カイユボット展@ブリジストン美術館
本展のポスターの絵〈ヨーロッパ橋〉は、多くの画家たちが題材にしている当時造られたばかりの鉄製のヨーロッパ橋を描いたもの。パリのサン・ラザール駅構内にかけられた橋である。労働者が欄干にもたれて物思いにふけり、向こうからは上流階級の男女が談笑しながら歩いてくる。首輪をつけた犬が尻尾を振りながら、だいぶ先に行ってしまった飼い主のあとについていく。はるか向こうには汽車から舞い上がった白い蒸気が見える。近代化された都会の息吹が感じられる作品である。
カイユボットはパリの街や人々の姿を多く描いた。本展のサブタイトルは、「都市の印象派 日本初の回顧展」。カイユボットを知らなかったので、本展には新鮮な感激があった。
〈室内、読む女〉
極端に大きく描かれた手前の女性は椅子に座って雑誌を読んでいる。ソファーに寝転んでいる男性も同じように何かを読んでいる。本作は近代化された都市に住む人々の孤独を描いているとされる。
手前を大きく描き遠近法を強調する構図は、浮世絵の影響を受けているといわれている。
〈パリの通り、雨〉
エレガントに着飾った男女が手前に配置され、雨が描かれていないものの濡れている傘や石畳に光沢があり、雨が降るパリの街がシックに描かれている。今回展示されたのはエスキス・下絵であるが、右は完成品。
ギュスター・カイユボット(1848年~1994年)は、パリの裕福な家に育った。ふたりの弟は音楽の道に進んでいる。30歳のときに相続した遺産で、売れなかった頃のモネの絵を買って経済的に支えたという。印象派のなかでもモネとは特別な友好関係にあった。モネはカイユボットの左の絵〈ピアノを弾く姉妹〉を生涯持っていたという。カイユボットは、その他、シスレー、ルノワール、ピサロ、ドガ、セザンヌらの印象派の作品を購入している。また印象派展の開催にも経済的なバックアップをしたという。
自らも、第2回印象派展(1876年)以降、5回出品したが、印象派展の運営をめぐってドガと意見が合わなくなり、その後は印象派から身を引くようになった。
晩年は、パリ西北部のセーヌ川畔に居を構え、ヨット遊びやヨット作り、切手収集、園芸などに興じたという。
1894年、45歳の若さで亡くなったときに、遺言に従い収集した印象派の作品が国に寄贈されようとしたが、印象派と対立する官展派や国の美術行政機関から寄贈が反対された。国がカイユボット・コレクションの約半数の38点を受け入れるまでには2年を要し、ルノアールが尽力した。この寄贈交渉は「カイユボット事件」としてパリの新聞を賑わせたという。もちろんパリ市民の多くはルノアールを応援した。
カイユボットを通して印象派をみると、当時パリの美術界を牛耳っていた古き体質のサロン(官展派)と苦悩する印象派グループのせめぎ合いがかいま見える。
本展には、カイユボットの弟マルシャルが撮影した写真が数多く出展されている。ブログランキングへ
カイユボット展
ブリジストン美術館 2013年10月10日~12月29日 |
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