「ももの花」と「赤チン」と「六一〇ハップ」と「正露丸」
小学生の頃、冬になると手にはあかぎれが足にはしもやけができた。あかぎれで指の関節の甲が割れた。そんなときは「ももの花」が頼りだった。ももの花は桃の香料が添加された薄ピンク色のワセリンである。割れた皮膚をももの花で覆うとヒリヒリ感がなくなった。風呂上がりに、ももの花を手に塗りカサカサした頬にも塗った。
創には「赤チン」という伝家の宝刀があった。赤チンを塗ると、創はもう大丈夫だという気持ちになった。乾いた赤チンはナメクジが這った跡のように虹色に輝いた。医師になって、赤チンを塗った創に出くわすと戸惑った。赤く染まった創は病態を把握しにくく、自らはさんざん世話になったにも関わらず、赤チンを使わないようにと注意を促したものだった。
「六一〇(むとう)ハップ」は瓶に入った赤い液体である。これを湯船に注ぐと湯は白濁し硫黄の匂いが漂い、家庭で硫黄泉を満喫できた。武藤鉦製薬の初代の名前から「六一〇」を、ハッピーから「ハップ」をとって名づけたという。なんとも独創的なネーミングである。風呂を新しくしてからは、風呂釜の金属が錆びるとのことで使わなくなった。子どもながら温泉気分に浸れなくなって残念だと思った。
「正露丸」の正体を小学生の頃から知っていた。木材から抽出した漆喰の防腐剤であり、日露戦争で兵士たちが戦地に持参したことを、正の字が征から代わったことを、親から聞いていた。そもそも、ヤギの糞のような正露丸にどれだけお世話になったことか。アイラウィスキーが、正露丸と同じ匂いだと気づいたときは大いに感激したものだ。
冬に限らず一年中、ドラッグストアには選択するに迷うほどの数多のハンドクリームが並んでいる。今や吸湿発熱繊維(ヒートテック)の手袋も靴下も肌着もある。赤チンは水銀を使っていたので製造中止になったが、創には湿潤療法を家庭で行える貼付剤(キズパワーパッド)が出回っている。全国の有名温泉を再現しようとした入浴剤がある。正露丸は糖衣錠が発売された。便利で快適になった。
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