クイズ番組
デイヴィット・ダゲットは、夫婦間のいざこざでは決して引き下がらなかったといっていい。間違っていようがいまいが自説を押し通す。それは深く誓ったことのように頑なだった。
己が法律だと思っている傲慢な男に性根を変えさせることは不可能に近い。デイヴィットは強引さをあくまで押し通すつもりでいたのだが、ここ数年はちょっとばかり事情が違ってきた。旗色が悪くなってきたのだ。
妻のエリーは物事を順序どおりに進める慎重派で、新聞をじっくり読むし雑誌も深く読む。ベストセラーは欠かさず購入してきた。そんな積み重ねの甲斐があって、いつの間にか物知りになっていた。たとえば地球温暖化問題について短期的な見方もするし、地球の歴史という大局的な見地に立つこともできた。歳をとりすこし体重が増えた分、知識も大いに増したといったところだ。
エリーが〈別にあんたと結婚しなくたって、引く手あまただったんだから〉と心の中でつぶやくようになったのは、最近のことだ。エリーは若かりし頃につき合っていた男たちを思い出しながら、出かかった笑みを口に手を当てて隠した。ちょっと遅かったかもしれない。食卓についたデイヴィットが眉間にしわを寄せてエリーを一瞥した。
「なにか言いたいことがあるの」
「いや、別に」
デイヴィットはテレビのニュース番組に目をやった。番組が終わりに近づいて天気予報が流れてる。数日の雨は明日には上がり、明日からは爽やかな秋晴れの日が続くと、いう。最近、中年の男性から代わった若い女性天気予報士が媚を売るかのような口調で話している。
ダゲット家のダイニングキッチンは、大きなL字のテーブルの一端が壁に固定してあって、その壁を背にソニーの薄型45インチテレビが置かれている。いつの頃からか、食事中にテレビをつけるのが習慣になってしまった。
テレビを見ながら食事をすることは行儀が悪と、エリーは何回も主張してきた。デイヴィットはテレビを見ながら食事をすることが当たり前の家庭で育った。というより、テレビにスイッチを入れるのは、食事のときとその後のちょっとしたくつろぎの時間に限られていた。
デイヴィットは非難されても、テレビを見ながら食事をすることがなぜ行儀が悪いのか理解しようとしなかった。食事にだけ集中してガツガツ食べるほうがよっぽど動物じみていて、行儀が悪いと反論したこともあった。
食事は生物の命をいただく神聖な儀式、テレビは娯楽、それを一緒にするのは生命を冒瀆する野蛮人の行為というのが、エリーが育ったメソジストの生活が染み込んだ家の方針であった。
エリーの主張に、デイヴィットは、むさぼるように食べる、むさぼるようにセックスする、むさぼるように眠るというように、本能的な行為はむさぼるものだと、胸を張って説得力に欠ける自説を展開した。さらに、石器時代の話を持ち出して、本来食事は生命を維持するための動物の本能であり、神聖とは程遠いものだと反論したものだった。
今夜は7時から人気クイズ番組がある。
番組がはじまり、MCの女性コメディアンがテンポよく回答者を紹介していく。細身の黒のスーツに身を包みグレイの髪をショートカットにした中年のコメディアンは、出で立ちからしてレスビアンである。何年か前にレスビアンであることをカミングアウトしたことで、しばらくの間テレビから姿を消していたが、年間の最優秀映画を決める大がかりなショーの司会に抜擢され、軽快なトークで大物俳優たちを自在に操りながらの絶妙の進行ぶりが高く評価された。いまや、売れっ子MCとして引く手あまたである。
「では、さっそく問題です」
デイヴィッドはステーキをほうばりながらテレビ画面に目をやる。
「面積が世界第5位をほこる国はどこでしょう?」
デイヴィットは付け合わせのマッシュポテトを口に運ぼうとして、
「ブラジルだよ」
と小声で言う。
「あのさー。テレビを見ながら食事をする人はどれくらいいると思う」
「わかからないわよ」
テレビでは女性MCが言う。
「面積が5位の国はブラジルです。3人ともに正解です。これは幸先がいい」
「あのね、テレビをつけながら食事をするのは4割だってさ」
「そんなに多いの。意外だわ」
エリーは「こぼしすぎだろう」と言おうとするのを飲み込んだ。
「とくに夜の7時から8時は、50%の比率だって、国民生活時間調査の報告書が出てるんだよ」
「びっくりだわ」
デイヴィットの両親は雑貨屋を営んでいて、食事時は交代で店番をしなくてはならなかった。だからデイヴィットの家では食事は手早く済ませるもので、テレビは食事時に見るものであった。
「では問題です。世界の三大テノールをお答えください」
「えーと、プラシド・ドミンゴ、ルチアーノ・パヴァロッティ、ホセ・カレーラスだったかな」
エリーがぼそりとつぶやく。
「さて、いかがでしょうか。正解は、パヴァロッティ、ドミンゴ、ホセ・カレーラス です。またしても3人ともに正解、お見事です。いやー、よく勉強してるね」
3人の回答者の顔がクローズアップされ、MCは驚いた顔を作る。
「クラシックはさっぱりわからないよ」
デイヴィットはエリーを見て言う。
「たいしたもんだな」
「3人ともCDもっているから」
エリーは食事を中断して、テレビの画面に映る三大テノールが歌う映像に見入っている。
「フルネームで答えなけりゃ、正解じゃないでしょう」
小声で言った。
「で、さあ。今テレビを消すってのはどうかな」
デイヴィットはサラダをむしゃむしゃやって笑いながら言った。
エリーは思い出した。結婚したばかりの頃、ふたりでチェスに没頭したことがあった。はじめはデヴィッドが勝ち続けたが、1週間もするとエリーが勝つようになった。ある日の対戦で形勢不利となったデイヴィットは、チェス盤をひっくり返したのだった。それ以来ふたりがチェスをやることはなくなった。
「冗談だよ」
いくつになってもこの男には年相応の分別というものが身につかないなと、エリーは思いながら、サラダのトマトを口に運んだ。
「では、最終問題、超難問です。キャデラックのふたつの背びれはなぜつけられたのでしょうか?」
「えーっ」
デイヴィットがすっとんきょうな声をあげる。
「キャデラックの背びれだって?」
「車を買い替えさせるため、売るためじゃないの」
エリーが口を出す。
「車を買い替えさせるためにモデルチェンジを繰り返し、技術の進歩を怠ったせいで、日本車に負けた。それが、自動車産業の衰退の大きな要因なのよ」
エリーはデイヴィットに説明する。
「さて、3人のお答えは。スピードを上げるため。走行を安定させるため。とくに意味はない。3人とも不正解です。正解は販売促進のため、売るためです」
デイヴィットはエリーがステーキを頬張る姿を眩しそうに見つめながら言った。
「エリーが番組に出てりゃ、賞金をごっそりいただきだったな」