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2015年5月18日 (月)

正露丸

蒲柳の質ゆえに、小学校低学年から保健室の常連だった僕だが、学年が上がるにつれ保健室のお世話になる回数が減っていった。中学生になってからは、運動場の壁のささくれが指に刺さって、学校のオアシス保健室を訪れたのは数ヶ月前。
そして今回が中学生になって今日が2回目、頭痛がして熱っぽく、ふらつくのだ。
保健室は駆け込み寺であり、教師の支配から逃れられる居住者特権が認められている治外法権域である。
保健室にたどり着くと、
「どうしたの、具合悪いの」
優しい声で中年の養護教諭の花村先生が水商売的なホスピタリティで向かえてくれた。
「37℃、微妙な熱だけど、ベッドに寝ていったら」
誰かが寝た形跡のあるベッドに寝かされ、花村先生の「そのまま寝ていていいのよ。担任の先生には私から伝えておくから、昼ごはん食べるならクラスの誰かにもってきてもらおうか?」という、上げ膳据え膳の特別待遇が身も心も弛緩させるのだ。
仮にクラスのだれかが様子をうかがいにきたとしても、ベッドを占領している生徒が大丈夫と言わない限り、保健室にとどまる権利を養護教諭が保証してくれる。
「もうだいぶ良くなったから授業に戻って」などとは、花村先生は決していわない。

ひと寝入りして元気になったが、ここはお言葉に甘えて、もうちょっと具合が悪いふりをして、次の授業もサボっちゃおなんて邪な思いが頭をかすめ、そのままベッドに横になり続けると、またうとうとする。眼が覚めると、そろそろ終業の30分前になり、いまさら授業に戻ったって中途半端だからと、起きて椅子に座り、「先生、だいぶ良くなりました」と病状報告したあと、最新の恋愛関連情報を先生に話して時間を潰し、終業の時間まで粘るのだ。花村先生の口癖は「早く大人になって自由を満喫しなさい」だ。
その日は、保健室で半日過ごしたことになった。
僕が寝ている間に、病人が次々と現れて、中にはベッドに倒れこむ重症の女子もいたが、大抵は膝を打っただの擦り傷だの、ちょっと気分が悪いだので、滞在時間は長くない。
保健室の薬といえば、富山の置き薬より貧弱な品ぞろえで、ビオフェルミン、正露丸、オキシフルと赤チンとヨードチンキ、あとは虫刺され用のキンカン、メンソレータム、ひびやあかぎれ用の桃の花、せいぜいそんなところだろう。手はせっせと洗うことが推奨されていたので、琺瑯の洗面器が洗面器立てにはまっていて、白濁したクレゾールの希釈液が入っている。
以前、下痢で保健室に行くと、花村先生はいらっしゃいとは言わず、「まず手を洗ってね」と優しく声をかけた。そのあと黒い正露丸2粒を渡された。もちろん正露丸はよく効いた。
ある時、正露丸の主成分はクレオソートで、漆喰の防腐剤として使われていると聞いたとき、やっぱりなと思った。
下痢で散々お世話になり効き目は抜群と、正露丸を高く評価していたものの、化石燃料から抽出したような臭いとフンコロガシが丸めたような雑な作りの丸薬には、出自の怪しさを感じさせた。虫歯に詰めると効果があるとのことだったが、試してみたこともあったが、痛みは取れなかった。
もちろん日露戦争で兵士が万能 薬として持参したというエピソードは知っている。

ところで、年子なのだが早生まれなので小学5年の妹の保健室での話である。
ある日、妹が学校で下痢に襲われ保健室に行ったところ、養護教諭が正露丸10錠を手渡したという。
「なんだぁ、それ本当か」というと、飲んだから本当だという。
飲んだ直後はよくなった気がしたが、30分ぐらいすると下痢とは異なる、腸の中で巨大ななにかが転がるような腹痛に襲われ、身動きできなくなったという。やっとの思いで便所に行ったものの何も出ず、保健室に戻り寝返りを打ち続けたという。その間、養護教諭はというと容態を心配そうに何度も訊ねたらしい。
腹痛は治まらなかったので、家に電話をしてもらい、父が自転車で向かえにいった。そのあと妹は2日間家で寝ていた。
「出るものが、いつまでも正露丸の臭いがするのよ」、居間に出てきたときに、妹は腹に力が入らない様子で言った。
それにしても10錠とはどういうことだ。妹は正露丸を飲んだことがあるはずだ。養護教諭だって、児童に何度も飲ませただろう。妹は先生が10錠を手渡したから、疑いを持たなかったという。
「お前さー、小6年でしょ。効能書きでは1.5錠だよ。何倍飲んだの」
「でも、養護の先生が10錠くれたのよ」
「俺はね正露丸の常連なの。大人ですら3錠だよ、10錠はないって。お前、生意気だからさ、先生が毒殺しようとしたじゃないの。致死量じゃなくってよかったな」
「どれだけ苦しんだと思ってるの。冗談やめてよ」
これで、何日かぶりの兄妹喧嘩の火蓋が切って落とされたのだが、僕が喧嘩で妹に勝てたのはとっくの昔だった。

【2014.02.03】『中学生円山

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