ユトリロとヴァラドン@東郷青児記念館 損保ジャパン日本興亜美術館
ユトリロ単独の美術展ではここまで充実した内容にはならないだろう。ヴァラドンについても同じことが言える。
「ユトリロとヴァラドン展」は、奔放な母と母の愛を渇望する息子のドラマがすべてである。
ユトリロが風景の中に描く人物は「LEGO」の人形のように頼りない。これまでは〈ユトリロはアル中のヘタウマ日曜画家〉くらいに認識していた。そうした画風は、生い立ちや画家になったいきさつ、その後の制作活動に理由があった。
6月○日(日)
スュザンヌ・ヴァラドン(1865年~1938年)が、モーリス・ユトリロ(1883年?1955年)を生んだのは18歳のときで、ユトリロの父親は誰か不明。ヴァラドン自身の父親も不明だという。
ユトリロは、今で言えば、母が育児放棄したネグレクト。祖母に育てられ、小さい頃から薄めたワインを飲まされていたという。
ユトリロは20歳でアルコール中毒になり、その治療の一環として絵を描くようになった。友人は数えるほどしかなく、精神病院への入退院を繰り返していた。
ヴァラドンはサーカスの曲芸師をしていて怪我し、その後絵のモデルで生計を立てているうちに、ドガに絵の才能を見出されたという。
ヴァラドンは自由奔放で男関係は派手、ロートレック、エリック・サティ、ルノアールと恋愛関係にあったという。
1896年に資産家のポール・ムージスと結婚し、生活は落ち着きを見せた。
ところが1909年、息子の友人であり息子より3歳年下の画家志望のアンドレ・ユッテルと交際が始まる。この時、ヴァラドンは44歳、ユッテルは23歳であった。5年後にふたりは結婚することになる。
ムージスとは、1910年に離婚する。
これにより、ユトリロは父の経済的基盤を失い、友人を奪われ、母に裏切られるという悲惨な状況に追い込まれる。
この後、ユッテルが画商としてユトリロの絵を売りさばき、これが結構うまくいったという。ユトリロは精神病院への入退院を繰り返した。この時代の作品は、白を多く使っていて、「白の時代」と呼ばれる。
1936年、51歳のユトリロは、ヴァラドンの勧めで、5歳年上の資産家ポーウェル夫人と結婚した。
ヴァラドンが死んだのは1938年である。ユトリロは見る影もなく落ち込んだという。
ヴァラドンの作品は力強く生々しいが、ユトリロの作品は寂しげで弱々しい。それはふたりの人生をそのまま投影しているかのようである。
ヴァラドンは、同時代の画家たち、セザンヌ、ゴーギャンなどの影響を受けたが、ユトリロには影響を受けた痕跡がない。晩年、ユトリロは絵葉書や写真をもとにパリの絵を描いていたという。
期間:2015年4月18日(土)~6月28日(日)
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