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2011年12月

2011年12月31日 (土)

犯罪 フェルディナント・フォン・シーラッハ

弁護士の「私」が依頼された11の事件からなる短篇集。
Photo_20210901084601犯罪
フェルディナント・フォン・シーラッハ
酒寄進一 訳
東京創元社
2011年

主観を排して淡々と綴られ冷徹な印象を受けるが、作者の容疑者たちを見守る視線はどことなく暖かい。
「私」は、 依頼人の権利を守るという弁護士の立場で、検察や警察や依頼人たちと接している。
謎解きやどんでん返しを意図した、いわゆるミステリではない。むしろ純文学に近い。
それぞれが読み応えのある連作短篇集。
『エチオピアの男』には泣かされた。

『フェーナー氏』一生愛し続けると医師は妻に誓った。妻は夫を罵り続けたが、夫は誓いを守り隠居生活に入った。
『タナタ氏の茶碗』金庫を盗んだチンピラたちに脅しをかけた顔役たちが惨殺される。
『チェロ』資産家に生まれた姉弟の残酷な愛。
『ハリネズミ』容疑者の弟の巧妙な証言に法廷は翻弄される。
『幸運』娼婦の目の前で突然死した男の遺体を隠す娼婦の恋人と娼婦の運命。
『サマータイム』高名な実業家がホテルで娼婦と過ごしたあとに、その娼婦が惨殺された。実業家は容疑者として拘留された。
『正当防衛』ふたりのネオナチに絡まれた男がふたりとも殺した。正当防衛か過剰防衛か。男は黙秘を続ける。
『緑』羊の眼をくり抜いた少年の殺意の真相。
『棘』美術館警備員の孤独、それは警備員の出勤カードが紛失したことから始まった。
『愛情』恋人の背中をナイフで切りつけた大学生の動機。
『エチオピアの男』エチオピアの貧しい村に住み着いた銀行強盗は、村を豊かにし名士になった。
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【2012.06.06】『罪悪』 フェルディナント・フォン・シーラッハ

2011年12月28日 (水)

思考の整理学 外山滋比古

Sikounoseirigaku思考の整理学
外山 滋比古(Toyama Shigehiko
ちくま文庫
1986年

購入したばかりの本書は増版に増版を重ね、なんと77刷、ロングセラーだ。
「東大・京大で3年連続!文庫ランキング1位」と帯に書いている。
ということは、他の学校でもそのくらいの売行きなのだろう。
本書を読んだ学生は、
「この本は、考え方の整理するのに参考になる。読んだ方がいいよ」などと同級生や後輩に手当たりしだいに紹介したと思う。
「混み入ったことは書いていないし、各項目が適度の長さで文章はわかりやすいし、実行性のあることが書いている。
なるほどと頷かせる箇所がそこら中にあって、どちらかというと薄くて、すぐに読めてしまう」
などとも紹介したものだから、どんどん読者が増えていって、ロングセーラーになった。

帯には「"もっと若い時に読んでいれば・・・" そう思わずにいられませんでした。(書店店員)」とも書かれている。
つくづく同感。

本書は、知ることよりも考えることに重点をおいている。
つまり、「グライダー」ではなくて、自ら動き回れる「飛行機」であれだ。
情報社会の現実はそうもいかないから、グライダー兼飛行機のような人になるにはどう心掛ければよいかが披露されている。→人気ブログランキング

2011年12月26日 (月)

ラーメンと愛国 清水健朗 

いまや、薀蓄をもって語られるようになったラーメンを、「愛国」というキーワードから解き明かす。本書は、〈日本の戦後のラーメンの普及、発展、変化を軸とした日本文化論であり、メディア史であり、経済史、社会史である。〉という。
Image_20201109111001ラーメンと愛国
速水 健朗
講談社
2011年 

《第一章 ラーメンとアメリカの小麦戦略》
朝鮮戦争の戦争用食料としてアメリカ軍に小麦が消費されていたが、戦争が終結してさらにヨーロッパ諸国の農業が第2次世界大戦のダメージから復興すると、アメリカは余剰となった小麦の輸出先を探さなければならなくなった。
その標的となったのが日本である。
日本が小麦を輸入する見返りとして、アメリカは学校給食に使う分の小麦を無償で提供した。
とは言っても、小麦の無償援助はアメリカの帝国主義的な意図が隠されていた。
アメリカの「余剰小麦処理法」は、小麦を購入した国は、すぐにその代金を支払う必要はないというもの。
小麦を国民に売ってえた代金は、とりあえずはアメリカに返済する必要はなく、その国の経済復興に使えるよう低金利で貸しつけたのだ。
日本は大量に小麦を購入したが、その小麦の使い道を見つけ出さなくてはならなかった。
キッチンカーを全国に走らせ、動く台所として小麦と大豆を使った料理の講習会を開いた。もちろんアメリカ農務省の差し金であった。
日本人の「早老短命は米の大食偏食」という内容のパンフレットが配布され、ネガティブキャンペーンが行われたのだ。
アメリカの目論見通り学校給食ではパンが主食となり、日本にパン食文化が根付いたのである。
その後22年もの間、学校給食の主食はパンであり続けた。1980年代になって、やっと週一回の米食が出されるようになったのである。
アメリカのしたたかさに、日本文化の根幹である米食文化が揺さぶられ続けたのだ。

《第二章 T型フォードとチキンラーメン》
日清食品の安藤百福がチキンラーメンを開発したのは1958年、1960年にはオートメーション化された工場が稼動している。
その後、インスタントラーメンは世界中で食されるようになる。チキンラーメンはアメリカの朝食を変えたケロッグ博士のコーンフレークを凌駕する世紀の大発明である。
支那そば、中華そばに代わり、ラーメンが呼び名として定着したのは、安藤百福が力を入れていたテレビのCMの影響による。

《第三章 ラーメンと日本人のノスタルジー》
日本は戦後20年で急速に都市化が進み、多くの独身者が大都市に流入した。
その食生活を支えたのが定食屋、うどんやそばや丼物を出す店屋物屋、登場し始めたラーメン屋である。そしてインスタントラーメンであった。

安藤百福はチキンラーメンの海外展開を考えて、カップヌードルを開発した。
カップヌードルの発売は1971年9月、浅間山荘事件の5ヵ月前だった。
軽井沢の冬の氷点下15度の極寒のなかでは、おにぎりも弁当も凍ってしまい、機動隊員の食事が問題となった。
そこで、選ばれたのが発売されて間もないカップヌードルだった。
機動隊員がカップヌードルを食べるシーンが繰り返しテレビで放映されたことにより、予想をはるかに上回る早さで売り上げが向上した。

《第四章 国土開発とご当地ラーメン》
特徴あるメニューのラーメン店が、メディアなどで取り上げられるようになり観光客がやってくる。周囲の店が右倣えで同じメニューを出す。これがご当地ラーメンが生まれる経緯であると指摘する。
したがって、ご当地ラーメンは地元の歴史や固有の郷土料理から切り離された観光資源として生み出された戦後の食文化の象徴である。
つまり、ご当地ラーメンがあたかも地方の郷土食の如き扱いを受けているのは、捏造であると著者は断言する。

《第五章 ラーメンとナショナリズム》
戦前はラーメン専門店は存在しなかった。
戦後の店舗型ラーメン専門店の多くは、闇市の屋台から始まっている。
1950年代半ばの札幌ラーメンブーム、1960年代に普及するインスタントラーメン、70年代から普及したフランチャイズのラーメン店の展開、80年代中頃の喜多方ラーメンブーム、さらに、1990年以降続いているラーメンブーム、このラーメンの歴史においてメディアの果たした役割は大きい。
1994年オープンした新横浜ラーメン博物館によって、ご当地ラーメンやご当人ラーメンが全国区の知名度を持つようになり、ラーメンは国民食として認知されるのである。
そしてラーメンは薀蓄とともに語られるようになる。

バブル崩壊後の1990年代は、外食産業の価格競争が始まり寡占化の進んだ時代であった。
こだわりや創意工夫により付加価値がつけられたラーメンは、価格が上昇しチェーン店化や寡占化をまぬがれた。

かつては中国文化の名残りを持っていたラーメン屋の雷文や赤いのれんなどの意匠が、すっかり和風に変わった。店員は作務衣をまとい手書きの人生訓が壁に掛けられているようなラーメン屋が主流になった。
こうした傾向は1990年代を境に現れ、ラーメンが日本の伝統文化と密接につながるものであるかのように装い始めた。歴史とのつながりが一旦切り離されてしまった現代において、ラーメンが、再び魅力ある日本の歴史や伝統を呼び起こそうとする意識の媒介者となっている。つまり「愛国」である。
しかしその本質は、趣味的、遊戯的、リアリティショー的なフェイクと結びついているものと考えるべきだろう、と著者は指摘するのである。→人気ブログランキング

2011年12月23日 (金)

フェルメール 静けさの謎を解く  藤田令伊

アートライターの著者はフェルメール好きとしては人後に落ちないと豪語する。
「静謐の画家」と呼ばれるフェルメール作品の静けさについて、アカデミックな研究者と違った著者ならではの切り口を披露できるという。
Photo_20201121081801フェルメール 静けさの謎を解く
藤田 令伊
集英社新書
2011年

中世の終わり頃になって、青色の顔料としてアフガニスタン産の希少な鉱石であるラピスラズリが使われるようになった。ラピスラズリは地中海航路でヨーロッパに運ばれ、ウルトラマリンブルーと呼ばれた。
そして、ウルトラマリンブルーは、聖母マリアの上着を書くための特別な顔料として使われた。

フェルメールの時代、オランダではウルトラマリンブルーが絵画に使われることは稀だった。同時代のオランダの画家たちと比較すると、フェルメールの作品には驚くほどの量のウルトラマリンブルーが使われている。
フェルメールは、なぜ金と同じくらい高価なウルトラマリンブルーをふんだんに使いえたのか。裕福な義母から経済的な支援がを受けていたからとされているが、なぜフェルメールは青色にこだわったのか。フェルメールは青を使うことによって、静けさを表現できることを知っていたに違いないと、著者は分析する。
現代の色彩心理学からみると、青の持つ普遍的なイメージは、静けさや超越性である。

ヨハネス・フェルメール(1632-1675)は、画家として先輩格のヘーラルト・テル・ボルフ(1617-1681)とピーテル・デ・ホーホ(1629-1684)を模倣したと言ってもいいくらいの影響を受けている。
ふたりはすでに静かな風俗画を描いていた。
フェルメールが影響を受けたとはいえ、ふたりの絵はフェルメールとは異なり、素材が多く、赤や黄色の暖色系が使われ、強い光が描かれている。
一方、フェルメールの絵は青を基調とし、素材を省略し、紗がかかったように霞んで、一層の静けさが表現されている。

フェルメールの絵を赤外線で分析すると、書き込まれていた作中画や地図、置物などを塗りつぶしたり、カーテンで隠したりしてたあとが多数発見される。
余計な部分を削除することによって、簡素化し静謐さを出している。
フェルメールは、なにも現実をそのまま描かずともよいのだということに気づき、ルネッサンス以来の写実から逸脱し、現代絵画のもつ非現実性の要素を取り入れたのだ。
例えば、《牛乳を注ぐ女》では机が、遠近法からすると矛盾した描かれ方をしていることはよく知られている。
フェルメールは、徐々にフィクショナルな視点で描くようになっっていった。

Photo

《デルフト眺望》は、実施の景観ではなく、水平性が強調された構図にアレンジされていると考えられている。また、《青衣の女》では、望遠レンズを覗いたような狭い空間に描くことによって、静謐さを際立たせている。

フェルメールは、マーケットの将来性を見越して宗教画家から風俗画家に転身したとよくいわれているが、ただ単に題材を変えただけでなく、現実の再現描写に飽き足らず、独自の絵画世界に創造画家と変貌したのがこと本質であると、著者は指摘する。
これらをフェルメールが試みたのは、写実からの脱却を試みた印象派のマネが出現する200年も前であることが、驚きである。
フェルメールがそぎ落として描いた作品は、20世紀になって現代アートが到達したものと相通ずるものであるとも指摘する。
美術史は書き換えられるべきではないかと、著者は主張する。

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フェルメールは「光の画家」あるいは「光の魔術師」とも呼ばれている。
その光の使い方にはふたつの特徴がある。
ひとつは、《牛乳を注ぐ女》や《首飾りの少女》に見られるように、ポワンティエの多用である。
ポワンティエとは光が当たって輝いているところを、白い点で描写する方法のことである。

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もうひとつは、《青衣の女》や《真珠の首飾り》に見られるように、淡い光、霞んだ、メリハリの効いていない「漂う光」を用いる点である。
時代が下がるにつれて、ポアンティエを抑制し淡い光や霞んだを用いるようになり、作品の静謐感は頂点に達していった。
しかし、晩年になると静謐さは影を潜め、粗く大雑把になり、作品の質が落ちていく。

フェルメールの生活は必ずしも静かなものではなかった。
当時オランダは、小国であるが故に、スペインやイギリスやフランスと戦争を繰り返していた。
また、フェルメール自身には14人もの子供がいたという。
実母や姉が亡くなり、その相続問題に頭を悩ませた。
こうしたわずらわしい現実から、フェルメールは逃げたかったのではないか。
見たものを描いたのではなく見たいものを描いたのではないかと、著者は分析するのである。

絵の色彩や構図のみならず、17世紀のオランダおよびヨーロッパの社会や文化をも分析しながら、静謐という一点からフェルメールの作品にアプローチした本書は、フェルメールに関する新しい解釈を披露してくれたと言っていい。
現代アート、超入門!』もおすすめである。→人気ブログランキング

消えたフェルメール/朽木ゆり子/インターナショナル新書/2018年
恋するフェルメール  37作品への旅/有吉玉青/講談社文庫/2010年
フェルメールになれなかった男  20世紀最大の贋作事件/フランク・ウイン/ちくま文庫/2014年
真珠の耳飾りの少女(DVD)
深読みフェルメール/朽木ゆり子×福岡伸一/朝日新書/2012年
フェルメール 静けさの謎を解く/藤田令伊/集英社新書/2011年
フェルメールからのラブレター展@宮城県美術館(2011.11.09)
フェルメール 光の王国/福岡伸一/木楽社/2011年

2011年12月20日 (火)

背後の足音 ヘニング・マンケル

イースタ警察署に娘を捜して欲しいという母親の訴えが出された。
夏至前夜に友人と出かけて以来、行方がわからないという。
旅先から絵はがきが届いているが、筆跡は娘のものではないと母親は訴える。
事件として扱うべきなのか釈然としないものの母親の熱意に動かされて、クルト・ヴァランダーは捜査会議を招集した。
Photo_20201112081601 背後の足音 上

ヘニング・マンケル
柳沢由実子
Photo_20201112081601 背後の足音 下

創元推理文庫
2011年

ところが几帳面な同僚刑事のスヴェードベリが無断で会議を欠席した。
不審に思ってアパートを訪ねたヴァランダーたちは、スヴェードベリの射殺死体を発見する。
どうやら彼は、若者たちが失踪した事件をひとりで調べていたらしい。
やがて、行方不明だった3人の若者の遺体が18世紀の衣装をまとったままの姿で発見された。

ヴァランダーら捜査陣の焦燥感がつのるなか、今度は新婚カップルが殺される。
いずれの犠牲者も額を一発で撃ち抜かれていた。
8人の殺害はシリアルキラーの仕業なのか、犯人は複数なのか、操作の手掛かりが見つからないまま堂々巡りを繰り返す。

スヴェードベリの個人生活を追っていくと、写真に映った謎の女性の影がちらつく。
やがて、スヴェードベリの隠された素顔が明らかになっていくにつれて、捜査の手掛かりらしきものがかすかに見えてくる。

不規則な生活と不摂生がたたって、ヴァランダーは50歳を前にして糖尿病と高血圧を宣告される。喉は渇くし疲れやすい。車を運転していて眠くなる。夜中にふくらはぎがひき攣り、悪い夢も見る。
ラトビアの恋人とは別れたようだ。
ヴァランダーと和解することのなかった父親が亡くなって2年が過ぎ、別れた妻は再婚した。
これらのことに、吹っ切れない思いを引きずっている。
唯一の心のよりどころの娘は遠く離れて暮らしているし、友人と言える人間は数えるほどしかいない。
そんなミドルエイジ・クライシスのまったただ中に、ヴァランダーはいる。

若者たちが、格差社会のなかで確固たる基盤を失っているという先進国の抱える共通の問題が、本書の背景にある。
シリーズ第7作(原著は1997年刊)。→人気ブログランキング

2016.03.19『霜の降りる前に
2014.09.19『北京からきた男
2013.04.10『ファイアーウォール』 
2012.01.02『リガの犬たち
2011.12.20『背後の足音

2011年12月19日 (月)

アフリカ 資本主義最後のフロンティア 「NHKスペシャル」取材班

2010年4月に、テレビ番組のNHKスペシャル『アフリカンドリーム』が、3回にわたり放映された。のべ1年、1万キロにわたる東アフリカの取材に基づいて、本書は書かれている。
「なにもないからこそ巨大なビジネスチャンスがある」これが、アフリカにおけるビジネスの鉄則である。
Image_20201220094601アフリカ―資本主義最後のフロンティア
「NHKスペシャル」取材班
新潮新書
2011年

ケニアでは、2009年の時点で人口4000万人の約半数に携帯電話が普及している。
出稼ぎ先から携帯を使って送金できるシステムが確立されている。

ルワンダでは、1994年に始まったフツ族によるツチ族の大量殺戮により、100万人もの人たちが犠牲になったといわれている。
国外に脱出したツチ族(ディアスポラ)が、高等教育を身につけ、金を儲け、人脈を築き上げ、ルアンダに戻り、ルワンダのめざましい経済発展に寄与している。
ルワンダ発展の原動力はディアスポラと言われている。
ディアスポラとは、もとの国や居住地を離れて暮らす民族やコミュニティのことを指す。
多数派であったが立場が逆転してしまったフツ族は社会的に重要な地位につけず、ツチ族の報復を恐れ新たな問題となっている。
ルワンダの経済成長率は8%を維持し、アフリカの奇跡といわれている。

エチオピア、ザンビアでは、中国企業による携帯通信網の整備が進んでいる。
中国の狙いはエチオピアからザンビアにかけてのカッパーベルト、つまり良質の銅の鉱山の利権である。

タンザニア、ボツアナでは、金やダイアモンド採掘に沸く。
タンザニアは、「21世紀のゴールドラッシュ」と呼ばれる金採掘ブームとなっている。
問題は、金メジャーと地元生産者の力関係。

そして、隆盛を誇ったジンバヴエは経済破綻に至った。
ムガベ大統領の失政、つまり大地主の白人から肥沃な土地を取り上げ黒人に分け与えた農地改革に対して、欧米が反発し経済制裁を行なった。
その結果、ジンバブエは財政赤字に陥り、ジンバブエドルを際限なく発行したため、2億%を超える空前のインフレとなった。

南アフリカでは、高等教育を受けたジンバブエ人が難民となって南アフリカに流れ込み、南アフリカはその難民たちを受け入れ、移民の扱いで安い労働力にしている。
この政策に、南アフリカのしたたかさがうかがわれる。

気になるのは、いったい日本はアフリカで何をやっているのかということ、日本のODAがどう評価されているかということ。→人気ブログランキング

2011年12月17日 (土)

『さよなら! 僕らのソニー』 立石泰則

さよなら!僕らのソニー (文春新書)
立石 泰則
文藝春秋
2011年11月20日
ISBN 9978-4-16-660832-4
⭐⭐⭐⭐⭐

ソニーは日本の輝く星だった。
値段は高いが、ソニー製品ならば間違いないと誰もが評価していた。
別格であったソニーはどうなってしまったのだろう。
本書はそれを明かしてくれる。

1946年に、38歳の井深大氏と25歳の盛田昭夫氏によって、ソニーの前身である東京通信工業が設立された。
会社設立から4年後には、テープレコーダーを世に送り出し、続いてトランジスターラジオなどの日本初や世界初の商品を市場に送り出した。

ソニーがいち早く海外へ出ていったのには理由があった。
ソニーの製品は技術的に優れていたものの値段が高かったため、戦後復興期の日本国内では売れなかった。
また、東芝や日立や松下電器のブランド力には、中小企業のソニーは太刀打ちできなかった。
アメリカであれば値段が高くとも優れた製品は売れるという目算が、ソニーにあった。
それが見事に当たり、Sonyがアメリカの企業であると思ったアメリカ人が、数多くいたほどだった。

ソニーブランドが確立されたのは、世界一の製品を作り出そうとする創業者ふたりの「志の高かさ」があったからだ。
井深氏の「人真似はしない」「他人のやらないことをやる」、それがソニースピリッツだった。「もの作り」の精神、それがソニーのDNAであった。
しかし、いつの間にか歯車が狂い、志の高さを失ってしまった。
巨大になり過ぎ、利益を出さなければならない、だから売れるとわかっている商品だけを作るという目先の利益に固執したため、マイナスのスパイラルに陥っていった。

ソニーの社長は、井深氏、盛田氏、岩間和夫氏、大賀典雄氏、井出伸之氏、安藤國威氏、中鉢良治氏、ハワード・ストリンガー氏と、受け継がれていった。
ソニーらしさを捨てる押しボタンを押してしまったのは、井出氏の社長・会長時代の10年にあると著者は分析している。

1995年、先輩役員14名を飛び越えて井出氏がソニーの社長になった。
このとき、前任の大賀時代の借金はおよそ2兆円になっていた。
井出氏のとった「コンテンツとネットワーク」路線は、ソニーを大きく変質させた。
もの作りを放棄したということだ。

赤字であえぐ会社を尻目に、井出氏の関心は会社の外へ向かった。
1999年、スイスのダボスで行われた「世界経済フォーラム」で議長を務めた。
やがて米国ゼネラルモーターズの社外取締役に、2年後にはネスレの社外取締役に就任している。
森内閣の「IT戦略会議」の議長、経団連副会長も引き受けている。
著者は、井出氏が自分も世界を動かしているひとりと勘違いしたのではないかと指摘している。

井出氏が後任に推したのはストリンガー氏だった。
ストリンガー時代になって、ソニーらしさは完全に失われた。
ストリンガー氏の最優先課題は、コストカット、人員削減であった。
国内外の工場の集約、不採算部門の閉鎖、資産売却、研究部門の閉鎖を断行した。
もの作りのソニーの宝である優秀なエンジニアは、韓国企業にヘッドハンティングされ、他の企業に移り、新しい会社を起こし、ソニーを去っていった。

日本語を話せない、エレクトロニクスのビジネスの経験がない、日本に住んでいない、ソニーの企業風土の中で育ったことのない人物に、ソニーのCEOが務まるのだろうかと、著者は非難にも似た疑問を投げかける。
しかし、これがコングロマリット化したグローバル企業ソニーの選択だった。

ソニーが生き残るためには、こうした選択しかなかったということになるのだろうか。
「ソニーらしい」もの作りの根本理念を捨てて生き残っているソニーには、もはやときめきを感じない。
ソニーが、いつどのように舵取りを間違えたのかを知りたいと本書を手にとった。
それとは別に、格別だったソニーを取り戻す企業努力についても書かれているだろうという期待感があった。
しかし、僕らにとって誇りだった日本企業のあの「ソニー」は、戻ってこないことを確信した。

2011年12月15日 (木)

クリスマスのフロスト R.D ウィングフィールド

ロンドンから70マイル離れた田舎町のデントンで、クリスマスを10日後にひかえた雪の降る日に、娼婦の8歳の娘が行方不明になった。この事件を皮切りに、銀行の玄関を深夜金梃でこじ開けようとする強盗が出没し、さらに詐欺、白骨死体の発見などの事件が次々に起こる。
Image_20201115150601クリスマスのフロスト
R.D ウィングフィールド 芹澤 恵 訳
東京創元社
1994年

おりしも、主任警部が病気で倒れフロスト警部が責任者となる。
警察長の甥っ子、ロンドン仕込みの奇抜なファッションに身を包んだ新米巡査のクライヴを引き連れて、ワーカーホリック男のフロストはエネルギッシュに捜査にあたる。クライヴといえば、"肥溜め"のようなデントン警察署に配属されたことに大いに不満を感じていた。あまりの仕事の量の多さに寝不足に苛まれ不平を言いつつも、どこか憎めない人柄のフロスト警部に従うようになる。

エビ茶の色のマフラー、よれよれのコートに背広、こ汚いドタ靴が、フロスト警部のトレードマーク。さらに、煙草の吸殻を窓から捨てたり、人の机の灰皿に押しつぶしたり、署の携帯電話器を3台も返さずにためこんだり、署長の新車に自分の車をこすってしらんふりを決め込んだりと、道徳心に欠ける傍若無人ぶりだ。
そして、フロスト警部の真骨頂は、速射砲のように下ネタジョークを一日じゅうまわりに撒き散らすことだ。

ダメオヤジに仕立てすぎで、筋がぼやけるのではと心配する向きもあるが、そこはうまく構成されている。締めるところはフロスト警部とて、冗談抜きだ。

ところで、警察官という公僕の立場にある者が、真昼間にビールだのシェリーだのウイスキーを飲んで仕事するイギリスという国は一体全体どうなっているのだ。

フロスト警部のジョークは、スポーツ紙の中ほどにあるわいせつ紙面の内容と変わらない。このとってつけたようなニュース性ゼロの紙面がなければ、スポーツ紙の売り上げは落ちるだろう。
つまり、世の男たちはフロスト警部のジョークのようなことを、日がな一日頭に浮かべているということだ。
本書にどっぷり浸かったので、フロスト警部ばりの憚られるジョークが、ちょろっと口をついて出てしまうかもしれない。気をつけよう。→人気ブログランキング

フロスト始末
クリスマスのフロスト
フロスト日和
夜のフロスト
冬のフロスト
フロスト気質
夜明けのフロスト

2011年12月13日 (火)

野兎を悼む春 アン・クリーブス

シェトランド署のペレス警部の部下、新米刑事のサンディ・ウィルソンはウォルセイ島に帰省した。
ウォルセイ島では、サンディの祖母ミマ・ウィルソンの所有するセッター農場で、大学院生のハティが中心となって遺跡の発掘調査が行われていた。
その発掘現場から古い頭蓋骨の一部が発見された。
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Red Bones
アン・クリーヴス
玉木 亨訳
創元社推理文庫
2011年

若い頃、ミマは美しく陽気で、島中の男性から注目を集めていた。
早々と結婚したものの、夫を海の事故でなくし、その後は結婚せずに周囲が眉をひそめるような奔放な生活を送っていた。
歳をとった今は、詮索好きで島のスキャンダルに通じていて、人々に恐れられている。

ある雨の夜、サンディは発掘現場の溝に銃弾を浴びて死んでいるミマを発見する。
酒を飲んだ従兄のロナルドがウサギを狙って、誤射したと見られる死だった。
地方検察官やミマの親戚たちは、事件性のない事故として処理されることを望んでいた。
しかしペレスはその死に疑惑を捨てきれずにいた。

そうこうするうちに、サンディが再び発掘現場で自殺と見られる遺体を発見する。
ペレスはこの自殺にも疑惑の念を抱く。
このふたつの死は関係があるのか、そして発掘された頭蓋骨との関係はどうなのか。
謎解きは、終末に向ってめまぐるしくスリリングに展開してゆく。
本書はペレスと二人三脚で捜査を進めるサンディの成長の物語でもある。→人気ブログランキング

【シェトランドを舞台するミステリ】
大鴉の啼く冬』(07年7月)
野兎を悼む春』(11年7月)
白夜に惑う夏』(09年7月)
青雷の光る秋』(13年3月)  アン・クリーブス著〈シェトランド四重奏〉
三つの秘文字』 シャロン・J・ボルトン著

2011年12月 8日 (木)

『二流小説家』 デイヴィット・ゴードン

二流小説家 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
デイヴィッド・ゴードン
早川書房
2011年3月15日
ISBN 978-4-15-001845-0

「ぼく」こと小説家のハリー・ブロックは、ニューヨークの北50キロのシンシン刑務所に向かった。
12年前に4人の女性を殺し服役中のダリアン・グレイから、ハリーのもとに告白本の執筆を依頼する手紙が届いたからだ。
ダリアンは一切の供述を拒否しつづけ、3カ月後に死刑が執行されることになっている。

ハリーは、さえない中年作家。
ドラキュラ物、SF、ポルノ、ミステリなどをいくつかのペンネームを使って書いているものの、これといったヒット作はなく、家庭教師でなんとか食いつないでいる。
恋人に逃げられ、教え子の女子高校生のクレアには、足元を見られているというていたらくぶり。
告白本をものにすることは、ハリーにとって有名作家になる千載一遇のチャンスだと、クレアにけしかけられた。

ダリアンは真実を告白するかわりに、彼の熱烈な女性ファンと彼を主人公にした、彼のためだけのポルノを書けという条件を提示した。
ダリアンの女性弁護士キャロル・フロスキーの条件は、死刑が執行されるまでダリアンに関して知りえた秘密は一切公開してはならないというものだった。
刑の執行が遅れたり減刑されたりすれば、告白本を書いたとしても金を手にできない。

ハリーは、依頼どうりダリアンの女性ファンたちを取材し、ポルノを書き始めた。
ところが、ダリアンの手口そっくりの猟奇的な女性連続殺人が起きてしまう。
ひょっとして、ダリアンは12年前のシリアルキラーではないのか、真犯人は野放しのままなのか。
ここから話は急展開し、脱力気味のユーモアに満ちた書きっぷりは影を潜める。

ハリーのいくつかの作品が所々にレトリックとして差し込まれ、文学論や作家論、犯罪心理論が繰り広ろげらる。
おそらくかなりのミステリ通の著者が、ちょっとばかり手の混んだくらいのありがちな結末を用意するはずがない。
プロローグは『キャッチャー・インザ・ライ』風の心地のいい饒舌ぶりである。

2011年12月 5日 (月)

古書の来歴 ジュラルディン・ブルックス

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(1992~1995)のあと間もない1996年の春、古書鑑定家のハンナ・ヒースは国連の平和維持軍が駐留するサラエボを訪れる。
ハンナがサラエボを訪れた理由は、100年前に行方不明になり最近発見されたサラエボ・ハガダーの鑑定と修復を国連から依頼されたからである。
Photo_20211026142901古書の来歴
ジュラルディン・ブルックス
森嶋マリ 訳
武田ランダムハウスジャパン 
2010年

ハガダーはユダヤの春の祝い事、過越(すぎこ)しの祭の聖餐で使われる書物である。祭の次第や出エジプトの物語などが書かれている。ユダヤの教えを、親から子供に伝えるために不可欠な本である。

サラエボ・ハガダーには、蝶の羽が挟まっていて、ワインと思われる染みが付いていた。また、塩と思われる結晶物が見つかり、絵の具に付着している動物の毛も見つかった。これらの物質について科学的な〈捜査〉が行われる。

本書は、ハンナが登場する現代とハガダーの来歴とが一章ずつ交互に構成されていて、ハンナの知らないハガダーの秘密、つまり蝶の羽が挟まった理由、ワインの染みが付いたエピソード、結晶物の塩がなぜ付着したのかなどの物語を、読者は知ることができる。

本書は、ヘブライ語で記述された実在の古書に着想を得たフィクションである。
古書は500年前にスペインで作られた。
1894年、サラエボで困窮したユダヤ人一家がそれを売りに出し、学者たちの注目を集めるようになり、サラエボ・ハガダーと呼称された。
第二次世界大戦中は、ナチスドイツから守るためにイスラム教徒が博物館から持ち出した。
またボスニア紛争のさいに爆撃が加えられたサラエボ国立図書館から持ち出し、銀行の金庫に保管したのも異教徒のイスラム教徒であった。
現在はサラエボの国立図書館が所蔵している。
以上は、史実であり、ほかは著者の創作による架空の部分である。

こうした史実に基づいた部分があるからこそ、ハガターの、まさに時空を超えた500年の数奇な来歴が生き生きと伝わってくるのである。
本書は、2010年の翻訳ミステリー大賞を受賞している。→人気ブログランキング
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【ジュラルディン・ブルックスの作品】
ケイレブ  ハーバードのネイティブ・アメリカン』柴田ひさ子/平凡社/2018年
古書の来歴』森嶋マリ/武田ランダムハウスジャパン/2010年
マーチ家の父 もうひとつの若草物語』高山真由美/RHブックス・プラス/2012年

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