ヒッチコック
公開当時は規格外だった、映画史に残る不朽の名作『サイコ』(1960年)の撮影秘話が描かれている。ヒッチコックの妻アルマなしでは『サイコ』が駄作に終わったかもしれないという話。
ヒッチコック Hitchcock 監督:サーシャ・ガヴァシ 脚本:ジョン・マクラフリン 原作:スティーヴン・レベロ『アルフレッド・ヒッチコック&ザ・メイキング・オブ・サイコ』 音楽:ダニー・エルフマン アメリカ 2012年 98分 |
『北北西に進路を取れ』(1959年)のワールドプレミアで、60歳になったヒッチコックは、「そろそろ引退の潮時ではないか」との記者の質問に憤慨する。「俺はもう年か?」と妻のアルマ(ヘレン・ミレン)に訊くのだった。
あと1作の契約が残っているパラマウント社からは、『カジノ・ロワイヤル』をケイリー・グラントでという話がきたが、「スパイものはもう撮った」と断った。いくつかの企画が持ち込まれるが、どれもヒッチコックの眼鏡に適わない。「人を惹きつける〈吐き気がする〉ような作品を撮りたい」と彼はいう。
彼が目を付けたのは、実在の殺人鬼エド・ゲインをモデルにした小説『サイコ』であった。「なぜ『サイコ』なのか?マザーファッカーのシリアルキラーの話に金は出せない」とパラマウント社は拒否し、配給はするが製作費は出さないことになった。
ヒッチコックは妻のアルマに相談する。脚本家であり映画編集者であるアルマは『サイコ』に、諸手で賛成はしなかった。
「どうしてそこまでして『サイコ』を撮りたいのか?」と問う妻に、「金策に苦労しながら映画を撮っていた昔が懐かしい。ただ楽しんで映画をつくりたいんだ」とヒッチコックはいう。初心に帰って撮りたいという言葉に、アルマは賛成せざるを得なかった。
自宅を抵当に入れて80万ドルを借金し制作費に当てた。
アルマは脚本家のウィートと共同執筆で脚本を仕上げていた。脚本を読んだヒッチコックは駄作だと一蹴にした。そのことが気に入らないのか、アルマは『サイコ』の製作に関わろうとしない。
アルマはウィートと別の脚本執筆で海辺の別荘に誘われ、上機嫌の日々を送る。ヒッチコックは浮気をしているのではないかと、妻の行動が気にかかって仕方がない。
しかし、『サイコ』のキャスト、マリオン役のジャネット・リン(スカーレット・ヨハンソン)も、ノーマン役のアンソニー・パーキンス(ジェームズ・ダーシー)も、アルマの一言で決まった。
ヒッチコックの敵は、見限られたパラマウント社、ギクシャクした関係のアルマ、アルマに言い寄るウィートだけではない。映倫もヒッチコックの悩みの種だ。
女性の胸を映し過ぎてはいけない、ナイフを振り下ろすのは凄惨だ、便器を映してはいけないなど、ヒッチコックのやろうとすることにケチをつける。そうしたストレスに対し、ヒッチコックは暴飲暴食で憂さ晴らし、ますます肥る。
そうしたストレスフルな環境の中、なんとかヒッチコックは『サイコ』を撮り終えるが、試写の段階では散々な評価だった。
そこで、アルマに相談するが、アルマは夫への積もり積もった鬱積をぶちまける。ヒッチクコックが映画を撮るたびに主演女優に入れあげることがアルマは気に入らなかった。
ヒッチコックはアルマに謝罪し、彼女が再編集班に加わり、彼女のアイディアでヴァイオリンが恐怖を煽る効果音を入れて、手応えのある作品に仕上がった。『サイコ』は、ヒッチコックと妻アルマとの共同作業でできあがったのだ。
しかし、パラマウント社はどうせ当たらないからと、2館でしか上映しないのだが、ヒッチコックは巧みな戦略で宣伝し、『サイコ』は絶賛を浴びるのだった。
最後に、画面に現れるヒッチコックの肩にカラスがとまって飛び去っていく。
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