湿地 アーナルデュル・インドリダソン
主人公のエーレンデュル刑事は50歳、家庭に問題を抱えている。妻とは20年前に離婚しその後一度も顔を合わせていない。娘は薬物中毒、息子はアルコール中毒という悲惨な状況にある。自らは胸に痛みを感じているもののタバコをやめられないでいる。
湿地 アーナルデュル・インドリダソン(柳沢由実子 訳) 東京創元社 2012年 |
晩秋のアイスランドのレイキャヴィックにある建物の半地下室で、ひとり暮らしの老人が、ガラスの灰皿で頭部を殴られ殺害された。金品が奪われた形跡はない。エーレンデュルの同僚シグルデュル=オーリ刑事は、「典型的アイスランドの殺人ですね」と言う。汚くて無意味、証拠を隠したりの小細工のない殺人という意味である。
その後の捜査の過程でエーレンデュルは、被害者ホルベルクの家の引き出しに古いモノクロ写真を発見する。それはわずか4歳で亡くなった幼女の墓の写真であった。この写真から、ホルベルクの過去が少しずつ明らかになっていく。ホルベルクが約40年前に起こしたレイプ事件が、すべての始まりであった。
ホルベルクの殺害事件の謎を解くことをメインストーリーにして、エーレンデュルと娘の関係、さらに個人的に依頼された花嫁失踪事件の捜査のふたつをサイドストーリーにして、物語は展開していく。
訳者の柳沢由実子のあとがきによれば、アイスランドは人口がわずか32万人で、単一民族であり、外部からの影響が少なく、中世まで遡って家族の系譜を辿ることができるという。誰もがどこかで血の繋がりがあるという特異な環境にある。それゆえ、苗字は使われることがなくファーストネームで呼び合うという。この特異性こそが本作の大前提となっている。
アイスランドは遺伝子の研究が盛んで、レイキャヴィックには世界的な大企業であるdeCODE geneticsがある。同社は、本作のキーワードのひとつであるヒトゲノム(遺伝子)を扱っている。本作品では、アイスランド遺伝子研究所には国民の遺伝子がすべて登録されている設定になっている。シグルデュル=オーリの言葉「典型的アイスランドの殺人ですね」は、逆の意味で的を得ていると言える。
もうひとつのキーワードは、タイトルの湿地である。ホルベルクが住んでいたアパートは、北の湿地 (ノルデュルミリ)に建てられていた。湿地に建てられた建物は、年数を経ると土台に問題がでてくる。その土台が事件につながっていたのだ。
舞台に設定された2001年の秋は雨の日が多く、常に雨雲が垂れ込めいて暗い陰鬱な情景が浮かびあがり、物語に特徴づけている。
北欧のミステリの本書は、ヘニング・マンケルの『ヴァランダー・シリーズ』と、比べられることになる。訳者はどちらも柳沢由実子である。
登場人物の背景を深く掘り下げることによって生まれるリアリティは、『ヴァランダー・シリーズ』に軍配が上がるが、背景はほどほどにして物語をどんどん展開させる本作には、抜群の面白さがある。→人気ブログランキング
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