新婚旅行でパリを訪れた小説家を志す青年が、1920年代のパリにタイムスリップして、本書に登場する何人かの有名人たちと出会うシーンが出てくる。青年は自作の小説を読んでくれるようにヘミングウェイに頼むが、ミス・スタインに見てもらいなさいと断られるのだ。アレンは映画の脚本を練るにあたり、本書を参考にしたに違いない。

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