二重らせん ジェームス・D・ワトソン
<本書は、フランシス・クリックと共にDNAの二重らせん構造を発見したジェームズ・ワトソンが書いた。1953年に論文を科学雑誌『ネーチャー』に投稿するまでの数年間が、スピード感のある少し興奮気味の文章で綴られている。論文の発表当時、ワトソンは弱冠25歳、週末にはパーティで女の子を物色するような年頃だった。
1962年に、ワトソンとクリックはDNAのX線写真を解析したモーリス・ウィルキンズとともにノーベル生理学医学賞を受賞している。
![]() ジェームス・D・ワトソン(江上不二夫/中村桂子訳) 講談社文庫 1986年 |
このDNAの二重らせん構造の発見にはデータの剽窃疑惑があり、その観点から本書を読むのも一興である。
疑惑とはワトソンとクリックがDNAの構造解明に、ウィルキンズの同僚であったロザリンド・フランクリンが撮影したDNA結晶のX線写真を正当でない手段で手に入れたことである。彼女が撮った鮮明なX線写真はDNAの構造を解明するには不可欠であった。
ワトソンが書くロザリンドは、かなり癖のある女性で、ウィルキンズとの関係はうまくいっていなかったという。ワトソンに対しては攻撃的で暴力をふるおうとしたこともあったと書いているが、果たしてそうだったのか。彼女は1958年に37歳の若さで亡くなっている。
ワトソンとクリックには剽窃疑惑の他にも批判される点があったと思う。
彼らはコツコツ実験を積み重ねたわけではない。ワトソンはヘモグロビンのX線写真を撮るために馬の血液を採取し凍結させる作業をしたことがあったが、失敗に終わってしまい、X線を撮る作業ができなくなった。そのことについて、無駄な実験をしなくて済んで、失敗して良かったと不埒なことを書いている。
彼はDNAの構造解明に役立ちそうな研究をしている研究者のところに顔を出し、おしゃべりをして情報を集めていた。
一方、クリックは大声で一日中でもしゃべっているような人物であると書かれている。クリックはアイディアを他の研究者に盗用されたと大騒ぎし、主任教授との仲が険悪になったこともあった。
ふたりは分子模型を業者に作らせて、ああでもないこうでもないとやって、あるときワトソンがひらめいたのが二重らせん構造だった。このキリギリス的な研究姿勢にライバルたちは反感を抱いたのではないだろうか。
本書は1968年に発刊された。草稿の段階でクリックをはじめ、ワトソンが席をおいた研究室の教授であったローレンス・ブラッグ卿、ウィルキンズ、DNAの構造の研究で先陣争いを繰り広げた物理化学者の大御所ポーリング・ライナスたちが、事実と異なるとして書き直しを求めたという。特に共同研究者のクリックは書かれた内容に対し怒りをあらわにしたという。
また、ウィルキンズとともにDNA結晶のX線写真の研究をしていたロザリンドについては、この時すでに他界していたが、記述に悪意が感じられ事実と異なるとの指摘がされた。
ワトソンは幾分修正を加えたものの、ロザリンドに関する箇所は書き換えることなくそのまま出版したという。
本書が発刊された後、本書の登場人物や伝記作家らが剽窃疑惑に言及した書籍を出版している。→人気ブログランキング
『ダークレディと呼ばれて 二重らせん発見とロザリンド・フランクリンの真実』ブレンダ・マドックス(鹿田昌美訳/福岡伸一監訳)化学同人 2005年
『二重らせん第三の男』モーリス・ウィルキンズ(長野敬/丸山敬訳)岩波書店 2005年
『DNAに魂はあるか―驚異の仮説』フランシス・クリック(中原英臣訳) 1995年
『生物と無生物のあいだ』福岡伸一 講談社現代新書 2007年