わたしを離さないで
カズオイシグロの同名の小説の映画化。
原作を先に読むか映画を先に観るかは、多くの場合は原作を先に読んだ方がいいと思っている。原作の方が経緯を理解しやすい場合が多い。映画は説明を省略せざるを得ないので、後半まで何がなんだかわからないことがある。
『わたしを離さないで』に限っては、映画を先に観た方がいいと思った。
原作では、介護人と提供者という言葉が早々と出てきて、その真の意味がわかるのはかなり話が進んでからだ。
映画では、冒頭からしばらくは、田園地帯にある寄宿学校での子供たちの日々の生活が淡々と描かれていて、彼らが寄宿舎を卒業してから、少しずつ核心が見えてくるという展開である。起承転結の承の部分が卒業してからに当たり、この辺で主人公たちが置かれた立場が見えてくる。
原作では頭の片隅にはっきりしないことを抱えながら読み進むことになる。
はっきりしないことで不安感が煽られることが、作者の狙いなのかもしれないが。
わたしを離さないで 原題:Never Let Me Go 監督:マーク・ロマネク 脚本:アレックス・ガーランド 原作:カズオ・イシグロ 製作国:イギリス アメリカ合衆国 2010年 105分 |
冒頭で、「画期的な治療法が開発されて寿命は100歳を超えるようになった」とテロップが流れる。画期的な技術とは、クローンと臓器移植のことである。
イギリスののどかな田園地帯にある寄宿学校「ヘールシャム」で学ぶキャシー(キャリー・マリガン)、ルース(キーラ・ナイトレイ)、トミーの3人は、幼い頃からなかよく一緒に暮らしてきた。寄宿学校では、保護管と呼ばれる先生がすべて女性だ。寄宿舎の規則は厳格で、生徒たちは寄宿舎の外に出ることができない。
3人は、18歳になり寄宿学校を出て農場のコテージで共同生活をはじめた。やがてルースがトミーに近づきふたりは親密になり、キャシーは孤立する。本当に愛し合っているカップルは提供者としての通知が来るまで、数年の猶予が与えられるという噂があった。
その後、コテージを出て離れ離れになった3人には、それぞれに別の運命が待っていた。彼らは臓器提供者としての通知を待って暮らしているのだ。
ルースには比較的早く「提供」の通知がきた。
キャシーは提供者の介護人として働いていた。介護人として働いていれば、比較的自由な生活を送ることができ、「提供」の通知の受け取りを遅らせることができる。
ある日、キャーシーはトミーはに再開し、ふたりは愛し合うようになる。そして、真に愛し合っていると確信するふたりは、書類を整え提出するが、噂は本当ではなかった。トミーの落胆ぶりは絶望にも近いものだった。
そうするうちに、トミーに「提供」の通知がくる。
キャシーはトミーの「提供」の介護人として付き添うことになった。1回目の提供は順調に回復したが、2回目は致命的な臓器の提供であった。
本作では、主人公たちの住む世界と別の世界がある。映し出されないその別の世界は、人間のエゴが生み出した究極の格差の上に成り立っている社会である。その社会構造は、現代の格差社会を象徴しているととれるが、あまりにもグロテスクだ。
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