通夜にて
通夜でお経を聞いていてふと思った。
ありがたいお経は退屈なだけだ。これは自分自身にお経に関する知識が皆無であるから仕方がないとしても、改善のすべはあるのだろうかと。
どうして、サービス精神をまったく感じられないお経をあげて、坊主たちはここ何百年もの間、平然としていられたのだろう。
坊主たちは「もう少し分かりやすくなりませんかね」くらいの苦情を、檀家から何度も聞いてきたはずだ。
その昔、今よりはるかに威厳があっただろう坊主たちは、フムフムなどと言ってその場を取り繕ってきたんだろうな。
一方、参列者にすれば、お経を聞かされる機会はそうそうあるものではないし、お経がわからなくとも少しのあいだ我慢すれば済むことだから、突き詰めて考えようとしなかった。
というのは決めつきすぎで、なんとかしようと思った坊主にしろ檀家の重鎮しろ、いたはずだ。
試みたんだが、うまくいかなかったんだろうな。
今夜の坊主たちは、そんなことを考えたことがあるとは思えない。
参列者の平均年齢が比較的高いこの通夜では、どうみても三十代と思しき坊主二人の態度といえば、威厳を保つのにいささか不機嫌そうな顔をするのが精一杯というところだ。
葬式を改革しようと考えている人物がいるとしたら、斎場の経営者あるいは式の進行を司る職員たちだと思う。
なにしろこれからの成長産業だ。
顧客獲得のための新機軸をうちだそうなどと、会議で話し合っているかもしれない。
たとえば、参列者参加型はどうだろう。
フロア係が斎場のそこかしこに配置され、坊主の読経の間を縫って、お経のフレーズを先取りして口ずさむ。
「では、般若心経いきまーす、よろしいですかあ。ハンニャーハラミター、はいどうぞ」などと、まるでライブの大合唱のように、参列者全員を読経に促すのはどうだろう。
もちろん読経する坊主にも協力してもらうことになる。
読経の大合唱は、さぞや荘厳なものになるだろう。
と、ここまで考えて、このスタイルは最近アメリカで流行りのメガチャーチでやってることじゃないかと思った。
アメリカのメガチャーチでは、2000人ほど収容できる施設に信者を集めて、大々的にミサをやるそうだ。
ロックバンドが演奏したり、洗礼の様子をスクリーンに映し出したり、もうそれはもう派手なミサなのだそうだ。
仏式の場合はさしずめ読経はラップ調だろうな。
さて、享年85歳の男性の通夜であったから、湿っぽさは皆無だった。
故人が若くして亡くなったり、訳ありの亡くなり方だったりすると、お経を聞きながらあれこれ邪推するものだが、天寿を全うした故人の通夜は実にあっけらかんとしたものだった。
不謹慎にも、読経に耳を傾けながら別のことが頭に浮かんだ。
昨日読んだ新書を思い返していると、レヴューを書くためのアイデアが、次々と湧いてくるではないか。
お経は、ほどよく大脳をマッサージしてくれるのかもしれない。
つい筆記用具はないものかとポケットを探ったものの、喪服だ。
数珠とハンカチと財布とさっき電源をオフにしたケータイしか入っていない。
ところで、隣に陣取ったおばさんがバックのなかのケータイをしょっ中いじくるものだから、おばさんの肘が当方の腕に当たって、鬱陶しい。
袖擦り合うも、とはいうけれど、どうにかならんか。
それはさておき、アイデアは次々出てきて、それらが縦に横に絡んで、ほとんど完成品に近いレヴューが頭のなかで出来上がった。
読経が一段落して、場内のマイクは、喪主に焼香の時がきたと促した。
続いて親戚がぞろぞろと焼香に立ち、そのあと来賓に順番が回ってきた。
そのあいだも、ありがたいお経は続いている。
そして通夜式は終盤にさしかかり、親族代表の喪主が、父親の死に至る経緯をかいつまんで述べたまでは、まあよかった。
喪主は涙声になると、タガが外れたように親子の日々の葛藤を延々と述べはじめたのだった。
終わりだなと思うと、さっき聞いようなエピソードがまた始まる。
それを何回か繰り返して、なんとか話は終わった。
通夜ぶるまいを遠慮してこっそり帰ろうと、整列して待ち受ける遺族の横をすり抜けて出口に差し掛かったところで、故人の奥方から「○○さん、通夜ぶるまいに残ってくださいな、故人が喜びます」などと大きな声で呼び止められたものだから、振り切って帰るわけにもいかず、斎場のなかに戻った。
それでテーブル席に陣取って、アルコールをたっぷりとご相伴にあずかった。
先ほどの全員参加型の読経について、ビールをついでくれたフロア係の女性に提案してみたものの、なに考えてるんだこのオヤジという冷たい目でにらまれただけだった。
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