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2014年7月 7日 (月)

そばを打つ

だいぶ前からそばを食べ歩くようになり、そのうちにそばを打ちたくなった。そば打ちの手順は雑誌や本を読んで頭に入れている。水回し、のし、そば切りのコツは、そばを打ったことがない人に説明できるくらいに暗記している。2ヵ月前に郊外の大型ホームセンターに行ったときに、「そば打ちセット」が、そば粉つき、打ち方のDVDつきで売っているのをじっくり見ておいた。

そば打ちセットは、2万7千円である。椀は本物の漆塗りを揃えたいところだが、上級品は腕が上がってから手に入れるとして、この際てかてか光るABS樹脂製で妥協することにした。そばを包む紙は障子紙がいいそうなので、それも購入する。最近の障子紙は破ろうとしてもそうそう破れない強化障子紙が主流であるが、それではなくて舐めた指で突っつけば、穴が開くようなやわなタイプだ。そばを盛る一人前用のざるを5枚購入したし、タコ唐草模様のそば猪口は前から食器棚にある。水は前もって名水で名高い湧き水を汲んで備蓄してある。返しは2週前に作って寝かせているし、本わさびと辛味大根を売っているスーパーも調査済みだ。出汁用に、とびっきりの羅臼昆布も、まあまあの花カツオを揃えた。そば粉は通販で信州の老舗の製粉所から購入した。

さて、そば粉十割でいくか二八にするかだが、これが思案のしどころだった。そばを打つなら十割が本懐だが、難しいらしい。しかし二八じゃ、いかにも軟弱な気がする。悩んだ末に潔く十割でいくことにした。「そばを打つのに十割も二八もそう変わりませんよ」と、知り合いのそば職人が言ったからだ。

そば粉をコップに入れそこに水を入れても、そば粉は水に溶けない。つまり手を加えないとそば粉には水が染み込まないのだ。水回しとはそば粉に水を均等にいきわたらせ、そばの塊を作ることである。天候や気温で水の量を変えるというようなことが言われていて、そば打ちをするまでは大げさと思っていたが、これは本当である。数CCで水っぽくもなるし、乾き気味にもなる。だからそば粉と水の量は計量器で厳密に計っておく。

次は、そばの塊を麺棒で薄く延ばすのしの工程に入る。そばを細くするなら薄く延ばさなくてはならないが、妥協して中太にするなら多少厚くてもいいわけだ。そりゃあ、無論ぎりぎりの薄さに挑戦する。これがどういうわけかあっさり上手くいった。そして、そば切りは細心の注意で幅を極細にそろえる。家族の反応は「まあまあ食べられる」だった。

家族の評判が多少良かったのは初めのうちだけで、そのうちに、またそばなのか、うどん打ったら、スパゲティがいい、などと勝手なことを言うようになった。そして、台所が粉だらけになるとか道具が邪魔だとか、逆風が吹くようになった。そうした評判の悪さもあって、というより、もともと熱しやすく冷めやすい質なので、半年くらいでぱたりとそばを打たなくなった。

先日、久しぶりにそば打ちの道具を手にしたら、長さ60センチ直径3センチほどの麺棒がわずかに弯曲していた。これじゃあそばを打てないな。

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