禁煙ラプソディ
風呂場でひらめいたが、見栄を張ってゴルフのティー・グラウンドで思いついたことにしたという。おりしも、英国では医師登録制度が施行され、ロンドンの医師会事務局に行けば医師の名簿が入手できた。たばこに関するコホート調査を世界ではじめて行ったのは、英国オックスフォード大学のリチャード・ドール教授とアイデアを思いついたA・ブラッドフォード・ヒル教授である。ドール教授らは、1951年に英国のすべての医師にアンケート用紙を郵送し、およそ2/3にあたる4万人から回答を得ることができた。そのアンケートをもとに調査を行い、1954年に「喫煙は肺がんの発症と関連する」とするセンセーショナルな内容の論文を発表した。それから10年ごとに調査結果を発表し続け、50年後まで追跡した。ドール教授らの研究は画期的なものだった。その後も、基礎分野でも臨床分野でも、大々的であるにせよ小規模であるにせよ、たばこの健康被害に関する研究は続けられ、数多の論文が発表された。しかしながら、世間は喫煙の害について深刻には受け止めていなかった。たばこなしでは、庶民の生活も20世紀の文学や映画に代表されるエンターテインメントも成り立たなかった。
1965年、米国ではたばこの有害表示が義務づけられたが、それ以前もたばこメーカーは健康への警告を表示すべきだったとして、1988年に、たばこメーカーを相手取った訴訟で肺がん患者が勝訴した。その後もたばこの個人訴訟はぽつぽつ勝利がみられた。たばこ訴訟が歴史的な節目を向かえたのは、たばこ病患者のために過大な医療費の出費を余儀なくされたとして、多くの州政府がたばこメーカーを訴えたことが発端である。1998年に全米50州のうち46州の州政府に対し、総額2060億ドル(約24兆円)をたばこメーカー側が支払うという連邦包括和解が成立した。たばこメーカーがたばこの有害性を認識していながらそれを隠していたことや、ニコチンの量を操作して発表していたことが明らかになり、敗訴が決定的になった。たばこに関するもうひとつの見逃せない事態が起こっていた。当時のテレビには、カウボーイ姿のマルボロマンが紫煙をくゆらせるコマーシャルが流れていた。たばこを浴びるくらい吸うヤニ臭い男が男の中の男だということなのだが、歴代のマルボロマンが次々に重篤な肺疾患で命を落としていった。肺がんに侵されたマルボロマンが禁煙を訴えるに至り、たばこ業界の敗北に追い打ちをかける形となった。
ところで、「たばこ」をどう表記するか悩む。「莨」というれっきとした漢字があるが、この字は人気がない。「煙草」は江戸言葉の強引さを感じる。「タバコ」は植物や原料というニュアンスが強く今ひとつしっくりこない。「たばこ」はどうかというと、平仮名に挟まれたときに読みにくいという難点はあるものの、どれかを選ぶとなると「たばこ」だと思う。
実家が日用雑貨や食品の小売業を営んでいてたばこも売っていたので、たばこの銘柄の変遷を記憶している。戦前から人気だった紙巻きたばこは「ゴールデンバット」である。刻みたばこの両巨頭「ききょう」と「みのり」も健在であった。「ゴールデンバット」を押しのけるほどの人気を博したのが、戦後の復興を背景に販売された「新生」である。やがてフィルターたばこの「ハイライト」が登場し、売れ筋ナンバーワンになった。フィルターたばこの出現のあと、タールが少ない軽いたばこが好まれるようになり、「セブンスター」が出てきて、そのあと「マイルドセブン」にたどり着いた。そうした流行とは関係なく、とびきり強い両切りの「ピース」も人気があり、特に缶に密閉された「ピー缶」は苦みばしったニヒルな男が愛用していた。また10本入りの「ホープ」は知的なセンスが漂う男女が好んだ。たばこを販売していたが、家族は誰もたばこを吸わなかった。
中学生の頃わが家に泥棒が入った。店舗の引き戸のガラスをガラス切りで切って、そこから手を入れて鍵を開け、20カートンのたばこを盗んでいった。犯人は捕まらず、数ヶ月後に同じ手口で再びやられた。犯人は前回より大胆になって、藁に包まれた納豆をふたつ食べ、バイアリスオレンジを2本飲んでいった。やがて犯人は捕まり、たばこを専門に狙う泥棒とのことだった。近県で同様の事件が起きていたと警察から聞いた。それを期に、店舗の引き戸を桟の目の細かいガラス戸に替えた。
1970年代、国立大学附属病院の外来係の看護師たちは、診察がはじまる前に机を拭いたり診察用ガジェットを揃えたりするほかに、すぐになくなってしまう病院名が印字されたボールペンを補充し、理不尽なことにアルミの灰皿を診察机の上においたりした。外来棟の廊下には患者用にスタンドの灰皿がおかれ、若い医師たちがたむろする予診室はたばこの煙で燻製室のようだった。私も煙を吐き出す側にいたのだが、少なくとも整形外科はそうだった。マスコミはたばこの害を盛んに指摘していたというのに、医療現場では喫煙者が大手を振って跋扈していた。医局会議も班の検討会も煙の中で行われた。病院棟から研究棟につながる渡り廊下を、火のついたたばこを手品師のように手掌に隠して行き来する不埒な輩を見かけた。たばこに関してはそんな無法がまかり通る時代だった。
2000年に新潟市医師会のホームページを立ち上げることになり、委員に任命された。ホームページ作成ソフト「ホームページ・ビルダー6.5」を使って、手作りで完成させることになった。もちろん記事の作成は医師会事務局の担当者が行ったが、ホームページに使われるHTML言語を理解していないと議論がかみ合わなかったので、同じソフトを購入してわがクリニックのホームページを作った。健康保険は効かないが、ちょうどニコチンパッチによる禁煙治療が認可された頃だった。ニコチンパッチを販売する薬剤メーカーから資料を入手して、医師会のホームページに禁煙外来のコンテンツを作った。
わがクリニックでは禁煙外来を始めた。その後2006年4月に禁煙治療が保険適用となり、施設認定を申請した。禁煙治療の成功率はおよそ60%である。成功率を上げるコツは患者を励ますことだという。私はクリニック開業時に禁煙をなにも頼らずに断行したので、禁煙に失敗して再挑戦する患者に対して根性論がのどから出そうになるが、そこは押さえてひたすら褒めて励ますことにしている。
かつては、喫煙よるストレス解消の効果を唱えたり、害であるとの明らかな根拠がないだの、禁煙ファッショだのと、喫煙を援護する論調がみられたものだ。ところが今や喫煙は好ましからざるものから、他人の健康を脅かす犯罪的な行為とパラダイムが変わってしまった。昨今、喫煙者はたばこを吸っていることをひた隠しにするようになった。以前たばこを吸っていて宗旨替えした私は、逆風をものともせずにたばこを吸い続けている命知らずの剛の者たちに対して、畏敬の念を抱いていた。しかし最近はそんな気持ちはすっかり消えてしまった。
さて、いずれ絶滅すると言われているたばこだが、たばこメーカーは生き残りをかけて新型たばこを売り出している。新型たばこには加熱式たばこと電子たばこの2種類がある。たばこの葉を使っているのが加熱式たばこ、たばこの葉ではない化学物質を使っているのが電子たばこである。フィリップモリス社の加熱式たばこ「アイコス」の世界シェアは、96%が日本であるという。たばこの害についての認識が甘い日本が、加熱式たばこの実験台になっているのだ。こうした歪んだことが平然とまかり通るのが、日本のたばこ行政である。WHOの評価基準では、日本は受動喫煙防止策、脱たばこメディアキャンペーン、たばこの広告・販売・後援の禁止の項目において、先進国の中で最低のレベルとされている。日本のたばこ行政がガラパゴス的なのは、ひとえに愛煙家の国会議員が幅を利かせているからだろう。なにしろ国会内ではたばこが吸えることになっている。
たばこが日常に煙っているのが当たり前の時代に生き自らも吸っていたので、たばこの匂いに懐かしさを感じることがある。ホテルや旅館のたばこ臭い部屋には閉口するが、夜の歓楽街でふとたばこの匂い嗅いだとき、過去がよみがえる。50年ほど前、東横線白楽駅前のパチンコ店のドアが開き、パチンコ玉の発する騒音とともに、いしだあゆみの『ブルー・ライト・ヨコハマ』が流れてきて、たばこの煙が鼻腔をくすぐった。小雨のぱらつくなか、一期校と二期校の間に受験日が設定されていた横浜市立大学を受験した日のことを思い出す。私がたばこを吸いはじめたのはその頃だ。
【参考文献・図書】
Richard Doll and A. Bradford Hill: The mortality of doctors in relation to their smoking habits.Br.Med.J.,1451,1954
佐和山芳郎 現代たばこ戦争 岩波新書 1999年
田淵貴大 新型タバコの本当のリスク 内外出版社 2019年