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『レーガン』 いかにして「アメリカの偶像」となったか 村田晃嗣

レーガン - いかにして「アメリカの偶像」となったか (中公新書)
村田 晃嗣
中央公論新社
2011年11月25日
ISBN978-4-12-102140-3
★★★★★
レーガンは国民に対し、「丘の上の輝く町」というアメリカ例外主義を喚起し、「アメリカの朝」を迎えると鼓舞し、「小さな政府」を目指し、外交では「強いアメリカ」を誇示しようとした。これはアメリカの保守派の姿勢そのものである。

レーガンはアイルランドからの移民の末裔として生まれ、世界大恐慌の最中にイリノイ州のユーレカ大学を卒業した。レーガンが得た最初の仕事は、アイオワ州の地方ラジオ局のスポーツアナウンサーであった。
その後、ハリウッドで俳優となり、やがてハリウッドの労働組合委員長から1966年にカリフォルニア州知事に当選し知事を2期8年務めたのち、1981年70歳のときに第40代大統領に就任した。

レーガンの武器は当意即妙の話術であったという。それは周到に準備された演説においても発揮された。
「グレートコミニュケーター」と呼ばれた政治手法は、レーガンの楽観主義に基づくものであるという。反対派をも魅了する陽気で憎めない人柄により、多くの政治的難題を打開したという。

双子の赤字、インフレ、失業問題などの国内問題では、減税と歳出削減が骨子のレーガノミックスを貫き、赤字を膨らませたものの経済の回復を達成した。
外交では戦略防衛構想(SDI)を掲げ、グレナダ侵攻、イラン・コントラ事件などのいくつもの難題を乗り切った。
サッチャーや中曽根康弘やゴルバチョフなどの他国の有能な指導者に恵まれたことは、レーガンにとって幸いなことであったと言える。
時代は共産主義国家の終焉を徐々に迎え、米ソはレーガンの目指した軍縮に向かった。

レーガンは、知性にかける元B級俳優と軽蔑され、危険なタカ派と嫌われたこともある毀誉褒貶のギャップが激しい大統領であった。
しかし、2001年のギャラップ社の世論調査で、レーガンはケネディやリンカーンを抑えて「史上最も偉大な大統領」のトップに選ばれ、その後も人気は続いているという。
本書はアメリカがガチガチの保守の国であることを示している。


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