ゆれる
オダギリ・ジョー演じるカメラマンの猛(たける)が、母親の法事で山梨の実家に帰省するところから映画は始まる。
![]() 脚本:西川美和 原案:西川美和 音楽:カリフラワーズ 日本 2006年 119分
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真面目で温厚な兄の稔(香川照之)は、実家のガソリンスタンドを継いでいる。
猛がそのスタンドに立ち寄ると、かつての恋人智恵子(真木よう子)が働いていた。智恵子には東京行きを諦めて山梨に残った過去がある。
法事のあと、猛は智恵子をアパートまで送っていって、兄が智恵子に密かに思いを寄せていることを知っていながら、関係を持ってしまう。夜遅く猛が戻ってくると、稔は電灯の下で洗濯物をたたんでいた。兄の背中を見て、猛は智恵子との関係に気づいていないと考えるが、多分兄はすべてをお見通しなのだ。
翌日、兄の提案で3人はドライブに出かけ、智恵子が吊り橋から転落死する事件が起こってしまう。対岸に渡った猛のもとに行こうと、吊り橋を渡る智恵子を稔が追いかけるようについて行き、稔ともみ合い転落した。猛はその一部始終を見ていた。
警察に逮捕された稔は、吊り橋の上で転んだ智恵子を助けようとしたと供述した。猛は見ていないと兄をかばう。
兄が殺人犯として起訴されたことにより、ふたりは本音をぶつけ合うようになる。
実家を継いで毎日あくせくと働かなければならない兄は、都会に出て自由気ままに生きている弟が許せなく思えてきて、貧乏くじを引いたと鬱積した気持ちを弟にぶちまける。兄弟の心情がどんどんエスカレートしていくところの体当たりのオダギリ・ジョーと香川照之の体当たりの演技が見事だ。兄をかばうつもりだった弟は、信頼していた兄の心の内を知らされて愕然とする。
兄弟の間に決定的な亀裂が入ってしまい、稔には実刑判決が下る。
西川美和監督は、自らのアイデアをもとに見事な脚本を書き上げた。映画の最後には、ちゃんと救われるシーンが用意されている。監督の才能がほとばしる骨太な傑作だ。→人気ブログランキング
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