『未来を読む』AIと格差は世界を滅ぼすか

世界の知の巨人たちが未来を語る。聞き手は国際ジャーナリスト。
近未来は、トランプと北朝鮮の動向、イギリスのブレクジット、ロシアや中国の覇権主義、難民、テロなど、問題山積である。一方、遠未来は多くの人びとにとって過酷だ。科学技術の進歩が人間に明るい未来をもたらすというのは幻想であることがわかった。

未来を読む AIと格差は世界を滅ぼすか (PHP新書)
ジャレド・ダイアモンド ユヴァル・ノア・ハラリ リンダ・グラットン ダニエル・コーエン ニック・ボストロム ウィリアム・J・ペリー ネル・アーヴィン・ペインター ジョーン・C・ウィリアムズ
PHP新書   2018年6月
売り上げランキング: 13,902

ジャレッド・ダイアモンド(1937年〜、進化生物学者、『銃・病原菌・鉄』)
「資源を巡り、文明の崩壊が起きる」
格差によってもたらされるのは、感染症のリスク、テロリズム、移民。それらが先進国に深刻なダメージをもたらすと予見する。
ダメージを回避するには、持続可能な経済を作れるか、世界の生活水準が一定レベルの平等を達成できるかにかかっている。

ユヴェル・ノア・ハラリ(1976年〜、歴史学者、『サピエンス全史』『ホモデウス』)
「近い将来、役立たず階級が大量発生する」
今日存在する多くの職業が30年以内に消える。
今後数10年の間に核戦争のリスク、気候変動、テクノロジーによる破壊という3つの脅威に直面する。

リンダ・グラットン(1955年〜、ロンドン・ビジネススクール教授、『LIFE SHIFT』)
「人生100年時代の到来」を予見する。生き方改革を提示する。

ニック・ボストロム(1973年〜、オクッスフォード大学教授、「人類未来研究所」所長、『スーパー・インテリジェンス』)
「AI万能時代が訪れ、働き方は根本的に変革する」
AIが人間と同等あるいはそれ以上の知能を持った時に何が起こるか。

ダニエル・コーエン(1953年〜、フランスを代表する経済学者、『経済成長という呪い』)
1870年から1970年に起きたテクノロジーは中産階級にも恩恵を広くもたらした。新しいテクノロジーの恩恵を受ける人はわずか。それは経営者や投資家。テクノロジーこそが格差を生み出す根元になっている。

ウィリアム・J・ペリー(1927年〜、クリントン政権の国防長官、『核戦争の瀬戸際で』)
北朝鮮の非核化は実現しない。偶発核戦争は起こり得る。

ジョーン・C・ウィリアムズ(カリフォルニア学労働生活法センター初代所長、『アメリカを動かす「ホワイト・ワーキング・クラス」という人々 』)
アメリカ人の53%を占める中流階級を、「ホワイト・ワーキング・クラス」と定義する。その中産階級にいる白人が不満をもった。トランプが大統領になって、アメリカ人は社会的階級の影響についてその重要性にやっと気づいた。

ネル・アーヴィン・ペインター(プリンストン大学名誉教授、『白人の歴史』)
「アメリカは分極化の波にさらされる」
オバマが大統領になったことで、白人中間層は差別される側になったと感じた。
その考え方がトランプを大統領にした。→人気ブログランキング

『大統領失踪』上下 ビル・クリントン/ジェイムズ・パタースン

著者のクリントン元大統領は大のミステリ好きで、以前よりミステリを書きたい思っていたという。タッグを組んだのは、アメリカ・ミステリ界の大御所ジェイムズ・パタースン。
ホワイトハウス内の描写や人間関係に、その場に身をおいたものにしか書けないと思われる機微が盛り込まれていて、リアリティがある。
クリントンには、兵役を免れ、上院の弾劾裁判にかけられたという苦い過去がある。その経験が、主人公のダンカン大統領を湾岸戦争の英雄にし、さらに冒頭で大統領弾劾の前段階である特別調査委員会の場面を設定した理由かもしれない。
ストーリーは、まるで絶叫ジェットコースターのように次から次へとスリルに富む場面が待ち受けていて、それを乗り越えていく様は小気味がいい。もちろん大どんでん返しも仕込まれている。

大統領失踪 上 (早川書房)
大統領失踪 上
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ビル・クリントン/
ジェイムズ・パタースン
早川書房
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大統領失踪 下 (早川書房)
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越前俊弥/久野郁子
2018年12月
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下院特別調査委員会の場面から始まる。ダンカン大統領がテロ組織「ジハードの息子たち」を率いるリーダーと取引をしたのではないかという疑惑だ。下院議長の質問に、ダンカンは大統領特権で答えないと黙秘する。緊迫するやりとりが交わされるが、実はこれはリハーサルである。

「ジハードの息子たち」が仕掛けたのは、アメリカの政府機関のコンピュータにウイルスを送り込み、すべてのファイルを根こそぎ無効にしてしまうというもの。
数日前トロントの政府機関のコンピュータにウイルスが侵入し、痕跡を残さず消えた。この事件により、ダンカン大統領はウイルス攻撃は脅しではないと確信した。

そんな折、Tシャツにジーパンのパンク娘がホワイトハウスに乗り込んできて、ダンカン大統領に直々に封筒を手渡した。この後ダンカン大統領はウイルスの攻撃を未然に防ぐため、ホワイトハウスから姿を消すのだった。

やがて、ロサンゼルスで生物テロ攻撃に対応できる研究所が焼け落ちた。さらに、浄水施設のコンピュータのソフトウェアがハッキングされた。これは小手調べにすぎない。
もし、政府機関のコンピュータが本格的にサイバー攻撃されれば、すべてが麻痺する。政府の機能も、銀行も交通も流通も医療も、テレビも何もかもが麻痺して、19世紀に戻ってしまう。どれだけの人が死ぬのか。集団ヒステリーが起こりパニックになる。そして敵対する国から攻撃されるかもしれない。

サイバーセキュリティーの専門家が30人集まって、刻々と迫るウイルス攻撃開始までの時間内に、ウイルスを無力化しようとする。ダンカン大統領は重症の持病と闘いながら、自国を危機から救おうと懸命に奮闘する。

テロ集団の黒幕はどこの国なのか。そして大統領の8人の側近のうち、テロ集団に情報を漏らした裏切り者は誰なのか。ジェットコースターはスピードを増して車輪から火花を散らしながら、最後の山場に向かう。

気が早いことに、ダンカン大統領には次期大統領選に立候補してもらい、次作での活躍を期待する声が多いという。テレビの大型ドラマ化が決定していると帯に書いてあるが、大ヒットは間違いないだろう。→人気ブログランキング

『アメリカーナ』チママンダー・ンゴズィ・アディーチェ

アフリカとアメリカとイギリスを舞台に、ナイジェリア人カップルの間で展開される長編ラブストーリー。ふたりの主人公はもちろん、親や親戚や友人たち、そして端役に至るまで、「キャラだちが半端ない」著者の筆力に圧倒される。全米批評家賞受賞作(2013年)。

主人公のイフェメルが13年間暮らしたプリンストンを去る前に、髪を結いにいく場面からはじまる。イフェメルがアメリカにやって来たときに、初めて自分が黒人であることに気づいた。文化ギャップや階級・人種差別、特に肌の色と髪の毛について何度も描かれる。

話はナイジェリアの最大の都市ラゴスに移る。イフェメルの通う中等学校に大学教授を母に持つオビンゼが転校してくる。イフェメルにとってオビンゼは、自分をいちいち説明する必要を感じない初恋の相手であった。
ふたりは大学に進学するが、不安定な政情のせいで教師のストライキが続く大学は機能が麻痺してしまう。大学に愛想をつかしたイフェメルは、アメリカ留学の資格を得てアメリカに渡った。オビンゼも後でアメリカに渡るはずだった。

アメリカーナ
アメリカーナ
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チママンダー・ンゴズィ・アディーチェ/くぼたのぞみ 
河出書房新社
2016年 ✴✳✳✳✳
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タイトルの「アメリカーナ」という言葉は、イフェメルの友人一家がアメリカに渡ることになったときに、同級生たちの会話に出てくる。「めっちゃアメリカーナになっているよね。ビシみたいに」。1年下のビシは、短いアメリカ旅行から帰ってきてから、気取った態度をとるようになり、方言はわからないふりをしたり、英単語にわざとらしい「r」音をくっつけたりした。つまり、憧憬と嫉妬と軽蔑が入り混じった「アメリカかぶれ」という意味だ。

イフェメルは、アメリカにやってきたばかりの頃、奨学金だけでは暮らしていくことができず、他人の社会保障カードと運転免許書を手に入れ、仕事を得ようとする。ところが職が見つからず、男と同衾するだけで金を手にしたことに苦悩し、オビンゼとの連絡を絶ってしまう。

イフェメルからの連絡が途絶えて苦悩するオビンゼは、アメリカ留学の書類を大使館に申請し続けたが、9・11の影響で留学の道は閉ざされてしまう。そこで仕方なく親戚のつてでイギリスに渡るが、人種差別と不法滞在がばれないかという恐怖にさらされた。
イギリスからラゴスに戻ってきたオビンゼは、ビッグマンに拾われ不動産業で成功をおさめる。やがて貞淑な妻を娶り娘が生まれ、傍目からすれば順風満帆であった。

一方、イフェメルはベビーシッターを経験し、白人男性とつきあい出しアメリカの生活に溶け込んでいく。
薬液で髪をまっすぐにして髪と頭皮を傷めながら、イフェメルは就職の面接を受ける。雑誌の出版社に採用されるが、鋭い意見を持つイフェメルはやがて周囲と意見が合わなくなり辞めてしまう。
イフェメルはブログをはじめる。人種差別と、髪の毛と肌の色の問題と、アフリカから奴隷として新大陸に渡った祖先を持つアフリカン・アメリカンと、経済的・政治的理由でアフリカから渡ってきたアメリカン・アフリカンとの微妙な関係についての、エッジの効いた内容は爆発的なアクセス数を得て、超人気ブロガーとなる。たとえばミッシェル・オバマのストレートヘアを論じる。
そんな折、友人からオビンゼの近況を聞いいたイフェメルは、オビンゼにメールを送ることにし、舞台はナイジェリアに移る。→人気ブログランキング

男も女もみんなフェミニストでなきゃ/C・N・アディーチェ/くぼたのぞみ/河出書房新社/2017年
アメリカーナ/C・N・アディーチェ/くぼたのぞみ/河出書房新社/2016年
明日は遠すぎて/C・N・アディーチェ/くぼたのぞみ/河出書房新社/2012年
半分のぼった黄色い太陽/C・N・アディーチェ/くぼたのぞみ/河出書房新社/2010年
アメリカにいる、きみ/C・N・アディーチェ/くぼたのぞみ/河出書房新社/2007年

サピエンスはどこへ行く

最近、進化生物学の目覚しい進歩によりわれわれホモ・サピエンスの来し方が明らかになっている。行く末についてもいくつかの予測がされている。 

来し方は、年代に関して諸説があるがおおよそ以下のようである。250万年前にアフリカで人類が誕生し、200万年前にこの太古の人類の一部が、北アフリカ、ヨーロッパ、アジアに進出した。ホモ・サピエンスは20万年前にアフリカで誕生し、6万年前にアフリカを出て、ネアンデルタール人と交配し世界に散らばっていった。それ故、アフリカ出身以外のすべての現代人は2~4%のネアンデルタール人の遺伝子を持っている。ということは、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは友好関係にあったわけだ。200万年前から1万年前までは、世界にはいくつかの人類種が同時に存在していたが、生き残ったのはホモ・サピエンスだけである。ネアンデルタール人の脳容量が1550mlであったのに対し、ホモ・サピエンスは1450mlであった。ちなみに脳は他の臓器に比べ膨大なカロリーを消費する。なぜ、脳容量の多いネアンデルタール人が滅び、ホモ・サピエンスは生き残ったのか?いくつかの要因が挙げられるが、最も有力なのは、ホモ・サピエンスは目に見えないものを信じたり集団で行動できたりしたからだとされる。その後、ホモ・サピエンスは地球上の生物、ことに家畜や愛玩動物を除く大型哺乳類をことごとく絶滅に追い込んでいくことになる。
 
さて、行く末はどうだろう。人類にとって最良の時代はすでに過去のものになったことは、多くが認めるところだろう。人類はAIに仕事をのっとられ、桁外れの財産をもつごく一部の資産家階級と、ほとんどの人びとが属する役立たず階級と、AIが不得手な仕事に従事する階級とに分かれるという説が、受け入れられている。政府は国民にベーシック・インカムとして最低限の生活を送ることができる金額を支給する。平たく言えば、ほとんどの国民が生活保護手当で暮らすことになるわけだ。そのような未来は人類にとってユートピアなのかディストピアなのか。こうした衝撃的な説を一笑に付す識者も少なくない。しかし彼らは説得力のある代替の未来予想図を提示できないでいる。

ところでビッグバン以後138.2億年を経過している宇宙の未来はどうなるのか。最近、東大などが発表した、スバル望遠鏡による暗黒物質の分析によると、宇宙は向後1400億年まで存在することがわかったという。これまで宇宙の寿命は数100億年と言われていたので、倍以上になった。宇宙の寿命が伸びたことはそれはそれでほっとする。こうした現実とはかけ離れた事象に感情移入してしまうところが、ネアンデルタール人をさしおいてホモ・サピエンスが生き残った理由かもしれない。

『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』チママンダー・ンゴズィ・アディーチェ

原題は「WE SHOULD ALL BE FEMINISTS」、邦題の『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』は、肩肘張らずに誰にでもわかるようにフェミニズムを説いている内容にぴったりである。
本書は、著者のTEDxEuston( 2012年12月)での、「WE SHOULD ALL BE FEMINISTS」と題したスピーチに加筆したもの。
2009年7月の同じくTEDxEustonでのスピーチ「シングルストーリーの危険性」も、センセーションを巻き起こした。その内容は、欧米諸国のアフリカに対するステレオタイプな見方に異議を唱えたものだ。
本書は、男女間の固定観念に縛られるのはやめようというのが趣旨である。それは、アフリカに対する見方を変えるべきだとする姿勢と一貫性がある。

男も女もみんなフェミニストでなきゃ
チママンダー・ンゴズィ・アディーチェ/くぼたのぞみ
河出書房新社 2017年4月 ✳✳✳✳✳
売り上げランキング: 98,791

ビヨンセが「FLAWLESS」(2014年)の歌詞に、TEDxEustonでの著者のスピーチの一部をそのまま使った。〈女の子には小さくなれと教えてしまうのです。大志を抱いてもいいけれど、大概にしたほうがいい。成功を目指してもいいけれど、あまり成功しすぎると男の立場を脅かすことになるから気をつけて。・・・・・・〉
Diorが夏のファッションショー(2016年)で、「WE SHOULD ALL BE FEMINITS」と書かれたTシャツを着たモデルを登場させた。
スウェーデン政府が、本書を冊子にして16歳の子どもたち全員に配布した。
というように、世界が著者に同調したのだ。

著者は、辞書では、フェミニストとは、社会的、政治的、経済的に両性が平等だと信じる者であるとし、まずは子育て世代や教育者に、ひいてはすべての人びとにフェミニズムを実践してほしいと訴えている。
著者の結論は次のようだ。
〈わたし自身の、フェミニストの定義は、男性であれ女性であれ、「そう、ジェンダーには今日だって問題があるよね、だから改善しなきゃね、もっとよくしなきゃ」という人です。〉→人気ブログランキング

男も女もみんなフェミニストでなきゃ/C・N・アディーチェ/くぼたのぞみ/河出書房新社/2017年
アメリカーナ/C・N・アディーチェ/くぼたのぞみ/河出書房新社/2016年
明日は遠すぎて/C・N・アディーチェ/くぼたのぞみ/河出書房新社/2012年
半分のぼった黄色い太陽/C・N・アディーチェ/くぼたのぞみ/河出書房新社/2010年
アメリカにいる、きみ/C・N・アディーチェ/くぼたのぞみ/河出書房新社/2007年
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女の機嫌の直し方/黒川伊保子/集英社インターナショナル新書/2017年
沈黙の時代に書くということ―ポスト9・11を生きる作家の選択/サラ・パレツキー/山本やよい/早川書房/2010年

眠狂四郎無頼控(一)柴田錬三郎

直木賞作家・柴田錬三郎の傑作『眠狂四郎無頼控』は、1956年(昭和31年)5月から『週刊新潮』に、毎週読み切りという短編連作の形で掲載された。翌 1957年に書籍化され、文庫は1960年に発刊され70刷を重ねている。超ロングセラーである。

眠狂四郎は、ころび伴天連と日本人女性との混血という生い立ちである。そういう出自のせいか虚無感漂う二枚目で、豊臣秀頼佩刀とされる「無想正宗」を帯び、眠りを誘う秘剣「円月殺法」により小気味いいくらいに悪人をばったばったと斬り捨てる。

眠狂四郎無頼控(一)(新潮文庫)
新潮文庫
1960年 ✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎

時代は1800年代前半、シーボルトが西洋医術を日本にもたらす代わりに、スパイ活動を行った頃だ。
江戸城内に権力をほしいままにしているのは、老中筆頭水野忠成である。将軍家斉とその生父一橋治済の殊寵を得ていて、他の閣僚は手の出しようがなかった。ところが昨年、水野越前守忠邦が、京都所司代・侍従より西丸老中に任じ、家斉の世子家慶の補佐役として登場するや、幕閣内には変化が現れはじめた。
この忠邦の江戸城登場を、水野忠成一統が看過するはずはない。こうして両陣営の暗闘が繰り広げられるのである。

水野忠成一統には、ご禁制の貿易により得た舶来品を賄賂としてばら撒き幕閣内を暗躍する廻船問屋越前屋、さらに越前屋と手を組んだ奥医師・室矢醇堂がいて、悪事に手を染めている。
一方、忠邦の側頭役・式部仙十郎は、眠狂四郎に情報を与えつつ後ろ盾となっている。という善と悪との対立が基本スキームである。

それぞれの章は次章への余韻を残しながら、眠狂四郎の円月殺法で悪を叩き斬って終わる。
早春のひな祭りにはじまり、四季折々の描写が挟み込まれるところも、本書の魅力である。美保代と静香というふたりの若い女性と狂四郎の絡みも見逃せない。また、昭和30年代を風刺する語句を歌い込んだ江戸の戯れ歌が登場するのは洒落ている。

解説は『沈黙』を書いた遠藤周作である。切支丹つながりかと思いきや、そのあたりのことは触れておらず、何しろ面白くて時代を先取りしていてインテリ向けだと書いていて、連載されていた頃、本作が大人気であったことをうかがわせる。→人気ブログランキング

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『変わったタイプ』トム・ハンクス

名優トム・ハンクスの短編集。
ユーモアがあって温かく巧みだ。話の筋を悲惨な方向にもっていくと予想しながら読んでいると、決して悲惨にはならない。悲惨な方向に舵を切れば物語は容易に終結するが、そうしない。著者は妥協しないのだ。名優の文章は些細なことを徹底的に描き出す。神は細部に宿るだ。題材はバリエーションに富んでいて、半分の作品がスラップスティックに展開する。
多くの作品でタイプライターが登場するのは、著者が年代物のタイプライターの収集家だからだ。それがいい味を出している。

「アラン・ビーン、ほか四名  Alan Bean Plus Four」は、最近日本でなにかと話題を提供しているネット通販会社のちょび髭社長が契約したという、月を回って帰ってくるルートの宇宙旅行の話である。本作は、著者が主演の映画『アポロ13号』(1995年)にヒントを得ているだろう。本作が2014年に雑誌『ニューヨーカー』に掲載されて、小説家としてデビューした。はじめから、実力が認められていたということだ。
『ニューヨーカー』の位置付けについて、村上春樹は次のように述べている。〈僕にとって、『ニューヨーカー』という雑誌は、長いあいだにわたって、ほとんど伝説か神話に近い聖域に属するものであった。〉掲載されたときは、どの賞をもらったときよりも嬉しかったという(『象の消滅』)。

本書には13編の短編のほか、〈ハンク・フィセイの「わが町トゥデイ」〉と題した架空のローカル紙のコラムという体裁をとった4編が挟み込まれている。これがほのぼのなのだ。

変わったタイプ (新潮クレスト・ブックス)
変わったタイプ
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トム ハンクス/ 小川高義
新潮社 
2018年8月 ✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
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高校の同級生だった女性と出会う。一緒に住むことになり、その猛烈なフィジカル・エクササイズに付き合わされる。はじめはジョギング、次にスキューバダイビング、もちろんセックスも、そして南極行き。いけるところまでついていこうとするが、とても無理。「ヘトヘトの三週間   Three Exhausting Weeks」

雪のイヴ、父親はクリスマス・プレゼントを買って車に隠しておく。サンタがプレゼントを持ってくるという話を、妻と長男とグルになって下の二人の子どもに信じこませる。子どもたちがベットに入ったところで、車からプレゼントを運び出す。
話は、第一次世界大戦のヨーロッパ戦線に飛ぶ。戦友と年に1回、クリスマス・イブに電話で話し、生還できた喜びに浸るのだ。「クリスマス・イヴ 1953年  Christmas Eve 1953」

俳優の端くれロリー・ソープは『カサンドラ・ランパート3』に出演したおかげで、銀行に預金ができた。しかも経費なしで豪勢なヨーロッパ旅行ができる。
一緒にプレスツアーを回る主役のウィラ・サックスが、マーケティングを担当したアイリーンに電話をかけてくる。「ダサイ受け答えしかできないロリーをなんとかして」と。突然、フィラが夫と離婚することになった。夫が商売女ともめてマリファナ所持で拘置されそうだという。
「結局、映画に出ていたロリーって誰だっけ、みたいな男なのよ」とアイリーンにいわれて、特別待遇は終わる。「光の町のジャンケット  A Junket in the City of Light」

父と大学生のカークは、久しぶりにマーズ海岸でサーフィンを楽しむことになった。カークはサーフボードで脚に裂創を負ってしまう。父を探すと髪の長い女とスタバのコーヒーを飲んでいた。血を流しながらもカークは邪魔をしない。
「ようこそ、マーズへ  Welcome to Mars」

8月に、ベットは3人の子どもとともにグリーン通りに引っ越してきた。別れた夫が養育費を払うことになったので経済的な不安はない。となりの独身の中年男がハムをもって挨拶にきた。今夜は、忙しいですか?その言葉にベットは引っかかった。露骨な誘いと思ったのだ。「グリーン通りの1ヵ月 A Month on Green Street」

アリゾナからNYに出てきたスーは、安アパートのソファーに寝場所を確保した。アパートを提供している女とルームメートは、7週間すぎてスーを厄介者扱いするようになった。履歴書をタイプで打とうと図書館に出かけたときに、アリゾナの劇団の総監督をしていた同性愛者のボブにばったり会う。
ボブの指導で業界で通用する履歴書をタイプで打つ。と、運が開けていく。「配役は誰だ Who's Who?」

10歳になろうとするケニーは父と継母と兄姉とくらしている。週末、ケニーと過ごすのため赤いスポーツカーで母がむかえにきた。翌日ミニゴルフをふたりで楽しみ、前に暮らしていた家を見に行った。帰りは母の友だちが飛行機に乗せてくれるという。飛行機の操縦桿を握らせてもらってご機嫌なケニーだったが、着陸した場所は毛に\乃家からはるかに離れた場所だった。「特別な週末 A Special Weekend」

男と別れた女は、メソジスト教会のガレッジセールで筺体がプラスチックのタイプライターを買った。スペースキーが機能しないので修理にもっていくと、店の老店主はすぐにまた動かなくなるという。女性はタイプライターについて質問し、店主はそれに応え、タイプライターを出して紙を挟み、機能を講釈してくれる。そこで、ヘルメス2000スイス製を買った。アパートに帰ってノイズレスのタイプを打つ、「心の中で思うこと」と。
タイプライターを知り尽くしているからこそ書ける作品だ。「心の中で思うこと These Are the Meditations My Heart」

タイムトラベルもの。悲惨な結末をそう感じさせない。
「過去は大事なもの  The Past Is Important to Us」

コメディ映画の脚本。
「どうぞお泊まりを  Stey with Us」

ギリシャからアメリカに船で密入国したブルガリア人の話。アッサンはジョニー・ウォーカーの赤2本で船の機関長と話をつけなんとか乗船できた。機関長はアッサンは密入国してなんとかやっていけるとにらんでいる。
アッサンはフィラデルフィアのギリシャ国旗を立てている事務所を訪れた。上着とズボンを用意してくれて、英語教室を紹介してくれた。そしてギリシャ料理のコスタスの店に行って雇ってもらうようにと、アドバイスを受けるのだが。。「コスタスに会え  Go See Costas」

ボーリングでパーフェクトを出し続ける友人スティーヴ・ヴォンと3人の仲間の話。
「スティーヴ・ヴォンは、パーフェクト Steve Wong Is Perfect」→人気ブログランキング

『明日は遠すぎて』チママンダー・ンゴズィ・アディーチェ

本書には、著者の2冊目の短編集『なにかが首のまわりに』に収録されている12編のうちの6編と新作3編を加えた9編が納められている。
近代化のもたらす矛盾に翻弄される人びとや、近代化と消えゆくアフリカの風習の煩わしさとこだわりのはざまで生きていく人びとが描かれている。

明日は遠すぎて
明日は遠すぎて
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チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ/くぼたのぞみ
河出書房新社
2012年  ✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
売り上げランキング: 541,188

18年前に、アメリカに住む兄妹がナイジェリアの祖母の家で過ごした夏の悲劇を「きみ(妹)」という二人称で綴る。
〈おばあちゃんが、蛇ってのは「エチ・エテカ(明日は遠すぎて)」っていわれてるんだ、ひと咬みで10分後には、お陀仏だからね、といった。〉というのがタイトルの出どころ。「明日は遠すぎて  Tokorrow Is Too Far」

部屋のドアを大きな音で叩いたのはナイジェリア人の男だった。ナイジェリアで航空機が墜落し、ナイジェリアのファーストレディが死んだ。で、一緒に祈りたいという。男がウカマカの手をとって祈ると、彼女は自分が震えるのがわかった。ウカマナがつき合っていた男がその飛行機に乗っているかもしれない。
ドアを叩いた男はペンテコステ派で、ウカマカはカソリック。男はゲイだと告白した。ユーモアとペーソスが感じられる作品。「震え  The Shivering」

6年間アメリカに留学していた娘はナイジェリアで結婚式を挙げることになった。娘の変わりように母親は戸惑い、ふたりの意見はことごとく食い違った。娘は母親を太ったブルジョアと呼んだ。披露宴が始まると、プランナーが母親に、娘が最初のダンス曲を「スイート・マザー」に変えたと告げた。ナイジェリアの結婚披露宴ではダンスが延々と続く。ダンス曲の選定には気を使うし、その順番も重要であるという。「クオリティ・ストリート Quality Street」

夫がユダヤ人で妻がアフリカンアメリカンの息子の、ベッビーシッターの微妙な女心が描かれている。アメリカ留学時のベビーシッターの実体験をもとに描いたという。「先週の月曜日に  On Monday of  Last Week」

渋滞に巻き込まれた。となりの車の派手な髪型をした金持ちそうな女がこちらをにらんでいる。という前置きがあって、チクワドの妻子ある男との不倫が語られる。給仕や運転手や門番のチクワドを無視する態度に、男の妻の存在を感じていた。それに苛立つチクワドは、渋滞でにらんでいる女が妻ではないかと思いはじめる。「鳥の歌  Bird Song」

オビンゼに大学時代のガールフレンドから、ナイジェリアに帰ったら会いたいというメールがきた。裕福な暮らしができるようになったオビンゼは、妻とともに首長のパーティに出席している。妻とは心が通っていない。パーティから早く帰って、メールの返事を無性に書きたくなった。新しいことが起こって欲しいと思った。長編『アメリカーナ』の一部。「シーリング  Ceiling」

アフリカ出身の作家のワークショップに参加するためウジュンワはケープタウン郊外のジャンピング・モンキー・ヒルに来ている。8人の参加者は雑誌に載せる短編を最初の1週間で仕上げ、2週目はそれぞれの作品を合評するというスケジュールだ。
文中には、ウジュンワが書いている短編が差し込まれている。
主催者のエドワードが、ウジュンワを色目で見ているとみんなが気付いているという。
ウジュンワの作品が論評される。高学歴の女性の話だ。パワハラに対抗して職場を去るという結末に現実味がないというエドワードは言う。
そのサジェッションにウジュンワは憤慨したが、結末を訂正してもいいかなと思ったというのが結末。
幾重にも仕掛けがある傑作だ。実際に、著者はアフリカ出身の作家を集めたワークショップを毎年開催しているという。「ジャンピング・モンキー・ヒル Jumping Monkey Hill」

はじめは母親のジュエリーを盗んだ。犯罪者となっていく美形の兄を妹の目線で語る。「セル・ワン Cell One」

近代化するナイジェリアをひとりの女性を通して綴る。
ンワムバはひとりっ子のオビエリカと結婚した。流産をくりかえすンワムバは夫にに第2夫人をもつことを勧めたが、夫は意に介さなかった。ンワムバは男の子を産みアニクウェンワと名づけた。オビエリカが突然死んだ。葬儀のあいだにオビエリカの従姉妹たちが、象牙を持ち去った。その後も従姉妹たちがオビエリカの土地を奪おうとした。
ウワムバは従姉妹たちとの訴訟に勝てるようにと、息子を教会に通わせ英語を習得させた。息子は英語が話せるようになり、英語力のおかげで土地を取り戻せた。ところが息子は異教徒のキリスト教徒になってマイケルと名乗るようになった。息子はンワムバに胸を隠すように言った。
息子が選んだ嫁にンワムバは決して優しくしないと決意したが、人懐っこい優しい嫁に目をかけるようになった。ムワンバはイボ族の女たちがするように陶器を作った。男と女の孫が授かった。ンワムバはグレイスと名づけられた赤ん坊を抱いたときに、目をきらきらさせて、ンワムバの目をじっと見たので、夫のスピリットが戻ってきたと思った。ンワムバはグレイスをアファメナフと名づけた。「わたしの名前は失われることはないだろう」という意味だ。グレイスは歴史家となって本を書き、数々の賞を受賞した。グレイスは祖母がつけてくれた名前に改名することにした。アファメナフは暮れなずむ光の中、祖母のベッドの傍に座りながら、陶器づくりで肥厚した祖母の掌を握っていた。「がんこな歴史家  The Headstrong Historian」
本作で「アメリカ大使館」(2003年)に続き、2度目のO・ヘンリー賞(2010年)を受賞している。→人気ブログランキング

男も女もみんなフェミニストでなきゃ /C・N・アディーチェ/くぼたのぞみ/河出書房新社/2017年
アメリカーナ/C・N・アディーチェ/くぼたのぞみ/河出書房新社/2016年
明日は遠すぎて/C・N・アディーチェ/くぼたのぞみ/河出書房新社/2012年
半分のぼった黄色い太陽/C・N・アディーチェ/くぼたのぞみ/河出書房新社/2010年
アメリカにいる、きみ/C・N・アディーチェ/くぼたのぞみ/河出書房新社/2007年

黄金チャーハン

大学1年の夏休みに、実家がある町のレストランで2週間ほどアルバイトをしたことがある。レストランは交差点の一隅の2階にあった。交差点は城下町特有のクランクになっていて、当時、そのあたりは町一番の繁華街だったので、レストランは繁盛していたと思う。

与えられた仕事はホール係で、食器洗いもしたかもしれない。ある日、料理人がチャーハンの作り方を伝授してくれるという千載一隅のチャンスが訪れた。まだそういう呼称はなかったが、それは紛れもなく「黄金チャーハン」だった。

調理の手順は、中華鍋に油をひいて熱したところに、溶き卵を入れて中華おたまでかき回した後、冷えたご飯を入れる。しばし炒め日本酒と酢を入れ、さらに塩とコショウと化学調味料をふりかける。最後に、刻み葱を入れ、香りづけの醤油を鍋肌に沿わせてでき上がりだ。これを実家で作ると大好評で、「○のチャーハン(○には私の名前が入る)、作ってちょうだい」と家族から懇願ないしは命令され、しばしば台所に立った。今の「黄金チャーハン」の作り方と異なるところは、日本酒と酢を入れるところだろう。日本酒はコクを出すため、酢は味をまろやかにするためと教えられた。伝授していただいたチャーハンは「黄金」ではあったが「パラパラ」ではなかった。

チャーハンにパラパラ感が求められるようになったのはいつの頃からだろう。『男のチャーハン道』(土屋敦著 日本経済新聞出版社)によれば、パラパラがもてはやされ出したのは、食漫画『美味しんぼ』(第4巻 1985年)の影響によるという。さらに、1990年代のテレビ番組『料理の鉄人』に出演した周富徳がきっかけとなり、チャーハンは中華鍋をあおって作るというイメージが定着していった。中華鍋でご飯を空中に上げたときに、業務用ガスコンロの炎が直接ご飯を包み、水分を飛ばすというもっともらしい理由がつけられた。業務用コンロの強力な火力がなければ、パラパラチャーハンは作れないとされた。そしてパラパラでなければチャーハンではないという風潮が、まかり通るようになった。「パスタはアルデンテ」といわれ始めたのは、これより少し前のころだ。

火力に関係なく、家庭でパラパラチャーハンを簡単に作る方法を、曽兆明という料理人が喧伝したことがあった。それはあらかじめご飯と溶き卵を混ぜてから炒める方法で、確かにご飯ひと粒ひと粒は卵でコーティングされているものの、パラパラよりはどちらかといえばパサパサという食感であると評価され、さほど流行らなかった。曽兆明はこのチャーハンを「黄金チャーハン」として、ちゃっかり商標登録しているという。

あまりにパラパラチャーハンが人口に膾炙したものだから、店でチャーハンを注文したときに、パラパラでないとその店がまともでないように思えたものだった。それが、最近は、レタスを入れたり餡やスープをかけたりするチャーハンが流行ってきて、パラパラ至上主義は影を潜めつつあるようだ。もっとも、パスタもアルデンテといわなくなった。

最近、わが家ではセブン・イレブンの「極上炒飯 300g」を愛用している。冷凍庫から取り出して袋にフォークを突き刺して穴を開け、電子レンジで6分ほど温める。これで極上のパラパラチャーハンができ上るが、そこにひと工夫する。豚バラ肉と野菜を炒めオイスターソースで味をつけ片栗粉でとろみをつけた餡をかけ、餡かけチャーハンにする。これが絶品なのだ。

リムジン故障す

7月の連休に空路で新潟から鹿児島に向かった。日本列島が火にかけたフライパンのような空前の猛暑に見舞われた始めた頃だ。乗り換えの伊丹空港では、「気温は36℃です。水分補給を…」と高温注意情報がアナウンスされていた。伊丹空港からはプロぺラ機になり、気流の乱れで機体は揺れたが、無事に鹿児島空港に到着した。気温は32℃で、36℃に比べれば納得がいく暑さだった。

リムジンバスを待つ列に並ぶと、先頭が老女とゴールデン・レトリバーの盲導犬、2番目が4歳くらいの男児と若い母親、私は3番目であった。盲導犬は毛につやがなく尻の肉が落ちていて若くはなさそうにみえた。男児がちょっかいを出そうと盲導犬に近づいていったが、母親に止められて残念そうに踏みとどまった。盲導犬はバスのステップを楽々と登り、老女は係員の手を借りて登った。男児は手摺りにつかまりながらひとりでなんとか登った。老女と盲導犬が運転席の後ろの優先座席に、私はその後ろの席にすわり、母子は反対側の優先座席に陣取った。その後に、乗客が次々に乗り込んできて、補助席を出して隣りの客と肩が触れ合うくらいの寿司詰め状態になった。バスが発車し、シートベルト装着のアナウンスが流れたが、シートベルトを探すだけで隣りの客にぶつかりそうなので、装着しなかった。高速道路に入る前に再びシートベルトのアナウンスが流れたが無視した。

快調に飛ばしているバスの中でブシュッという聞き慣れない音がした。前の席の盲導犬がくしゃみをしたと思った。いくら従順な盲導犬とはいえ不意に襲う生理現象にはお手上げだなと思った。程なく先ほどと同じ音がした後、バスは高速道路の路肩に停車した。運転手がバスから降りて右前のタイアの周辺を点検した後、携帯電話を取り出して困惑顔で話しはじめた。乗客は誰も文句を言わず、ざわつきすらしなかった。唯一の例外は、男児が「パンク、パンク.‥」という歌らしきものをくりかえし口ずさみ、のべつ喋っていたことだ。

運転手がマイクで、このバスは電気系統の故障で走行できないので、乗り換え用のバス2台が向かっていると説明した。大事に至らなかったが、シートベルトを装着しなかったことを大いに反省した。バスが路肩に停まってから40分で代替のバスがやってきて、乗客の乗り換えもバスの胴体部分に積んだ荷物の移動もスムースに行われた。

バスが高速を降りて市街地に入ると、街が火山灰で霞んでいることに気づいた。終点にバスが着くと、老女は尻尾を振る盲導犬に誘導されてゆっくりと歩きだした。男児は母親に手を引かれて飛び跳ねながら歩いていった。雨がポツリポツリと落ちてきて、かすかに硫黄の臭いを含んだ風が吹き、少しだけ涼しくなっていた。

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