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2011年10月

2011年10月31日 (月)

酒場放浪記 吉田 類/親子丼@喜ぐち

10月◯日☁
隣のテーブルでは男女のカップルと店主が、テレビの取材の話題で盛り上がっていた。
BSで放映している『吉田類の酒場放浪記』の取材を受けたそうだ。
取材を報じる新聞記事が壁に貼ってあって、すでに7月に放送されたとのこと。

取材は1時間半ほどかかり、いつも通りの店内の雰囲気を出したいとのことで、リハーサルらしきものはなし。
店主の手があくと店主にインタビューし、適当なところで仕事に戻り、しばらくしてまた話しかけられるという取材だったそうだ。
「吉田さんが途中でどこかにいなくなったと思ったら、別のテーブルに遠征していて、客からつまみを分けてもらっていた」とのこと。
いつものテレビの調子だったらしい。
店主の話に、周りのテーブルから吉田類のファンという客が数人現れて、結構人気があるんだなと思った。

以前から、『酒場放浪記』のファンで、番組を見ながらビールを飲むのが楽しみだった。
衛星放送の宿命で放映時間がたびたび変わり、最近は午後9時から4回分をまとめて放送しているので、飲み始める時間としては遅すぎる。
酒場放浪記についての本は、まずは新書の『酒場歳時記 (生活人新書)』が出版されて、そのあと単行本の『酒場放浪記』が4冊、DVDも出ている。
人気があるなあ。

Image_20201121120901吉田類の酒場放浪記
TBSサービス

さて、たのんだ親子丼630円、味噌汁なめこ210円のことだが、親子丼にはタマネギ、たけのこ、シイタケ、ほうれん草が入っていて、「うちの親子丼は、栄養のバランスを考えていますんで。。」というような家庭的な味だった。

111026

コアな「酒場放浪記」フアンだった者としては、7月の放映を見逃したのも、喜ぐちに取材にきたことも知らなかったのは、返す返すも不覚だ。
放送のあとに、番組をみたと愛媛から客がきたとのこと。
テレビの影響力はすごい。
「喜ぐち」のF2動画はこちら1~4。→人気ブログランキング

喜ぐち
新潟市中央区古町通10番町1720 
025-224-9075
18:00~翌4:00
定休日 日

2011年10月29日 (土)

キングの身代金 エド・マクベイン

エド・マクベインの87分署シリーズを読んでみようと思い立った。
前に数冊を読んでいたけれど、なにしろ50冊あまりもあるシリーズなので、どういう順番で読むか迷う。
まずは第1作の『警官嫌い 』を読んだところで、『ミステリ・ハンドブック 』(1991年)をめくって、次の候補を探した。
黒澤明が『天国と地獄 』のヒントにしたのが、エド・マクベインの『キングの身代金』であることがわかった。
ミステリファンなら、誰もが知っていることらしい。
アメリカのB級ミステリからヒントをえて、『天国と地獄』が作られたと聞いたか読んだことがあって、なんという本なのか長い間解決されないままになっていた。それが、ここへきて胸のつかえが下りた。
そうなると次は『キングの身代金』だな。
Image_20201105102501キングの身代金
エド・マクベイン/井上一夫
早川書房
1977年

主人公のダグラス・キングは、自らが重役を務めるグレンジャー製靴会社の社長に就任しようと企み、自社株の買い占めを画策している。
キングは全財産をかき集め、75万ドルを株買い占めに投入しようとしている。
キングとお抱え運転手の息子はどちらも8歳で、双子と見紛うくらいに似ている。
二人がインデイアンごっこをして家の周りで遊んでいるときにひとりが誘拐され、50万ドルの身代金を要求される。
しかし、誘拐されたのは運転手の子供だった。
キングは葛藤する、自分の子供でないのだから身代金を払わないと言い出した。
キングの会社乗っ取りの企みは、敵対する取締役たちの知るところとなり、身代金を払えば資金が足りなくなりキングが失脚することが目に見える状況になった。
最終的には犯人の指示に従おうとする。
--------------
『キングの身代金』は、血縁関係でなくとも誘拐が成り立つことを、世間に知らしめたのである。
ひょっとすると誘拐の対象は人間である必要もない。

『天国と地獄』では、特急こだまのトイレの窓から、現金の詰まったカバンを河川敷に投下させ、誘拐犯は身代金を手にする。
大学病院のインターンが主犯の設定である。
警察はカバンに発煙剤を仕込んでいた。
カバンを焼却炉で燃やしたさいに、特殊な煙が出るしかけである。
黒澤監督は誘拐犯を厳罰にすべきであるという考えで、罠をしかけて逮捕するという結末を用意した。

原作は、身代金の引き渡しのあたりから話が失速した感がある。
誘拐犯にハッピーエンドはどうかと思うが、それは今の感覚だからである。
その頃までは、誘拐はそれほど思い罪には問われなかったという。
先進国では、誘拐犯は厳罰に処すべきという考え方が広まっていった頃だった。

時代を先取りした『天国と地獄』と比較すると『キングの身代金』は見劣りするが、アイデアに満ちていて決してB級などというものではない。
むしろ黒澤明の先見の明を賞賛すべきだと思う。→人気ブログランキング

2011年10月28日 (金)

フェルメール 光の王国 福岡伸一

本書にはふたつのテーマがある。
ひとつはフェルメールに関する多くの本がそうであるように、光の使い方についてである。
著者はそれを「光の粒だち」と呼んでいる。
もうひとつは、著者が登場させる歴史上の人物たちについてである。
著者の独自の視点でフェルメールと彼らを結びつけ、フェルメールの人物像や絵の分析を試みている。
Image_20201207102001フェルメール 光の王国 (翼の王国books)
福岡伸一
木楽舎
2011年

ヨハネス・フェルメール、アントニー・ファン・レーウェンフック、バールーフ・デ・スピノザ、マウリッツ・コルネリス・エッシャー、野口英世、夭折の天才数学者エヴァリスト・ガロア、DNAの2重らせん構造の発見者のワトソンとクリック、著者が動的平衡の拠り所としているルドルフ・シェーンハイマー、地動説のガリレオ・ガリレイ、土星の輪の発見者ジョヴァンニ・カッシーニ、ロゼッタストーンを解読したトマス・ヤング、そしてポール・マカットニー。
マッカートニーはロンドンのケンウッドハウスにある『ギターを弾く女』がお気に入りでときどきお忍び現れるとのこと。
時代も場所もかけ離れた接点のない人物の逸話を挟み込んで、話は分裂することなく広がりを見せている。

Image

フェルメールの絵には、"フェルメールの部屋" と呼ばれる構図で描かれているものがある。
光が左の窓から差し込む構図である。
人物の向こう側の壁には絵画や地図などが描かれる。
切り取られた日常のひとこまが、光に照らされる部分と影により、物語性が表現されている。
フェルメールはカメラで捉えたように写実的に描きながらも、人工的な変化を加えて、ある意図を表現している。
有名な『真珠の耳飾りの少女』に見られるように、真珠の耳飾りや少女の眼差しや唇に「白」を加え、さらに眼差しは故意に視点をずらして、神秘的な表情にしている。

最終章では、再びフェルメールとレーフェンフックの関係に触れ、フェルメールがレーフェンフックの顕微鏡にうつる画像を写生したのではないかと、大胆な推理を立てている。

現存するフェルメールの絵は37点とされているが、真贋の決着を見ていない作品があり、さらに盗難にあい未だ行方不明の作品もある。
こうした未解決のことも含め、絵にもフェルメール自身についても解明されていない謎がある。著者は、それらの謎にいくつかの独自の仮説を披露している。→人気ブログランキング

消えたフェルメール/朽木ゆり子/インターナショナル新書/2018年
恋するフェルメール  37作品への旅/有吉玉青/講談社文庫/2010年
フェルメールになれなかった男  20世紀最大の贋作事件/フランク・ウイン/ちくま文庫/2014年
真珠の耳飾りの少女(DVD)
深読みフェルメール/朽木ゆり子×福岡伸一/朝日新書/2012年
フェルメール 静けさの謎を解く/藤田令伊/集英社新書/2011年
フェルメールからのラブレター展@宮城県美術館(2011.11.09)
フェルメール 光の王国/福岡伸一/木楽社/2011年

2011年10月26日 (水)

ルート66をゆく アメリカの「保守」を訪ねて 松尾理也

ジャズのスタンダード『ルート66』という曲。はじまりは抑揚の少ないどうということない感じだが、途中から盛り上がり、町の名前の響きがとても魅力的に聞こえてくるノリのいい曲だ。
それにしても、なんでまた、あんなに多くのシンガーたちが歌うのだろう。→【2012.06.18】『ジャズボーカルに首ったけ』
実際はビートルズの『イエスタデイ』だそうだ。
Image_20201116120301ルート66をゆく―アメリカの「保守」を訪ねて
松尾理也 
新潮新書
2006年

著者は、シカゴからロサンゼルスまで、イリノイ州シカゴ、ミズーリ州セントルイス、カンザス州ガレーナ、オクラホマ州オクラホマシテイー、テキサス州アマリロ、ニューメキシコ、アリゾナ州ダグラス、カリフォルニアと、取材をしている。

2000年、世界世論がどうであっても、"アホでマヌケな" ジョージ・W・ブッシュを当選させてしまったアメリカという国、いったいどういう国なんだろうという疑問があった。
マイケル・ムーアがさんざんぱらやっつけた感があったブッシュ.Jrが、すれすれながらも大統領に当選してしまった理由はなんなのだろう。
『華氏911』は、蜂の一刺しにならなかった。

著者はアメリカを知るには、4年に一度の大統領選ほど恰好の材料はない、アメリカの現状を表す最高の調査報告書であるという。
本書は、メガチャーチ、エヴァンジェリカル(福音派)、反進化論者、不法滞在者、移民問題、州兵のイラク派兵、ゲートタウンなどのアメリカ中西部の特有のテーマについて、フィールドスタデイで得た情報を分析し、 アメリカの保守の正体を明らかにしている。

アメリカのリベラルと保守を対比する場合、次のような表現をよく目にする。
<ブルース・ステート(民主党支持)は、よくいえば知的、寛容、柔軟、国際的。悪くいえば、スノッブ(気取り屋)、鼻持ちならないエリート、傲慢というイメージ。
レッド・ステートはこの反対で、よくいえば質素、堅実、敬虔。悪くいえば無知、頑固、粗野。
ブルース・テートのクルマはBMWやボルボ。
レッドテートは、フォードやシボレーのフルサイズ・ピックアップ。
ブルーステートの食事は、イタリアンでワインを楽しむのに対して、レッドステートでは、ばかでかいステーキやハンバーガー。p28>
こうした対比は、リベラルが流動的であるのに対し、保守はリベラルがどう騒ぎ立てようとびくともしないという固定した構図で受け止められる。
そういう保守な人たちが、ルート66沿いに生活しているという。

2005年のギャラップ社の世論調査によると、「宗教が非常に重要」と考える米国人は57%、「まあまあ重要」が28%、両者を足すと、85%に達する。
アメリカの保守が揺るがない理由は、アメリカが宗教国家であることにも起因する。

ルート66は、スタインベックの『怒りのぶどう』のなかで、故郷を追われたオクラホマの小作人たちが西へ西へと向かった「母なる道」なのだ。→人気ブログランキング

ルート66を聴く アメリカン・ロードソングはなにを歌っているのか/朝日順子/青土社/2021年
ルート66をゆく―アメリカの「保守」を訪ねて/松尾理也/新潮新書/2006年
現代アメリカ宗教地図/藤原聖子

2011年10月22日 (土)

できそこないの男たち  福岡伸一

顕微鏡の発明者アントニー・ファン・レーウエンフックは、1632年にオランダのデルフトで生まれた。
同じ日に同じ街で、ヨハネス・フェルメールも生まれている。
レーフェンフックは精子をはじめて観察した人物である。
Photo_20201203083001できそこないの男たち
福岡 伸一光文社新書
2008年

染色体を発見したネッティー・マリア・ズは、ブリンマーカレッジ(ペンシルベニア州)の補助教員であった。
ネッティーは1905年に発表した論文のなかで、チャイロコメノゴミムシダマシのオスの染色体に「対」をなさない小ぶりの染色体が存在することを示した。
これがオスを決定する性染色体であることをネッティーはつきとめた。
ちなみに、ブリンマーカレッジは津田塾大学創始者の津田梅子の留学先である。

著者は、染色体が子孫に伝えられるメカニズムを叢書の乱丁や落丁で説明する。
全46巻の叢書を比喩に使い、Y染色体のなかの男性を決定するゲノム配列に話は及び、ゲノム配列発見の先陣争いのし烈さを伝える。

Y染色体といえば、万世一系の大君のおわしますわが国の世継ぎ問題を論じなければならない。
さらに、ジンギスハーンのY染色体を持つ男たちが、中央アジアを中心に1500万人も存在するという驚愕の事実にも触れざるを得ない。
ジンギスハーンのY染色体に関する論文は、2003年、『アメリカ人類遺伝学雑誌』に発表された。
これは、ジンギスハーンが征服した都市で女性たちを集め、夜な夜な精液をまき散らした結果なのである。
さらに、世界の男たちが10数万年前にアフリカで生まれたたったひとりのアダムからゲノムを引き継いでいることが解明された。
また、ミトコンドリアのDNAを解析することで、女たちは、これまた10数万年前のアフリカのひとりのイブからゲノムを受け継いできた事実が浮かび上がったのだ。

かつては崇めたてまつられたこともあったY染色体ではあるが、今や役立たずな染色体の汚名すら甘んじて受ける身にになった。
Y染色体は、どうもX染色体の運搬係くらいのお役目にしか預かっていないようなのだ。

どこの国のどの年代のデータを見ても、男の寿命は女よりはるかに短い。
その原因は縷々挙げられてきた。
たとえば、男はストレスが多いというのはよく聞く理由である。
しかし事実はもっと衝撃的だ。
男性ホルモンのテストステロンが、免疫力を低下せしめるらしいのだ。

本書は男たちが生物学的にできそこないであることを披露した。
本書を読んだあとは、男たちはこれからの生き様を見直さずにはいられないだろう。→人気ブログランキング

 

2011年10月20日 (木)

通夜にて

通夜でお経を聞いていてふと思った。
ありがたいお経は退屈なだけだ。これは自分自身にお経に関する知識が皆無であるから仕方がないとしても、改善のすべはあるのだろうかと。
どうして、サービス精神をまったく感じられないお経をあげて、坊主たちはここ何百年もの間、平然としていられたのだろう。
坊主たちは「もう少し分かりやすくなりませんかね」くらいの苦情を、檀家から何度も聞いてきたはずだ。
その昔、今よりはるかに威厳があっただろう坊主たちは、フムフムなどと言ってその場を取り繕ってきたんだろうな。

一方、参列者にすれば、お経を聞かされる機会はそうそうあるものではないし、お経がわからなくとも少しのあいだ我慢すれば済むことだから、突き詰めて考えようとしなかった。
というのは決めつきすぎで、なんとかしようと思った坊主にしろ檀家の重鎮しろ、いたはずだ。
試みたんだが、うまくいかなかったんだろうな。
今夜の坊主たちは、そんなことを考えたことがあるとは思えない。
参列者の平均年齢が比較的高いこの通夜では、どうみても三十代と思しき坊主二人の態度といえば、威厳を保つのにいささか不機嫌そうな顔をするのが精一杯というところだ。

葬式を改革しようと考えている人物がいるとしたら、斎場の経営者あるいは式の進行を司る職員たちだと思う。
なにしろこれからの成長産業だ。
顧客獲得のための新機軸をうちだそうなどと、会議で話し合っているかもしれない。
たとえば、参列者参加型はどうだろう。
フロア係が斎場のそこかしこに配置され、坊主の読経の間を縫って、お経のフレーズを先取りして口ずさむ。
「では、般若心経いきまーす、よろしいですかあ。ハンニャーハラミター、はいどうぞ」などと、まるでライブの大合唱のように、参列者全員を読経に促すのはどうだろう。
もちろん読経する坊主にも協力してもらうことになる。
読経の大合唱は、さぞや荘厳なものになるだろう。
と、ここまで考えて、このスタイルは最近アメリカで流行りのメガチャーチでやってることじゃないかと思った。
アメリカのメガチャーチでは、2000人ほど収容できる施設に信者を集めて、大々的にミサをやるそうだ。
ロックバンドが演奏したり、洗礼の様子をスクリーンに映し出したり、もうそれはもう派手なミサなのだそうだ。
仏式の場合はさしずめ読経はラップ調だろうな。

さて、享年85歳の男性の通夜であったから、湿っぽさは皆無だった。
故人が若くして亡くなったり、訳ありの亡くなり方だったりすると、お経を聞きながらあれこれ邪推するものだが、天寿を全うした故人の通夜は実にあっけらかんとしたものだった。
不謹慎にも、読経に耳を傾けながら別のことが頭に浮かんだ。
昨日読んだ新書を思い返していると、レヴューを書くためのアイデアが、次々と湧いてくるではないか。
お経は、ほどよく大脳をマッサージしてくれるのかもしれない。
つい筆記用具はないものかとポケットを探ったものの、喪服だ。
数珠とハンカチと財布とさっき電源をオフにしたケータイしか入っていない。

ところで、隣に陣取ったおばさんがバックのなかのケータイをしょっ中いじくるものだから、おばさんの肘が当方の腕に当たって、鬱陶しい。
袖擦り合うも、とはいうけれど、どうにかならんか。
それはさておき、アイデアは次々出てきて、それらが縦に横に絡んで、ほとんど完成品に近いレヴューが頭のなかで出来上がった。

読経が一段落して、場内のマイクは、喪主に焼香の時がきたと促した。
続いて親戚がぞろぞろと焼香に立ち、そのあと来賓に順番が回ってきた。
そのあいだも、ありがたいお経は続いている。
そして通夜式は終盤にさしかかり、親族代表の喪主が、父親の死に至る経緯をかいつまんで述べたまでは、まあよかった。
喪主は涙声になると、タガが外れたように親子の日々の葛藤を延々と述べはじめたのだった。
終わりだなと思うと、さっき聞いようなエピソードがまた始まる。
それを何回か繰り返して、なんとか話は終わった。

通夜ぶるまいを遠慮してこっそり帰ろうと、整列して待ち受ける遺族の横をすり抜けて出口に差し掛かったところで、故人の奥方から「○○さん、通夜ぶるまいに残ってくださいな、故人が喜びます」などと大きな声で呼び止められたものだから、振り切って帰るわけにもいかず、斎場のなかに戻った。
それでテーブル席に陣取って、アルコールをたっぷりとご相伴にあずかった。
先ほどの全員参加型の読経について、ビールをついでくれたフロア係の女性に提案してみたものの、なに考えてるんだこのオヤジという冷たい目でにらまれただけだった。

2011年10月17日 (月)

関係する女 所有する男 斎藤 環

本書のテーマは、生物学的な性差(セックス)ではなく、社会文化的な性差(ジェンダー)である。男は所有を追求する、女は関係を欲する、これが著者の基本的な主張であり本書の結論である。

Image_20201114184201関係する女 所有する男

斎藤 環
講談社現代新書
2009年

ジェンダーフリーの名のもとに、かつて一部の教育現場では行き過ぎた男女平等を目指したことがあった。
性別の完全な撤廃や男女平等の杓子定規な押しつけが、行なわれた。

こうしたジェンダーフリーや男女共同参画の政策に対する反動として現れたのが、バックラッシュである。
行き過ぎは、バックラッシュ陣営にとって、格好の攻撃目標となった。
彼らはあからさまな男女差別はしない。
人間の男らしさ女らしさは身体のレベルで決定済みなのだから、それぞれが自らの身体性を受け入れ生きなければならない、とさりげなく主張する。
たとえば、多くの女性は結婚して子供を生むことに幸福を感ずるという事実がある。
だから、女性は早く結婚して子供をたくさん生むべきである。
一見、筋が通っていそうな伝統の無根拠性に論拠をゆだねているのである。

著者の立ち位置は、ジェンダーセンシティブである。
ジェンダーセンシティブとは、ジェンダーの差異を十分に認識しつつ、ジェンダーによる差別や格差が生じないようにするというようなジェンダーにことさら敏感な視点のことであるとする。

結婚生活において、ジェンダーの根本的な違いが如実に現れる。
女性は結婚を新しい関係のはじまりと考えるが、男性は性愛関係のひとつの帰結と考える。
その結果、釣った魚には餌をやらないなどという心情を、男性は抱いてしまう。
そこまで極端ではなくとも、多かれ少なかれ既婚男性は、結婚生活に所有の発想を抱いている。
男性にとって妻子は所有物であり、自分の思い通りになっているうちは何もいうことはない。
しかし一度妻子が所有される立場に甘んじることなく自己主張はじめると、男性たちのとる行動は決まっている。
切れるか逃げるか、あるいはその両方か。
さらに、典型的な逃げの行動はひたすら耐えることである。

著者は精神科臨床医の立場から精神疾患における性差について分析することが、ジェンダーの本質をとらえる上で多いに役立つと考えている。

引きこもりは男性に多い。
ほとんどの男子は、広い意味での社会的立場を、自信とアイデンティティのよりどころにするようになる。
日本社会はいまだに男尊女卑の抑圧構造を持つがゆえに、そのよりどころの危うさが引きこもりの引き金となる。

摂食障害は女性に多い。
女性のダイエットが拒食症といった形で強迫的にまで過剰なものになるのは、女性が身体に対して持っている違和感の排除が根底にあるからである。
拒食症の女性はほとんど骨と皮ばかりであるのに、まだ太り過ぎと考えている。
中性的な身体に近づこうとするのは女らしさの拒否と見てとれる。
これは、男性側からみた所有の対象となる女性らしさに対する拒否ではないかと、著者は推論している。

男性のおたくにおける「萌え」は、所有の追求に他ならない。
一方、腐女子が性的興奮を得ることができる少女漫画のボーイズラブの「やおい」作品について、腐女子の賛同がえられるかは別として、「関係」において説明が可能であるとする。
セクシャルマイノリテイーに関する分析はほとんど行われていないが、この分野に関しても、著者は所有と関係によって説明がつけられると考えている。

本書に紹介されている「(思い出を)男はフォルダ保存、女は上書き保存」とは、アーティストの一青窈の言葉だそうだ。
男女の恋愛観の違いをうまく言い得ていて、なるほどとうなづいてしまう。

前著『母は娘の人生を支配するーなぜ「母殺し」はむずかしいのか』で分析された、女性特有の身体イメージについて触れている。
娘は母親の支配に悩まされるが、母親は娘を支配していることにしばしば無自覚である。
女性が女性らしくあるためには、まず母親から、女はかくかくしかじかであると教えられる。
ところが、身体は他者の欲望をより引きつけることを、本質においては自分の欲望を放棄することが、つまり「分裂」が求められる。
この「分裂」が、女性に、空虚さ、憂鬱さ、倦怠、孤独を感じさせていると指摘している。

人間関係における所有と関係を把握すれば、もはや、ジェンダーセンシティブな視点は不要であるとしている。→人気ブログランキング

→『無頼化する女たち』 水無田気流
→『関係する女 所有する男』 斎藤 環
→『母は娘の人生を支配する なぜ「母殺し」は難しいのか』 斎藤 環

2011年10月12日 (水)

大鴉の啼く冬 アン・クリーヴス

アン・クリーヴスのミステリ・シリーズ<シェトランド四重奏>の第1弾。
本書のテーマの一つは、生粋のシェトランド人とイギリス本土からのよそ者とのせめぎ合いである。
Image_20201208115101大鴉の啼く冬
アン クリーヴ/玉木 享訳
創元推理文庫
2007年

主人公のペレス警部はシェトランド人ではあるが、彼の祖先は16世紀に遭難した無敵艦隊の船から浜に打ち上げられたスペイン人である。
生粋のシェトランド人とは言えない。
シェトランド諸島には彼と同じ黒い髪とオリーブ色の肌をした人がいくらかいたが、地元の人は、かれらを黒いシェトランド人と呼んでいた。
ペレスは、シェトランド人であると自ら言いきかせつつも、よそ者のような居心地の悪さも感じている。

子どもの頃から手のつけられれないいわがまま娘、自由奔放さを求める、枠にはまらない、そうした才気走った女性たちの生き方が、この物語のもう一つのテーマである。
女性たちの行動が嫉妬心を煽り、殺人事件を引き起こす。
この二つのテーマは、根っこの部分でつながっている。

【シェトランドを舞台にするミステリ】
アン・クリーブス著〈シェトランド四重奏〉
大鴉の啼く冬』(07年7月)
白夜に惑う夏』(09年7月)
野兎を悼む春』(11年7月)
青雷の光る秋』(13年3月) 
シャロン・J・ボルトン著
三つの秘文字』  (11年9月)

2011年10月11日 (火)

ルポ 貧困大陸アメリカⅡ 堤 未果

かつてのアメリカでは、公教育は「社会的資産」であり、教育を受ける者だけでなく社会全体の利益になるというまっとうな考え方があった。
ところが、レーガン大統領の教育に対する姿勢は、「国益をもたらす、未来の人材への投資」ではなく、個人に利益をもたらす個人投資だというもの。したがって教育は、住宅や車のローンと同じように、「自己責任」にすべきだという発想だった。
国のトップがこのような考えをしているとなれば、公教育の行く末は火を見るより明らかである。
いつの間にか、奨学金が縮んで学資ローンが拡大した。
運営資金も監督責任も100%財務省の管轄であった学生マーケティング機構(通称サリーメイ)が、1972年ニクソン大統領によって導入された。
だが、完全に国営のはずのサリーメイは株式が公開され、取締役の三分の二は株主で占められる体制になった。
この株式公開が、のちにサリーメイを学生たちを飲みこむ巨大な怪物に成長させることになる。
学資ローンを固定金利3.4%で契約したものの、いつの間にか8.5%に引き上げられたという信じられない事例が紹介されている。返済を怠る債務者には、ヤクザ顔負けの借金取り立てが行われている。

2_20201117133401ルポ 貧困大国アメリカII
堤 未果
岩波新書
2010年

1990年代に盛り上がった自由市場至上主義と連邦および州政府の財政難のふたつが、民間刑務所が増えてきた理由である。
刑務所内で囚人たちの借金が増えていくという。たとえば、ペンシルベニア州のバークにある郡の刑務所では、囚人に1日10ドルを請求している。こうした請求を法的に認める法案はいくつもの州で出されている。トイレットペーパー、図書館利用料、部屋代、食費、医療サービスなどが請求されている。
そもそも借金があるから犯罪を犯した囚人が刑務所のなかで、さらに借金が増えていく。その劣悪な環境の刑務所に、低賃金と福利厚生不要を理由に、企業はアウトソーシングしている。コストは第三国に発注するよりはるかに安い。

<「リーマンショックをきっかけに、長年この国を蝕んできた病巣が吹き出したにすぎません。目先の利益を追って支払いを先送りするという「クレジットカード体質」から抜け出せるかどうか。身の丈以上に消費してきた国民が、「ファイナンシャル・リテラシー」を身につけられるかどうか。政府が本気で国の将来を考え、方向転換を導けるかどうか。それが今、アメリカという国が直面している課題なのです」P101>
これが、アメリカが抱える病魔のひとつを言い当てた言葉であると思う。→人気ブログランキング

2011年10月 9日 (日)

母は娘の人生を支配する なぜ「母殺し」は難しいのか

「ひきこもり」を専門とする精神科臨床医の著者は、母娘関係には錯綜した愛憎関係があると確信している。母娘関係の泥沼は、ほとんどの女性が潜在的に抱えているという。
男児は3歳から5歳の間に、母親を取られまいと父親に敵意を抱く。これがフロイトのいうエデイプスコンプレックスである。「父殺し」とは父親を乗り越えることであり、「父殺し」は可能であるばかりか、むしろ避けることのできない男性の成長過程と考えられている。
しかし、女性において「母殺し」はおそらく不可能であると著者は説く。
Image_20201113160901母は娘の人生を支配する ―なぜ「母殺し」は難しいのか
斎藤 環
日本放送出版協会
2008年

1998年9月2日付の朝日新聞朝刊に、2名の読者の投書が紹介された。「どうする あなたなら 母と娘」というタイトルの読者に意見を求める問題提起型の連載のはじまりであった。その投書のひとつは東大生のもので、母親による過干渉、束縛について書かれていた。カバンも机の中も私信すらつねに検閲され、電話は聞き耳を立てられ、友好関係にも口を挟む、服装や髪型さえも、母親が決めていたというもの。
最終的には1196通の投書が朝日新聞に寄せられた。
これだけ多くの反響があったことは、母娘問題の普遍性を物語っていると著者は指摘する。

臨床心理学者の高石浩一氏は、母親の娘に対する過干渉、束縛をメラニー・クラインの「投影性同一視」の概念で説明している。母親は自分の中にある母親の部分と娘の部分を実際の母娘関係に置き換えて満足を得ようとしている。自分の弱さを見せつけることで娘を縛ろうとし、娘は母親への罪悪感から主体的に生きることが困難になる。
さらに、高石氏は、現代は女性にとって「母親」として生きる以外の選択肢が乏しい。母親を否定すると自分自身を見失ってしまうとする。

父と息子の組み合わせは、はるかに単純なものである。父と息子は、一般的には、単純な対立関係や権力闘争になりやすい。父は息子を押さえ込もうとし、息子はそれに反発するか従うかだ。
母親は娘に対して、「あなたのためを思って」という大義面分を掲げながら、実際は自分の願望と理想をおしつけようとする。そして娘は母親の欲望を先取りするかのように、そうした支配に逆らえなくなる。

インナーマザーは精神科医の斎藤学氏の理論である。インナーマザーとは「世間様」といってよい。父親も母親も自分の考えで教育する前に、「世間様」にひれ伏している。子どもも親の意向を汲み取り、「世間様」を取り入れる。
日本では、いまだに儒教的な「家族主義」が根強く残っていて、男尊女卑的な側面をもっている。この価値規範と「世間様」の考えは深いところでつながっている。非婚の成人女性が、世間から「負け犬」と冷遇されるのも、このためである。

斎藤学氏は、「一卵性母娘」について次のように述べている。
母親にとって娘は息子以上に距離がとりにくく、密着関係を打ち破る緊張が生まれにくい。
娘を自分の分身扱いし自分と同じ考え方を強要し、夫への愚痴などをきっかけに感情を共有することによって、母娘の密着関係(カプセル化)はますます強化されていく。
この関係に従順に仲良し親子演ずるのも、カプセルを破ろうと暴れ回るのもカプセル化の結果としては同じことである。この密着感は、あくまでも心理的距離感であり、たとえ母と娘が物理的に離れても強い作用を及ぼす。
従って、家出、別居結婚、出産、留学、などの手段が必ずしも解決策とはなりえない。

子供たちは、献身的に支えてくれる母親への「申し訳なさ」ゆえに、母親の呪縛から逃れられない。こうした自己犠牲的な奉仕による支配のことを、高石氏は「マゾヒスティック・コントロール」と呼んでいる。「申し訳ない」と感じる感性は、息子たちの多くは希薄である。
マゾヒスティック・コントロールに反応できるのは、圧倒的に娘たちである。これが、著者がいう「母殺し」は不可能であるという理由のひとつである。

精神分析家であるキャロリーヌ・エリアシェフが指摘する概念として、「プラトニックな近親相姦」というものがある。これは「ゆき過ぎた親密さ」、ないしは日本でよくいわれる「一卵性母娘」のようなもの。この母娘の近親相姦的な親密さは父親を疎外することで成立する。
母娘は身体的同一性を持つがゆえにより過度な「親密さ」が成立することになる。

拒食症は女性に多い疾患である。
女性たちは自らの身体性に対して、どこかつねに居心地の悪さを感じている。女性は身体という着ぐるみを着ているような感覚を持っているところがある。
女性のダイエットが拒食症といった形で強迫的にまで過剰なものになるのは、身体の違和感の排除が根底にあるからである。そしてダイエットの基準となるのは異性や同性からの視線ではなく、彼女のうちなるボディ・イメージのみである。

母娘関係の問題は母娘の両側からアプローチすることが理想であるが、母親が加害者、娘は被害者という図式に見えがちである。
娘は母親の支配に悩まされるが、母親は娘を支配していることにしばしば無自覚である。
娘たちに「女らしい」身体性を正確に教えられるのは、母親である。女性が女性らしくあるためにはまず母親の支配から始まらざるをえない。
母娘関係が特別なものになってしまうのは当然である。

母親は娘を女性らしい身体を持つようにしつけるが、これを言いかえると、他者の要求に応え、他者に気に入られるような受け身的な存在であるように教育することを意味する。
女性の教育には、分裂が含まれている。
つまり、外見(身体)は他者の欲望をより引きつけることを、本質においては自分の欲望を放棄することが求められる。
性の空虚感はこの分裂によって生まれているのではないか。
女性は、空虚さを、憂鬱さを、倦怠を、孤独を男性よりずっと強く感じているし、それをつねに訴えようとする。
それゆえに自分の喜びを犠牲にしてまで他人に尽くそうとする。

娘の身体をつくるのは母親から発せられる言葉である。娘へと向けられた母親の言葉は、しばしば無意識のうちに母親自身を語る言葉となる。娘へと向けられた言葉が、実は願望も含めた自らを語る言葉であること、母親の身体性は、この言葉の回路を通じて、娘へと伝達されていく。
娘の体には母親の言葉がインストールされており、娘がどれほど母親を否定しようとしても、与えられた母親の言葉を生きるしかないのである。

無頼化する女たち』 水無田気流
世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析』斎藤 環/角川書店/2013年
生き延びるためのラカン』斎藤 環/2012年
ひきこもりはなぜ「治る」のか?』斎藤 環/ちくま文庫/2012年
関係する女 所有する男』斎藤 環/2009年
母は娘の人生を支配する なぜ「母殺し」は難しいのか』斎藤 環/2008年

2011年10月 5日 (水)

趣味は読書。/八角亭/麻婆麺

9月○日(木) 

約1ヵ月前に、「いつもありがとうございます。」と萬松堂の3階キャッシャーで、お釣りをもらうときに言われた。
ついに本屋に常連と認められたかと感無量だった。
そう言ったのは眼鏡をかけた華奢な女性店員だった。
その後も何回かここで本を購入したが、残念ながら常連扱いされたのは、その一回きりだった。
あれは空耳だったのか。

ところで、『趣味は読書。』(斉藤美奈子著)によると、
<もし日本が100人の村だったら、40人はまったく本を読まず、20人は読んでも月に1冊以下だ。しかも、ここには図書館で本を借りる人も、1冊の本を何人もで回し読みしている人も含まれている。したがって、「読む」ではなく「買う」にシフトして「毎月1冊以上の本を買う人」「定期的に本屋に行く人」「新刊書に関心のある人」などとなったらもっと少人数にちがいなく、純粋な趣味として本に一定のお金と時間を割く人はせいぜい100人の村に4~5人、数にして500~600万人がいいところかと思う。>だそうだ。
本を読む人が多いんだか少ないんだかピンとこないが、著者は少ないと言いたいのだろう。
それと、アマゾンなんて強敵が羽振りを利かす時代になったから、ときどき出没する客たちの扱いを、本屋は考え直すべきなのだ。

店内をぐるりと回り、今日は買うものがないなと思いながら、いつも最後に立ち寄る1階キャッシャーの横の書評コーナーの前に立った。
フェルメール 光の王国 』(福岡伸一著)が目に入り購入した。
残念なことに、「いつもありがとうございます」とは今回も言ってくれなかった。

八角亭。
席につくなり間髪を容れず、麻婆麺をお願いした。
麻婆豆腐は、あばた面の劉オバさんが有り合せの材料で、労働者向けに屋台で売り出したのが最初とされる。
こういう出自の麻婆豆腐だから、豆腐は木綿でところどころが欠けて崩れているのがそれらしい。
ところが市井の中華料理店で出てくる麻婆豆腐は、おおよそ9対1で絹ごし豆腐が使われている。

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この店の麻婆豆腐もつるりとした柔肌の絹ごしだった。
厨房を眺めていたら、まったくおおざっぱな作り方で、数分ででき上がった。
この素早くでき上がりかつ大雑把なところが麻婆豆腐の真骨頂なのだ。
八角亭は化学調味料を多量に使うと教えてくれた、前にこの店で働いていたオバさんがいたが、出汁のよく効いた旨い麻婆麺630円だった。→人気ブログランキング

八角亭 古町十字路店
新潟市中央区古町通7番町996-7

2011年10月 2日 (日)

メヌードを作る

象 (村上春樹翻訳ライブラリー)
レイモンド カーヴァー
中央公論新社

レイモンドカーヴァーの短編集『象』に収録されている『メヌード』には、パーティが終わったあとにメヌードを作る友人の様子が次のように描かれている。

<メヌード、牛の胃(トライプ)。トライプと1ガロンの水で始まった。それから彼は玉葱を刻んで、それを沸騰しはじめていた湯の中に放り込んだ。チョリソ・ソーセージを鍋の中にいれた。そのあとで干した胡椒の実を沸騰した湯の中にいれ、チリ・パウダーをさっさっと振った。次はオリーブ・オイルだ。大きなトマトソースの缶を開け、それをどぼどぼと注ぎ入れた。にんにくのかたまりと、ホワイト・ブレッドのスライスと、塩と、レモン・ジュースを加えた。彼は別の缶を開けー皮むきとうもろこしだーそれも鍋の中にいれた。それを全部入れてしまうと彼は火を弱め、鍋に蓋をした。>

パーティに集まった客たちがメヌードすべて食べてしまい、主人公は食べそびれてしまう。
そのことを主人公は悔やむ。
読んでいてたいそう旨そうに思えたので、ぜひ作ってみようという気になった。
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さて、ハチノス(牛の胃)はどこで売っているのだろう。
古町の肉屋で訊いたら
「牛と豚は扱っていますが、蜂の巣はないですよ」と、とぼけた答えが返ってきた。
前途多難だ。

スーパーの肉コーナーにいくと、白コロホルモン、センマイ、ハツ、モツなどがあったが、ハチノスはなかった。
譲歩して、これらをハチノスの代用として使うことにした。
欧米では内蔵肉のことをバラエティミートというそうだ。
そのバラエティミートのうちハチノスが一番おいしいとどこかに書いてあったが、ないのだからしょうがない。
さらに、レモン、セロリ、にんにく、ピュア・レモン汁、トマト・ピュレ、ホール・トマトの缶詰、乾燥オレガノ、粒胡椒も購入した。
これで買い忘れたものはないだろう。

大鍋のたっぷりの湯に内蔵を入れセロリの葉の部分も入れて、吹きこぼす。
そのあと内臓をザルにあげで洗ったのち適当な大きさに切る。
切った内蔵どもを再び沸騰した湯の中にいれ、玉葱みじん切り、セロリみじん切り、にんにくふたかけら、鷹の爪5本、粒胡椒を適量いれ、こっそりローリエも2枚いれ、じっくり煮込む。
そのあと、水に浸しておいたレンズ豆をぶち込んで、ホール・トマトの缶詰をひと缶いれ、トマト・ピュレ、レモン汁、塩を加えて、さらにグツグツ煮込んだ。

さて、味見だ。
ヒリヒリするほど辛いが、予想通りさっぱり旨味がない。
おまけに油が層をなしてたっぷり浮かんでいる。
ローリエと鷹の爪を取り出し、油の元凶の白コロホルモンも取り出し、表面の油をすくいとって捨て、固形のコンソメを4個入れた。
3日間は食べ続けなければならない量を作ってしまった。
食べるときは、レモンを絞り、乾燥オレガノをふりかける。

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家族の評価は良好だったが、コンソメを入れた時点で、このメキシコ風煮込みスープは敗北だと思った。SBの固形コンソメの投入は、化学調味料に頼ったということで、わが料理規範に反する行為なのだ。
ところで、メキシコではメヌードは宿酔の朝にはもってこいの料理とされ、男性にはそこそこ人気だが、女性にはさっぱりだそうだ。

2011年10月 1日 (土)

世界一の便器 ウォシュレット開発物語/かつカレー@とんかつ太郎

ほぼ満席のトンカツ屋のカウター席に座り、さっき買った新書を袋から出して、ぱらぱらめくった。TOTOウォシュレットの開発物語だが、混み合ったカウンター席で遠慮気味に開いた。

ウォシュレットの開発のはじまりは、便座に座ったときに肛門の位置がどの辺りにくるのかということだった。
そこで、開発部の社員はほかの部署の社員に頼み込んで、便器に座ったときの肛門の位置を教えてもらおうとお願いして回ったのだが、なかなか協力を得られず、もちろん拒否する社員もいたとのこと。
そりゃそうだろう。
それでも、熱心さが通じて300名のデータが集まった。
噴き出すお湯の最適温度を調べ、湯量も実験に実験を重ね割り出し、便座の快適温度を調べて、寒冷地の場合や夏の暑いときは何度がいいかという具合に実験は続き、データが蓄積された。
そうだろ、そうだろう、とうなづきながら読み進む。

本の前のほうに戻って目次を見たら、後半に「アメリカでの壁」という章があって、その章を読もうと思ったときに、かつカレー(970円)がカウンターの向こうから手渡された。
壁とは、アメリカ人のでかい身体と尻を便座が支えきれないという問題だろうかと、思いながら新書を閉じた。
なんでまた、かつカレーを食べるときに便器の本なんだと思うが、たまたまだ。

110928

カレーはあっさりで、とろみが弱くさらさらとしている。
具はタマネギのみと、かつカレーのためのカレーに徹している感があった。カレーに福神漬けではなくて、甘めのタクアンも合うと教えてくれたのはこの店だ。
以前、かつカレーはカロリーが高いので何となく頼むのに抵抗があったけれど、最近はそれがなくなった。

Image_20201207105501世界一のトイレ ウォシュレット開発物語
林 良祐
朝日新書
2011年

アメリカでの壁の正体は、肥満ではなかった。
アメリカはそもそもDIYの意識が強く、便器は自分で設置することがまれではない。
ところが繊細な機能を備えるウォシュレットは、取り付けに技術がいる。
さらにバスルームに電源を引き込むことに対する躊躇、肛門をお湯で洗うことの疑問あるいは抵抗感であった。
もうひとつは世界的な節水政策、つまり1回のトイレで流す水の量は6リットルまでと法令で決まりつつあったこと。
その当時、6リットルで排泄物を流しきることは困難であったという。
もちろん、こうしたことは著者たちのエネルギッシュな努力によって、徐々に解決していくのである。

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