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2020年8月28日 (金)

ハスキーボイス

かび臭いしゃがれ声はハスキーボイスではない。がらがら声もだみ声もハスキーボイスとは違う。ハスキーボイスを飲み物に例えれば炭酸水だ。炭酸水は喉の奥で一悶着を起こして下に降りていく。その引っかかり具合がハスキーなのだ。

1969年10月に、『新宿の女』でデビューした藤圭子は天から与えられたハスキーボイスの持ち主だった。その年の1月に東大の安田講堂が陥落し、学園紛争は徐々に沈静に向かっていった。藤圭子はデビュー以来まさに飛ぶ鳥を落とす勢いの人気を博した。私が大学に入学したのは、藤圭子がスターダムをのし上がり、『女のブルース』『圭子の夢は夜開く』『命預けます』とヒット曲を連発した頃だった。歌はどれも薄幸の女性を歌った演歌だったが、ダークスーツに身を包んだ姿は歌詞の内容とは裏腹に、清楚なアイドル歌手そのものだった。五木寛之は藤圭子の歌を「演歌」でも「援歌」でもなく「怨歌」と呼んだ。

キャンパスには学園紛争の残り火がくすぶっていた。街では安保条約反対のデモが行われ、デモ隊と機動隊がもみ合い、砕かれた歩道の敷石が投石され交番が壊されたりしたが、残り火が少し燃えたようなものだった。1970年6月23日、日米安全保障条約が自動延長された。それまでの学園紛争の激しさからすると、実にあっけない幕切れであった。そうした時代に、藤圭子の歌声は似つかわしかった。

北海道の旭川で浪曲師の両親のもとで育った藤圭子は、旅の生活を送りながら自らも歌っていた。その後、上京して錦糸町や浅草で、盲目の母親とともに流しで生計を立てていた。藤圭子が彗星のように現れた頃、薄幸の経歴を出来すぎた作り話だと陰口を叩く人気歌手がいたという。
 
藤圭子は、小さい頃から声がかすれることがあり、よく風邪をひいたのかと訊かれたという。歌手として多忙を極めるようになると、声が出なくて歌えなくなりそうなことが何度かあった。ステージで声が出なくなったらという恐怖といつも闘っていたという。声帯の手術を勧められ、悩んだ挙句、1974年に手術を受けた。手術後は声が良く出るようになったが、個性的な引っかかる感じがなくなってしまった。
 
沢木耕太郎との対談の中で、声の引っかかりがなくなったことについて、藤圭子は次のように語っている。〈声があたしの喉に引っ掛らなくなったら、人の心にも引っ掛らなくなってしまった。(中略)歌っていうのは、聞いている人に、あれっ、と思わせなくちゃいけないんだ。あれっ、と思わせ、もう一度、と思ってもらわなくては駄目なんだよ。〉(『流星ひとつ』文春文庫 2016年)そして、手術を受けたことについて無知だったと後悔していると言った。

マスコミは藤圭子の声が透き通る声になり生まれ変わったと書いたが、私には歌が上手い別の歌手になってしまったように感じられた。声の変化を一番気に病んでいたのは本人だった。手術してからの5年間は歌うのが辛かったという。1979年に、藤圭子は突然引退を発表し、かねてからの夢だったアメリカに渡った。引退した理由が、思い通りの声を出せなくなったことだと知って納得した。

その後、藤圭子は娘を出産し、日本とアメリカとを行き来する生活を続けていた。カムバックを試みたが、往年の人気を取り戻すべくもなかった。1998年に、まぎれもなく藤圭子の遺伝子を受け継いだ宇多田ヒカルがシンガーソングライターとしてデビューして、母親として光が当たったことを最後に、マスコミから姿を消した。そして、2013年8月22日、藤圭子はマンションの高層階から飛び降りて自殺した。享年62歳であった。宇多田ヒカルは母親の死に際し、長年病気に翻弄された本人と家族について淡々と語った。1988年頃から精神疾患を患っていたという。

長い間、ハスキー(husky)の語源はタマネギの薄皮がこすれ合うかそけき音だと思っていた。それが最近タマネギの皮ではなく、トウモロコシの皮であると知った。藤圭子の声はタマネギの方が似合うような気がする。

 

2020年8月 1日 (土)

中国の新型コロナ対策

中国は、春節の直前の1月23日に人口1100万人の武漢市をロックダウンした。中国全土の人が集まる場所を公共・民間を問わず閉鎖し、新型コロナウイルス感染症(以下、新型コロナ)の封じ込めに成功した。中国を「隠蔽により初動が遅れ、ウイルスをばらまいた、情報があてにならない」というマイナスの面のみでとらえるべきではない。

新型コロナウイルスは12月31日に武漢市で確認され、1月3日にはワクチン株が分離され、1月7日に国連に提供されたという。中国が感染の中心だった頃は、強権的なロックダウンやテクノロジーによる人々の行動監視システムに対し、人権のない国だからできると揶揄されたが、その後は多くの国で中国方式を取り入れた。

突貫工事でコンテナ病院が建設され、5Gを用いた通信システムによる遠隔診断が行われ、医療用ロボットが体温測定や消毒、医療品の運搬を行った。PCR検査なしでもCT画像から新型コロナを診断してもよいとし、アリババ・グループが、CT画像から20秒で診断するシステムを作り、その的中率は96%だという。3月上旬までに中国の160の病院で採用された。

2月11日、アリババ提供の行動監視アプリ「ヘルスコード」が杭州で導入された。感染の危険性が赤・黄・緑で表示され、緑であれば自由に行動ができ、黄は1週間、赤は2週間の自宅待機が要請される。日本の厚生労働省が「新型コロナウイルス接触確認アプリ」を提供したのは6月19日。腹立たしいくらい遅い。中国では多くの企業が新型コロナ対策に協力した。決済アプリ「アリペイ」に、医療関係者に相談できる無料医療相談機能が設けられた。中国のIT企業は、武漢市の医療関係者に宿泊施設を提供し食料を手配し無料送迎を行うなど、無償で協力を行った。中国では人々は政府を信用していない。医師をはじめとする医療人と企業を信用したのである。

中国での感染が落ち着き、感染が世界に広がると、中国はこれを機にとばかりに、感染拡大国に救援物資を送るマスク外交を展開した。まったくもってしたたかである。

4月22日、武漢市が解放された。市民は「ヘルスコード」で管理されている。5月中旬には観光地の70%が再開した。最近では、6月28日に北京郊外で感染者が出ると、政府は50万人が住むその地区をロックダウンした。単純明快な中国の新型コロナ対策から、引延し作戦をとる日本は学ぶことが確実にある。

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