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2014年10月

2014年10月30日 (木)

諸橋近代美術館

10月〇日(日) 

諸橋近代美術館は、裏磐梯スキー場の近く国道459号に面している。
門をくぐると、せせらぎが光を反射させて流れていて、その向こうに池があり、さらにその奥にヨーロッパの風情が漂うシックな美術館が建っている(→http://dali.jp/)。

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諸橋近代美術館の成り立ちをパンフレットなどから抜粋すると、郡山市に本社があるゼビオ株式会社の初代社長・諸橋廷蔵氏(1934~2003年)が、サルバトール・ダリの作品にいたく感激し個人的に蒐集を始めたことが発端である。本美術館は1999年に開館されている。
なおゼビオはスポーツ用品やアパレルの小売業者で、日本全国に122店舗を展開するという。

音声ガイダンスが無料だった。
館内にはどことなく温かみを感じる。ここを訪れたのは3回目。
4つの展示室の手前に、数々の彫像が置かれた広い展示室があり、そこはカメラ撮影が自由である。さらに許可を取れば彫像に触ることも可能なので、視覚不自由の方々がガイドの指示に従って白い手袋を着けて彫像に触れていた。

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ぐにゃりと曲がった時計の「時間の持続」や、脚が節足動物の脚のように細くて長い「宇宙象」や、胸や腹や膝そして額が引き出しになっている「引き出しのあるミロのヴィーナス」など、わかりやすい彫刻は見ていて楽しい。

ダリ(1904~1989年)は同じスペイン出身のパブロ・ピカソの影響を受け、フェルメールを神とたたえ、妻ガラをこよなく愛したという。
ジョルジュ・デ・キリコ(1888~1978年)の影響も強く受けている。

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ダリの作品はまさに夢の世界を感じさせてくる。
シュルレアリズムの親玉アンドレ・ブルトンから睨まれパージされ、また、他のシュルレアリストからは商業主義に走っていると非難されたというが、ダリの作品はわかりやすいところがいい。ダブルイメージやだまし絵の意図するところを説明されれば、すぐになるほどと思う。
「ビキニの3つのスフィンクス」は、太平洋戦争における原爆投下、ビキニ環礁での水爆実験に抗議した作品だという。アインシュタインとフロイトの往復書簡から想起されたイメージに基づき作品が描かれたという。ダブルイメージと騙し絵の要素を持つこの作品には、雲と木立の葉のなかにふたりの横顔が描かれている。

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なんと言っても、大作「テトゥアンの大会戦」(3m×4m)は迫力があった。ただ、尊敬するフェルメールを崇めて描いたという中央上の椅子の脚が、どうフェルメールにつながるのか理解できなかった。

2014年10月27日 (月)

ヒロ子さん

券売機の前で食券を買っている数人のうちの誰かが、ヒロ子さんと呼んだものだから、車椅子に座ったヒロ子さんは、わたしと同じ名前だわと目を輝かせた。
高速道路のサービスエリアの食堂は昼時なので混み合っている。
車椅子のヒロ子さんは、介護施設利用者と思われる15名ほどの一行とともにテーブル席についている。介護施設利用者つまり老人たちのテーブルには、お茶だか水だかが入った紙コップが人数分おかれている。

水色の半袖のポロシャツを着た3人の介護人が、カウンターから出てくる注文品を運んできては老人たちの前におく。デジタルカメラでスナップ写真を撮ったり、注文品を食べやすい位置におき直したり、こぼした水を拭いたり、話しかけたりと、世話を焼いている。

ヒロ子さんは、自分より先に他の老人たちの注文品が運ばれてきたのが気に入らない。ソースカツ丼を頼んだのにとぶつくさ言っている。
ヒロ子さんの向いの席の比較的若い、とは言っても老人であることに違いはない大柄な女性にソースカツ丼が運ばれてきて、ヒロ子さんはそれは私の注文したものだと主張する。大柄な女性は、ミニサイズだから私が注文したのよと穏やかに言う。
ヒロ子さんが頼んだのは普通サイズでそれが後回しになっている。

ヒロ子さんの隣の車椅子に座った小柄で覇気がないカヨさんには、介護人がなにかと声をかける。カヨさんは、坐高が低すぎてラーメン丼の中に箸が届かない。ヒロ子さんは、介護人がカヨさんのためにラーメンを小鉢に取り分けてやったのが面白くなくて、ふんと鼻を鳴らした。

やっと運ばれてきたヒロ子さんの普通のソースカツ丼は、ミニの3倍もある。
ヒロ子さんはその量に満足げで、すごいでしょと言っても、周りは取り合わない。食べ始めるとソースが足りないと言い出す。ソースソースソースと介護人に向かって叫ぶ。介護人はヒロ子さんを無視し、順番どおり別の老人のそばセットを運んだりする。そのあとでソースをカウンターから持ってきて、ヒロ子さんに手渡す。
ヒロ子さんがドバドバドバとソースをかけ過ぎなくらいにかける。ところが、ソースに浸ったカツを小皿にのけて、カツの下に敷いてある千切りキャベツとその下のごはんを箸でつまんで口に運んだ。

ヒロ子さんはいっぱしの化粧をしている。白髪が多いがショートカットの髪は切りそろえられていて、眉を細く長めにひいて、口紅も光っている。いかんせん、肌はシワだらけでたるんでいるからどうなっているのかよくわからない。身なりが整っているので金持ちなのだろう。だがらわがままで横柄なのだ。

皆がおおよそ食べ終えたころ、ヒロ子さんの小皿には積み重ねられたソースに浸ったカツがそのまま放置され、介護人は残すのと訊く。ヒロ子さんが旨くないだの硬いだの量が多いだのと言うが、介護人は取り合わない。
介護人は食べ終わった皆のトレイと紙コップを片付けていく。テーブルの上に何もなくなったところで、介護人がごちそうさまをしますと言うと、老人たちは手を合わせて、ごちそうさまでしたとばらばらにぼそぼそと言う。

そして一同が食堂から退散し始める。
いつになったら全員が食堂からいなくなるのかとほかの客が見守る中、介護人たちは老人たちを急かせるでもなく淡々と仕事をこなす。ヒロ子さんは車椅子を介護人に押してもらっていて、なんだかんだと言っているが、介護人は取り合わない。

2014年10月24日 (金)

書くことについて スティーヴン・キング

含みのある比喩を多用するするキングの文章作法がぎゅうぎゅうに詰まっている。無駄な副詞は排除がキングの文章スタイルであるという。
本書のはじめの部分は、キングの幼いころから『キャリー』が売れるまでの悪戦苦闘の日々を綴ったメモワール(履歴書)で、中ごろ以降は文章読本になっている。
特筆すべきは、本書の執筆中に日課の散歩に出かけたキングは車にはねられ瀕死の重態となったこと。無事生還するのだが、文章読本を執筆中に死にかけたのは、世界広しと言えども私だけだろうと述懐している。そして、リハビリに耐えながら本書を仕上げたというから、ありがたみが増す。
Image_20201209110901書くことについて
スティーヴン・キング(田村義進 訳)
小学館文庫
2013年7月

著者の助言をいくつか挙げると。。
無駄な副詞は極力使うな。
手垢にまみれた直喩や暗喩は切って捨てる。
狂ったように走った、夏の日のように美しい、ひっぱりだこの人気など、書かないほうがましだ。
自動詞を使え、他動詞を使うと格調が高くなるというのは間違い。
日本語でいうと受動態の文章を書くなということ。他動詞を使うのは責任を逃れていると言いたいのだろう。
文章を読んでいることを忘れさせる文章を書け、必然的に文章は短くなる。
会話はを説明する言葉は、”言った”がいちばんいいという。

第一次稿を書いたあと、読み直して象徴的なものを見つけることがあるという。例えば処女作の『キャリー』であれば「血」である。もちろん第一次稿を書いているときに、「血」を意識していたわけだが、二次稿ではテーマの「血」をより磨き上げていく。
なお、第一次稿を書き上げたあと、原稿を机の中にしまい込んで1か月間放置するとのこと。もちろん、あくまでキング個人の小説作法である。
本書の「書くことについて」の項は、書く者にとって是非知っておきたい、秘伝が披露されている。

巻末には、2001年から2009年にかけて著者が読んだ本からベスト80冊が掲載されている。→人気ブログランキング

ファインダー・キーパーズ
ミスター・メルセデス
ジョイランド
11/22/63
ダークタワー IV1/2 鍵穴を吹き抜ける風
ダークタワー IV 魔道師と水晶球 下
ダークタワー IV 魔道師と水晶球 上
ダークタワー III 荒地 下
ダークタワー III 荒地 上
ダークタワー Ⅱ 運命の3人 下
ダークタワー Ⅱ 運命の3人 上
ダークタワーⅠガンスリンガー
書くことについて
ミザリー
キャリー   キャリーDVD
幸運の25セント硬貨
ビッグ・ドライバー
1922
第四解剖室
神々のワード・プロセッサ
夕暮れを過ぎて
いかしたバンドのいる街で
スタンド・バイ・ミー(DVD)
ジェラルドのゲーム
ドランのキャデラック

 

2014年10月20日 (月)

郵便配達は二度ベルを鳴らす ジェームズ・M・ケイン

1934年発表されたジェームズ・M・ケインの初の作品。邦訳6回、映画化7回という世界的ベストセラーのノワール小説である。このたび、新訳が、ケインの遺作『カクテル・ウェイトレス』の翻訳本と期を同じくして出版された。
Photo_20220128143601郵便配達は二度ベルを鳴らす
ジェームズ・M・ケイン(田口俊樹訳)
新潮文庫 
2014年

刑務所に出入りをくりかえす文無しのフランクは、カリフォルニアの安食堂に転がり込む。ギリシャ人のニックと妻コーラが経営する食堂には、ガソリンスタンドとモーテルが併設されている。フランクはお人よしのニックに気に入られ、修理屋として住み込むことになり、コーラとは深い仲になってしまう。

コーラは田舎の高校の美人コンテストで優勝してロサンゼルスに出てきて、最初はちやほやされたものの、田舎娘の行き着くところは結局は食堂のウェイトレスだった。そして、ある時ニックに言い寄られて結婚した。

コーラはチビで太っちょのニックに我慢できなくなったという。コーラは夫殺しをフランクに持ちかける。
1度目は失敗するものの、交通事故死を偽装した2度目は成功する。
ふたりが殺人容疑で逮捕されるのは想定内だった。ところが、警察の尋問に苦戦すると思いきや、辣腕の弁護士のおかげで、起訴をまぬがれふたりとも釈放される。しかも保険金1万ドルを手にするのである。

コーラは引き続き食堂を経営して地道に生きて行こうとするが、フランクは食堂を売って旅に出ようと提案する。この意見の違いが結末の悲劇を招くのである。

1934年発刊であるが、古さはまったく感じなかった。
洗練されているストーリーとは言い難いが、その泥臭さが魅力なのだ。
ところでタイトルの「郵便配達は二度ベルを鳴らす」であるが、郵便配達員がどこかで絡んでくるだろうと読み進むが、登場せずに物語は終わってしまう。解説によると、友人との会話のなかで、友人が使ったこのフレーズを著者が気に入りタイトルに採用したという。→人気ブログランキング
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カクテル・ウェイトレス』ジェームズ・M・ケイン  新潮文庫  2014年
郵便配達は二度ベルを鳴らす』ジェームズ・M・ケイン 新潮文庫  2014年

2014年10月18日 (土)

オルセー美術館展@国立新美術館

10月〇日(日)

オルセー美術館の歴史は新しい。
ルーブル美術館などいくつかの美術館に散在している19世紀から20世紀はじめの作品を、ひとつの美術館に集めようという構想が、フランスで1973年に始まった。その構想はジョルジュ・ポンピドゥ、ジスカール・デスタン、ついでフランソワ・ミッテランの3代の大統領に引き継がれ、1900年のパリ万博で建てられ老朽化したオルセー駅を改築して、1986年12月にオルセー美術館が誕生した。

10時ちょっと過ぎに入ったものの、うんざりするくらい混み合っていた。連休であるし、今週いっぱいで終了するからだ(2014年7月9日~10月20日)。同じ理由で駆けつけたわけだけれど。。

マネを通して印象派を俯瞰しようという企画である。監修は島田紀夫。(→『セーヌ川で生まれた印象派の名画』)
目玉の作品はマネの『笛を吹く少年』。キャッチコピーは、世界一有名な少年。『笛を吹く少年』で始まり、『アンリ・ロシュフォールの逃亡』で締めくくっている。『笛を吹く少年』は奥行きがなく扁平の駄作と酷評されたという。

印象派に影響を与えたバルビゾン派のミレーの『晩秋』も今回の話題の作品である。
『晩秋』は実家の八畳間の鴨居の上に飾られていたから、ほぼ毎日目にしていた。風邪で寝込むと一日中眺めていた。何かを語りかけてくるようで、本物は迫力がある。

第1回印象派展は1か月間開かれたものの、訪れた人はたった3000人、観覧中に大声をあげる人や罵声を放つ人もいたという。それほど評判が悪かった。
マネは、問題作を次々に描いた印象派の中心に位置する人物であるが、印象派展には一度も出品していないというのは、驚きである。

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この他、目を引いたのは、モネの大作『草上の昼食』である。この大作は大家に家賃の方に取られ、買い戻したときには傷みが酷く、痛んだ所を切り取って残ったのは縦長の部分と正方形の部分に分かれてしまったという。
印象派と対立するアカデミズムのアレキサンドル・カパネルの『ヴィーナスの誕生』は何とも大胆な構図で、当時サロンに絶賛されたそうだ。
『サン・ラザール駅』(モネ)は、近代化の息吹がキャンバスから溢れ出ている。
最後の部屋に展示されていた『アンリ・ロシュフォールの逃亡』は、印象派の行く末を暗示させる、物語性たっぷりの作品であった。
 
アンリ・ロシュフォール(1831-1913)は、1868年に反体制新聞「ラ・ランテルヌ」を創刊したり、1871年に起こったパリ・コミューンでも活躍し、1873年にニューカレドニアに国外追放となった。
1874年に、4人の仲間とともに月夜に小舟を使ってここから脱出し、オーストラリアの船で米国に渡った。画面の高い位置の水平線にかすかに見えるのがオーストラリアの船である。よくみると小舟には5人乗っていて、こちらを向いている人物はマネであるとされている。風刺画のような作品である。

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なお、本展覧会のサイトに掲載されている「相関図」は、印象派を中心とした画家たちの関係がわかりやすいイラストになっている。http://orsay2014.jp/highlight.html

ごった返すグッズ売り場を人をかき分け通り抜け、展示室から脱出した。そう、「脱出」という言葉がふさわしいくらい混んでいた。

美術館内にあるカフェ、カフェ・コキーユで、トマトジュースとグレープフルーツを混ぜたサンセット420円を飲んで、一休みする。トマトとグレープフルーツが個性を互角に主張するジュースであった。
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2014年10月16日 (木)

8月の家族たち

のべつ毒舌を吐く煮ても焼いても食えない母親を演じるメルリ・ストリープと、母親を何とか従わせようとするこれまた強烈な性格の長女を演じるジュリア・ロバーツのやり取りが凄まじい。
ピューリツァー賞を受賞した戯曲を映画化したもの。母娘喧嘩は『バージニア・ウルフなんか怖くない』の夫婦間の壮絶な言い争いを彷彿とさせる。アカデミー賞主演女優賞にメルリ・ストリープが、助演女優賞にジュリア・ロバーツがノミネートされた。
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監督:ジョン・ウェルズ
脚本:トレイシー・レッツ
原作:トレイシー・レッツ
音楽:カーター・バーウェル
アメリカ 2013年 121分

灼熱の日が続く8月、オクラホマ州の田舎町に暮らす老夫婦の妻バイオレット(メルリ・ストリープ)は口腔癌を患い、医者から処方された薬で依存症になっている。夫のビバリー(サム・シェパード)はアルコール中毒で、二人の仲は最悪の状況にある。
ビバリーは妻の面倒をみるネイティブ・アメリカンのジョナを住み込み家政婦をして雇う。何もかもが気に入らないバイオレットは、ジョナをインディアンと呼んで侮蔑するが、ジョナはいたって冷静である。
ジョア役は『フローズン・リバー』でシングルマザーを好演したミスティ・アップハム。

何の前触れもなくビバリーが行方不明となり、知らせを聞いて夫婦の3人の娘が訪ねてくる。
長女バーバラ(ジュリア・ロバーツ)は夫と別居中で、14歳の娘の反抗に手を焼いている。次女は独り身でなにやら訳ありの恋愛をしている。三女は胡散臭い婚約者を連れ現れる。

そしてビバリーが水死体で発見される。
葬式の夜、バイオレットの妹も加え家族一同が顔を合わせる晩餐が始まるが、詮索好きのバイオレットによって、それぞれが抱える問題が明るみに出されていく。

何も解決されず、娘たちはほころびを抱えたまま、母親を残して実家を去っていく。最後まで、冷静さを失わないのはネイティヴ・アメリカンのジョナだけである。

灼熱の8月という設定が、崩壊されつつある家族たちの解決されない苦悩をことさら煽っている。→人気ブログランキング

2014年10月14日 (火)

カクテル・ウェイトレス ジェームズ・M・ケイン

主人公ジョーンが回顧する設定で一人称で書かれているので、読者はこの女性の目を通してストーリーを知らされる。この点が本書のキーである。
Image_20201216094801カクテル・ウェイトレス
ジェームズ・M・ケイン(田口俊樹訳)
新潮文庫 
2014年

泥酔して車で壁に激突して亡くなった夫は、ジョーンにも息子のタッドにも暴力をふるう飲んだくれの、どうしょうもない男だった。未亡人となった21歳のジョーンは、3歳のタッドを抱え生活費を稼ぐために、レストラン「バラの庭」で、ホットパンツを履いてブラウスの上のボタンを外して給仕するカクテル・ウェイトレスとして働くことになる。

ジョーンは問題を抱えている。
若い刑事が彼女を夫殺しの容疑でつけまわしていること。夫の収入がなかったせいで、電気もガスも電話も止められていること。タッドを亡くなった夫の姉に預けているが、タッドを自分のものにしようと、義姉はジョーンに養育の能力がないことを裁判所に認めさせようと企んでいることである。

若くて美人で色気たっぷりのジョーンは、「バラの庭」に勤めたその日に、大金持ちのやもめ老人の気を引いてしまう。狭心症を抱える老人は、医者から結婚生活は無理と忠告されているが、二人は結婚にこぎつける。老人はジョーンにぞっこんで、性的に結ばれたいと思っているが、ジェーンは触れられることすら我慢しているのである。

作中に登場するジョーンの弁護士の言葉を借りれば、ジョーンは金鉱探し(ゴールドディンガー)、つまり金目当ての結婚を画策してまんまと成功したわけである。さらに、彼女は一度関係を結んだ若いトムのことが忘れられないでいる、どう見てもしたたかな悪女(ファム・ファタール)である。
そして、ジョーンの狙い通り老人は発作を起こし死んでしまい、ジョーンは広い屋敷と遺産を自分のものするのである。
マスコミは夫殺しのスキャンダルを連日書き立て、ジョーンは世間を敵に回してしまうのである。

結婚はジョーンが望んだものではなく、ひとえに老人が熱望した結果であり、狭心症の発作も彼女の忠告を無視し老人が無謀な行動に出た結果であると語られるが、ジョーンが微妙にニュアンスを変えているかもしれない。ジョーンに騙されているようにも思え、心地の悪い違和感が残る。
それが著者の目論見だと思う。→人気ブログランキング

カクテル・ウェイトレス』ジェームズ・M・ケイン  新潮文庫  2014年
郵便配達は二度ベルを鳴らす』ジェームズ・M・ケイン 新潮文庫  2014年

2014年10月12日 (日)

『セーヌ川で生まれた印象派の名画』 島田紀夫

セーヌ川は、海抜471mのサン・セーヌ・ラベイを源にし、フランスの国土を西北にいき、パリの街を流れ、英仏海峡の町ル・アーヴルとオンフルールの間のセーヌ湾に注ぐ全長776kmのフランスを象徴する大河である。

セーヌで生まれた印象派の名画 (小学館101ビジュアル新書)
島田紀夫(Shimada Norio
小学館101ビジュアル新書
2011年11月 ★★★★

1874年に始まった印象派展は、1984年まで8回開かれている。
サロンと呼ばれる官展の権威主義に反発して、モネ、ピサロ、ルノワール、ドガ、セザンヌ、モリゾ、シスレーなどが自分たちで組織した展覧会だった。
しかし、第5回展が開かれた1880年になると、仲間の結束が緩み始め、ルノワール、モネ、シスレーらがサロンにも出品し始めたという。理由は、官展での売り上げが印象派展での売り上げの10倍であったこと、審査をしない印象派展にはヘボ絵描きたちがわれ先にと出品し、それに彼らは嫌気がさしたという。印象派展がその程度のものとは驚きである。

印象派の絵画はふたつのグループに分けられる。
自然の記録「風景画」と文化の観察「風俗画」である。本書には、風景画のうち、セーヌ川を描いたもの、あるいはセーヌ川にまつわる作品が取り上げられている。セーヌ川の上流から徐々に下って作品が紹介されていく。

セーヌ川の河口の港町ル・アーヴルを描いたモネの『印象、日の出』(1873年)は、最初の印象派展に出展され、新聞で酷評された作品である。当時この作品のタイトルを取って、グループを揶揄する意味で印象派という呼称が用いられたのである。

印象派の支援者だった小説家のゾラは、印象派の作品に対し手厳しい批判を行った。「印象派は先駆者にすぎず、新しい方法を主張する傑作は見出せない」と。印象派の次につながるのが、抽象画の方向であるとすれば、写実主義を貫くことは、ゾラが指摘したように必ずしも印象派のゴールに近づくものではなかった。
その点で、印象派の初期の方向性を追求し続けたシスレーは、さほど評価されていない。印象派の初期の方向性とは、自然をあるがままに感じたままに描くという手法である。ピサロの評価が低いのも同じ理由による。

古い体質のサロンに抗ったこと、フォビズムやキュビズムなどの抽象画への橋渡しとなったこと、この2点が絵画史における印象派の位置付けであるという。本書はセーヌ川を描いた印象派の作品を通して、印象派の絵画史における意義を論じている。→ブログランキングへ

2014年10月10日 (金)

世界の野菜を旅する 玉村豊男

食の大国フランスへの留学経験がある著者は、野菜のルーツを求めて旅し自ら野菜を栽培し資料を渉猟して、野菜と食に関する薀蓄が満載された本書を書いた。
伝わってきた穀物や野菜によって、その土地の文化や歴史が、それまでとはまったく違ったものになってしまうことがある。例えば、わが国が瑞穂の国となったのは大陸からの渡来人がコメを持ち込んだおかげであるし、戦後にパン文化が広まったのはアメリカ政府の強引な小麦販路拡大政策のせいである。
穀物や野菜を通して歴史的な出来事を見ると別の視界が開けてくるのである。
Image_20201213134001 世界の野菜を旅する
玉村豊男(Tamamura Toyoo
講談社新書
2010年

本書に書かれている野菜にまつわる歴史的な出来事を挙げると、
ジャガイモがヨーロッパにもたらされたのは、1532年にスペインのフランシスコ・ピサロたちがペルーを征服したときである。持ち帰ったジャガイモが教皇に献上された。ジャガイモは貧者のパンと呼ばれ、飢饉をのり越えるための救荒作物として、ヨーロッパからスカンジナビア、イギリスやアイルランドに広がっていった。
ヨーロッパにおいてベト病がジャガイモを襲い飢饉が起こった1845年からの7年間で、アイルランドでは150万人が餓死し、150万人がアメリカに移住した。アイルランドが麦の栽培を止めて、主食をジャガイモに切り替えたことが悲劇につながったという。

コロンブスがコショウを求めてカリブ海に迷い込み、インドと思って先住民をインディアンと呼び、さらに、トウガラシをコショウと信じ込み、食物史における大間違いを犯してしまったというのは有名な話である。ちなみに、トウガラシが原料なのに九州特産の柚子コショウが柚子トウガラシと呼ばれないのは、コロンブスのせいである。柚子コショウの方がネーミングとして魅了的ではある。
ヨーロッパがコショウ、グローブ、ナツメグ、シナモン、クミン、カルダモンなどの香辛料を必要としたのは、肉の保存ためだった。著者は、香辛料をまぶした腐りかけたジビエのえも言われぬ旨さが、貴族たちを魅了したのではないかという。

17世紀にh入り、西インド諸島でサトウキビから砂糖が作られるようになり、その砂糖がヨーロッパに持ち込まれ、最後はデザートにするというフルコースの順番が確定したという。ちなみに、デザートはサービスするの反対語で、テーブルの上のものをすべて下げる行為をいう。これで前半戦は終わり、ここからお待ちかねの後半戦という区切りの意味する言葉。
西インド諸島でサトウキビ栽培や砂糖生産に、アフリカから1000万人もの黒人が奴隷として送られた。これが、アメリカ大陸にその後も続く奴隷制度の悲劇をもたらしたのである。
ヨーロッパでは、地中海周辺の南の地域でしかサトウキビは栽培できなかった。ナポレオンが甜菜糖(ビーツ)に目を付け、フランスで甜菜糖の栽培に成功し砂糖を作ることができるようになり、砂糖の値段が下落したという。さらに、ナポレオンが戦争のための食料の保存法に懸賞金をかけ、缶詰が開発されたという。ナポレオンは食の歴史にも大きな足跡を残していた。
とういうような蘊蓄が、たっぷりと書かれている。→人気ブログランキング

『学校は食卓である』玉村豊男 講談社新書 2010年
世界の野菜を旅する』玉村豊男 講談社新書 2010年
『料理の四面体』玉村豊男 中公文庫 2010年

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2014年10月 8日 (水)

飛べ!ダコタ

映画の撮影が始まるまで、ダコタ不時着の史実を多くの佐渡島民が知らなかったという。それを日本中に知らしめたことだけでも、この映画が作られた意義は大きいと思う。
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監督:油谷誠至
脚本:安井国穂/友松直之/油谷誠至
音楽:宇崎竜童
主題歌:石井里佳 「ホームシック・ララバイ」
日本 2013年 109分

今年9月に佐渡へ行った。佐渡出身の友人が手配してくれたワゴンタクシーに乗り、運転手の男性の薀蓄たっぷりのガイドで島を巡ったが、佐渡には優良観光スポットがたくさんあって、1日ではとても回り切れないことがわかった。佐渡は歴史エピソードだらけの島だ。現在、佐渡金銀山の世界遺産登録を実現させようと関係者が懸命に準備をしている。トキが舞う島は登録されれば大勢の観光客で賑わうだろう。ただし、トキには島民もそうそう遭遇できないとのこと。

 太平洋戦争が終わって5カ月経った1946年1月、イギリスの飛行機ダコタが佐渡の高地村の海岸に不時着する。上海の領事と秘書たちを乗せて東京へ向かう途中エンジントラブルを起したもので、幸い乗組員5人は無事、飛行機の破損も致命的ではなかった。

村長(柄本明)は、自らが経営する旅館にイギリス人を宿泊させようと提案するが、反対意見が出る。
とは言え、イギリスは占領軍の一員だから、助けなければ報復されるかもしれないという意見も出た。高地村の人間なら困っている人の面倒を見るのが当たり前、という意見に落ち着いた。

イギリス人に積極的に近づこうとしたのは、村長の娘・千代子(比嘉愛未)をはじめ若い女性たちであった。なにしろ彼女たちは、刺激の少ない村の生活に飽き飽きしていたのだ。
イギリス人たちが村に滞在していることで、村人たちの生活に様々な変化をもたらすのである。

ダコタを島から東京に向けて飛び立たせなければならない。そのためには500mの滑走路が必要である。村の老若男女が力を合わせて、海岸をならし石を敷き詰め、滑走路は出来上がっていく。

そして、送別の会で、子供たちが原曲がスコットランド民謡の『蛍の光』を歌い出すと、イギリス人たちも歌い、出席者全員の大合唱となるのである。

戦争が終わり、日本は軍国主義から民主主義の国になったものの、古い考え方がは根強く残っていた。その変化を懸命に受け入れようとする者と、頑なに受け入れようとしない者との確執が生まれた。その確執がダコタ不時着事件をよって、少しずつ氷解していく過程がうまく描かれている。→人気ブログランキング

2014年10月 7日 (火)

神座(かむくら)/ジャン・フォートリエ展(大阪)

10月◯日(日)

大型の台風18号が沖縄の近くまできてるのに、大阪にいる。
用事が済んだらさっさと帰ることにすればよかったのだが、台風襲来を考えもしなかったので、午前中に用は済むのに、飛行機は17時35分伊丹発を予約した。一応、その前の飛行機に変更できるか調べたが、JALもANAも満席だった。
こうなりゃジタバタしても始まらない、予定通り、昼食は大阪の名物を食べて、美術館に行くスケジュールを敢行することにする。

そこで、前々から何としても食べたいと熱望していた神座(かむくら)のハクサイ入りラーメンを食べることにした。
大阪駅に隣接するルクア大阪の10階、道頓堀神座に並ぶ。ここにたどり着くまで、3名の親切な大阪人に道を訊ねた。
2時近くにもかかわらず20名くらいが並んでいるが、回転が早いので列はどんどん進んだ。すでにネットで調べて、注文は「煮タマゴラーメン 730円」と決まっている。

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しょう油味のスープに野菜の甘みが出ていて、縮れた細麺にマッチして、ハクサイのシャキシャキ感は素朴でヘルシーな雰囲気があり、チャーシュウは少しパサつくものの薄味で、煮玉子も薄味でこのラーメンに合っている。さすが神座、病みつきになりそうなラーメンであった。

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食べ終わって汗を吹き吹き、タクシーでジャン・フォートリエ展開催中の国立国際美術館に向かう。
ジャン・フォートリエ(1898-1964)については何も知らない。それなのに、音声ガイドがないという。主催者に気合が入っていないということだろうか。

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多くの作品が恐ろしく暗い。
「人質」の連作が有名だそうだが、どうにも感激できないし納得もできない。説明の看板によれば、〈1960年にはヴェネチア・ビエンナーレで大賞を受賞しました。〉と紹介されていて、ヴェネチア・ビエンナーレは現代美術の最大級の集合展だから、大したものなのだなと思ったが、実感がない。

「アンフォルメル」がジャン・フォートリエを理解するキーワードらしい。
アンフォルメル(否定形の芸術)とは、『現代美術のキーワード』(暮沢剛巳 ちくま新書)から要約すると、1940年代50年代に起こったヨーロッパの美術動向で、激しい抽象画と表現される。「激しい」とは、厚塗りしたり、キャンバスを引っ掻いたり、絵具を噴霧したり、垂らしたりすること。ジャクソン・ポロックなどのアメリカの象徴表現主義に通じるらしい。
しかし、アンフォルメルはアメリカとの主導権争いで、敗北した形となった。だから美術史の日陰にいる。

写真が世に出てきてからは、絵画が行き場を失ってしまい、画家たちの苦悩の結果生まれたのが、抽象絵画である。ジャン・フォートリエの作品はそのひとつなのである。

伊丹空港に着くと、南への飛行機は軒並み欠航になっていた。新潟行きは飛ぶことになっているが、揺れるだろうな。→ブログランキングへ

2014年10月 3日 (金)

その女アレックス ピエール・ルメートル

第一部で若い女アレックスが、ネアンデルタール人のようにがっしりした男に拉致され監禁される。誘拐事件にもかかわらず被害者が特定されないまま、パリ警察の捜査が始まる。第二部では暴行したあと高濃度の硫酸を口から流し込む連続殺人事件が起こる。そして、第三部でシリアルキラーの過去が明らかにされ、事件の全容が浮かび上がってくる、という三部構成になっている。
Image_20201119144901その女アレックス
ピエール・ルメートル
橘 明美 訳
文春文庫 2014年

事件を追いかけるパリ警察の捜査陣は揃いも揃って癖のある人物たちである。
捜査班の陣頭指揮をとるカミーユ警部は、母親がヘビースモーカーで妊娠中も構わずタバコを吸い続けたせいか、身長が148センチしかなく、しかもすぐきれるという厄介な性格である。数年前に妻を誘拐され殺された事件は未解決のまま、ときどき妻の事件と捜査中の事件がダブってしまう。本書はカミーユ警部の苦悩もテーマなのである。
部下のルイは金持ちでブランド品で身を包んでいる。同じく部下のアルマンは破格の吝嗇家、もらいタバコの常習者である。カミーユの上司・大男のル・グエンはカミーユとは同期で、二人は気心の知れた仲である。予審判事のヴィダールは、権威をかさにカミーユたちの捜査に口を挟み見当違いの指示を出す典型的な駄目キャリアである。
警察関係者に限らず登場人物それぞれが、強烈な個性の持ち主なのだ。

著者の文章の特徴は、細かい描写が生き生きしていて、まるで映像を見ているかのようである。
予想や見込みがことごとく外れるものの、小気味いいテンポでストーリーが展開されるので、いきおい、そのあとを読み進みたくなる。月並みだけれども、本書を手にしたら寝不足を覚悟しなくてはならない。→人気ブログランキング

傷だらけのカミーユ
悲しみのイレーヌ
その女アレックス

2014年10月 1日 (水)

アンディ・ウォーホルを撃った女

1968年、アンディ・ウォーホルを銃で撃ち重症を負わせたヴァレリー・ソラナスは、自らの考えに凝り固まっていた。ソラナスは不遇な少女時代を過ごし、やがてレスビアンに目覚めた。独自に「男性切り刻み協会(The Society of Cutting Up Men)」を組織し『SCUM宣言』を自費出版して、レスビアンたちに男性蔑視の過激な思想を呼びかけたが、世間の反応は冷たかった。「男性切り刻み協会」とはなんとも凄まじいネーミングである。
9b7e8c94929c45f3a6643742f5a478d1I SHOT ANDY WARHOL / アンディ・ウォーホルを撃った女
I Shot Andy Warhol
監督:メアリー・ハロン
脚本:メアリー・ハロン/ダニエル・ミナハン
音楽:ジョン・ケイル
アメリカ  1996年  105分

当時、時代のカリスマであったウォーホルなら自分の考えを受け入れてくれると思った彼女は、ウォーホルが主催するファクトリーに出入りするようになる。ソラナスはウォーホルの男も女も超越したような中性的なところに、自分を理解してくれそうな印象を持ったのかもしれない。

定職に就いていないソラナスは、男に体を売って生活費を稼がなければならない悲惨な状況にあった。

人の出入りの多いファクトリーでは、ウォーホルのお気に入りのファッショナブルで才色兼備の女性たちがいて、作品製作を担う男性と女性がいて、その他の取り巻きがいた。男性マネジャーには、ウォーホルに有益でない人物が必要以上に彼に近づかないようにガードするという役目もあった。

この映画では省略されているが、ウォーホルはソラナスをアングラ映画に出演させている。
そんなこともあり、ソラナスにはウォーホルが自分の考えに賛同したかに思えた。しかし、マネージャーに辛辣な言葉を浴びせられ、実際はウォーホルが彼女を鼻にもかけていなかったとわかり、彼女は逆恨みし犯行に及んだのだった。

本作も、ウォーホルと恋愛関係にあったイーディ・セジウィックを描いた『ファクトリーガール』(2006年)も、ウォーホルを冷たい人物として描いている。実際の映像で見たウォーホルには、例えばかつてTDKビデオテープのコマーシャルに出ていたが、そのような冷たさと中性的なもの、それとソラナスにも通じるエキセントリックなものが感じられるのである。→人気ブログランキング

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