そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります(そらすこん) 川上未映子
本書は著者のブログ『純粋悲性批判』に掲載された文章をまとめ、2006年に出版された単行本の文庫化である。
女性性の視点でとらえ、といって決して媚を売るわけではなく、関西弁も交えた特異な文体を駆使し、なかには川上的造語があり、未完成ながらも自由奔放な発想が大いに魅力的な、詩およびエッセイ集。
そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります 川上未映子(Kawakami Mieko) 講談社文庫 2009年 |
なぜか、著者は、おなら、おしっこ、お尻、おっぱいなど、言葉を覚えたての幼児がことさら口にして意味もなく喜ぶ単語を何回か登場させている。それはプリミティブな学問の哲学に寄りそう著者の思考手順と根っこの部分でつながっているからではないだろうか。著者の文章には、書いていることがマイナスなことであっても、決してそのままネガティブな内容として伝わってこない、どこか温かみを感じる不思議さがある。
実は、単に子育て中だった。
著者は、方向音痴で片付けるの苦手でさらに病弱なところもあるようだが、つまづきながらも生き様をポジティブに捉え、容易に妥協しない姿勢が感じられる。なかには、身を切るようなテーマもあり、大丈夫かこんなにヒリヒリすることを書いてと思わせたりする。
本書に登場する作家は、武田百合子、野中ユリ、隅田川乱一、ランボオ、埴谷雄高、倉橋由美子、室生犀星、小島信夫、多和田葉子、尾崎翠など。著者は幻想的なテーマにシンパシーを感じるようだ。→人気ブログランキング
------
『フラニーとゾーイーやねん』には、サリンジャーの『フラニーとゾーイー』の会話を関西弁訳すると、生き生きすると書いている。
村上春樹は柴田元幸との対談集『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』(2003年 文春新書)で、『フラニー』を関西弁で翻訳してみたいと言っていて、発想のオリジナルは村上春樹である。川上未映子は実際に関西弁訳を試みている。
〈レストランでイライラしながらスノッブな彼氏に向かってフラニー、
「ちゃうねん、張り合うのが怖いんじゃなくて、その反対やねん、判らんかなあ。むしろ張り合ってしまいそうなんが、怖いねん。それが演劇部辞めた理由やねん。私がすごくみんなに認めてもらいたがる人間で、誉めてもらうんが好きで、ちやほやされるのが好き、そんな人間やったとして、そやからって、それがいいってことにならんやんか。そこが恥ずかしいねん。完全な無名人になる覚悟がないのが厭になったんよ。私も、ほかのみんなも、内心は何かでヒット飛ばしたいって思ってるやろ。そこがめっさ厭やねん」〉
村上春樹訳の『フラニーとズーイ』(2014年3月 新潮文庫)が発刊されたのは『そらすこん』のはるかあとなので、野崎 孝訳の『フラニーとゾーイー』(1976年 新潮文庫)と比較するのがいい。
「張り合うのが怖いんじゃないわ。その反対よ。分からない、それが? むしろ張り合いそうなのよ―それが怖いんだわ。それが演劇部をよした理由なの。わたしがすごくみんなから認めてもらいたがるような人間だからって、ほめてもらうことが好きだし、みんなにちやほやされるのが好きだからって、だからかまわないってことにはならないわ。そこが恥ずかしいの。そこがいやなの。完全な無名人になる勇気がないわたし、いやんなった。わたしもほかのみんなも、何かでヒットをとばしたいと思っているでしょ、そこがいやなのよ」。
ついでに、村上春樹訳とも比較してみよう。
「私は人と競争することを怖がっているわけじゃない。まったく逆のことなの。それがわからないの? 私は自分が競争心を抱くことを恐れているの。それが怖くて仕方がないわけ。だから私は演劇部を辞めちゃったの。私はまわりの人たちの価値観を受け入れるように、ものすごくしっかりいつけられてきたから、そしてまた私は喝采を浴びるのが好きで、人々に褒めちぎられるのが好きだからって、それでいいことにはならないのよ。そういうのが恥ずかしい。そいうのがたえられない。自分をまったく無名にしてしまえる勇気を持ちあわせていないことに、うんざりしてしまうのよ。なにかしら人目を惹くことをしたいと望んでいる私自身や、あるいは他のみんなに、とにかくうんざりしてしまうの」。
さらに原文では、
I'm not afraid to compete. It's just the opposite. Don't you see that? I'm afraid I will competeーthat's what scares me.That's why I quit the Theatre Department. Just because I'm so horribly conditioned to accept everybody else's values,and just because I like applause and people to rave about me,doesn't make it right.I'm ashamed of it.I'm sick of not having the courage to be an absolute nobody. I'm sick of myself and everybody else that wants to make some kind of a splash.
« 昨夜のカレー、明日のパン 木皿 泉 | トップページ | さよなら、オレンジ 岩城けい »
「エッセイ」カテゴリの記事
- 女たちよ! 伊丹十三(2020.06.21)
- 暇なんかないわ 大切なことを考えるのに忙しくて ル=グウィン(2020.04.09)
- サピエンスはどこへ行く(2020.10.30)
- 男も女もみんなフェミニストでなきゃ チママンダー・ンゴズィ・アディーチェ(2018.11.27)
- リムジン故障す(2018.11.09)