ひきこもりはなぜ「治る」のか? 斎藤 環
本書は、ひきこもりに対しきちんとした理論的な裏づけのもとに、アプローチしようとするもの。ラカン、コフート、クラインらの理論を用い、ひきこもりを人間の発育過程から分析し、家庭における彼らへの対処法を述べている。ちなみに、ひきこもり専門医を自認する著者は、ひきこもりを病気ととらえていない。
![]() 斎藤 環(Saitoh Tamaki) ちくま文庫 2012年 |
大人であるということは、「自分の言動に責任をとれる」というのが一般的な見方であるが、精神医学的には、「コミニュケーション能力があり」かつ「欲求不満耐性がある」と考える。
アメリカでは、親は子供に言葉で愛していると言うが突き放す。日本では、小言を言いながら抱きしめている。アメリカと日本とでは逆であるが、ダブルバインドという状況には変わりない。
家の中に成熟した子供がいるというのは日本では珍しくないことであり、こうした日本の状況は子供が適応に失敗すると、不登校やひきこもりが起こりやすい。
しかし、ひきこもりを家庭が拒否すれば、ヤングホームレスとなり、アルコール中毒やドラッグ中毒になっていく。それがアメリカやヨーロッパ社会である。イタリアは日本に似ているという。どちらもマザコンの国である。
厚労省が定義するニート年齢は、15~34歳である。日本は若者に過度な自立性を求めていない、これは評価できるという。
ひきこもりになることが、メリットかデメリットかといえば、社会的にはメリットであると著者は考えている。若者が社会的弱者である今日において、いわばセーフティネットであるという。
ひきこもりを持つ家族は、常識や先入観を一旦ご破産にする必要がある。
ひきこもっている本人にとっては、家族関係イコール生活環境である。極端なことを言うと、安心してひきこめる環境を作ることが重要であるという。
子供がひきこもっている家庭では、いずれ追い出されるとおびえる本人と、ずっとすねをかじられると怯える親という組み合わせが、一番ありふれたパターンであるという。
まず、親が変わらなくては話にならない。親としての沽券は捨て、上から目線を止める。家族関係だけでは、ひきこもりの攻撃性の温床になりかねない、第三者を入れることが望ましい。暴力に暴力では向かわない。
試みる価値のあることは、挨拶、誘いかけ、お願い、相談、ちょっとした会話でも大事にすること。こうしたことはお祈りのようなもの。
祈りは通じないことが多いが、腫れ物に触れるが如く、同居者に低姿勢になれという。トラップをしかけない、正論より思いやりと共感、それでいて相手につけあがらせない毅然とした態度、それがひきこもりを導ていく方法だという。→人気ブログランキング
『世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析』斎藤 環/角川書店/2013年
『ひきこもりはなぜ「治る」のか?』斎藤 環/ちくま文庫/2012年
『生き延びるためのラカン』斎藤 環/2012年
『関係する女 所有する男』斎藤 環/2009年
『母は娘の人生を支配する なぜ「母殺し」は難しいのか』斎藤 環/2008年