なぜ人を殺してはいけないのか? 永井均×小泉義之
10年くらい前に、「なぜ人を殺してはいけないのか?」というテーマがマスコミで取り上げられたことがあった。神戸の少年殺人事件が起こったあとである。喧々諤々とやった末に「殺していいという理由も、殺してはいけないという理由も、それぞれ100ぐらいもあげられる」と言って議論を打ち切った評論家がいたが、説得力があると思った。
なぜ人を殺してはいけないのか? 永井均 (Nagai Hitoshi)×小泉義之(Koizumi Yoshiyuki) 河出文庫 2010年1月(←単行本1998年10月) |
本書の哲学者同士の対談は話がかみ合っていない。
それを補うために、後半は自らの見解をお互いが相手に対し少しばかりの批判を込めて語っている。噛み合っていないからといって対談が失敗とはいえない。考えが異なればかみ合わないのは当然である。小泉氏は永井氏の哲学理論を予習してきたらしいが、永井氏に言わせれば理解されてないという。
哲学は数学的な思考の進め方をするところがある。ある結論に導くために付属する余分な考えをそぎ落としていく。永井氏はそうした数学的な思考過程を示しているのでわかりやすい。一方、小泉氏は哲学と倫理や道徳との線引きがはっきりしていないところがあり、あるいは多少宗教的な考えが根底にあるのか曖昧さがある。
永井氏は、道徳が関わる項目は少ない方がいいという考えである。
例えば、性差別がなければ性的暴力は単なる暴力である。現在の性に対する道徳や倫理がなければ援助交際は単なる男と女の交渉ごとになる。ただし、道徳批判をする人も必ず道徳の中にいる二重性を知っておくべきだという。
朝日新聞のコラムに、大江健三郎氏が「なぜ人を殺してはいけないのか?という質問することは品がない」と、封じ込めようとする意見を述べたことがあった。小泉氏も大江氏と同じ立場のように思える。
永井氏は公の場の議論においてこの疑問を封じ込めることに異を唱えているわけではないが、人を殺してもいいということを哲学的に導き出すことができるといっているのである。
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〈PS〉
勉強ができない子に対し、教師は「君は努力が足りないもう少し頑張れ」という。その子は自分に能力がないことに気がつかずに、頑張れない人間と思い込む。教師は能力がない子を頑張れない生徒にしたてあげるわけである。
永井氏が主張する「善なる嘘」とは、事実に反していることは知っているが、それが事実であるかのように語ることで世の中がよくなるような言説のことである。教師は「善なる嘘」を語らざるを得ない存在である。教師はニーチェの「道徳の系譜学」でいう僧侶に当たる。
なお、永井氏は『これがニーチェだ』(講談社現代新書 1998年)を執筆中であることに再三触れ、ニーチェを引用していると述べている。学校化された思考が哲学的思考の足を引っ張っているともいっている。
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