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2014年4月

2014年4月27日 (日)

そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります(そらすこん) 川上未映子

本書は著者のブログ『純粋悲性批判』に掲載された文章をまとめ、2006年に出版された単行本の文庫化である。
女性性の視点でとらえ、といって決して媚を売るわけではなく、関西弁も交えた特異な文体を駆使し、なかには川上的造語があり、未完成ながらも自由奔放な発想が大いに魅力的な、詩およびエッセイ集。
Image_20201221121101そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります
川上未映子(Kawakami Mieko
講談社文庫
2009年

なぜか、著者は、おなら、おしっこ、お尻、おっぱいなど、言葉を覚えたての幼児がことさら口にして意味もなく喜ぶ単語を何回か登場させている。それはプリミティブな学問の哲学に寄りそう著者の思考手順と根っこの部分でつながっているからではないだろうか。著者の文章には、書いていることがマイナスなことであっても、決してそのままネガティブな内容として伝わってこない、どこか温かみを感じる不思議さがある。
実は、単に子育て中だった。

著者は、方向音痴で片付けるの苦手でさらに病弱なところもあるようだが、つまづきながらも生き様をポジティブに捉え、容易に妥協しない姿勢が感じられる。なかには、身を切るようなテーマもあり、大丈夫かこんなにヒリヒリすることを書いてと思わせたりする。

本書に登場する作家は、武田百合子、野中ユリ、隅田川乱一、ランボオ、埴谷雄高、倉橋由美子、室生犀星、小島信夫、多和田葉子、尾崎翠など。著者は幻想的なテーマにシンパシーを感じるようだ。→人気ブログランキング

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2014年4月25日 (金)

昨夜のカレー、明日のパン 木皿 泉

出だしの3話までは押さえ気味の展開で、4話の『虎尾』からギヤがワンランク上に入り、「さすが本屋大賞2位」と思わせる。それぞれが一つの話として帰結していて、さらに互いにリンクし合ってひとつの物語になっている。
人生訓のような文章が、ところどころに出てきて、なるほどとうなづかせる。
Photo_20210210075901昨夜のカレー、明日のパン
木皿 泉 (Kizara Izumi
河出書房新社
2013年

7年前に夫・一樹を亡くした28歳のテツコと一緒に暮らす天気予報士のギフ(義父)の、ふたりが主人公である。そのふたりの暮らしぶりを描き、隣の引きこもりの女性を描いたのが、第1話の『ムムム』。
引きこもりになってしまったキャビンアテンダントが脱却する話『パワースポット』。テツコがギフに紹介した山ガールとギフが登山にいった話『山ガール』。一樹の3歳年下の従兄弟・虎尾の恋の話『虎尾』。懐が深いんだか抜けているんだか、テツコに求婚した岩田が、詐欺にあった話『魔法のカード』。ギフと妻・夕子の話『夕子』。岩田が同居するギフとテツコの関係を理解する『男子会』。最後の『一樹』は一樹と捨て犬を拾った少女の話で、『昨夜のカレー、明日のパン』がタイトルとなった理由が明かされる。

なぜテツコはギフの家から出ていかないのか、テツコに出ていって欲しくないとギフが考えるのはいいとして、なぜテツコにプロポーズした岩田までもがテツコとギフの関係を崩さない方がいいと考えるのか、そうした人間関係のあやが巧みに描かれている。→人気ブログランキング 

2014年4月22日 (火)

女のいない男たち 村上春樹

まえがきには本書を出版するにいたる経緯が書かれている。
『ドライブ・マイ・カー』は、タバコの吸殻ポイ捨ての箇所に北海道の地元の議員からクレームがついて、マスコミで話題になった作品である。書き直されている。『イエスタデイ』は、関西弁の歌詞についてビートルズの著作権代理人からやはりクレームがきて、著者としては言い分もあるが、書き換えたという。

『イエスタディ』には『フラニーとズーイ』の関西弁訳の話が出てくる。少し脱線するけれど、著者と柴田元幸の対談集『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』(文春新書 2003年)で、フラニーとズーイの会話を関西弁訳をしてみたいと著者が語っている。
川上未映子のエッセイ集『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります 』にも「フラニーとズーイの喧嘩を大阪弁に置き換えて読んでいくと、……生き生きするよね」という件がある。実際の関西弁訳が一部試みられていて、なんともいい具合に会話が転がっているのだ。

本書の中で唯一の書下ろしである『女のいない男たち』は、アーネスト・ヘミングウェイの同じタイトルの短編集へのオマージュのような、あるいはインスパイヤーされて書いた作品である。
すでに指摘されていることかもしれないが、著者はミソジニーの視点が過剰である。男女の歪んだ関係を書けば、おのずとミソジニーが強く出るのかもしれないが、過剰である。
それにしても、まえおきはところどころ括弧つきの念には念をいれたエクスキューズだ。

Photo_20201217085501女のいない男たち
村上春樹(Murakami Haruki
文藝春秋
2014年

『ドライブ・マイ・カー』
舞台俳優の男は運転手として雇った若い女に、亡くなった妻の浮気の話をする。女から浮気相手の男は大した男ではないといわれ、それが自分にも跳ね返ってくることに男はたじろぐ。

『イエスタデイ』
阪神タイガーズファンが嵩じて、東京出身なのに完璧な関西弁をしゃべる友人から、幼馴染みの自分の恋人とデートしてくれるように主人公は頼まれる。「文化交流みたいなかんじで」と、そんな変わった友人に言われて。そして16年が過ぎて、主人公は女と再会し友人の消息を知る。

『独立器官』
中年の独身の美容外科医は複数の女性とほとんどトラブルなくスマートに付き合って人生を謳歌してきた。ところが、どうしとことか男は恋に落ちてしまう。年下の人妻に入れあげ、恋煩いで食欲がなくなり痩せていく。独立器官とは、主人公が考える女性に具わっている器官のこと。

『シェエラザード』
隔離された男のもとに、世話係の女が日用品や食料品を買ってやってくる。女は男と交わったあとに毎回不思議な話をする、千夜一夜物語のシェエラザードのように。女は17歳のときに片思いの同級生の家に空き巣に入った話をする。続きは次の訪問のときといって、女は話を止めた。男は女がもう来なくなるのではないかと不安になる。

『木野』
妻に裏切られた木野は苗字と同じ店名のバーを開く。客がポツポツ来るようになり、ウィスキーを飲み本を読む男が常連になる。そんなある日、常連の男が木野に店を閉じて、店に近づかないようにと言う。木野は事情が飲み込めないまま、抜き差しならぬことが起こったと察し旅に出る。

『女のいない男たち』
真夜中に、男から電話がかかりその男の妻が自殺したと知らされる。女は主人公はかつての恋人だった。男は彼女が死んだと聞かされたことで、人生から付き合っていた頃が根こそぎ消えてしまったような気がしている。→人気ブログランキング

2014年4月18日 (金)

ヤンキー進化論―不良文化はなぜ強い 難波功士

著者は多岐にわたる資料をもとに、ヤンキーのルーツから最新動向までを、おもにファッションの視点から解き明かしている。

著者はナンシー関のヤンキーに関するいくつかのコラムの行間から、「ヤンキーの美意識はバッドテイストである」と一言でまとめている。このバッドテイスト(悪趣味)は、ヤンキーを語るときに必ず挙げられるキーワードである。
Image_20201110163901ヤンキー進化論

難波功士(Nanba Kouji
光文社新書
2009年 ✳︎10

著者がヤンキーの条件として挙げているのは3点。(1)階層的には下(と見なされがち)、(2)旧来型の男女性役割〈ジェンダー・ロール〉(男の側は女性に対して、セクシャルでありかつ家庭的であることを求める。概して早熟・早婚)、(3)ドメスティック(自国的)やネイバーフッド(地元)を志向。

階層については、ヤンキーの多くは現場仕事に従事する労働者、ないしは小規模な自営業者およびその後継者である。これらの仕事の志気の高さこそが、社会の安全と活力の基盤であることは間違いないとする。
労働者階級の矜持を論じることに、ヤンキー文化とは何かを考えることに今日的な意義があるとしている。

60年代までの不良・非行の意匠は、制服姿の「番長」「スケ番」、街にたむろする「愚連隊・チンピラ」「ズベ公」「太陽族・みゆき族」「フーテン」、戦後のアロハシャツからヒッピーまがいのサイケ、等で認識されていた。これらのうちには、ヤンキーは影も形もないとする。
著者がヤンキーのルーツと捉えているのは、60年代から70年代半ばまで横浜や東京を中心に流行したスカマンである。スカマンとは、ヨコスカマンボ族の略称。米軍の基地がある横須賀に関連がある以上、ヤンキー(Yankee)の言葉通りに、アメリカの影響を受けた不良文化がルーツであろうとしている。一説にある、ヤンキーの関西起源説に否定的である。

ナンシー関は日本人の5割はヤンキーとし、芸能界を支配する美意識の大部分がヤンキー的なものであることを指摘した。そして著者は、〈コアなヤンキーは減少したかもしれないが、・・・ヤンキー的な人・モノ・コト広がってしまった〉と憂慮をほのめかしている。

本書では、ナンシー関のバッドテイスト、ヤンキーの条件、ヤンキーのルーツ、ヤンキーの社会的意義、人を含めたヤンキー的なコトの広がりについて述べているが、著者が導き出した以上の仮説や論点はいずれもヤンキーを語るうえで、基調となっているのである。→人気ブログランキング

世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析/斎藤環/角川書店/2013年
ヤンキー進化論―不良文化はなぜ強い/難波功士/光文社新書/2009年

2014年4月16日 (水)

世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析 斎藤 環

著者は、不良文化にルーツを持つヤンキー美学が、どのようにして世間に広く浸透したかを、多岐にわたる資料をもとに分析を試みている。本書は第11回角川財団学芸賞を受賞した。
ナンシー関のヤンキーについてのコラムから、『ヤンキー進化論』の著者・難波攻ニは、「ヤンキーの美学はバッドテイストなもの」とまとめた。このバッドテイストは、ヤンキーを語るときに欠かせないキーワードとなった。本書では、『ヤンキー進化論』を部分的に追試し、そこに著者の専門である精神分析の手法が加味され、質の高いヤンキー文化論が展開されているといえる。須佐之男命を日本初のヤンキーと位置づける発想は、博覧強記の著者ならではであり、もはや縦横無尽である。
Image_20201119152601世界が土曜の夜の夢なら  ヤンキーと精神分析
斎藤 環(Saitoh Tamaki
角川書店  2013年

著者が繰り返し強調しているのが、ヤンキーの「気合」でありギャルの「アゲ」である。つまり、このふたつの言葉の意味するところは、内なるエネルギーで物事にぶつかれば何とかなるというヤンキーの体当たり至上主義を表している。
ギャルの美学の中心はアゲであり、アゲとは気分が高揚する、テンションが上がる、イケイケになることである。彼らはギャル・ファッションで武装することでアゲアゲになる、その一瞬こそが、「土曜の夜を煌めかせる」のだと書いている。本書のタイトルはここからつけられた。

著者がヤンキーを特徴づけるタームとして挙げているのは、バッドテイスト、気合、アゲのほかに、いびつな和洋折衷、地元ラブ、女性性、母親リスペクト、コミュニケーション力、ファンシー、反知性主義、保守志向、現実的などである。これらのうち、ヤンキーの本質が「女性性」であるという革新的なアイデアを提示のは作家の赤坂真理であると紹介している。

ヤンキーたちは関係性を大切にする。上下関係のみならず、異性との関係や、とりわけ家族を大切にする傾向がある。こうした関係性への配慮が、彼らを女性的に見せているのだという。

さらにヤンキー文化の根底には母性が存在するとしている。ヤンキーを女性性や母性との関連で見ると、これまでヤンキー文化に観察されてきた奇妙な現象について納得のいく説明をができるという。なぜヤンキーは女物のサンダルを履きたがるのか。なぜヤン車の中には様々なファンシーグッズが詰め込まれているのか。なぜヤンキーファッションにはかわいいキャラクターグッズが違和感なくなじむのか。なぜヤンキーはディズニーが好きなのか。といった疑問についての回答がえられるのである。

著者は、「ヤンキー文化=女性原理のもとで追及される男性性」、それに対として、「オタク文化=男性原理のもとで追及される女性性」と仮定してる。ヤンキー文化とは、男性原理の価値規範を、女性原理の方法論で伝達、拡散することによって、成り立ってきたのではないかと指摘する。この点は精神科医としての著者ならではの見解である。

著者は、ヤンキー文化の果たしている役割について、次のような達見を述べている。
〈わが国においては思春期に芽生えた反社会性のほとんどは、ヤンキー文化に吸収される。不良が徒党を組むさいに求心力を持つのは、ガチで気合の入った、ハンパなく筋を通す、喧嘩上等といった価値規範なのだ。
青少年の反社会性は、芽生えた瞬間にヤンキー文化に回収され、一定の様式化を経て、絆と仲間と伝統を大切にする、保守として成熟していくのである。われわれは全く無自覚なうちにかくも巧妙な治安システムを手にしていたのである。〉
ヤンキー文化が、青少年の反社会的な行動にブレーキをかける装置として機能しているという、著者のヤンキーに対する肯定的な見解は斬新であり、今後ヤンキーを語る上での重要な視点になるだろう。→人気ブログランキング

世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析/斎藤環/角川書店/2013年
ヤンキー進化論―不良文化はなぜ強い/難波功士/光文社新書/2009年

2014年4月14日 (月)

フード左翼とフード右翼 食で分断される日本人 速水健朗

著者は、『ラーメンと愛国』(20011年)で、ラーメンと日本文化について革新的な検証を行った。本書は、毎日繰り返される食と普段は遠いところにあると思われがちな政治とを、斬新な視点で結びつけた画期的な社会学のテキストである。
Image_20210123120501フード左翼とフード右翼 食で分断される日本人
速水健朗(Hayami Kenrou
朝日新書
2013年

フード左翼とは、野菜中心の低カロリーな健康食を嗜好し、安全のためにお金をかけることを厭わない人たちのことである。地産地消の地域主義で健康思考の側に立つ人たちをフード左翼と呼ぶ。
一方、フード右翼とは、安全や健康を度外視して安さと量を求める。結果として、メガ盛りを好みカロリオーバーの品目を愛する人たちである。ベジタリアンは左翼、ジロリアンは右翼ということになる。
フード右翼とフード左翼の対立軸のひとつは、競争原理が持ち込まれる大量生産・大量消費を選ぶか、大量生産を批判し食の安全性を追求するかである。

アメリカの低所得者に対して食料配給クーポン制度が行われているが、このフードスタンプを利用する負け組が購入するのは、低価格で高カロリーな食品である。アメリカのあとを追いかける日本が、同じ図式に向かっていることは否めないが、日本の場合は必ずしも単純ではないという。

例えば、食の安全を語ることで原発の賛否のスタンスが問われる。その論争は家庭内でも起こりうると指摘する。
また、右翼から左翼になり得ても、左翼から右翼にはなり得ないという。実際、著者は本書の執筆中にフード右翼からフード左翼にスタンスを変えたという。→人気ブログランキング

【食に関する本】
とことん!とんかつ道/今柊二/中公新書ラクレ/2014年
美食の世界地図  料理の最新潮流を訪ねて/山本益博/竹書房新書/2014年
フード左翼とフード右翼 食で分断される日本人/速水健朗/朝日新書/2013年
クスクスの謎―人と人をつなげる粒パスタの魅力/にむらじゅんこ/平凡社  新書/2012年
冬うどん 料理人季蔵捕物控/和田はつ子/ハルキ文庫  2012年
ラーメンと愛国/速水健朗/講談社現代新書/2011年
世界ぐるっと肉食紀行/西川治/新潮文庫/2011年
高級ショコラのすべて小椋三嘉/PHP新書/2010年
チョコレートの世界史―近代ヨーロッパが磨き上げた褐色の宝石/武田尚子/中公新書/2010年
グルメの嘘/友里征耶/新潮新書/2009年
吉田類の酒場放浪記/TBSサービス/2009年
古きよきアメリカン・スイーツ/岡部史/平凡社新書/2004年
食べるアメリカ人/加藤  裕子  /大修館書店/2003年
至福のすし「すきやばし次郎」の職人芸術/山本益博/新潮新書/2003年
フグが食いたい!―死ぬほどうまい至福の食べ方/塩田丸男/講談社プラスアルファ新書/2003年
カラ-完全版  日本食材百科事典/講談社プラスα文庫/1999年
インスタントラーメン読本/嵐山光三郎/新潮文庫/1985年
アメリカの食卓/本間千枝子/文春文庫/1984年

2014年4月10日 (木)

フェルメールになれなかった男 フランク・ウイン

本書は美術史上における最悪の贋作事件を引き起こしたハン・ファン・メーヘレンの半生を描いたノンフィクション小説である。美術界は贋作との戦いであり、その根絶は絶望的であることを知らしめている。

第2次世界大戦が終焉した1945年7月、オランダのファン・メーヘレンは、敵国ドイツのヘルマン・ゲーリングに絵画を売った容疑で国家反逆罪を問われ逮捕された。フェルメール作とされる「姦通の女」の売買証明書が提出できなかったからだ。この絵はさる貴族の婦人からファン・メーヘレンが極秘裡に売却を頼まれたものということになっていたが、実はファン・メーヘレンが描いた贋作であった。

Photo_20201104144801 フェルメールになれなかった男: 20世紀最大の贋作事件
フランク ウイン
小林賴子/池田みゆき 訳 
ちくま文庫 
2014年

ファン・メーヘレンは、キュビズムやシュールレアリズムなどの美術史の流れに逆らうようにヴァン・ダイク風の肖像画を描いていた。写実を追求する彼の絵は古典主義の寄せ集めと批判された。生まれた時代が悪かったのだろうか。

フェルメールの作品にはまだ発見されていない宗教画が何点かあるはずだというフェルメール作品待望論に、ファン・メーヘレンは目をつけたのである。
美術評論家や鑑定家を欺くためには、フェルメールらしい題材でなければならない。さらにキャンバス、絵の具は17世紀の物でなければならないし、作品が描かれてから300年が経過している経年的変化、つまりヒビ割れがなければならない。ファン・メーヘレンは、古い絵画の修復の仕事に携わっていたことがあった。また絵の具を原料から作り出す技術を、高校の美術クラブで身につけていた。さらに、彼は実験を重ねた結果、それらしいヒビ割れを作る老化技術を編み出したのである。
(左:姦通の女  右:エマオの食事)

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こうして怠りなく下準備をした後にファン・メーヘレンが描いた「エマオの食事」は、当時の高名な美術評論家が真作と褒め称えたのだった。その見立てに従った研究者たち、センセーショナルに煽り立てたジャーナリズム、そして美術コレクターや愛好家たちによって、「エマオの食事」はオランダの国宝級の作品に祭り上げられてしまった。
法廷で、ファン・メーヘレンは「エマオの食事」はじめとするいくつかのフェルメール作とされていた作品を、自分が描いた贋作であると証言した。しかしオランダ美術界はその自白を受け入れることができず、ついには、ファン・メーヘレン自身が法廷で贋作を描いてみせたのだった。

本書の序説では、本題とは別の、これも世紀の贋作事件と呼ぶにふさわしいヒェート・ヤン・ヤンセンの事件に触れている。
1994年、ヤン・ヤンセンはシャガールの贋作の来歴書にスペルミスをしてしまい、それが原因でフランス警察に逮捕された。
ところが絵画の所有者が名乗り出ず、裁判を開くまで6年もかかっている。贋作者が逮捕されても、贋作を所有している人物からの協力が得られないことが多い。その理由は所有者は本物と思っているか思おうとしているからである。贋作だとすればメンツが潰れる。あるいは贋作だとしてもその作品が気に入っている、という理由で名乗り出ないのである。
ヤン・ヤンセンは、ピカソやマチス、デュフィ、ミロ、ジャン・コクトー、カーレル・アベルなどの画家の作品を偽造したことを認めている。この事件で押収された作品は1600点であったが、それは彼が20年間に製作した贋作のわずか5%にすぎなかった。「ピカソの作品総目録を開くと必ずそこに私の絵が載っている」とうそぶいたという。

著者が紹介する、バルビゾン派の画家テオドール・ルソーの次の言葉は贋作についての象徴的な言葉である。「われわれはみな、見抜かれてしまう出来の悪い贋作についてしか語れないということを知っておくべきだろう。出来のよい贋作はいまなお壁にかかっているのだから」。→人気ブログランキング

消えたフェルメール/朽木ゆり子/インターナショナル新書/2018年
恋するフェルメール  37作品への旅/有吉玉青/講談社文庫/2010年
フェルメールになれなかった男  20世紀最大の贋作事件/フランク・ウイン/ちくま文庫/2014年
真珠の耳飾りの少女(DVD)
深読みフェルメール/朽木ゆり子×福岡伸一/朝日新書/2012年
フェルメール 静けさの謎を解く/藤田令伊/集英社新書/2011年
フェルメールからのラブレター展@宮城県美術館(2011.11.09)
フェルメール 光の王国/福岡伸一/木楽社/2011年

2014年4月 8日 (火)

アンディ・ウォーホル展 永遠の15分

3月○日(日) 

アンディ・ウォーホル展(2014年2月1日~5月6日 森美術館)は、ラファエル前派展の上の階でやっていた。
サブタイトルの「永遠の15分」とは、1968年にウォーホルが語った「未来には、誰でも15分間は世界的な有名人になれるだろう」からとったもの。真意はよくわからない。
会場はごった返していて、若者が多く、奇抜なファッションを身にまとった客もちらほらだった。

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ウォーホルは、はじめは工業デザインを手がけていて、やがてポップアートのパイオニアとして作品を生み出していった。さらに、音楽や映像の世界にも手を広げ、幅広い分野で活躍した。ビートルズと共に、1960年代に世界で最も影響力があったアーティストとされている。
作品は主にニューヨークのファクトリーと呼ばれるスタジオで作られた。ファクトリーには多くの有名な人物もそうでない人物も出入りしていた。というよなことが、パネルに書いてあった。

1968年、ウォーホルが40歳のときに、ファクトリーの常連だったバレリー・ソラナスに銃で撃たれ重態になった。
また、モデルのイーディ・セジウィックはウォーホルと親密な関係となったが、彼女がボブ・ディランとつきあったことで、ウォーホルとの関係が険悪となった。その後アルコールと薬物で心身ともにぼろぼろとなった彼女は、最終的に薬物の過剰摂取で自殺している。ふたつの事件は、『アンディ・ウォーホルを撃った女 』(1995年)、『ファクトリー・ガール』(2006年)というタイトルで、映画化されている。

例のキャンベルのスープ缶詰がいくつも並んだ様は壮観であり、その缶詰から一筋のスープが缶を伝って垂れているのを、ふむふむと思っって眺めた。さらにブリロの箱がそこかしこに置かれていて、この箱の中には実際に洗剤入りスチール繊維が入っているのか、空なのか、何か別の物が入っているのか、素材は何かと疑問が生まれたものの、監視員はあまりの混雑ぶりに殺気立っっていて、スマートフォンで撮影するルール違反者もいたので、訊こうにも訊ける雰囲気ではなかった。
次は、マリリン・モンローに始まる有名人の顔写真をシルクスクリーンに刷った版画が大量に展示されていた。

このあたりまでは、混んでるとはいえ、なんとか鑑賞できた。テレビ画面の白黒映画はチラリと見ただけ。
日本人のシルクスクーリーン版画も何点かあり、TDKのコマーシャルに出ていたウォーホルのスティール写真があり、日本と深い関係があったことがうかがわれた。

美術展のハシゴはきついなと思いつつ出口にたどり着いた。
フォーホルに限らず、現代アートを「おお、すごい」と思えるスイッチがどこにあるのか、相変わらず見つからなかった。
回顧主義のラファエロ前派と、時代の流れとともに前へ前へと突き進んだアンディ・ウォーホル、芸術に対する姿勢は対象的であった。芸術は回顧しようと前進しようと、時代の流れの中でしか成り立たないことを強く感じさせられた。→ブログランキングへ

2014年4月 7日 (月)

第七官界彷徨 尾崎翠

本作品は1931年に発表された。
1969年に、忘れ去られた作家の作品として、花田清輝と平野謙の推薦で『全集・現代文学の発見』第六巻に収録されたと、巻末の解説(菅聡子)で紹介されている。

赤毛の縮れ毛にコンプレックスを持つ主人公の町子は、炊事係としてふたりの兄と従兄とひとつの家で暮らしている。町子は詩人を志し、第七官界にひびくような詩をノオトにびっしり書こうと考えている。
第七官とは何かというと、人間の五感(官)のほか直感の第六感の次にある感覚のことである。町子自身はこの第七官がどような感覚なのかしかと掴んでいるわけではない。〈第七官というのは、・・・私は仰向いて空をながめているのに、私の心理は俯向いて井戸をのぞいている感じなのだ。〉と書いている。

Photo_20201208082501第七官界彷徨
尾崎 翠(Ozaki Midori
河出文庫
2009年

上の兄は精神医学を学び、下の兄は家の中で肥やしを煮詰めて肥料を作り、二十日大根の栽培や蘚(こけ)の恋愛の研究をしている。従兄は音楽学校の受験に失敗し再受験のための準備をしており、それぞれが学問に取り組んでいる。

著者は巻末で『「第七官界の構図」のその他』と題して、本作品の意図について述べている。その中で登場人物については次のように書いている。
〈どうかすると分裂心理病院に入院する資格を持ちそうな心理医者を登場させたり、特殊な詩境ををたずね廻っている娘や、植物の恋情研究に執心している肥料学生や、ピアノ練習のために憂愁に陥る音楽学生を登場させ、そして彼等の住む 世界をなるたけ彼等に適した世界にすることを願いました。・・・彼等の住むに適した世界とは、あながち地球運転の法則に従って滑らかに運転して行く世界ではありません。〉

こうした問題を抱えた登場人物たちが住む家は、煮詰める肥やしの臭いで息をすることもままならないときがあり、壊れたピアノの音がやかましい。そして、主人公と従兄は頻回に眠りに落ちる。
これらが簡素な文体で描かれることにより、より一層、第七官界という幻想的でままならない世界を作り出すことに成功している。→人気ブログランキング

2014年4月 3日 (木)

レッドカーペットで繰り広げられていたこと

今年の米アカデミー賞授賞式のTV放送を見ていて感じたことがあった。
会場に向かうレッドカーペットのところで、4人のインタビュアーが、着飾ったスターたちを待ち構えていてマイクを向ける。インタビュアーが早口に質問を浴びせると、スターはこれまた早口でジョークを交えて陽気に応える。それからお約束の衣装やアクセサリーのブランドを訊ね、終わりというのがインタビューの流れ。このやりとりをどこかで見たことがあるなと思ったら、ゲイ諸氏が出演するTVのバラエティ番組だった。

大げさな身振りや手振りといい、しゃべるテンポといい、気の利いたシャレといい、似ている。洗練されているようでどこか泥臭い、わざとらしくて、約束ごとで流れていくようなやりとりである。スターに上り詰めるには茨の道であっただろう。そこはゲイ諸氏とて同じ、艱難辛苦を乗り越えて手に入れたのが、フルメイクの術と立て板に水の話術だった。引き出しにはジョークがふんだんに入っていて、話の成り行きには臨機応変に対応できる。ゲイ諸氏はいつの間にかハリウッドを身につけていた。

スターたちのファッションは庶民とは何の関係もない事象のように思われがちだが、そうではない。蝶が羽ばたくとはるか彼方で竜巻が起こるバタフライエ・フェクトのように、有形無形でじわじわと庶民にたどり着き、流行となるのだ。

さて、授賞式の司会を務めた俳優でありコメディアンの女性には驚嘆させられた。彼女は、絶対にスカートをはかないという硬い意志がにじみ出たボーイッシュでシックな上下のスーツに身を包み、機転の効いた早口の話術で並み居る大物スターたちをからたったり持ち上げたりして、その度に場内には爆笑が起こった。50歳を少し超えたくらいのその女性をネットで調べると、同性の配偶者が明記されていた。

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式の合間には宅配ピザ配達人がピザを届けるオーマイゴッドの演出もあって、蝶たちがてんでばらばらに羽ばたくようなハリウッドの放つものすごいエネルギーに、ただただ脱帽してしまいました。→ブログランキングへ

2014年4月 2日 (水)

ラファエル前派展

3月○日(日)  

森ビル52階のラファエル前派展(2014年2月2日~4月6日 森美術館)に。
美術展は混みに混んでいて、多数が女性だった。
ラファエル前派の作品には、どこか少女趣味なところがあって、ハーレクイン社のロマンス小説のイメージが浮かぶ。

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ラファエル前派とは、イタリア・ルネッサンスのラファエロ以降の規範に縛られた美術からの解放を目指し、それ以前の素朴で真摯な画風を追求した集団のこと。1848年、イギリス王立美術学校の生徒だったダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、ウィリアム・ホルマン・ハント、ジョン・エヴァレット・ミレイの若者3人によって結成された。ラファエル前派(Pre-Raphaelite Brotherhood)という日本語は見た目もいいし響きもいいと思った。どういう画家たちのことだろうと、つい興味をそそられる。

当時のイギリスの高名な美術批評家ジョン・ラスキンはラファエル前派を高く評価したから、ラファエル前派は一世を風靡したような感じだ。どの時代も美術批評家が味方につくほど心強いことはない。

グループにはビーナスと呼ばれる女性ジルダがいて、よくある話だけれど、ロセッティとハントはジルダを争奪して仲違いした。
一方、ミレイはラスキンの妻エフィと恋仲になってしまい、相関図は入り組んでいる。
エフィは歳の差があったラスキンと離婚しすぐにミレイと再婚した。
回顧主義のラファエロ前派には次代に引き継がれるべき確固たる芸術理念があったわけではない。1850年代にはグループは消滅している。

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彼らは、シェークスピアの物語やアーサー王伝説、キリスト教やギリシャ神話にまつわる題材を選んだ。なかでも、有名なのはシェークスピアのハムレットからとった、ミレイ作のオフィーリア。川に身を投げたオフィーリアを描いたもの。ミレイは背景となる川に何度も出掛け木々や草花をこと細かに写生し背景を描き、ロセッティの妻となるジダルを浴槽に入れてオフィーリアを描いたという。
その緻密さは1800年代前半に実用化された写真に打ち勝とうとするかのようである。ラファエル前派の作品は、絵に込められた作者の意図が直接的で理解しやすい。

夏目漱石は『草枕』の中でこの絵に触れ、オフィーリアを土左衛門と表現して、何であんな不愉快なところを選んだのだろうと書いている。また映画『赤目四十八滝心中未遂』では、寺島しのぶ扮する綾がオフィーリアと同じポーズで川に身を投げるイメージの映像が出てくる。さらに、金鳥蚊取り線香のコマーシャルにカッパの着ぐるみを着たタレントが川を流れるシーンがあった。あれもオフィーリアを真似たのだ。→ブログランキングへ

このあと、上の階でアンディ・フォーホル展が待っているけれど、しばし展望室で休憩しよう。
眼下の東京は雨と靄で霞んでいた。

→【2015.08.18】英国の夢 ラファエル前派展@新潟市美術館

2014年4月 1日 (火)

世界クッキー 川上未映子

世界クッキーというタイトルには、あとがきによると、世界とクッキーを並べてみると言葉同士はどう思うのだろうという、言葉を擬人化したというか詩的というか、著者の独特の感性が込められている。
Photo_20201209123801世界クッキー
川上未映子(Kawakami Mieko)
文春文庫
2012年

著者は日常のふと気に留めながらも深く考えないで流してしまいそうなことを取り上げて、実はこういうことだったんだよと表現してくれる。
例えば『ホテルの内部』には次のようなくだりが。。
〈ホテルの部屋はいつも不思議な感じがするんだけれども、・・・ホテルというものがそもそも持っている哀しさのようなものが形を変えて、感情をぐらつかせるのです。〉ホテルに泊まると感じていた言葉にできなかったことを、ちゃんと言葉にしてくれて、そんなもんだなと納得させてくれる。
ひと言でぴしゃりと決めるのではなくて、ちょっと長めでじんわりと核心を知らしめるという感じである。このじんわり感が著者の魅力なのだ。なんとなく当たっている、そういう感じである。

巻末の初出一覧をみると、新聞が多く、その他いろいろで、どういう縁があったのかNikonの「My Pctures」にも多く書いている。
坪内逍遥大賞奨励賞(2007年)、芥川賞(2008年)、中原中也賞(2009年)、芸術選奨文部科学大臣新人賞(2010年)と立て続けに賞に輝いた著者の才能をがつんと感じさせてくれる。月並みな表現だが珠玉のエッセイ集である。→人気ブログランキング

乳と卵』(2008年 文藝春秋)→文春文庫
わたくし率 イン 歯ー、または世界』(2007年 講談社)→講談社文庫
オモロマンティック、ボム!』(新潮社文庫)
六つの星星 対話集』(2010年 文藝春秋)→文春文庫
世界クッキー』(2009年 文藝春秋)→文春文庫 
そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』(2006年 ヒヨコ舎)→講談社文庫

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