グレン・グールドのピアノ ケーティ・ハフナー
本書は、グレン・グールドとピアノ製造メーカーおよびピアノ調律師との複雑な関係について書いたノンフィクションである。
グールドは、1954年にその後さまざまな演奏会用ピアノを判断するときの物差しとなる楽器と出会う。それはボストンのピアノ会社チェッカリングが製造した小型のグランドピアノである。羽根のように軽いタッチの手にしっくりくるピアノだった。
1955年、グールドが22歳のときに録音した「ゴルトベルグ変奏曲」は、売上枚数180万枚のベストセラーになった。まさにクラシック音楽会の寵児の誕生であった。「ゴルトベルグ変奏曲」の録音には、その当時グールドが気に入っていたスタインウェイCD174が使われている。
![]() ケイティ ハフナー 鈴木圭介 訳 筑摩書房 2011年 |
スタインウェイ社がピアニストたちにピアノを提供したのは、自社のピアノを一流のピアニストに演奏会で弾いてもらうことで、自社ピアノの宣伝になるという目論見があったからである。
20世紀の初めには、オーケストラと協演する独奏ピアニストの95%以上が、スタインウェイのピアノを弾くようになっていた。
いきおいスタインウェイ社は、アーティストからの風変わりな要求も受け入れざるを得なかった。
グレングールドのピアノへのこだわりは執拗であった。
グールドがピアノに感じる不具合について、どんなに些細なことであろうと、担当者に電話をかけ、あるいはスタインウェイ社に手紙を送り改善を求めた。
グールドは、大きな音を出すことは音を明確に響かせることに比べたら、取るに足りないと考えていた。
グールドは最後の清教徒にふさわしい人間だと自ら口にし、ピアノの音色にも「ピューリタン」という表現を用いることがあった。ピューリタン的な音とは、明確で泡立ちのよい音、乾いた透明な軽い音色のことだった。
ところがスタインウェイのコンサート・グランドは、グールドの求めるものとは異なり、唸るような力強い低音と、輝かしい高音が持ち味だった。スタインウェイ社はこの厄介な時代の寵児の要求を満足させようと骨を折った。
1950年代の後半、グールドの北米大陸での演奏会のすべてにピアノを手配し、ヨーロッパでの演奏会の面倒もみて、さらに世界中どこでも彼の泊るホテルにピアノを手配した。
その後、グールドはキャリアのなかで最も愛用したピアノ、CD318に出会うことになる。
コンサート・グランドの寿命は製造されてから10年がぎりぎりであったが、グールドがCD318を手にしたとき、製造後15年が経っていた。
1962年、ヴァーン・エドクィストはグールドのペントハウスを訪れグールド愛用のチェッカリングを調律するように頼まれる。
エドクィスト繊細な音を聞き分ける類稀な能力のみならず、グールドの度を超える要求をこなす調律師としての技量と忍耐を備えていた。
エドクィストがグールドから要求されたことは、困難なことが多かったが、音に対する繊細な感性が一致する点で、それらの要求がいかほども苦痛と感じなかった。エドクィストがCD310に手を加えたことで、ますますグールド好みのアクションを持つようになった。
1964年、31歳のときに、現役ピアニスト中最高額の報酬を保証されていたうちのひとりであったグールドは、演奏会から引退し、二度と復帰することはなかった。
その後はもっぱらCD318を使って、スタジオでの録音に専念した。CD318は、コロンビア・レコードの録音スタジオに移され、グールドの多年にわたる録音に使われ、「グールドのピアノ」として誰も触ってはいけないものとして認識されるようになった。その後、CD318は不幸な事故に遭うことになる。
1982年、グールドは50歳の若さで亡くなった。
亡くなる2年前の1980年に、再度録音された「ゴルトベルグ変奏曲」に使用されたピアノは、グールドが「あれ」と代名詞でしか呼ばなかったヤマハであった。→人気ブログランキング
『グレン・グールド シークレット・ライフ』 マイケル・クラースン
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