名画で読み解く ロマノフ家 12の物語 中野京子
『怖い絵』で一躍脚光を浴びた著書の「名画で読み解く・・・」シリーズ第3段、ハプスブルグ家、ブルボン家ときて、今回はロシアのロマノフ家である。
![]() 中野京子(Nakano Kyoko) 光文社新書 2014年 |
ロマノフ家の呼称は、ロシアに移住したドイツの貴族の5代目ロマン・ユーリエヴィッチが、自らの名前をもとにロマノフ家と改名したことに始まる。16世紀はじめの頃である。
ロマノフ家の家督相続はすんなりいったためしがない。ロシアの最高権力者が、ある日突然失脚するパターンは、繰り返し行われていた。いつ引き摺り下ろされるかわからない、そんな疑心暗鬼な日々を送るなら、いっそ野心のありそうな相手は先に芽を摘んでしまうという発想は当然なわけで、権力の維持や継承に邪魔であれば、家族であろうと親戚であろうと、幽閉、シベリア送り、四肢切断、毒殺と手段を選ばなかった。
そんなロシアは、オーストリアやフランスなどの先進国にとっては、宗教的にも異なる、いつまでたっても垢抜けない野蛮な極寒地の三流国であった。
スペインのハプスブルグ家はいわば貴賎の婚姻を許さなかったゆえに、血族結婚を繰り返し跡継ぎが途絶えてしまった。
ロマノフ家の場合はこの点は実に大らかで、娼婦が玉の輿に乗って妃に登りつめ、さらに女帝となるという、ロシアン・ドリームが起こったのである。ピョートル大帝の妃マルタ(のちのエカテリーナ1世)の素姓は、そのような身分の女性だった。
だからこそ、エカテリーナ1世には日本からの漂流者・大黒屋光太夫の帰国を手助けしてくれるという、近所のオバちゃんのような面倒見の良さがあったわけだ。
ロシアの農奴制度は一部の貴族層に富が集中する仕組みになっていたので、ロマノフ家には金がたっぷりあった。ところが田舎者の汚名返上のためにヨーロッパの名家から妃を迎えようとしても、シカトされたり婉曲に断られたりする有様だった。
ピョートル大帝のヨーロッパ視察旅行では、美術品をごっそり買いあさり、それがエルミタージュ美術館の礎となっている。さらに、ドイツの画商がプロセンのフリードリヒ大王のために、225点もの絵画を集めたものの資金繰りがつかず、代わりにエカテリーナ1世が購入したものだから、大量の名画が非文明国ロシアに流れると抗議行動が起こった。ロシアも嫌われたものである。
後世にイリア・レービンによって描かれた皇女ソフィアの絵は凄まじい。姉弟の覇権争いに敗れ、ピョートル大帝に幽閉されたソフィアの姿は、首をやや反らせ憤怒に顔を膨らませ今にも怒号を発しそうである。見たことのある絵もない絵も、どことなく生々しい。それが今も昔もロシアにつきまとうイメージではないだろうか。→人気ブログランキング
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