2019年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

2019年6月 5日 (水)

バーター弁当

みんなで弁当を食べることになった。
「新製品を発売したので、製品のプレゼンテーションをする機会をお願いしたい」と打診されたのだ。
「みなさまのお昼休みの貴重な時間をさいていただくことになりますので、お弁当を用意させていただきます」とおっしゃる。
この弁当はどういう性質のものかというと、魚心あれば水心的な、いわばバーター弁当である。

それで、そのプレゼンテーションは我田引水な気配のするデータが次々と示され、ライバル会社へのネガティブキャンペーンもたっぷり加えられて、新製品の有用性が喧伝されて終わるのである。
ひとしきり質疑応答があって、弁当を提供したご一行が帰ったあとに、いよいよそのブツをみんなで味わうわけだ。
食べはじめてしばらくすると弁当の値踏みがはじまる。
「これ、2000円くらいかなー」
「いやー、この材料は2000円じゃームリでしょう。カラスミが入っているし、これマスだよ」
「じゃあ、2500円?」
「2500円はすると思うよ」
「でも、3000円まではいかないでしょ」ということで、今回は2500円で決着した。

この手の弁当の評価のポイントは、値段もさることながら冷えていても美味しいかだが、そこは軽くクリアしている。皮肉なことに、弁当を食べるあいだ件の新製品の話題が挙がることはまずない。

官なら始末書ものだが、民だから多少の後ろめたさですみそうなこのバーター弁当というやつ、のちのち威力を発揮することになる。
数日たつと、「先日はプレゼンテーションの機会を、ありがとうございました」と、弁当のことなどなかったというご面相で、かの弁当提供者がおいでになって、この訪問は新製品が採用されるまで、しぶとく続くことになる。(2010/06/04)

2019年5月 4日 (土)

セゾン近代美術館

セゾン現代美術館は、国道146号線・通称日本ロマンチック街道を白糸の滝に向かい、星野エリアを過ぎたあたりで左折し山に少し入ったあたりの道路沿いにある。
門をくぐるとなだらかな斜面の向うの建物まではほぼ200mあって、鉄製の橋にしても立ち入り禁止の芝生の中に点在する彫像たちにしてもすでにアートが始まっている。

本館は名前からわかるように、セゾングループが運営する美術館である。
1962年に西武グループの創業者堤康次郎が収集した美術品を保存および一般公開する目的で、東京に高輪美術館が開館された。その後1981年にセゾングループの創業者の堤清二により軽井沢に移転した。1991年にはセゾン現代美術館と改名し、展示する作品を現代美術に絞った。

現代美術は理解できないことがしばしばで、馴染めないのが本音である。
今回のコレクション展「魂の場所」を監修した文芸評論家の三浦雅士氏によれば、美術の世界が大きく変わったのは、写真の発明であるという。画家たちは写真をきっかけに、絵画とは何かという問題に直面せざるを得なくなったという。
このあと小冊子は難解な表現が混じり馴染みのない固有名詞が出てきて私には理解できなくなるのだが、結局は1917年に既製品の小便器を『泉』というタイトルで展示したデュシャン以来、美術の世界はなんでもありになったということらしい。

展示されている作品のうち、名前を記憶している作家は、山口俶子の夫だったイサム・ノグチ、シュールレアリスムのコラージュを多く残したマン・レイ、同じくシュールレアリスムのミロ、カンディンスキーのリトグラフはアシュレイ・ジャドとトミー・リー・ジョーンズ主演の映画『ダブル・ジョパティー』の中でマクガフィンとして使われた。さらに、便器のデュシャン、色違いマリリン・モンローやキャンベルの缶詰のウォーホル、同じくポップアートのリキテンシュタイン、圧倒的な宗教性を感じさせるポロック、女体と曲面物体の彫像のマイヨールは知っている。しかし日本の作家は全滅だった。

順路のほぼ終点にある廃材を組み立てた縦5m横10m奥行2mほどの巨大なオブジェを見終わって立ち去ろうとしたときに、警備員服の係員が床にあるスイッチを押した。するとそれは動き出した。いくつもある車輪が軋みながら回転し、てっぺんでは鷹がくるくる回り、ドラムや鐘が鳴り、動物の頭蓋骨が口を開閉した。
こうした動きが繰り返され、最後は左端の動きのない大きな鳥が、満を持して羽を広げるのがオチだろうと期待しながら10分待った。ところが、警備員が素っ気ない態度でスイッチを切ると、オチもなくオブジェは止まった。これがジャンティン・ゲリーの『地獄の首都 No.1』である。
どうにも収まらないので、なぜ鳥が動かないかを警備員に訊ねると、「壊れているんです。何カ所か壊れています」とのことだった。ペンチやドライバーを使いこなしハンダ付けができる絵画修復士はそうそういないだろうから、キネティック・アートは壊れたら修繕がままならないのだろう。

見終わったあとに不消化なモヤモヤ感が残った。どうにかしようと、性懲りもなく翌日も本館を訪れたのだが、解消されなかった。
要するに、知らないから入り込めないのだ。その作家の位置、というのは誰々の影響を受けて美術史の中でどの流れにいてどう輝いたかという意味であるが、それがわかると現代美術は理解からかけ離れたものではないと思った(2013年9月23日)。

2019年4月22日 (月)

m浜浦町線

駅で始発のバスに乗る。タクシーの運転手に気を使うのが億劫だから、駅の近くで催される会の行き帰りにはバスを利用することにしている。
シルバーシートに堂々と座るのは気がひけるけれど、空いているからまあいいか。
情報交換会とやらでビールを飲み、赤ワインもコンパニオンに注がれるままに飲んだので、飲みすぎた。

このバスは、駅から繁華街を通り文教地区を経由して住宅地に行く。
3人掛けシルバーシートの左隅の運転手側に陣取る。右端に誰かが座って真ん中が空いている。
暗い照明のなかで、会合の前に会場と同じ建物の1階にある書店で買った文庫本を開くとバスが発車した。
萬代橋の手前の停留所で何人かが乗り込んでくる。隣に誰かが座るかなと思ったら、座席にバッグが置かれた。置いたというよりも投げたという感じだ。白っぽいトートバッグは、星のようなマークが並ぶ誰もが知っている有名ブランドだ。
バッグの主はスニーカーに黒いスパッツの女性だが、文庫本に目がいって前かがみになっているので、首から上は見えない。まるでバッグが幼い子どもで、その前に立って誘拐されないように守っているようだ。

文庫の主人公が大阪人のえげつなさを一気にまくしたてるところが小気味いい。文庫から目を上げ斜め右に立っているバッグの主を見ると、魚のホウボウを彷彿とさせる骨張った中年の女性だった。

正面の一人がけの座席に座った女性の履いているスニーカーが目に入った。靴のマークがZに見える。Nならニューバランスだ。Zは知らないメーカーだ。Z印の若者に人気のスニーカーなのかもしれないと思った。スニーカーの若い女性は、バスの進行方向に視線を向けているだけで、スマホをいじっていないことに、ほっとした。
バスは繁華街の停留所で新しい客を乗せて進む。乗り込んだ客は数名で、乗客の密度はさほど変わらない。
知事公舎や小学校を通り過ぎたところで停車し、ミズ.ルイ・ヴィトンはバッグを手にとってバスを降りた。

バスが動き出したので、座席の左の肘掛についている降車お知らせボタンを押すと、「次停まります」と優しそうだが乾燥した声のアナウンスが流れる。肘かけのボタンは赤い光を放っている。バッグやスニーカーに気を取られていて、ボタンの強烈すぎる色に気づかなかった。眩しいくらいだ。
バスは異人池のヘアピン・カーブの坂を登り、日本の敵国だと誰もが思う国の領事館を過ぎたところで、アナウンス通りに停まる。すでに硬貨は左手に握っている。それを料金箱に入れてバスを降りた。信号を渡って海側に行くとわが家だ。

2019年4月 8日 (月)

晩春の落ち葉ども

晩春には、常緑広葉樹は葉が茂るに伴い、古い葉をだらだらと落葉し続ける。この時期、3面が道路に面しているわが家は、道路の落ち葉掃除に追われる。

わが家が面する道路のアスファルトは、目の粗い水はけのよい仕様である。家を建てたときに、市の条例に従い1メートルのセットバックを強いられた。セットバックした部分が砂利のままなので、舗装することにした。このとき、アスファルトに種類があるとは知らず、「水はけの良い方にしましょう」という建築会社の担当者の意見に従った。わが家の周りだけが目の粗いアスファルトになった。

アスファルトには、大まかに透水性と排水性の2種類がある。そのほかカラー仕上げや弾力素材を混ぜたりすることもできて、細かく分けると10種類以上もあるそうだ。町の幹線道路は排水性アスファルト仕様で、道路の中央が高く端にいくほど低くなっている。雨が降ると傾斜に沿って道路端の側溝や下水に雨水が流れ込む構造になっている。目が粗い透水性アスファルトは、雨が降るとそのまま染み込むようになっている。

家の正面は、低木のキャラボクを植え、さらにカクレミノを等間隔で10本ほど並べた。裏庭はウバメガシの生垣で囲った。垣根といえば『夏は来ぬ』に出てくる卯の花と思っていたが、「最近、卯の花の垣根は流行っていませんね。落葉樹ですから垣根には向いていませんよ」と、庭師にあっさり却下された。

ウバメガシは備長炭の原料となる硬い木質の雑木で生命力が強く、晩春にはこれでもかというくらい旺盛に落葉を繰り返す。ウバメガシの葉には山なりのカーブがあり、葉脈の先端が尖っている。尖ったところが粗い目のアスファルトに引っかかり、ホウキで掃いてもビクともしないことがある。ホウキの力に逆らい、チリトリとは別の方向に跳ねたりして、まるで意志を持っているかのように反抗的に振舞ったりする。さらに、塀のコンクリートの土台とアスファルトの隙間に刺さった葉は、手でつまんで取るしかない。これを1か月以上続けなければならないのだ。

近くの公園の卯の花が香る頃になると、ウバメガシの垣根に妥協しまったことを後悔する。

2019年4月 2日 (火)

そばを打つ

だいぶ前からそばを食べ歩くようになり、そのうちにそばを打ちたくなった。そば打ちの手順は雑誌や本を読んで頭に入れている。水回し、のし、そば切りのコツは、そばを打ったことがない人に説明できるくらいに暗記している。2ヵ月前に郊外の大型ホームセンターに行ったときに、「そば打ちセット」が、そば粉つき、打ち方のDVDつきで売っているのをじっくり見ておいた。

そば打ちセットは、2万7千円である。椀は本物の漆塗りを揃えたいところだが、上級品は腕が上がってから手に入れるとして、この際てかてか光るABS樹脂製で妥協することにした。そばを包む紙は障子紙がいいそうなので、それも購入する。最近の障子紙は破ろうとしてもそうそう破れない強化障子紙が主流であるが、それではなくて舐めた指で突っつけば、穴が開くようなやわなタイプだ。そばを盛る一人前用のざるを5枚購入したし、タコ唐草模様のそば猪口は前から食器棚にある。水は前もって名水で名高い湧き水を汲んで備蓄してある。返しは2週前に作って寝かせているし、本わさびと辛味大根を売っているスーパーも調査済みだ。出汁用に、とびっきりの羅臼昆布も、まあまあの花カツオを揃えた。そば粉は通販で信州の老舗の製粉所から購入した。

さて、そば粉十割でいくか二八にするかだが、これが思案のしどころだった。そばを打つなら十割が本懐だが、難しいらしい。しかし二八じゃ、いかにも軟弱な気がする。悩んだ末に潔く十割でいくことにした。「そばを打つのに十割も二八もそう変わりませんよ」と、知り合いのそば職人が言ったからだ。

そば粉をコップに入れそこに水を入れても、そば粉は水に溶けない。つまり手を加えないとそば粉には水が染み込まないのだ。水回しとはそば粉に水を均等にいきわたらせ、そばの塊を作ることである。天候や気温で水の量を変えるというようなことが言われていて、そば打ちをするまでは大げさと思っていたが、これは本当である。数CCで水っぽくもなるし、乾き気味にもなる。だからそば粉と水の量は計量器で厳密に計っておく。

次は、そばの塊を麺棒で薄く延ばすのしの工程に入る。そばを細くするなら薄く延ばさなくてはならないが、妥協して中太にするなら多少厚くてもいいわけだ。そりゃあ、無論ぎりぎりの薄さに挑戦する。これがどういうわけかあっさり上手くいった。そして、そば切りは細心の注意で幅を極細にそろえる。家族の反応は「まあまあ食べられる」だった。

家族の評判が多少良かったのは初めのうちだけで、そのうちに、またそばなのか、うどん打ったら、スパゲティがいい、などと勝手なことを言うようになった。そして、台所が粉だらけになるとか道具が邪魔だとか、逆風が吹くようになった。そうした評判の悪さもあって、というより、もともと熱しやすく冷めやすい質なので、半年くらいでぱたりとそばを打たなくなった。

先日、久しぶりにそば打ちの道具を手にしたら、長さ60センチ直径3センチほどの麺棒がわずかに弯曲していた。これじゃあそばを打てないな。

2019年3月15日 (金)

黄金チャーハン

大学1年の夏休みに、実家がある町のレストランで2週間ほどアルバイトをしたことがある。レストランは交差点の一隅の2階にあった。交差点は城下町特有のクランクになっていて、当時、そのあたりは町一番の繁華街だったので、レストランは繁盛していたと思う。

与えられた仕事はホール係で、食器洗いもしたかもしれない。ある日、料理人がチャーハンの作り方を伝授してくれるという千載一隅のチャンスが訪れた。まだそういう呼称はなかったが、それは紛れもなく「黄金チャーハン」だった。

調理の手順は、中華鍋に油をひいて熱したところに、溶き卵を入れて中華おたまでかき回した後、冷えたご飯を入れる。しばし炒め日本酒と酢を入れ、さらに塩とコショウと化学調味料をふりかける。最後に、刻み葱を入れ、香りづけの醤油を鍋肌に沿わせてでき上がりだ。これを実家で作ると大好評で、「○のチャーハン(○には私の名前が入る)、作ってちょうだい」と家族から懇願ないしは命令され、しばしば台所に立った。今の「黄金チャーハン」の作り方と異なるところは、日本酒と酢を入れるところだろう。日本酒はコクを出すため、酢は味をまろやかにするためと教えられた。伝授していただいたチャーハンは「黄金」ではあったが「パラパラ」ではなかった。

チャーハンにパラパラ感が求められるようになったのはいつの頃からだろう。『男のチャーハン道』(土屋敦著 日本経済新聞出版社)によれば、パラパラがもてはやされ出したのは、食漫画『美味しんぼ』(第4巻 1985年)の影響によるという。さらに、1990年代のテレビ番組『料理の鉄人』に出演した周富徳がきっかけとなり、チャーハンは中華鍋をあおって作るというイメージが定着していった。中華鍋でご飯を空中に上げたときに、業務用ガスコンロの炎が直接ご飯を包み、水分を飛ばすというもっともらしい理由がつけられた。業務用コンロの強力な火力がなければ、パラパラチャーハンは作れないとされた。そしてパラパラでなければチャーハンではないという風潮が、まかり通るようになった。「パスタはアルデンテ」といわれ始めたのは、これより少し前のころだ。

火力に関係なく、家庭でパラパラチャーハンを簡単に作る方法を、曽兆明という料理人が喧伝したことがあった。それはあらかじめご飯と溶き卵を混ぜてから炒める方法で、確かにご飯ひと粒ひと粒は卵でコーティングされているものの、パラパラよりはどちらかといえばパサパサという食感であると評価され、さほど流行らなかった。曽兆明はこのチャーハンを「黄金チャーハン」として、ちゃっかり商標登録しているという。

あまりにパラパラチャーハンが人口に膾炙したものだから、店でチャーハンを注文したときに、パラパラでないとその店がまともでないように思えたものだった。それが、最近は、レタスを入れたり餡やスープをかけたりするチャーハンが流行ってきて、パラパラ至上主義は影を潜めつつあるようだ。もっとも、パスタもアルデンテといわなくなった。

最近、わが家ではセブン・イレブンの「極上炒飯 300g」を愛用している。冷凍庫から取り出して袋にフォークを突き刺して穴を開け、電子レンジで6分ほど温める。これで極上のパラパラチャーハンができ上るが、そこにひと工夫する。豚バラ肉と野菜を炒めオイスターソースで味をつけ片栗粉でとろみをつけた餡をかけ、餡かけチャーハンにする。これが絶品なのだ。

2019年3月14日 (木)

キラキラネーム

いつの頃からか、子どもたちの名前に違和感を覚えることが多くなった。それは、アニメの登場人物の名前や、外国人の名前や、読めない名前や、読み方を知らされて愕然とする名前など、漢字が当て字に使われるようなキラキラネームが増えたからである。キラキラネームの同類にDQN(ドキュン)ネームがある。これはネットで使われている「それ、アウトでしょう」という意味の俗語DQNからきている。DOQネームは、その名前で生きていくのは、さぞや辛いだろうと思わせる名前のことで、名づけた親への批判が込められている。DQNネームは、キラキラネームのなかに含まれて語られることが多い。

 親が自らの子どもに名前をつけるときに、ありふれた名前ではなく、と言ってそれほど突飛ではなく、可愛らしい響きを持つ名前とか、将来に期待が込められている名前とか、あれこれと頭を悩ませるのは自然なことである。占い本にあたり、漢字の画数を数えたり、 占いに凝っている親族や知人に相談したりもするだろう。私にも経験がある。
 キラキラネームが流行りだしたのは、1990年代の中頃といわれている。ベネッセコーポレーション発刊の『たまごクラブ』が、新しいセンスで名前をつけよう提案し、個性的な名前を紹介してからだという。いまや、子どもの名付け本や命名サイトには、キラキラネームがふんだんに載っている。

キラキラネームをつけた親たちの1割が、後悔しているというから、マタニティ・ハイの状況にある両親が、つい魔が差してキラキラネームに手を出すのかもしれない。某大学教授が、高い偏差値の学部にはキラキラネームの学生はほとんどいないとコラムに書いたり、某大手株式会社の人事担当者が、キラキラネームは採用に悪影響を及ぼすと発言したり、キラキラネームは批判され世間から冷たい目で見られてきた。そんな逆風をもろともせず、キラキラネームは増加し続けている。

親たちはこれくらいのキラキラ度ならセーフだろうとの判断で、「世界で一つだけの花」に特別な名前をつけようとする。それがくり返されて、キラキラ度の閾値は少しずつ下がってきた。今のところ、日本人全体では、キラキラネームはごく少数であるが、子どもたちの間ではすでにマジョリティになっているという。
(2015年10月)

2019年3月11日 (月)

シンギュラリティ

最近、シンギュラリティ(Singularity)という言葉を目にするようになった。物理学でブラックホールを意味するシンギュラリティとは、コンピュータが全人類の知性を超える未来のある時点のことをいう。日本語では、技術的特異点や特異点と訳される。
人工知能(AI)は、2020年代には人間ひとりの脳に、2045年には全人類のすべての脳に比肩するようになるという。つまり1台のパソコンで全人類分の脳と同等の情報処理ができるようになる。これは、今までにいくつかの未来予測を的中させてきた、グーグルのAI研究のリーダーであるレイ・カーツワイルが、論じていることである。ありていに言えば、驚異的にIQが高い人型AIの部長が命じた事業計画を、部下AIたちが迅速かつ正確に遂行するということだろう。これでは人間の出る幕はない。

では、社会はどうなるのか。AIに不向きな仕事の従事者と資本家以外は、職を失うことになる。職業を奪われる人の割合は80%とも90%とも試算されている。資本家は人間を雇うより、効率の良いAIに仕事を回すだろう。AIを導入することで人件費はゼロに近づき、生産効率は飛躍的に良くなり、経済は成長すると予測されている。そうなると、もはや資本主義は終わりだ。では、職を奪われた人びとはどうやって暮らしていくのだろう。井上智洋は著書『人工知能と経済の未来』(2016年)のなかで、ベーシック・インカム(BI)の導入を提案している。BIとは、政府がすべての国民に一定の金額を給付する制度のことである。財源は、莫大な利益を得るだろう資本家からの税金で賄う。

シンギュラリティは人類の進化の通過点なのか、それとも破滅への一歩なのか。そもそも学者たちが描く未来予想図の通りにことは運ぶのか。シンギュラリティをファンタージーと一笑に付す学者もいるが、いずれにせよ、これまでの法則が通用しない時代が迫ってきていることは確かなようだ。(2017年6月)

2019年3月 8日 (金)

nanacoギフトカード

今季最強の寒気団が日本列島を覆い、雪が降って慎重な運転が要求される1月の日曜日だった。公共施設で講習会を主催する側なので余裕をもって家を出たのだが、開催時刻の10分前にどうにかたどり着いた。別の催し物があるらしく、除雪された広い駐車場は混んでいた。駐車スペースを確保したことに安堵していると、カバンの中でスマホが震えた。ショートメールだ。「登録料金の未払いがございます。本日ご連絡頂けない場合、裁判の申し立てを行います。楽天カスタマーサービス」。つい、電話番号を押してしまった。

電話に出たのは、滑舌のよろしくない、声から判断すると真面目そうで若そうな男だった。話の要旨はこうだ。1年前に私が契約したサイトの料金が、昨年の12月末の支払期限までに払われていないので、サイト運営会社が裁判の申し立てをするという。面倒なことになったなと思う。
「あなたの会社はどういう会社ですか」
「総合サイトセリア様の代行を行っています、楽天です」
「あのね、総合サイトセリアなんて知らない、百円ショップのセリアなら知ってるけど。それに楽天から物を買ったことはないよ」
それまで丁寧語で対応するように気を遣っていたが、タメ口で構うものかという心境になった。通販はアマゾンひとすじだから、楽天から物を買ったことがないというのは事実だ。

「金融、証券ですとか、音楽配信、DVDですとか、薬品や衣類、えー、あとはアダルトサイトとか」
アダルトサイトと言われればアクセスしたことがないわけではない。
「あのね、契約した覚えはないし、だいたいスマホはほとんど使ってないから」
スマホは去年の夏に買い換えた。夏に毎年恒例の同級生の旅行があって、メンバーの中でラインに登録していないのは私だけというので、ラインのために新しい機種にしたのだ。前のスマホはラインのアプリをインストールに手こずるほど古い機種だった。
「スマホとパソコンと同期させていませんか」
それは考慮中でまだ同期させていない。

「別のお客様の例ですと、お孫様がスマホをいじっていて外国のサイトにアクセスして料金が発生したケースもございます」
家に猫ならいるけれど、孫はいないからそういうことはありえない。スマホの電池が残り10%になって、さっき低電力モードにしたばかりだ。長引くのは事がこんがらかってまずいと思った。
「取りあえず払うことにして、いくらなの」
「29万8千円です」
「えっ、なんでそんなに高いの」
「毎月の料金と延滞追徴金の合計です。本日3時までに支払わなければ、裁判の申し立てが行われます。セブンイレブン近くにありますか」
「ないよ。これから講習会で、5時に終わるから、その後でいいかな」
主催者だから、今すぐにでも会場に顔を出さなければならない。それに、駐車場を出たら、戻ってきた時に車を停められないかもしれないと思った。

「3時までに書類を提出しないと、裁判の申し立てが行われます」
「メモるから、ちょっと待って」
スマホを助手席において、カバンからノートとボールペンを取り出す動作で目が覚めた。振り込め詐欺だと思った。
「セブンイレブンで、nanacoギフトカードを買っていただきます」
私はセブンイレブンのヘビーユーザーで、毎日のようにカフェラテを愛飲している。週刊誌の『女性自身』と『朝日』と『文春』と『新潮』を発売日に買い、ときどき弁当やサンドイッチやペットボトルの飲み物を買い、そのたびに財布の一番出し入れしやすいところに差し込んであるnanacoカードで支払っている。
「nanacoカードなら持っているけれど」
「nanacoカードではありません。5万円のnanacoギフトカードを6枚買っていただいて、そこに書いてある番号を教えていただければ、こちらで申し立て取り下げの書類を作成し裁判所に提出します」
「その手口、テレビでやってたよ」
「うぎゃー」という声が聞こえたような気がした。

建物の4階に上がると「新春将棋フェステイバル」が行われていて、ホワイエにいる老若男女は誰もがとても楽しそうに見えた。ごった返す中で、俯瞰から冷ややかな他人の目で自分を見ているような、そんな気がした。講習会の会場にはすでに予定の約50人の受講者が集まっていた。控え室で同僚にことの顛末を話すと、「そんなの詐欺に決まってるじゃないですか。クリックしちゃダメですよ」と軽くあしらわれた。
明日の昼休みに、行きつけのセブンイレブンで店員のオバちゃんたちにこの話をすることになるけれど、もう少し早めに詐欺に気づいていたことにしようと思った。

2019年3月 6日 (水)

緑のサイフ

1月の晴れた日に、駅の地階へつながるエスカレーターを降りると、うどん屋の自動給水機の前で学生風の男が緑色のサイフがなくなったとカウンターの向こうのオバちゃんたちに訴えている。 「そこで食べたんだけど」と、陣取ったばかりの平穏な座席を指さす。「コラッ、学生風、人を指さしちゃーいけないと親から教わらなかったのか」と心の中で怒鳴った。すでに何回か探した後のようなので嫌疑はかからないはずだが、居心地がよろしくない。学生風もキッチンのオバちゃんたちも、コートのポケットにデジカメを忍ばせた善良な市民のほうにちらちら目をやるものだから、おちおち座っていられない。

学生風は自転車で駅までやってきて、券売機で食券を買ってうどんを食べて店を出た。そのあと緑色のサイフのないことに気づいて、舞い戻ってきたらしい。サイフが見つからないことに未練を残して、学生風はエスカレーターで退場するのだった。

でき上がったぶっかけうどんをテーブルに運んで、ポケットをごそごそやってデジカメを取り出し写真を撮るのは、この場面ではかなり怪しい行動だ。だからといってシャッターを押さないと、ブログに画像つきの記事を書けない。

ここのぶっかけは温かい。冬は温かいぶっかけがいい。温泉玉子と天かすとネギがのっているぶっかけをかき混ぜて、七味唐辛子をふた振りしたら、唐辛子と陳皮のほかに黒ゴマが6粒出てきた。ケシの実が出たら大吉と決めていたが、今日はあまりいい運勢ではなさそうだ。さっさとかっこんでしまおう。

予想を裏切らず、青ざめた学生風が再登場した。立ち寄った店に緑色のサイフはなかったと、オバちゃんたちの同情を買おうとするのだ。うどん好きの善良な市民のコートのポケットは、デジカメのほかに文庫本と手帳と手袋と茶色のサイフでパンパンに膨れているので、早めに退場しよう。(2010年3月)

«サピエンスはどこへ行く