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『生物と無生物のあいだ』 by 福岡伸一

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)
著者:福岡伸一
発行:2007年5月

はじまりには、ハドソン河を南下する観光船サークルラインから見たマンハッタン島の情景が描かれていて、重大事件が起こった現場へ駆けつける刑事になったような錯覚に陥る。その現場とは、著者がポスドクとして過ごしたロックフェラー大学である。かつて野口英世が研究に明け暮れたところでもある。数々の病原体の正体を突き止めたという野口の主張は、今ではほとんど省みられていない。千円札で毎日お目にかかる我らがヒーローの業績は、コンタミネーションの陥穽にはまり込んだ誤謬であった。著者は病原体特定のステップを、野口の研究やウイルス発見の歴史を追いながら解説している。

話は英国のケンブリッジ大学に場所を移し、ワトソンとクリックによるDNAの二重らせん構造の発見を取り上げる。この二十世紀最大の発見には疑惑がある。ライバル研究者の未発表のデータを剽窃した疑惑である。作為的にか無作為にかデータを手に入れてしまい、ライバルの許可を得ずに使ったというものである。ワトソンとクリックは自ら実験を行ってデータを収集したわけではない。そのかわりに、ボール紙や針金を組み合わせて作った分子モデルを動かしながら、議論を繰り返した。1953年、『ネイチャー』に発表されたおよそ1000語からなる論文の最後は、「It has not escaped our notice that the specific pairing we have postulated immediately suggests a possible copying mechanism for the genetic material.(この対構造が直ちに自己複製機能を示唆することに私たちは気がついていないわけではない)」と、ひかえめにかつ啓示的に結ばれている。論文発表のおよそ10年後の1962年に、著者が疑惑にかかわったとする二人の共犯者とワトソンとクリックにノーベル賞が与えられた。
ここで生命は自己複製するシステムと定義される。しかし自己複製する能力を持つウイルスは生物と言えるのだろうかと、著者は疑問を投げかける。ウイルスは細胞に寄生することでしか自己複製できない。ウイルスは細胞の表面に付着すると細胞内部に向かってエイリアンのようにDNAを注入する。宿主細胞は何も疑わず、そのDNA情報をもとにせっせとウイルスの部材を多数作り出す。細胞内でそれらが再構成されて次々とウイルスが生産される。やがて新たに作り出されたウイルスは、細胞膜を破り一斉に外に飛び出して次のターゲットを探す。
電子顕微鏡に映し出されるウイルスは、幾何学的な絵画や無機質でメカニカルなプラモデルのように見える。そして同じ種類のウイルスは、大小や個性の偏差がなく、まったく同じ形をしている。ウイルスが生物かどうかは長いあいだ論争の的であるが、著者の考えは否である。最近では、ウイルスの正体は、なんらかの理由で生体から脱落したゲノムの破片という説が有力のようだ。

ルドルフ・シェーンハイマーは、水素や炭素や窒素に同位元素でラベルした飼料をラットに与え、時間の経過とともにラットの体内の原子が入れ替わることを証明した。著者はこの研究を踏まえて、「生命は動的平衡にある流れである」といささか哲学的に定義する。ここで言う動的平衡とは、生物を分子レベルでみれば絶えず分子は入れ替わっていて、摂取されたものは吸収され生物の構成物となり、排泄により生物の体外へ出ていくという意味で動的ということである。さらに、常に生物として秩序のある状態を保っているという意味で平衡であるとしている。
話は脱線するが、高校の物理の授業にエントロピーが出てきてから、物理がすっかり私の苦手科目になってしまった。エントロピーの数式に私が難渋しているのを見て、のちに京都大学理学部物理学科に合格する同級生のF君は、「エントロピーの数式は無視していいよ、概念だから」と言ったのだ。確かに、著者の「生命は動的平衡状態にある流れである」に関するエントロピーの概念に基づいた記述は文学的であるが、すこぶる明快である。
それを要約すると、エントロピーは乱雑さを表す尺度であり、全ての物理的プロセスはエントロピー最大の方向に働き、そこに達して終わる。エントロピーを乱雑さの尺度とすると、負のエントロピーの概念は秩序を維持することを表す。生物が原子から成り立っている以上、物理学の法則に従わざるをえない。生物は絶えずエントロピーを増大させつつあり、それは死を意味するが、生物は自分でエントロピー増大に陥ることから免れているようにみえる。生物は周囲から負のエントロピーを取り入れること、つまり食べることで生きている。たえず原子を入れ替え動的平衡にあることで、エントロピー増大から免れている。この記述でエントロピーの概念がなんとなく頭に入ったような気になった。

さて、著者は米国でどのような研究をしていたのだろうか。ハーバード大学の研究チームに移ってからのテーマは、「膵臓の消化酵素分泌細胞の分泌顆粒を取り囲む膜にあるGP2の働き」についてである。ライバルチームとの研究競争を、著者は新種のアゲハチョウの発見にたとえている。発見者には蝶の学名の末尾に名前を連ねる栄誉が与えられる。研究の熾烈な先陣争いは、一位のチームだけがチャンピョンフラッグを手にする権利を主張することができる。二番目のチームには何の報償もない。
フェルメールの名画『合奏』がボストンの美術館から盗まれた1990年の秋に、著者のチームはGP2遺伝子の特定とその全アミノ酸配列を、米国細胞生物学会において発表した。ライバルチームもこの学会で同じ内容の発表を行った。研究競争の結果は同着であったが、それはとりもなおさずお互いの仕事が正しいと証明されたことでもあった。
不幸なことに『合奏』はいまだに行方不明である。しかし幸か不幸か、ヒトゲノムは2004年におよそ32億個の塩基配列がほぼ解読され、さらに30年後には、地球上のほぼすべての生物のゲノムが解読されるところまで進んでしまった。

本書が細菌学や遺伝子学さらに物理学や分子生物学などのとっつきにくいテーマを扱っているにもかかわらず、この種の本としては異例のベストセラーになっているのは、プロットや文章のうまさもさることながら、そこかしこに散りばめられた比喩の的確さにあると思う。
 
著者は、1959年生まれ、京都大学農学部を卒業した後、米国に渡り、ロックフェラー大学、ハーバード大学でポスドクとして分子生物学の研究に携わった。帰国後、京都大学助教授を経て、現在は青山学院大学理工学部教授の職にある。
ところで、ポスドク(post doctoral fellow)とは博士号を取得したての研究者の卵が企業や大学に就職せず、ある組織と契約を結び研究を続ける働き方をさす。著者の自虐的な表現を借りれば、「ポスドクは、独立研究者がグラントで雇い入れる研究戦争の最前線に立つ傭兵、もしくは研究室の奴隷」である。
なお著者は『週刊文春』に、私が毎週楽しみにしている「パラレルターン パラドクス」というタイトルの少しばかりドグマの強いコラムを連載中である。

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