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2022年4月26日 (火)

オーディオ一体型ナビ

CDをかけると曲の途中が飛んだり雑音を発したり音が出なかったり、果てはCDの表面に傷がついたから、カーオーディオを自動車整備工場で調べてもらうことにした。ちょうど冬タイヤから普通タイヤに替えるときで、午前中に車を預けて昼には車が戻ってきた。担当者は何回かCDをかけてみたが、異常はないという。一般的にはオーディオ一体型ナビと呼ばれている、ダッシュボードの真ん中にあるナビゲーションとバックビューモニター、テレビとラジオ、CD・DVDの再生機能を備えた装置である。CDに傷がつくのは由々しいことだと主張すると、オーディオ一体型ナビを取り外してメーカーに送って調べてもらうことになった。

オーディオ一体型ナビが取り外されたダッシュボードには、20センチ×30センチの穴が空いた。穴の中には配線のコードとコネクタがいくつか見える。普段は見えないもの、あるいは見なくてもいいものが見えるのは、不安な気持ちにさせる。朝、車のエンジンをかけると、「おはようございます。今日は○月○日○曜日です」と、女性の声であいさつがあり、テレビのモーニングショーの音声が流れるのが常だったから、音がないのはさびしい。運転中に聞こえる音といえば、エンジン音とタイヤが地面に擦れる音と、すれ違う車の風を切る音だ。こう静かだと運転が慎重になる。
運転中にどういうわけかその穴に目がいく。車をバックで駐車区画に入れようとすると、バックビューモニターに目をやる癖がついているので、穴に目がいく。いつもより慎重にバックミラーやサイドミラーを見ながらバックする。慎重な分、1回で区画線に平行に駐車できたが、車を降りて車の後ろに回ると、思っていたよりもはるか手前に停めていた。しかしその距離は、日に日に縮まっていった。

オーディオ一体型ナビがなくなって変わったことは、運転が慎重になったことと耳鳴りに気づいたことだ。音というよりは、頭蓋骨の表面から電子音が発せられているような感じである。ジーとひきりなしに鳴っている。なにかに集中していると耳鳴りのことは忘れている。
ところで、オーディオ一体型ナビが戻ってくるまで1か月もかかったが、なんともないという診断だった。走行しながらの試聴をしていないのではと思ったが、引き下がることにした。駐車場で久しぶりにバックビューモニターの世話になりながらバックすると、視線をどこにやっていいのやら戸惑った。運転中はテレビ番組の音が流れ、耳鳴りは気にならなくなった。

次の車は、俯瞰視点のアラウンドビューモニター付きで、誤発進防止システムを装備した電気自動車にするつもりだ。やがて、ガソリン車は生産されなくなる。(『新潟市医師会報』令和4年4月号「陽春薫風」)

2022年4月19日 (火)

春の朝

宇宙は猛烈な勢いで膨張しているから、朝起きて昨夜枕元においた目覚まし時計が手の届かない離れたところに移動していたものの、少しも動揺しなかった。壁のコンセントからのコードに繋いだアイホンとiPadも離れたところに移動していた。
猫は同じ和室で籐の長椅子の上で、布団を規則的に上下させて寝ている。

東向きの窓からは、障子越しに陽光が差し込んでいる。障子を開けて眼下の裏庭に目をやると、昨日、ウバメガシの木に鳥の巣箱を設置したことを思い出した。枝に乗せて3箇所を紐で幹と枝にくくりつけた。一番下の枝に乗せたので、2階から見ると葉に隠れて巣箱がよく見えない。庭全体を見渡すと、なんだか少し裏庭が広くなったような感じがした。

今朝は気温が下がっているので小鳥たちの姿は見えないが、ふと、堀口大学が訳したローバート・ブラウニングの詩『春の朝』が思い浮かんだ。
「時は春、日は朝(あした)、朝は七時(ななとき)、片岡に露みちて、揚雲雀(あげひばり)なのりいで、蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、神、そらに知ろしめす。すべて世は事も無し。」

今日は、松食い虫駆除の薬散布が近くの松林で行われる。回覧板には松林への接近厳禁のお触れが市から出ていた。もう少しすると、噴霧機のモーターが動き出して、やかましい音を立てるはずだ。
枕元においたペットボトルが1メートルほど向こうに転がっているが、当たり前だ。宇宙は膨張し続けているのだ。

2022年4月13日 (水)

店屋物屋

最近あまり使われなくなった言葉に店屋物がある。古い刑事物のTVドラマや映画の取り調べ室で、刑事が容疑者にタバコを勧め、そのあとカツ丼を目の前において、「食うか?」と容疑者をほろりとさせ自供にもっていくお馴染みのシーンで、店屋物は活躍していた。

店屋物屋のメニューには、カツ丼や親子丼などの丼物のほかに、そばやうどんが各種あり、さらにカレーライスがあり、驚くことにラーメンやチャーシュウメンまであり、冷やし中華も夏季限定で出すくらい、メニューはバリエーションに富んでいる。豚肉の卵とじ丼に明治を彷彿とさせる開化丼と名づけている店もある。ほとんどは家族ないしは同族経営であり、出前もやっている。そば屋と名乗るところも多いが、そば屋のイメージは、そばと種物各種と丼物が数種くらいのメニューで、ラーメンを出すとなると、もはやそば屋ではなく店屋物屋と呼ぶのがふさわしいと思う。

日本の近代食堂史に大いなる足跡を残す店屋物屋だが、今や絶滅の危機に瀕している。理由は、商売敵である各ジャンルの外食チェーン店の急速な広がりと、店屋物屋自体の世代交代がうまくいかないことにある。忙しく労働時間が長く、将来どうなるかわからない店屋物屋を引き継ぐ若者がいないからだ。
ところが、今の世の中どこに落とし穴があるかわからない。隆盛を誇っていた外食チェーン店が、最近は従業員の確保がままならないことで、首都圏では軒並み営業時間の短縮や閉店に追い込まれる事態になっている。同族経営でこつこつやってきた店屋物屋に、再び光が当たる未来がくるかもしれない。

2022年4月 4日 (月)

伐採される桜の木

桜前線が日本列島を北上するなか、桜の木が全国的に伐採されるというニュースが流れている。たとえば、2022年3月、横浜市の海軍道路の200日本で最初にラーメンを食べた人物が 余本の桜が、道路の拡張工事に伴い伐採されると報じられた。植樹から約50年が経ち桜は老木となり、昨年は台風により倒木したという。

以前、ソメイヨシノの寿命は30〜40年であるとなにかで読んだことがあり、その短さに驚いたことを覚えている。そこで、ソメイヨシノの寿命を調べてみた。手にとったのは『桜の科学』(勝木俊雄 SBクリエイティブ株式会社 2018年)である。

本書によると、〈染井吉野(本種では漢字で表記)は決して短命ではない。染井吉野の特徴は成長が早いことであり、1年で2メートル以上となり、10年で10メートルに達するという。20メートルくらいになると成長が止まる。成長が止まると、樹木は古い枝を落として新しい枝を出すが、染井吉野はそれがうまくいかないという。古い枯れ枝が目立つようになり、50年くらいで花の鑑賞価値も下がる。そのせいで染井吉野は短命といわれるのではないか。〉ということであった。つまり、50年は寿命ではないが、樹姿がいかにも老木の佇まいになるということである。

桜については忘れられない思い出が二つある。小中学校への通学路は一部が城址の堀沿いであった。そこには20本ほどの桜が植えられていて、新学期になって桜が咲いて、その下を歩くとうきうきした気分になった。花が散り葉桜の緑が鮮やかになり、その後しばらくすると桜の実が落下した。出来損ないのサクランボである。小さな赤黒い硬い実が桜の木の下に散らばるのである。一部は実が潰れ道を汚していた。桜は花と葉桜は美しいが、その後はまるっきり冴えないというのが、子供なりの評価だった。ソメイヨシノはクローンであるから、ソメイヨシノ同士の花粉では結実しないといわれている。堀沿いの桜はソメイヨシノの雑種だったのだろうか。

町の北西を流れる河の土手の桜並木は「長堤十里六千本の桜樹」とうたわれ、市民の自慢だった。しかし昭和41年と42年と2年連続で、豪雨により河の堤防が決壊し、市は甚大な被害を被った。昭和39年から昭和49年かけて行われた河川改修工事とダム建設により、桜の木は一部を残して殆どが伐採された。町を襲った2年続いての水害も衝撃的だったが、桜の木lの伐採も相当にショッキングなことだった。
桜並木は、大正4年(1915年)に分水路完成と大正天皇即位の記念として6000本が堤防に植えられたもので、50年ほど経っていた。その後、河の氾濫は起こらなくなったが、ピンク色の長い帯を見ることができなくなったのは返す返すも残念だ。

プロレスごっこの頃

 

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