カレーがご馳走だった頃
子どもの頃のご馳走といえば、餃子とカレーとわが家オリジナルのジャージャー麺である。とんかつもすき焼きもあったが、なぜかご馳走として頭に浮かばない。餃子やジャージャー麺がわが家の夕食のメニューに上がったのは、両親が満州からの引揚者だったからだ。
餃子作りは私の出番であった。牛乳瓶を麺棒の代わりにして、メリケン粉の団子を円形に伸ばし皮を作った。当時小麦粉はメリケン粉と呼ばれていた。餡を皮で包んで二つ折りにし内側を数カ所折り畳んで餃子らしい形にした。満州仕込みの餃子には焼餃子の発想はなく、もっぱら水餃子にして酢醤油をつけて食べた。夕食が終わると何個食べたか申告しあった。食べ盛りだったから、20個くらい食べて腹がはち切れそうになった。
カレー用の肉の購入は私の役目だった。肉屋で「豚の細切れ50円下さい」と言って買った。肉はグラムで買うものではなく、金額を提示して買うものだった。昭和30年代の話である。アルミの大鍋で豚肉とじゃがいも、人参、玉ねぎを煮て、固形カレーを入れると出来上がった。カレールウという言葉はまだ使われていなかったと思う。たっぷりのカレーをご飯にかけて、これ以上食べられないというくらいの量を胃に詰め込んだ。
ジャージャー麺は茄子と挽肉の味噌炒めを茹でた冷麦にかけた、今でいえば冷製パスタのようなものだ。茄子は今と違って夏だけに出回る野菜だったので、ジャージャー麺は夏限定のお楽しみメニューだった。
記憶は上書きされ美化されるというから、当時ご馳走だったものが今食べると美味しいとは限らない。最近は、餃子はもっぱらがんこ屋の冷凍餃子を家で焼いて食べている。カレーは万代バスセンターのミニカレーが気に入っている。ジャージャー麺は20年ほど前に作ってみたが、とても美味しいとはいえない代物で、それっきり口にしていない。思い出は深く追求しないほうがいいのかもしれない。