『想像ラジオ』 いとうせいこう
最初の何ページかを読むと、架空の物語であるにもかかわらず、大震災に対して何ら責任を負っていない後ろめたさを感じてしまう。
第149回芥川賞候補作。
想像ラジオ いとう せいこう 河出書房新社 2013年3月 |
想像ラジオは、文字通り、聴く者の想像力により聴こえてくるラジオ放送のこと。
主人公のDJアークは、海沿いの小さな町で、高い杉の木のてっぺんに仰向けに引っかかって、軽快におしゃべりを続け、合間に曲を流している。なんともシュールな存在だ。
奇数章はDJアークの視点で語られ、偶数章は作家Sの視点で語られる。作家Sは作者のいとうせいこう自身と理解できる。
想像ラジオは、大震災で命を落としさまよい続ける死者たちに向けられた放送である。
被災者の現実には、傍観者が想像できないことあるいは想像してはいけないことが存在する。それゆえ、著者は、震災の当事者であるDJアークに感情のおもむくまま饒舌に語らせる手法をとったと思う。
Sたちが、被災地でのボランティア活動からの帰途に、ある者は死者をめぐる心の領域に部外者が踏み込むことは傲慢だと語る。別の者は死者の声に耳を澄ますことは誰も禁止できないと反論する。
Sは、いくつかの被災地で、想像ラジオの噂が流れていることを耳にする。こちら側にいる人間にも、想像ラジオはわずかながら浸透しているようだ。
想像ラジオの実在をめぐってSたちの間で論争になる。死者の声に耳を澄まそうとすることは、生きている者にとって避けられないとする意見もあれば、死者の声を想像することに反発を覚える意見もあり、死者よりも生者の救済を優先すべきだという現実的な見解もある。
このあたりで、大震災に対して何ら責任を負っていない後ろめたさを、どう折り合いをつけたらいいかという気持ちにさせられる。
東日本大震災の前には、阪神淡路大震災があり、かつては広島・長崎への原爆投下があり、東京大空襲があった。
世界に目を向ければ、ニューヨーク、ユーゴスラビア、イラク、アフリカで、たくさんの人たちが亡くなった。
そうした驚くべき数の死者のエピソードだけでなく、私たちの日常には死があふれている。
私たちが死者について考えるときに、鎮魂という意味の儀礼的な関わり前に、死者の心に思いを巡らすことで関わることができる。
生きている人間の世界と死んだ人間の世界は、曖昧に混ざり合っている。生者は死者から目をそらすことはできず、死者とともに生きていかなければいけない。生き残った人間の思い出は死者がいなければ成立しないのである。
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