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2011年12月26日 (月)

ラーメンと愛国 清水健朗 

いまや、薀蓄をもって語られるようになったラーメンを、「愛国」というキーワードから解き明かす。本書は、〈日本の戦後のラーメンの普及、発展、変化を軸とした日本文化論であり、メディア史であり、経済史、社会史である。〉という。
Image_20201109111001ラーメンと愛国
速水 健朗
講談社
2011年 

《第一章 ラーメンとアメリカの小麦戦略》
朝鮮戦争の戦争用食料としてアメリカ軍に小麦が消費されていたが、戦争が終結してさらにヨーロッパ諸国の農業が第2次世界大戦のダメージから復興すると、アメリカは余剰となった小麦の輸出先を探さなければならなくなった。
その標的となったのが日本である。
日本が小麦を輸入する見返りとして、アメリカは学校給食に使う分の小麦を無償で提供した。
とは言っても、小麦の無償援助はアメリカの帝国主義的な意図が隠されていた。
アメリカの「余剰小麦処理法」は、小麦を購入した国は、すぐにその代金を支払う必要はないというもの。
小麦を国民に売ってえた代金は、とりあえずはアメリカに返済する必要はなく、その国の経済復興に使えるよう低金利で貸しつけたのだ。
日本は大量に小麦を購入したが、その小麦の使い道を見つけ出さなくてはならなかった。
キッチンカーを全国に走らせ、動く台所として小麦と大豆を使った料理の講習会を開いた。もちろんアメリカ農務省の差し金であった。
日本人の「早老短命は米の大食偏食」という内容のパンフレットが配布され、ネガティブキャンペーンが行われたのだ。
アメリカの目論見通り学校給食ではパンが主食となり、日本にパン食文化が根付いたのである。
その後22年もの間、学校給食の主食はパンであり続けた。1980年代になって、やっと週一回の米食が出されるようになったのである。
アメリカのしたたかさに、日本文化の根幹である米食文化が揺さぶられ続けたのだ。

《第二章 T型フォードとチキンラーメン》
日清食品の安藤百福がチキンラーメンを開発したのは1958年、1960年にはオートメーション化された工場が稼動している。
その後、インスタントラーメンは世界中で食されるようになる。チキンラーメンはアメリカの朝食を変えたケロッグ博士のコーンフレークを凌駕する世紀の大発明である。
支那そば、中華そばに代わり、ラーメンが呼び名として定着したのは、安藤百福が力を入れていたテレビのCMの影響による。

《第三章 ラーメンと日本人のノスタルジー》
日本は戦後20年で急速に都市化が進み、多くの独身者が大都市に流入した。
その食生活を支えたのが定食屋、うどんやそばや丼物を出す店屋物屋、登場し始めたラーメン屋である。そしてインスタントラーメンであった。

安藤百福はチキンラーメンの海外展開を考えて、カップヌードルを開発した。
カップヌードルの発売は1971年9月、浅間山荘事件の5ヵ月前だった。
軽井沢の冬の氷点下15度の極寒のなかでは、おにぎりも弁当も凍ってしまい、機動隊員の食事が問題となった。
そこで、選ばれたのが発売されて間もないカップヌードルだった。
機動隊員がカップヌードルを食べるシーンが繰り返しテレビで放映されたことにより、予想をはるかに上回る早さで売り上げが向上した。

《第四章 国土開発とご当地ラーメン》
特徴あるメニューのラーメン店が、メディアなどで取り上げられるようになり観光客がやってくる。周囲の店が右倣えで同じメニューを出す。これがご当地ラーメンが生まれる経緯であると指摘する。
したがって、ご当地ラーメンは地元の歴史や固有の郷土料理から切り離された観光資源として生み出された戦後の食文化の象徴である。
つまり、ご当地ラーメンがあたかも地方の郷土食の如き扱いを受けているのは、捏造であると著者は断言する。

《第五章 ラーメンとナショナリズム》
戦前はラーメン専門店は存在しなかった。
戦後の店舗型ラーメン専門店の多くは、闇市の屋台から始まっている。
1950年代半ばの札幌ラーメンブーム、1960年代に普及するインスタントラーメン、70年代から普及したフランチャイズのラーメン店の展開、80年代中頃の喜多方ラーメンブーム、さらに、1990年以降続いているラーメンブーム、このラーメンの歴史においてメディアの果たした役割は大きい。
1994年オープンした新横浜ラーメン博物館によって、ご当地ラーメンやご当人ラーメンが全国区の知名度を持つようになり、ラーメンは国民食として認知されるのである。
そしてラーメンは薀蓄とともに語られるようになる。

バブル崩壊後の1990年代は、外食産業の価格競争が始まり寡占化の進んだ時代であった。
こだわりや創意工夫により付加価値がつけられたラーメンは、価格が上昇しチェーン店化や寡占化をまぬがれた。

かつては中国文化の名残りを持っていたラーメン屋の雷文や赤いのれんなどの意匠が、すっかり和風に変わった。店員は作務衣をまとい手書きの人生訓が壁に掛けられているようなラーメン屋が主流になった。
こうした傾向は1990年代を境に現れ、ラーメンが日本の伝統文化と密接につながるものであるかのように装い始めた。歴史とのつながりが一旦切り離されてしまった現代において、ラーメンが、再び魅力ある日本の歴史や伝統を呼び起こそうとする意識の媒介者となっている。つまり「愛国」である。
しかしその本質は、趣味的、遊戯的、リアリティショー的なフェイクと結びついているものと考えるべきだろう、と著者は指摘するのである。→人気ブログランキング

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