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2021年11月20日 (土)

カレーがご馳走だった頃

子どもの頃のご馳走といえば、餃子とカレーとわが家オリジナルのジャージャー麺である。とんかつもすき焼きもあったが、なぜかご馳走として頭に浮かばない。餃子やジャージャー麺がわが家の夕食のメニューに上がったのは、両親が満州からの引揚者だったからだ。

餃子作りは私の出番であった。牛乳瓶を麺棒の代わりにして、メリケン粉の団子を円形に伸ばし皮を作った。当時小麦粉はメリケン粉と呼ばれていた。餡を皮で包んで二つ折りにし内側を数カ所折り畳んで餃子らしい形にした。満州仕込みの餃子には焼餃子の発想はなく、もっぱら水餃子にして酢醤油をつけて食べた。夕食が終わると何個食べたか申告しあった。食べ盛りだったから、20個くらい食べて腹がはち切れそうになった。 

カレー用の肉の購入は私の役目だった。肉屋で「豚の細切れ50円下さい」と言って買った。肉はグラムで買うものではなく、金額を提示して買うものだった。昭和30年代の話である。アルミの大鍋で豚肉とじゃがいも、人参、玉ねぎを煮て、固形カレーを入れると出来上がった。カレールウという言葉はまだ使われていなかったと思う。たっぷりのカレーをご飯にかけて、これ以上食べられないというくらいの量を胃に詰め込んだ。

ジャージャー麺は茄子と挽肉の味噌炒めを茹でた冷麦にかけた、今でいえば冷製パスタのようなものだ。茄子は今と違って夏だけに出回る野菜だったので、ジャージャー麺は夏限定のお楽しみメニューだった。

記憶は上書きされ美化されるというから、当時ご馳走だったものが今食べると美味しいとは限らない。最近は、餃子はもっぱらがんこ屋の冷凍餃子を家で焼いて食べている。カレーは万代バスセンターのミニカレーが気に入っている。ジャージャー麺は20年ほど前に作ってみたが、とても美味しいとはいえない代物で、それっきり口にしていない。思い出は深く追求しないほうがいいのかもしれない。

 

2021年11月13日 (土)

『鬼平犯科帳』を復習する

本棚の『鬼平犯科帳』(文春文庫 1976年)は、茶色に変色してシミがつき、かび臭くなっていた。文字が小さいのを我慢して、第一巻の冒頭の「唖の十蔵」を読んだ。鼻がむずむずしてくしゃみが出た。

翌日、ブックオフで文春文庫の「決定版」の「一」を買った。文字が大きくて読みやすい。 解説は、植草甚一が担当している。『鬼平犯科帳』を復習してみようと思い立ったことについて書いていて、私とまったく同じ心境だと思った。植草は復習を思いたったとき、最初にやりたかったのは「料理屋のリストを作ること」だったという。これも同じだ。

植草は電車の中の様子を書いている。乗客の男性が読んでいる『オール讀物』に目がいく。男性が開いているページは、『鬼平犯科帳』の「泥鰌の和助始末」(第七巻に収録)で、別の席に座っているもうひとりの男性も同じところを読んでいた。ふたりは、おそらく池波正太郎のコアなファンに違いなく、自分は初心者の部類だろうと分析する。昭和51(1976)年当時、『鬼平犯科帳』が、当時のサラリーマン男性に圧倒的に人気があったことが窺われる記述だ。
『鬼平犯科帳』を読み直すにあたって、私はふたつのことを意識することした。ひとつは植草と同じように料理や料理屋について、もうひとつは季節である。「旬」とは季節と食べ物が強く結びついた言葉がであるが、『鬼平犯科帳』の食の世界はまさに「旬」に集約される。
池波正太郎は詳しい調理法を書かない。そこで、池波作品に登場する料理の解説本が登場する。佐藤隆介の『池波正太郎 鬼平料理帳』(文春文庫)は、『鬼平犯科帳』に出てくる料理を春夏秋冬に分類して、レシピを紹介している。

ところで、「唖の十蔵」の舞台は冬。十蔵は掛川の太平の手下の夫を殺した女房のおふじを匿うが、身重のおふじと男女の関係を持ってしまう。一味におふじを誘拐され強請られるが、結局、一味は一網打尽にされる。十蔵は平蔵に詫び状を残し自害する。おふじは絞殺体で発見され、生まれた娘は長谷川家の養女になった。「啞の十蔵」には蕎麦屋は出てくるが、そばは描写されていない。

2021年11月 7日 (日)

ジュンク堂書店 新潟店

昼休みに、駅南のロック板が上がるコインパーキングに車を停めて、新潟駅に向う。左に行けば、三吉屋のラーメンかブロンコのランチステーキを食べることになるが、今日はジュンク堂が先だ。信号をわたりプラーカ3に入りエスカレーターで地下に降りる。通行人がまばらな地下道を進み階段を上がったところで、万引き防止センサーをヒヤヒヤしながら通り抜け、ジュンク堂のコミックコーナーに入る。コミックの充実ぶりときたら凄いの一言だ。広いコミックコーナーを通り抜け、理工書コーナーを過ぎたところで左に曲がり、喫茶エリアの前にあるエスカレーターで、今度は地上1階に上がる。

キャッシャーの前のベストセラーのコーナーで立ち止まって一瞥する。そこから、左手の文庫と新書の新刊コーナーに行き、そこもさらりと流す。奥に進み、売れ筋の文芸書の棚でランキングを確認し、隣の棚の翻訳ミステリもチェックする。最近、新書を読むことが多いので、右手の新書コーナーでは平積みと立てかけ本(業界では面陳列という)をじっくり吟味する。文庫本は一番奥のハヤカワや創元社のSFとミステリを入念に物色する。うんざりするほどたくさんあるその他の文庫は、あらかじめ買う文庫を決めているときに探索することにしている。というような手順で、圧倒的な品揃えが魅力のジュンク堂に、週に1回は出没している。ちなみに、ジュンク堂は丸善の子会社で、先ほどのエスカレーターを上がったところで、キャッシャーの反対側に行けば丸善の文房具売り場である。

本屋に通うようになったのはいつの頃からだろう。高校生の頃、参考書と称する受験対策本を買ってからだろうか。浪人の頃は予備校が御茶ノ水にあったので、時折帰りは御茶ノ水駅には向かわず、坂を下って神田の古本屋街をうろついた。神田から九段方面に向かい靖国神社の中を通り抜け、飯田橋駅か市ヶ谷駅、ときには足を延ばして四ツ谷駅から中央線に乗って東横線沿線の下宿に帰った。電車だと遠く感じるが、御茶ノ水から四ツ谷までは4キロちょっとだ。古本屋で買った本は、受験勉強そっちのけで読んで、読み終わると古本屋に持っていった。 

最近は、ジュンク堂4、萬松堂2、アマゾン2、蔦屋1、紀伊国屋0.5、くまざわ書店0.5くらいの割合で、本を購入している。かつて、古町商店街に活気を取り戻すため微力ながら貢献しようと、本はできるだけ萬松堂で買うことにしていたが、一向に好転しそうにないので、最近はその気持ちがしぼみつつある。

アマゾンは絶版であっても取り揃えていて、1円で買える本もあり、午前中に注文すれば多くの場合は翌日に届くので、圧倒的に便利だ。利便さを求めるのならアマゾンだろう。しかし本はできれば手にとってページをめくって買うかどうかを決めたい。「いつもお買い上げいただきありがとうございます」と言われた感激に再び浸るためにも、萬松堂での購入に引き続き努力するつもりだが、ジュンク堂の1位の座は揺るがないだろうな。

 

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