« 2011年10月 | トップページ | 2011年12月 »

2011年11月

2011年11月30日 (水)

古きよきアメリカン・スイーツ 岡部 史

キャンプで、棒にさして焼いたマシュマロをアメリカ人からすすめられたことがあった。
マシュマロのフワフワした食感は消えて、とろりとして甘みが強くなっていた。
チョコレートをマシュマロに埋め込んで焼いたのをすすめられたこともあった。
アメリカでは、マシュマロはキャンプファイヤーの必需品なのだそうだ。
彼らの甘さに対する抵抗力は強靭だ。
彼らとは甘さに対する閾値が違うなと感じた。

Photo_20201204084501古きよきアメリカン・スイーツ
岡部 史 (Okabe Fumi)
平凡社
2004年

アメリカ人の甘い物に対する姿勢を、著者は次のように述べている。
<ちょっとした集いでもお菓子が用意されるべきである、という風潮が強いし、まして食後にデザートがないなんてことは絶対に許されない、とみんなが信じきっている様子なのである。P10>

目次には、おおらかで、若くて、夢がある、めくるめくアメリカンスイーツがずらりと並んでいる。
本書はスイーツからみたアメリカ文化史である。

1 ペカンパイ  大いなる大地のめぐみ
2 ブラウニー  アメリカンホームメード・スイーツの代表
3 ピーナッツバター  お菓子かおかずか
4 キャンディバーとキャンディ  アメリカの駄菓子
5 ポプコーン  映画館のはじけるたのしさ
6 ガム  人はなぜ噛むのか
7 マシュマロ  キャンプファイヤーの必需品
8 ジェロ ア メリカンお助けデザート
9 パンプキンパイ  陽気な秋の使者
10 ブルーベリーマフィン  焼き菓子の幸福な出会い
11 チョコレート   新大陸のお菓子の王
12 メイプルシロップ  樹液の甘い滴り
13 コカ・コーラ  世界を制した飲料
14 クッキー  家族のくつろぎのお菓子
15 パンケーキ  聖なるお菓子の変転
16 アップルパイ  ほがらかな実りのお菓子
17 チーズケーキ  ニューヨーク育ちのお菓子の逸品
18 ドーナッツ  ハイク詩人がこだわった味
19 ベーグル  ニューヨークを席巻するパン
20 プレッツェル  かたちに残る歴史

アメリカに甘いものの種類が多いことや、アメリカ人が甘い物を好む理由については、次のように分析している。
<アメリカ人は、とりわけ若さを尊ぶ人たちである。実年齢の若さというものではなく、個人の努力によって保たれる精神的な、かつ肉体的な若さである。そのエネルギー源として、また内面の支えとして年を経てもお菓子への興味を失わない・・・・・・、私の目にはそんなふうに映る。P13>
もうひとつの理由として次の点を挙げている。
<アメリカで生活することは、想像以上にストレスが溜まることなのだった。・・・・・・
彼らは心の安定のために、よくお菓子を利用する。お菓子の甘さや口当たりのよさは、母体に包み込まれるような安らぎを与えてくれるからである。P14>

多民族国家であるアメリカには、多様な食文化が成り立っている。それぞれの民族の固有のスイーツがアメリカというふるいにかけられてアメリカ発のスイーツになるには、認め合わなければ生き残れないという受け入れる側の寛大さもあったと思う。
アメリカの包容力なのだろうか、あるいは童話翻訳家の著者の人柄なのだろうか、アメリカンスイーツを食べたくなるようなほのぼのとした読後感に浸ることができる。

好物のジェリービーンズをとりあげてほしかった。
それと、2002年1月、テレビでアメリカンフットボール観戦中にプレッツェルを喉につまらせた大統領について、ちょっとしたジョークを加えて取りあげて欲しかった。→人気ブログランキング

2011年11月29日 (火)

ゴヤ展@国立西洋美術館

11月○日(日) 

午前中に、三菱一号館美術館のロートレック展に行ったものの、ふと美術展のハシゴをしてみようと思い、午後4時に品川から上野に向かった。
JR上野駅の公園口はひどく混雑していた。
上野に行けばなんとかなるはずと、どんな美術展をやってるのか調べずに来てしまった。
公園入口の案内看板を見ると、うまいぐあいに国立西洋美術館で"ゴヤ展"をやっているではないか。
人波をかきわけるように進んだ。

111127

ゴヤ展は、ロートレック展以上にごった返していた。
それに、気温が上がったせいか、館内はかなり暑い。

111127goya5 

ロートレック展には明るさがあったが、ゴヤ展は重苦しい雰囲気が漂っている。
ゴヤ(1746.3.30~1828.4.16)は、宮廷画家として活躍した。
しかし、40歳過ぎに不治の病に侵され聴力を失っている。
1808年から1814年かけては、フランスとの間でスペイン独立戦争があった。
そうした影響だろうか、作品は全般的に暗い。

『着衣のマヤ』は、日本で展示されるのは40年ぶりとのこと。
『着衣のマヤ』と対をなす『裸のマヤ』は 門外不出、スペイン国立プラド美術館までいかないと見ることができない。

見終わってお楽しのグッズ販売コーナーをウロウロした。
国立西洋美術館はトイレの数が少ない。

2011年11月28日 (月)

ロートレック展@三菱一号館美術館

11月◯日(日)

三菱一号館美術館のトイレは落ちつく。
天井が高く、褐色やや黒めの戸や仕切りは重厚感があり、便器といえば最新式のユビキタスタイプ。
人を感知して蓋が開き、用を足して立ち上がると、自動的に水が流れ蓋が閉まるというもの。
この立ち上がってから水が流れ出すまでの、たった何秒かがもう少し早くならないものかとは思うものの、すべてをゆだねれば快適である。

111127

さてロートレック展である。
11時ごろと早めに入館したものの、混み合っている。
その後も人がどんどんつめかけ、鑑賞し終わる頃には、かなりの混雑ぶりになった。
作品が展示されている最後の部屋の次は、例によってグッズ売り場になっていて、「こういう具合になっているのか、なるほどね」などといささか嫌味っぽく言う方がいたが、グッズ売り場がなければ、展覧会の最後のお楽しみがなくなる。
関連商品を所狭しと並べて、ごった返すところは祭りの縁日の感があって、展覧会のあとのやや高揚感とあいまって、ついなにがしかを買ってしまう。
気に入った展覧会では、展示物すべてが順番通りに解説つきで載っている「カタログ」を購入することにしている。

ロートレックの作品は、写楽の役者絵からヒントを得ているとのこと。
素描は北斎の北斎漫画に影響を受けていると思われる。
下はムーランルージュのポスター。
手前のシルクハットの男性は、写楽の役者絵を彷彿とさせる。

111127_2

2011年11月26日 (土)

ジャズに生きた女たち 中川ヨウ

女性であること、アフリカン・アメリカンであるという2重のハンディを背負いながら、ジャズに生きた女性たちについて、ジャズの通史も加えて書かれている。
Image_20201205144501ジャズに生きた女たち 

平凡社新書
中川 ヨウ
2008年

序     ジャズという音楽
第1章 サッチモにジャズを教えた女性 リル・ハーディン・アームストロング
第2章 ブルーズの女王 ベッシー・スミス
第3章 ビッグバンドからビ・バップの温床へ メアリー・ルー・ウィリアムス
第4章 レディ・ディの足跡 ビリー・ホリデイ(1)
第5章 奇妙な果実の嘘 ビリー・ホリデイ(2)
第6章 ファースト・レディ・オブ・ソング エラ・フィッツジェラルド
第7章 ビ・バップを擁護した男爵夫人 パノニカ・ド・ケーニグスウォーター
第8章 ジョン・コルトレーンの遺志をついで アリス・コルトレーン
第9章  “日本人のジャズ”の自覚と追求 穐吉敏子
エピローグ

第7章では、プレイヤーではない女性を登場させている。
キャサリーン・アニー・パノニカ・ロスチャイルドは、1913年12月10日、ロンドンで生まれた。
名前からわかるように、大富豪のロステャイルド家の令嬢である。
パノニカは1935年フランスの外交官ジュールズ・ド・ケーニングスウオーター男爵と結婚し5人の子どもを授かるが、1951年に別居、その後はニューヨークのホテルのスイートルームに居住する生活を送ることになる。
ジャズ好きが高じてジャズマン達と親しく付き合うようになった。
ビ・バップの創始者たち、セロニアス・モンクやチャーリ・パーカーとは特に親しかった。
【2012.05.05】『バード』DVD
彼らを自室に招き、飲食をともにし、宿泊もさせ、彼らの最期を看取ったりもしている。
ジャズメン達を影で支えた女性である。
人気ブログランキング

 </p

著者が選曲したDVD『ジャズに生きた女たち』 も発売されている。


ジャズに生きた女たち

ジャズに生きた女たち
posted with amazlet at 11.11.25
オムニバス ベッシー・スミス ビリー・ホリデイ ビリー・ホリデイ&ハー・オーケストラ エラ・フィッツジェラルド
ユニバーサル ミュージック クラシック (2008-01-16)

 

 

 

生きているジャズ史』油井正一立東舎文庫 2016年
現代ジャズ解体新書 村上春樹とウィントン・マルサリス』中山康樹 廣済堂新書 2014年
ジャズに生きた女たち』中川ヨウ 平凡社新書 2008年

2011年11月25日 (金)

追悼 立川談志 落語 『鍋焼きうどん』

目の玉が飛び出るほど値段が高い鍋焼きうどんを食べながら、思いついた落語を一席申し上げます。

竹野のご隠居と熊五郎がそば屋に入り、ご隠居は鍋焼きうどんを熊五郎はかけそばを頼みました。

111123

「ご隠居はなんでも知っているんですってね」
「当たり前じゃ、森羅万象、知らないことはない」
熊五郎は鼻を明かしてやろうと、ご隠居を質問攻めにします。
「鍋焼きうどんはなにから食べるのが正しいんです?」
「昔から、鍋焼きうどんは”ネギにはじまってネギに終る”と言われておる。"礼にはじまって礼に終る"と同じようなものだ。だからネギだ」
「じゃあ、七味唐辛子は何回振るのがいいんでしょう?」
「"三々五々"といってな、3回振って足りないと思ったらもう2振り、合計5回振りなさいという教えだ。3回でだめなことは4回でもだめだから、思い切って5回やりなさいという意味である。役に立つ教えだ、覚えていて損はないぞ」
「ふにゃふにゃした丸いのははなんです?」
「麩だ。"貞女ニ夫にまみえず"といってな、夫が死んでも、貞節な妻は再婚してはならないという古くからの教えだ。夫はまみえてもいいことになっておる」
「はあ?、その天ぷらは、やけに衣が薄いですね」
「ふむ、確かに浴衣のような薄い衣だな。このエビとマイタケはことのほか暑がりなのだろう」
「あー、暑がりね」
「タケノコは知っていますよ。竹の子どもだからでしょ」
「馬鹿者、竹薮に生えるケノコを、便宜上タケノコと呼んでおるだけだ」
「えー、ケノコですかぁ。干し椎茸はどうです?」
「ドンコのことか。うどんと相性がいいから、うどん粉のウをとって、ドンコになった」
「玉子焼きは、いくらなんでもそのままでしょう」
「うつけ者、タは口をついて出ただけだ。正しくはマゴヤキという」
「えー、マゴヤキですか」
「なにを驚いておる、"事実は小説より奇なり"だ。孫のために焼いたからマゴヤキだ」
「ミツバは?」
「昔、おみつというミツバ好きの線香臭い婆さんがいてな、それでミツバと呼ぶようになった」
「エビ天の向こうの白いのはなんで?」
「今はカマボコと呼んでおるが、むかしは鎌倉と呼んだ。それがなまってカマボコになった」
「ほんとですか?」
「"いざ鎌倉"といってな、要するにだ、いざというときの食べ物だ。それが入っているから、鍋焼きうどんは値が張る」

『やかん』をパクりました。

 

2011年11月22日 (火)

アメリカン・デモクラシーの逆説  渡辺 靖

オバマが目指したのは、古き良き時代のアメリカに「回帰」することによって「変革」を成し遂げることであった。
いまアメリカが陥っている行き過ぎた新自由主義がもたらした破綻、つまりアメリカン・デモクラシーの影の部分(逆説)を、著者は丹念なフィールドワークで検分する。
Photo_20210108082701アメリカン・デモクラシーの逆説
渡辺 靖
岩波新書
2010年

ハリケーン「カトリーナ」に襲われ、政治的に見捨てれらてたニューオリンズ。
政治への不信、ビジネス化する大統領選挙。
ゲーテッドコミュニティー、メガチャーチによる中世化。
精神疾患患者の著しい増加。
監獄収監者の増大、地方都市の生き残りをかけた監獄誘致。
ストリートギャングや犯罪組織としての結社。(→映画『闇の列車、光の旅』)
人種差別、マイノリティ問題。
貧困と肥満の問題。

アメリカには「丘の上の町」「明白の天命」「地上で最後で最良の希望」といったメタファーで称される、一種の選民思想に近い伝統がある。歴代の大統領はこのアメリカ例外主義に訴えることで国民統合を図ってきた。
オバマが唱えるのは、このような右派勢力が打算を持って唱える懐古主義ではなく、民主党や共和党も乗り超えた、より根源的意味での懐古である。
著者はあくまでオバマの理念に好意的である。

本書では、19世紀のフランスの思想家・外交官アレクシス・ド・トクヴィル著書『アメリカのデモクラシー』に記載されrていることが、取り上げられている。
<アメリカ人の偉大な特典は、他の諸国民よりも文化的に啓蒙されていることではなく、欠点を自ら矯正する能力を持っていることにある。>
トクヴィルが指摘する、この自己修正力こそが、アメリカが世界の先頭を走ってきた原動力である。
自己修正しようとする姿勢を、オバマは国民に訴えている。
著者のフィールドワークは、その自己修正の萌芽、アメリカン・デモクラシーの光の部分を紹介している。→人気ブログランキング

2011年11月18日 (金)

グレン・グールド シークレット・ライフ マイケル・クラークスン

著者のマイケル・クラークスンは、J・Dサリンジャーの取材記事が評価されピューリッツアー賞にノミネートされたことで名を馳せたジャーナリストである。
本書を執筆するに当たり、グレン・グールドの関係者約100人に取材をしている。
Photo_20201214082901グレン・グールド シークレット・ライフ
マイケル・クラークスン
岩田佳代子 訳
道出版
2011年<

生前グールドの女性関係が公になることはなかった。
その理由は、グールドは私生活について詮索されるようなことがあれば、その人たちと縁を切った。
その結果、人々はグールドがゲイかバイセクシャルではないかと考えるようになった。
芸術家にはありがちなこととして、それはなんとなく受け入れられていた。
グールドのファンにとって、暗黙の了解事項だった。
グールド自身はあえて誤解を否定しなかった。

1950年から60年代にかけてグールドと親しい関係にあった作家の質問に、グールドはウラジミール・ホロヴィッツの有名な言葉を逆手にとって、次のように答えている。
<「人々から、ゲイかと問われたら何と返事するのか」との問いに、グールドは答えた。「僕はいつもホロヴィッツの言葉を引き合いに出しているんだ、曰く、ピアニストには3種類いて、両性愛者とユダヤ人とたちの悪いピアニストだって。で、僕はそこにもう1種類加えるんだ、ホロヴィッツよりうまいピアニスト、っていうのをね」>
いかにもグールドらしい気の利いた返答をしている。
グールドは多くのピアニストに好意的に接したと言われるが、ホロヴィッツに対してだけは、ホロヴィッツがグールドに対してそうだったように、辛辣であったという。

2007年8月25日づけの『トロント・スター』紙に、グールドと有名な音楽家の妻であった画家コーネリア・フォスの関係について、著者による特集記事が掲載された。グールドとフォスは1960年代から約8年間、不倫関係にあった。
この記事が出たことで、それまでの伝記作家たちがグールドの女性関係に踏み込まなかったことは怠慢であるとの批判の記事が、他紙に掲載されたという。

グールドが親密になった女性は他にも何人かいた。そして求婚もしている。
グールドは、様々なことに秘密主義を貫いた。
『グレン・グールドのピアノ』(ケイティ・ハフナー著)によると、
グールドが愛用したスタインウェイ社のピアノCD318を専門的に調律したのはヴァーン・エドクィストであったが、エドクィスト以外にも、グールドが調律を依頼した調律師が数人いたとされている。
しかしそれぞれの調律師たちは、他の調律師の存在を聞かされていなかった。また他の調律師が調律したことを知らなかったという。
女性との交際においても同様のことがあったと記載されている。
つまり今風にいえば、二股も三股もかけていたということになるのだろうか。

本書はグールドのロマンスを中心に書かれている。今年10月に公開された映画『グレングールド 天才ピアニストの愛と孤独』のテーマのひとつは、グールドをめぐる女性たちである。
本書が原作であり、著者が脚本を担当している。→人気ブログランキング

『グレン・グールドのピアノ』 ケイティ・ハフナー

2011年11月15日 (火)

セックスと科学のイケない関係 メアリー・ローチ

ジュンク堂の検索用PCで本書の有無を検索したところ、「昨日まで1冊あった」と表示された。
本のありかは地階の「理工書:進化論」の書棚。
硬いタイトルの本に紛れ込んで、ピンク色のラメがあやしい輝きを放っていた。
手にとってみるとカバーの端は擦り切れて、まるで古本のようである。
書棚から引き出されページをめくられ戻されるということが、何回くり返されて、ここまでみすぼらしくなったのだろう。
数ページめくったのち、先輩たちがやったように書棚のもとの位置に戻した。
帰ったらアマゾンに注文しよう。
Image_20210113170901セックスと科学のイケない関係
メアリー ローチ
池田真紀子訳
日本放送出版協会
2008年

前戯(プロローグ)には本書を執筆するに当たっての心構えが書かれている。
こういうテーマは、著者に泥をかぶる覚悟がないとうまくいかない。
多少のことでひるむ著者ではないが、体験記の箇所を将来ふたりの娘が読んで、まともに目を合わせられなくならないように、表現に配慮したそうだ。
夫を巻き込むのは仕方ないとして、子供にとばっちりがかかることは避けたというのは母親の本能であるが、うまくはいかなかったという。
この分野は、そうそう上品に書けはしない。著者夫婦が体験した、ことの最中をMRIを撮影するというのは科学のためとはいえ、子供は間違いなく驚く。驚く以上の惨事になることもとも覚悟しなくてはならない。
下(しも)がからないようにという心構えそれはそれとして、扱う代物が難敵なだけに、少年少女には遠慮願いたいような、スラングも業界用語も医学用語も、それこそ下がかった表現もふんだんに使われてる。
ところが、書きようがあまりにもあっけらかんとしているので、心配するニュアンスにはなっていない。

「まったくよくやってくれるよ」だ、それは、研究者たちおよび著者のどちらも。
研究者と名のっているものの、一歩間違えば、間違えなくとも、ヘンタイと言われかねないような人物がぞろぞろ出てくる。
本書には、バカバカしくって、大真面目で、熱くて、見方によってはことさら卑猥で、それだから面白い「性研究」の世界が克明に綴られている。

その昔、謝国権、奈良林洋、ドクトル・チエコ、キンゼイなどを胡散臭く感じ、モアリポートも「なんじゃこりゃ」と眉をひそめていたにもかかわらず、本書に拍手を送るというわが変節ぶりを、なんと言い訳したらいいのやら。→人気ブログランキング

AV女優、のち/安田理央/角川新書/2018年
職業としての地下アイドル/姫乃たま/朝日新書/2017年
セックスと科学のイケない関係/メアリー・ローチ/池田真紀子訳/日本放送出版協会 /2008年

女性が話しているからこれだけ盛り上がり拍手が起こるのであって、男の話ならだれも聞かないだろう。


メアリー・ローチの講演
(1/2)http://www.youtube.com/watch?v=6ahjxgBZqjs
(2/2)http://www.youtube.com/watch?v=wXcwDxuin3M

2011年11月13日 (日)

グレン・グールドのピアノ ケーティ・ハフナー

本書は、グレン・グールドとピアノ製造メーカーおよびピアノ調律師との複雑な関係について書いたノンフィクションである。
グールドは、1954年にその後さまざまな演奏会用ピアノを判断するときの物差しとなる楽器と出会う。それはボストンのピアノ会社チェッカリングが製造した小型のグランドピアノである。羽根のように軽いタッチの手にしっくりくるピアノだった。
1955年、グールドが22歳のときに録音した「ゴルトベルグ変奏曲」は、売上枚数180万枚のベストセラーになった。まさにクラシック音楽会の寵児の誕生であった。「ゴルトベルグ変奏曲」の録音には、その当時グールドが気に入っていたスタインウェイCD174が使われている。
Image_20201115201601グレン・グールドのピアノ
ケイティ ハフナー
鈴木圭介 訳
筑摩書房
2011年

スタインウェイ社がピアニストたちにピアノを提供したのは、自社のピアノを一流のピアニストに演奏会で弾いてもらうことで、自社ピアノの宣伝になるという目論見があったからである。
20世紀の初めには、オーケストラと協演する独奏ピアニストの95%以上が、スタインウェイのピアノを弾くようになっていた。
いきおいスタインウェイ社は、アーティストからの風変わりな要求も受け入れざるを得なかった。

グレングールドのピアノへのこだわりは執拗であった。
グールドがピアノに感じる不具合について、どんなに些細なことであろうと、担当者に電話をかけ、あるいはスタインウェイ社に手紙を送り改善を求めた。
グールドは、大きな音を出すことは音を明確に響かせることに比べたら、取るに足りないと考えていた。

グールドは最後の清教徒にふさわしい人間だと自ら口にし、ピアノの音色にも「ピューリタン」という表現を用いることがあった。ピューリタン的な音とは、明確で泡立ちのよい音、乾いた透明な軽い音色のことだった。

ところがスタインウェイのコンサート・グランドは、グールドの求めるものとは異なり、唸るような力強い低音と、輝かしい高音が持ち味だった。スタインウェイ社はこの厄介な時代の寵児の要求を満足させようと骨を折った。
1950年代の後半、グールドの北米大陸での演奏会のすべてにピアノを手配し、ヨーロッパでの演奏会の面倒もみて、さらに世界中どこでも彼の泊るホテルにピアノを手配した。

その後、グールドはキャリアのなかで最も愛用したピアノ、CD318に出会うことになる。
コンサート・グランドの寿命は製造されてから10年がぎりぎりであったが、グールドがCD318を手にしたとき、製造後15年が経っていた。

1962年、ヴァーン・エドクィストはグールドのペントハウスを訪れグールド愛用のチェッカリングを調律するように頼まれる。
エドクィスト繊細な音を聞き分ける類稀な能力のみならず、グールドの度を超える要求をこなす調律師としての技量と忍耐を備えていた。
エドクィストがグールドから要求されたことは、困難なことが多かったが、音に対する繊細な感性が一致する点で、それらの要求がいかほども苦痛と感じなかった。エドクィストがCD310に手を加えたことで、ますますグールド好みのアクションを持つようになった。

1964年、31歳のときに、現役ピアニスト中最高額の報酬を保証されていたうちのひとりであったグールドは、演奏会から引退し、二度と復帰することはなかった。
その後はもっぱらCD318を使って、スタジオでの録音に専念した。CD318は、コロンビア・レコードの録音スタジオに移され、グールドの多年にわたる録音に使われ、「グールドのピアノ」として誰も触ってはいけないものとして認識されるようになった。その後、CD318は不幸な事故に遭うことになる。

1982年、グールドは50歳の若さで亡くなった。
亡くなる2年前の1980年に、再度録音された「ゴルトベルグ変奏曲」に使用されたピアノは、グールドが「あれ」と代名詞でしか呼ばなかったヤマハであった。→人気ブログランキング

グレン・グールド シークレット・ライフ』 マイケル・クラースン

2011年11月10日 (木)

『わたしを宇宙に連れてって 無重力生活への挑戦』 メアリー・ローチ

わたしを宇宙に連れてって―無重力生活への挑戦
メアリー・ローチ
NHK出版
2011年10月30日
ISBN978-4

著者は、体験できるものはなんでもやってみようという好奇心の塊のようなサイエンス・ライターである。
口の硬い宇宙飛行士たちを追いかけ回して取材を続けた2年間は、著者にとって、スラップステイックコメディ的にシュールな"なんちゃって"宇宙旅行を体験するようなものであったとのこと。

原題は、Packing for Mars 、あくまで最終目標は火星なのだ。

著者が伝えるのは、私たちがテレビで見てきた宇宙飛行の成功や悲劇ではなく、とても人間らしくて、ひどく滑稽な、数知れぬ努力についてである。
そうしたことを面白おかしく書くことにかけては、著者は天才的である。

取り上げているテーマを列挙すると。
★宇宙飛行士として最適な人間は?
★狭い空間で何日も暮らすには?
★無重力を作り出すには?
★宇宙酔いは悲惨?
★宇宙から帰還するための衝突実験
★人類に先立って宇宙へ行かされた動物たちのこと
★風呂に入らず身体を拭きもせず狭い座席で、どれくらい耐えられるか?
★3カ月間寝たきりで、からだはどうなるか?
★無重力でセックスは可能か?
★気が遠くなる排泄の問題
★宇宙食は排泄の問題でもある
★火星にいくには?

有人火星飛行プロジェクト「Mars500」は、火星に行って帰ってくる過程と、滞在期間を合わせると500日かかるということである。
場合によっては2年あるいはそれ以上かかるかもしれない。
火星有人飛行にはイラク戦争の戦費に匹敵する5千億ドルの資金が必要だそうだ。
著者は、参加する国のエンターテイメントコングリマリットに話を持ちかければ、資金はあっさり手に入るという。

なにはともあれ、はやく火星に行こう。

【2012.12.18】『宇宙飛行士選抜試験』by 大鐘良一 小原健右
【2012.06.16】『アポロ13』DVD
【2011.11.15】『セックスと科学のいけない関係』メアリー・ローチ

2011年11月 5日 (土)

象 レイモンド・カーヴァー

物語のはじまりは弟からの主人公への金の無心だった。
母親には毎月仕送りをしていた。
娘の亭主は稼ぎがない。
娘は妊娠して結婚せざるを得なくなった。娘の夫は、主人公にとって気に入らない男だ。
娘夫婦は今やふたりの子どもをかかえている。
娘からも金の無心がきた。
息子は親戚のなかで唯一、大学に進んだ。
この馬鹿息子が金がないだのドイツに留学するだので、金をせびる。

Image_20201116162301
レイモンド・カーヴァー
中央公論新社 2008年

金の無心は、一回では収まらないと相場は決まっている。
主人公が仕送りで四苦八苦してることなどお構いなしに、弟も母親も娘も息子も、再び電話や手紙で主人公に金の無心をする。
主人公は仕送りに追われ貯蓄は底をつき、自分の人生が坂を転がりはじめているということに気がついていても、人がいいのだろうか仕送りのことだけを考えて日々を送っている。
いったいどうなることやら。

弟や母や子供たちのクレジットカード体質、この表現が適切かどうかはわからないが、借金に依存する生活はアメリカではあまり抵抗がないらしい。
アメリカ経済が好調な時代は、多量消費生活がアメリカの経済発展を支えてきた。
しかし、今ここへ来て、この多量消費の生活スタイルこそがアメリカの病根のひとつであると指摘されている。
フィナンシャル・リテラシーの欠如を著者が言おうとしてるはずはないが、すでに半世紀以上前に、意図せず書いたことが、いまのアメリカ社会の病根を言い当てていたというのは、外れてはいないと思う。→人気ブログランキング

/レイモンド・カーヴァー/中央公論新社/2008年
大聖堂/レイモンド・カーヴァー/中央公論新社 2007年
頼むから静かにしてくれ〈1〉/レイモンド カーヴァー/中央公論新社/2006年
短編小説のアメリカ 52講 こんなにおもしろいアメリカン・ショート・ストーリーズ秘史/青山 南/平凡社ライブラリー/2006年

2011年11月 4日 (金)

『半身』サラ・ウオーターズ

半身 (創元推理文庫)
半身 (創元推理文庫)
posted with amazlet at 11.10.28
サラ・ ウォーターズ
2003年

アン・クリーブスの『大鴉の啼く冬 』のなかで、本書が話題になるところがある。
殺された女子高生に好意をもっていた担任の女性教師が、参考人として警部の尋問をうけたときに本書が出てくる。
担任は次のように供述している。
<「・・・彼女(殺された女子校生)はサラ・ウォターズの『半身』を読み終えたところでした。作者の筆力、ヴィクトリア風の文体に、すごく感銘を受けていました。・・・」>

主人公のマーガレットは、父親似で美人ではないらしい。
神経症かなにかの病気を患っていて、ときどき医師の診察を受け、寝る前にクロラールや阿片チンキやモルヒネを服用して精神の安定を保っている。
そんなマーガレットが、テムズ河畔にそびえ建つミルバンク刑務所を、慰問する気になった。
なぜまた、暗く寒くて異臭が漂う、おぞましい刑務所を慰問する気になったのか。
そりの合わない母親の監視から、いっときでも逃れるためかもしれない。

マーガレットは、はじめての慰問のときに、19歳の女囚シライナに惹かれた。
シライナは霊媒だと看守から聞かされた。
慰問を重ねるごとにシライナの秘密が明かされ、ふたりの絆は深まっていく。
監獄や霊媒という非現実的な世界が、現実のように感じられるのは、筆者の圧倒的な筆致による。

『大鴉の啼く冬』のなかで女子校生の言ったように、<作者の筆力、ヴィクトリア風の文体に、すごく感銘を受けました。>という印象がある。

« 2011年10月 | トップページ | 2011年12月 »

2022年5月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ