落語

2022年3月23日 (水)

落語「鍋焼きうどん」

目の玉が飛び出るほど値段が高い鍋焼きうどんを食べながら、頭に浮かんだ落語を一席申し上げます。
竹野のご隠居と熊五郎がそば屋に入り、ご隠居は鍋焼きうどんを熊五郎はかけそばを頼みました。

「ご隠居はなんでも知っているんですってね」
「当たり前じゃ、森羅万象、知らないことはない」
熊五郎は鼻を明かしてやろうと、ご隠居を質問攻めにします。
「鍋焼きうどんはなにから食べるのが正しいんです?」
「昔から、鍋焼きうどんは”ネギにはじまってネギに終る”と言われておる。"礼にはじまって礼に終る"と同じようなものだ。だからネギだ」
「じゃあ、七味唐辛子は何回振るのがいいんでしょう?」
「"三々五々"といってな、3回振って足りないと思ったらもう2振り、合計5回振りなさいという教えだ。3回でだめなことは4回でもだめだから、思い切って5回やりなさいという意味である。役に立つ教えだ、覚えていて損はないぞ」
「ふにゃふにゃした丸いのははなんです?」
「麩だ。"貞女ニ夫にまみえず"といってな、夫が死んでも、貞節な妻は再婚してはならないという古くからの教えだ。夫はまみえてもいいことになっておる」
「はあ?、その天ぷらは、やけに衣が薄いですね」
「ふむ、確かに浴衣のような薄い衣だな。このエビとマイタケはことのほか暑がりなのだろう」
「あー、暑がりね」
「タケノコは知っていますよ。竹の子どもだからでしょ」
「馬鹿者、竹薮に生えるケノコを、便宜上タケノコと呼んでおるだけだ」
「えー、ケノコですかぁ。干し椎茸はどうです?」
「ドンコのことか。うどんと相性がいいから、うどん粉のウをとって、ドンコになった」
「玉子焼きは、いくらなんでもそのままでしょう」
「うつけ者、タは口をついて出ただけだ。正しくはマゴヤキという」
「えー、マゴヤキですか」
「なにを驚いておる、"事実は小説より奇なり"だ。孫のために焼いたからマゴヤキだ」
「ミツバは?」
「昔、おみつというミツバ好きの抹臭い婆さんがいてな、それでミツバと呼ぶようになった」
「エビ天の向こうの白いのはなんで?」
「今はカマボコと呼んでおるが、むかしは鎌倉と呼んだ。それがなまってカマボコになった」
「ほんとですか?」
「"いざ鎌倉"といってな、要するにだ、いざというときの食べ物だ。それが入っているから、鍋焼きうどんは値が張る」

(『やかん』をパクりました。)

2019年10月10日 (木)

古今亭菊之丞を聞く

1月の日曜日に、新潟日報メディアシップで催された寄席に出かけた。
以前、テレビで古今亭菊之丞の落語を聴いて品も艶もある落語家だとすっかり気に入り、生で聴くチャンスをうかがっていた。
独演会の数日前に、コンビニでコード番号を告げると、店員がキーボードを操作し、数分でマルチコピー機からチケットが出てきた。便利になったものだ。

会場に着くと開演40分前だというのに、すでに長蛇の列ができていた。会場の壁は黒と緑と柿色の幕で覆われ、正面の高座には紫色の分厚い座布団が敷かれていて、すっかり寄席らしい雰囲気が漂っていた。
やがて『元禄花見踊り』の出囃子にのって、満面の笑みを浮かべた古今亭菊之丞が登場した。
マクラは落語界の重鎮たちの話。落語は話の内容が決まっているから、マクラでいかに客を惹きつけるかが勝負である。爆笑につぐ爆笑のうちに居酒屋での落語家仲間との話になった。そして、いつのまにか1席目の『親子酒』に入っていた。酒好きの大旦那と若旦那の禁酒の話である。

2席目の『太鼓腹』は、ありきたりの遊びに飽きた若旦那が自己流の鍼を始め、幇間を実験台にする話。近くの席に笑いっぱなしのオバさんが数名いて、大声で豪快に笑う。見渡すと大声で笑っているのは女性が圧倒的に多い。女性は長生きするはずだと思った。

15分の仲入りのあとは、菊之丞が俳優としてデビューする話で始まった。
4月にNHKで放映されるピエール瀧主演の『64 ロクヨン』に出演するとのこと。『64』は1964年に起こった幼女誘拐事件が、現在捜査中の事件と絡み、ストーリーの鍵となる横山秀夫原作の警察小説である。嫌味たっぷりの警察庁長官を演じるという。ついに古今菊之丞にとって飛躍のチャンスがやってきたのだ。ささやかながらエールを送りたい。
そして羽織を脱ぎ、3席目の人情話『芝浜』が始まった。凄みはないものの適度に笑わせじわりと泣かせて出来は良かった。
会場には若者が数えるほどしかいない。最近のプチ落語ブームは年配者に支えられている。(2015年3月)