『セーヌ川で生まれた印象派の名画』 島田紀夫
セーヌ川は、海抜471mのサン・セーヌ・ラベイを源にし、フランスの国土を西北にいき、パリの街を流れ、英仏海峡の町ル・アーヴルとオンフルールの間のセーヌ湾に注ぐ全長776kmのフランスを象徴する大河である。
小学館101ビジュアル新書
2011年11月 ★★★★
1874年に始まった印象派展は、1984年まで8回開かれている。
サロンと呼ばれる官展の権威主義に反発して、モネ、ピサロ、ルノワール、ドガ、セザンヌ、モリゾ、シスレーなどが自分たちで組織した展覧会だった。
しかし、第5回展が開かれた1880年になると、仲間の結束が緩み始め、ルノワール、モネ、シスレーらがサロンにも出品し始めたという。理由は、官展での売り上げが印象派展での売り上げの10倍であったこと、審査をしない印象派展にはヘボ絵描きたちがわれ先にと出品し、それに彼らは嫌気がさしたという。印象派展がその程度のものとは驚きである。
印象派の絵画はふたつのグループに分けられる。
自然の記録「風景画」と文化の観察「風俗画」である。本書には、風景画のうち、セーヌ川を描いたもの、あるいはセーヌ川にまつわる作品が取り上げられている。セーヌ川の上流から徐々に下って作品が紹介されていく。
セーヌ川の河口の港町ル・アーヴルを描いたモネの『印象、日の出』(1873年)は、最初の印象派展に出展され、新聞で酷評された作品である。当時この作品のタイトルを取って、グループを揶揄する意味で印象派という呼称が用いられたのである。
印象派の支援者だった小説家のゾラは、印象派の作品に対し手厳しい批判を行った。「印象派は先駆者にすぎず、新しい方法を主張する傑作は見出せない」と。印象派の次につながるのが、抽象画の方向であるとすれば、写実主義を貫くことは、ゾラが指摘したように必ずしも印象派のゴールに近づくものではなかった。
その点で、印象派の初期の方向性を追求し続けたシスレーは、さほど評価されていない。印象派の初期の方向性とは、自然をあるがままに感じたままに描くという手法である。ピサロの評価が低いのも同じ理由による。
古い体質のサロンに抗ったこと、フォビズムやキュビズムなどの抽象画への橋渡しとなったこと、この2点が絵画史における印象派の位置付けであるという。本書はセーヌ川を描いた印象派の作品を通して、印象派の絵画史における意義を論じている。→ブログランキングへ
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