『小沢征爾さんと、音楽について話をする』 小沢征爾×村上春樹
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本書は、小澤氏を村上氏がインタビューする形をとっていて、村上氏はレコードをかけ、話題を提供し、話に方向性をつけ、歴史的な事実を述べたりの役目をしている。もちろん、それぞれの曲を自身がどう解釈しているかにも触れる。村上氏の音楽に関する博識ぶりには、小澤氏が舌を巻くほどだ。
このインタビューのきっかけは、村上家における家族ぐるみの集まりのときの、小澤氏と村上氏のレコードを聴きながらの会話にあったという。
1962年、ニューヨーク・フィルの演奏会で、レナード・バーンスタインとグレン・グールドがブラームスのピアノ協奏曲1番を演奏した時の有名なエピソードがある。演奏の前にバーンスタインが聴衆に、「これは本来私がやりたいスタイルの演奏ではない。ミスタ・グールドの意志でこうなった」と言った。つまり曲のテンポの設定は、グールドの意向と予め言っておきたかったわけだ。それは嫌味ではなくバーンスタインの気遣いだったという。小澤氏はそのとき、バーンスタインのアシスタント指揮者としてその場に居合わせたという。
「こんな興味深い話をこのまま消えさせてしまうのは惜しい。誰かがテープにとって文章に残すべきだ」と、村上氏は思ったそうだ。これに対して、小澤氏は「そういえば、俺これまでこういう話をきちんとしたことがなかったね」ということで、インタビューが決まったという。
インタビューは、2010年11月から翌年7月まで、東京、ホノルル、スイスなどで行われている。小澤氏は食道がんの手術を受けたあとで、基本的には療養につとめていた頃である。
本書の内容は、大まかに列挙すると、まず村上氏が大いに思い入れがあるグレン・グールドについて語られる。小澤氏がバーンスタインやルビンシュタインやカラヤンに目をかられたこと、ボストン交響楽団の音楽監督のこと、サイトウ・キネン・オーケストラを始めたこと、グスタフ・マーラーのこと、カラヤンに勧められオペラを始めたこと、オペラ座兼ウィーン・フィルの音楽監督のこと、ジャズとクラシックのこと、奥志賀やスイスで行っている若手育成のアカデミーのこと、というふうに話は進んでいく。
マーラーについては、なぜマーラーが流行ったのか、マーラーの人物像、作品の歴史的な位置づけ、難解さの理由など、本書を読めばマーラーを聴いたことがない人でも、マーラーについて語れそうなくらい盛り沢山な会話が交わされている。
村上氏は、「始めに」のなかで、〈小澤さんは無手勝流の「自然児」でありながら、それと同時に、多くの深い、現実的な知恵を身の内に具えた人でもある。我慢がきかない人でありながら、我慢強い人でもある。そのような二つの面が立体的に共存している。〉と書いていて、まったくその通りに思える。この無手勝流の「自然児」とは、いい意味での「天然」ということだ。小澤氏は文科系の長嶋茂雄氏のように思えてくる。
一方、小澤氏は「あとがき」で、〈春樹さんはまあ云ってみれば、正気の範囲をはるかに超えている。クラシックもジャズもだ。彼はただの音楽好きだけでなくよく識っている。こまかいことも、古いことも、音楽家のことも、びっくりする位。音楽会に行くし、ジャズのライブにも行くらしい。自宅でレコードも聴いているらしい。僕の知らないことをたくさん知っているので、びっくりした。〉と書いている。
世界を代表するマエストロと毎年ノーベル文学賞候補に挙がる小説家、いわば世界の至宝のようなふたりの対談は、抜群に面白い。
本書は、日本語の優れた評論やエッセイに贈られる小林秀雄賞を受賞している。
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