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『無頼化する女たち』水無田気流 


無頼化する女たち (新書y)

水無田 気流
洋泉社
2009年

 

 

 

本書は、主にバブル期以降のニッポン女性の生き方の変化について、社会情勢と対比しながら分析した女性論である。
著者のいう「無頼化」とは、旧来の伝統的な規範からの逸脱、<「孤高の」「自立した」「文化的規範の逸脱を厭わない」P58>という女性の生き方を指す。つまり、羽目をはずしたとか、とんがったとか、目立ったというようなことである。

著者は、バブル期、バブル崩壊から90年代、ゼロ年代は前半と後半に分けて、無頼化の変遷を提示している。

バブル期は、<これまで、日本の女性らしさは「引き算」で表現されることが多かった。控えめ、物静か、おしとやか・・・・・・。これが一気に「足し算」に反転したのがバブル期文化である。p28>ととらえている。著者は、バブル期において戦後ニッポン女子の「第一次無頼化」が起こったとしている。

バブル崩壊から90年代にかけては、「無頼化」が「病理」として現れたとし、「東電OL殺人事件」を例に挙げている。この事件は、東京電力の管理職にあった39歳の女性が、クラブのホステスとなり、やがて売春に走り、2009年3月にアパートの一室で殺害されたというショッキングな事件である。この時期を著者は「第二次無頼化」と名づけた。

ゼロ年代前半を「無頼化」は、「パロディ」や「自虐」であったとし、中村ウサギを登場させている。
ゼロ年代後半は「無頼化」を「サバイバル」に見られるとし、例として「婚活」や勝間和代を挙げている。ゼロ年代を「第三次無頼化」とした。

著者の訴えたいことは次の言葉に集約されている。
<いまだ、男性は女性の言葉づかいはもとより、あらゆる逸脱行為にうるさい。いや、女性たち自身も、女を許さず監視する傾向がある。美学(モラル)の問題は、日常慣れ親しんだ感性と直結しており、疑われないからこそやっかいなのだ。・・・・・女子というものは、これまでも、これからもつねに逸脱や無頼化の宿命を帯びている存在だ、とも言える。P216>

有史以来女性は、無意識のうちに仕掛けられた男社会の罠をかわしたり、あるいは蹴散らしてきた。蹴散らすことによって、つまり無頼化することによって、女性に課せられた規範のたがをすこしずつ緩めさせてきたと言える。本書は、一面から見た女性論として教科書的である。

→『無頼化する女たち』 水無田気流
→『関係する女 所有する男』 斎藤 環
→『母は娘の人生を支配する なぜ「母殺し」は難しいのか』 斎藤 環

 

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