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世界の野菜を旅する 玉村豊男

食の大国フランスへの留学経験がある著者は、野菜のルーツを求めて旅し自ら野菜を栽培し資料を渉猟して、野菜と食に関する薀蓄が満載された本書を書いた。
伝わってきた穀物や野菜によって、その土地の文化や歴史が、それまでとはまったく違ったものになってしまうことがある。例えば、わが国が瑞穂の国となったのは大陸からの渡来人がコメを持ち込んだおかげであるし、戦後にパン文化が広まったのはアメリカ政府の強引な小麦販路拡大政策のせいである。
穀物や野菜を通して歴史的な出来事を見ると別の視界が開けてくるのである。
Image_20201213134001 世界の野菜を旅する
玉村豊男(Tamamura Toyoo
講談社新書
2010年

本書に書かれている野菜にまつわる歴史的な出来事を挙げると、
ジャガイモがヨーロッパにもたらされたのは、1532年にスペインのフランシスコ・ピサロたちがペルーを征服したときである。持ち帰ったジャガイモが教皇に献上された。ジャガイモは貧者のパンと呼ばれ、飢饉をのり越えるための救荒作物として、ヨーロッパからスカンジナビア、イギリスやアイルランドに広がっていった。
ヨーロッパにおいてベト病がジャガイモを襲い飢饉が起こった1845年からの7年間で、アイルランドでは150万人が餓死し、150万人がアメリカに移住した。アイルランドが麦の栽培を止めて、主食をジャガイモに切り替えたことが悲劇につながったという。

コロンブスがコショウを求めてカリブ海に迷い込み、インドと思って先住民をインディアンと呼び、さらに、トウガラシをコショウと信じ込み、食物史における大間違いを犯してしまったというのは有名な話である。ちなみに、トウガラシが原料なのに九州特産の柚子コショウが柚子トウガラシと呼ばれないのは、コロンブスのせいである。柚子コショウの方がネーミングとして魅了的ではある。
ヨーロッパがコショウ、グローブ、ナツメグ、シナモン、クミン、カルダモンなどの香辛料を必要としたのは、肉の保存ためだった。著者は、香辛料をまぶした腐りかけたジビエのえも言われぬ旨さが、貴族たちを魅了したのではないかという。

17世紀にh入り、西インド諸島でサトウキビから砂糖が作られるようになり、その砂糖がヨーロッパに持ち込まれ、最後はデザートにするというフルコースの順番が確定したという。ちなみに、デザートはサービスするの反対語で、テーブルの上のものをすべて下げる行為をいう。これで前半戦は終わり、ここからお待ちかねの後半戦という区切りの意味する言葉。
西インド諸島でサトウキビ栽培や砂糖生産に、アフリカから1000万人もの黒人が奴隷として送られた。これが、アメリカ大陸にその後も続く奴隷制度の悲劇をもたらしたのである。
ヨーロッパでは、地中海周辺の南の地域でしかサトウキビは栽培できなかった。ナポレオンが甜菜糖(ビーツ)に目を付け、フランスで甜菜糖の栽培に成功し砂糖を作ることができるようになり、砂糖の値段が下落したという。さらに、ナポレオンが戦争のための食料の保存法に懸賞金をかけ、缶詰が開発されたという。ナポレオンは食の歴史にも大きな足跡を残していた。
とういうような蘊蓄が、たっぷりと書かれている。→人気ブログランキング

『学校は食卓である』玉村豊男 講談社新書 2010年
世界の野菜を旅する』玉村豊男 講談社新書 2010年
『料理の四面体』玉村豊男 中公文庫 2010年

・まずは、キャベツとレタスとサラダの話。レタスの「レ」はカフェオレの「レ」と同じで、ミルクのこと。レタスを摘むとぼとぼとと汁が出てくることを指している。日本でも同じ発想で、「ちしゃ」あるいは「ちさ」と呼ぶが、「ち」は「乳」の意で、古くは「乳菜」と書かれたことがあったという。
・ドレッシングとはドレスを着せるという意味。乙女の指でやさしく混ぜ合わせるのが望ましい。
・サラダは塩、マリネは海の意味である。サラダは塩を当てたもので、塩が食材の表面に止まっていなければならない。マリネは塩が食材の内部に浸透したものである。サラダは放っておけば海になる。レタスとキャベツはヨーロッパが原産である。もともとは葉物で品種改良の結果、結実した。


・ポルトガル人はタラが大好物。ポルトガルのタラ料理のレシピは200を超えるという。タラは塩漬けのタラか乾燥ダラ。ジャガイモを付け合わせるのは塩味を調和させるためであった。中世のヨーロッパにおいてタラは保存のきく重宝なタンパク源であり、泳ぐ黄金と呼ばれたという。
・パンを汁を浸して食べた。スープとはそのパンのことである。レストランでスープにクルトンをいれるのはその名残である。


・まだ緑色の時にとって乾燥させると黒コショウになって、熟して赤くなってからは白コショウになるという。

・カレーに必要なスパイスは、トウガラシ以外は、すべてインドに揃っていた。15世紀までインドのカレーは辛くなかったという。コショウやショウガの辛いがトウガラシのストレートな辛さはない。インドにトウガラシが入ってくると、躊躇なくカレーに加えられた。
トウガラシはメキシコあたりの中央アメリカが原産である。ピーマンと同種である。
・ヨーロッパでは辛いトウガラシは受け入れられなかった。トウガラシを辛くないように改良してパプリカになったという。
ある地域の食文化がどの程度唐辛子を受け容れるかについては、あまり論理的に推し量ることはできないという。

・ペルーのセビーチェは生の魚介を詩をと柑橘類で締めたもの。溶けだしたアミノ酸によって汁は濁る。これは「虎のミルク」といって、二日酔いによく効くという。


・トウモロコシはジャガイモからやや遅れてヨーロッパに伝わったが、その後の普及では遅れをとったのはなぜか。
トウモロコシが今より硬く、パン屋が社会的に普及していて、新しい粉食の入り込む余地が少なかったのではないか。ヨーロッパでトウモロコシを主食とする地域はごく限られている。

・ナスの原産はインド北部。
ナスの原種は苦くて食べづらかった。塩をかけるて苦味を外に出した。アラブ圏に伝わると、ナスは大いに食べられるようになった。ナスははっきりした味がしないから南仏の方言でアホとかボケとか言われる。日本と同じだ。
白いなすがまるで卵のようであったので、英国ではエッグプラントと呼んだ。
キュウリもインド北部が原産。


・ブイヤベースの作り方。その日にとれた魚とニンニク、サフラン、乾燥オレンジの皮ひとかけら。ブイヤベースとは、沸騰させるという言葉と急に温度を下げるという言葉が合わさったものである。
南仏のバニラとはニンニクのこと。ニンニクは南仏料理に欠かせない。
サフランはクロッカス属の雌しべを乾燥させた香料。サフランを作るには、恐ろしいほど人手がかかる。


・日本の話。焼畑農耕文化のサトイモ派は、大陸からやってきたコメ派と最初は対立したが、コメ文化がすべてを支配する社会となった日本で、反体制の少数派となった。サトイモ派はモチのかわりに雑穀や根菜で正月を祝った。こうしてサトイモ派の赤とモチ派の白、紅白を対立させる日本の心象の原点が生まれたという。
キャベツは江戸時代にオランダ船が長崎に伝えた。明治の中頃、煉瓦亭でトンカツの付け合わせに出されて広がっていった。一方、ハクサイは日清・日露戦争に出征した兵士たちが目にして、日本に種を持ち帰ったのが最初で、近代になってから日本に入ってきた。
ところが、ハクサイは日本的、キャベツは洋風というナショナリズムが生まれた。


・甜菜は甘い野菜に漢字をあてた和名であり、砂糖ダイコンともいう。英語ではビーツ。茹でたビーツを賽の目に切ってサラダにする。フランスでは定番の前菜とのこと。
・ヨーロッパで、オリエント菓子と呼ばれるのは甘さのきついものの代名詞、アラブの菓子が強烈に甘いからである。

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