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2015年9月

2015年9月28日 (月)

吉原手引草 松井今朝子

吉原で10年にひとりと謳われた花魁が、身受けが決まっていたが、忽然と姿を消した。そんな不祥事にもかかわらず、妓楼は潰れずにすんだ。
3か月たって事件が風化しかけた頃、若い男が吉原に現れ事件を調べはじめる。
第137回(2007年上半期)直木賞受賞作。歌舞伎や江戸風俗に精通する著者ならではの作品を、大方の選考委員が絶賛したという。
7548f874b92044789d9dff228ac36644吉原手引草
松井今朝子(Matsui Kesako
幻冬社
2007年

客を装う粋な男が、姿を消した花魁・葛城に関わりのあった人物に接触して、話を聞き出していく。
聞き出すというよりも、それぞれの登場人物が一人語りをする。
引手茶屋の女将、妓楼舞鶴屋見世番、番頭、番頭新造、幇間、遣り手、床廻し、指切り屋、女衒たちが、吉原における自らの役割を挟みながら、葛城について語っていくことで、ストーリーが進んでいく。
葛城を悪くいう者はいない。

葛城が吉原に入ったのは14歳のとき。葛城は年相応のしつけも読み書きも身につけていたうえに、非常に利発だったという。あまりにも遅すぎるゆえ、出世は望めないと見られていたが、頂点に上りつめた。

ついには、葛城を水揚げした客や身請けが決まっていた縮問屋の店主が登場し、神隠し事件の全貌が明らかになっていく。
遊里文化の詳細が見事に描かれている。→人気ブログランキング

2015年9月17日 (木)

東京オリンピックを開催できるのか?

東京オリンピック・パラリンピック競技大会の招致決定まではよかった。
あれは、日本時間2013年9月8日、ブエノスアイレスでのことだった。IOCのジャック・ロゲ会長が、封筒から 「TOKYO 2020」と印刷された紙を取り出して、震える声で「トキョウ」と発表した。何度もテレビに流れているので目に焼き付いている。

同年12月19日に、それまで招致運動の中心にいた猪瀬直樹東京都知事が、徳洲会グループからの献金問題で辞職した。これがケチのつき始めだった。

招致決定にさかのぼること約1年前の2012年11月に、新国立競技場の設計は、国際コンペティションの最優秀賞を獲得したザハ・ハディッド女史のデザインに決まっていた。
いよいよ着工が迫った今年の7月になって、総工費が予定の1300億円をはるかに上回る2520億円であることが明らかになった。3500億円との試算も出てくるに及び、いくら何でも高すぎると、各方面から声が上がった。
この予算の中には、JSC(日本スポーツ振興センター)のビルの新築予算165億円が、ちゃっかり組み込まれていたことも大いに批判された。なお、8月10日の参議院予算委員会で、民主党の蓮舫議員がビル新築の問題を追求したが撤回はされていない。
最終的には、8月28日になって、政府がデザイン選定のやり直し、観客席は6万8千席、座席の冷暖房なし、総工費は1550億円と発表し、振り出しに戻った形になった。
座席に冷暖房をつけない代わりに、医務室には万全の設備を整えるという。医務室は手を抜いてもいいから、冷暖房はつけたほうがいいと思う。

次に待っていたのは、オリンピックのロゴマーク事件である。
7月24日に、大会組織委員会から佐野研二郎氏の作品が、公式エンブレムに決定したと発表された。ところが29日には、ベルギーの劇場のロゴに似ているとして現地のメディアで、盗作疑惑が報道された。30日になると、劇場のロゴを作ったデザイナーが法的手段を取ると発言し、ただ事では終わらない状況になった。

8月26日、審査委員の代表が、現在公表されているデザインは、佐野氏の応募案を一部修正したものだと明かした。つまり、ベルギー劇場ロゴとは似ていなかったと述べた。審査委員会は、デザインを修正するよう2度要請したという。この業界では、コンペティションの受賞者に対して、主催者がデザインの変更を要請することが当たり前に行われているのだろうか。ことさら著作権を重んじる印象があるデザイン業界において、デザイン変更の要請が行われたことに、大いに違和感を覚える。

8月28日、エンブレム選考委員が、記者ブリーフィングに応えて選定過程を公表したが、委員の構成は佐野氏と関係が浅からぬ人物が多く、かえってデザイン選定の過程に疑問が持たれる結果となった。
一連のエンブレム盗作騒動の間に、佐野氏の事務所が手がけたほかのデザインに、パクリ疑惑が次々に指摘され、その数は20例を上回る数になった。ダメ押しのパクリは、エンブレムの展示例を示した2枚の写真であった。羽田空港内と渋谷のスクランブル交差点の写真は、どちらも個人のブログから拝借したものだった。ここまでくれば、エンブレムが佐野氏のオリジナルであろうがなかろうが、完全に信用は失墜し、デザインの取り下げは時間の問題となった。
9月1日、ついに、JOCは佐野氏のデザインの使用中止を発表し、デザインの選考もやり直しとなった。

日本人は何をやらせても、まともにそつなく実行できるというのが、今までの評価だったはずである。ところがこの体たらくだ。各国の有力新聞はこぞって、「日本は焼きが回った」と報道した。まったく情けないかぎりである。

そもそも船頭が多過ぎる。文科省があって、オリンピック担当大臣がいて、天下り先に見える日本オリンピック委員会(JOC)があり、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会があり、さらにどさくさに紛れて、文科省の外局にスポーツ庁なるものができつつあり、鈴木大地氏が初代長官なるというのだ。都庁の中にも準備局がある。誰が一番上にいるのか序列をはっきりさせるべきだ。そしてふたつの騒動で被った金銭的損失をどうするのか、公表すべきだろう。

この騒動で問題になったのは、いつものことだが誰も責任を取らないことである。日本国には、いつの間にか自己責任の発想がなくなり、誰も責任を取らない仕組みが出来上がった。今回の騒動には、利権に群がる金の亡者たちが見え隠れしていることは、誰もが気づいていることだろう。

もうひとつ問題がある。オリンピックの開催期間を「7月24日から8月9日」にしたことである。もっとも気候が安定している時期であることが、選定の根拠というが、まともな神経を持ち合わせている人間が決めたこととは思えない。
灼熱地獄の東京で、競技をできるのだろうか。あるいはまともに観戦できるのだろうかと不安が募る。しかも、メイン会場の新国立競技場の観客席には冷房をつけないという。死者が出るのではないか。
悪いことは言わない、暖房はつけなくともいいが、冷房はつけた方がいい。

忘れもしない、1964年の東京オリンピックの開会式が10月10日になったのは、気候が安定していることが理由だった。気候が過去の経験値とは、まったく違ってきていることは十分に承知しているが、よりによって日本の最も暑い時期に開催するのは、合理的とは思えない。

例えば、アメリカのイリノイ州の白人一家3世代3家族がオリンピック観戦に日本を訪れたとしよう。
新国立競技場での陸上競技観戦中に、その一家の72歳の老婦人が熱中症で倒れ意識が混迷した。
かつて、冷暖房を備えない代わりに万全な設備を整えると明言された医務室で、応急措置が滞りなく行われたものの回復せず、救急車で都内の病院に搬送された。
しかし、老婦人は意識が戻ることなく死んでしまった。
パラリンピックが終わり秋風が吹きはじめた頃に、シカゴの辣腕弁護士を通じて、遺族が100万ドルの損害賠償の訴訟をJOCに対して起こしたのである。
このことが世界中で報道されると、死に至らないまでも熱中症に罹ったのは、新国立競技場の行き届かない設備のせいであるとの訴状がJOCに続々と届き、その内訳は米国から5件、EUから3件、中国から10件、韓国から4件、国内からも3件となった。このうち死亡に至ったケースは、米国人が計2件、中国人1件、日本人1件である。
というようなことが起こったら、どうする?

ともかく、オリンピック開催までに、これ以上の不祥事が起こらないことを望むばかりだが、どうなることやら。

2015年9月16日 (水)

フェルメール帰属『聖プラクセディス』

国立西洋美術館の常設展に、今年の3月から『聖プラクセディス』(1665年ごろ)が展示されている。『聖プラクセディス』はヨハネス・フェルメール(1632~1675年)の作とされ、昨年7月に、ロンドンでのクリスティーズの競売で、日本人が約11億円で落札した。本作品のタイトルの下には、フェルメール「作」ではなく、「帰属」と書かれている。本作品は、フェルメールの作かどうか専門家の間で意見が分かれているため、国立西洋美術館が配慮して、「帰属」という見慣れない単語を使ったのである。

クリスティーズがフェルメールの真作として本作品を競売にかけたのは、白色絵の具に含まれる鉛の同位体比が、フェルメールの初期の作品に使われている白色絵の具と同じであったという分析結果による。フェルメールの作ではないとする専門家の主張は、本作品はイタリアのフェリーチェ・フィチェレッリが描いた『聖プラクセディス』と構図がまったく同じで、フェルメールではない誰かが模写したと思われるが、フィチェレッリの作品がイタリアから国外に出た形跡はなく、またフェルメールは恐らくイタリアを訪れていないはずだとする。ただし、フェルメール作では左手に十字架を持っている。

私の推測だが、フェルメールの真作と認めることに慎重な風潮は、もうひとつの理由があると思う。ヨーロッパで第2次世界大戦が終焉した1945年7月に発覚した、オランダのハン・ファン・メーヘレンによる美術史上最悪の贋作事件があるからではないだろうか。ファン・メーヘレンは、敵国ナチス・ドイツのナンバー2であったヘルマン・ゲーリングに、フェルメール作とされる『姦通の女』を売った容疑で国家反逆罪を問われ逮捕された。裁判の過程で明らかにされたのは、『姦通の女』はファン・メーヘレン自身が描いた贋作という仰天の事実であった。また、当時の高名な美術評論家がフェルメールの真作と褒め称え、オランダの国宝級の作品に祭り上げられた『エマオの食事』も、ファン・メーヘレンの手によるものだった。
この事件は、『フェルメールになれなかった男』(フランク・ウイン、ちくま文庫)に、詳しく書かれている。

殉教者の流した血を布でふき取り壺に入れる聖女が描かれた『聖プラクセディス』からは、気のせいかもしれないが、オーラが放たれているように見えた。

2015年9月 6日 (日)

完全教祖マニュアル 架神恭介 辰巳一世


新興宗教の教祖になるという現実離れした視点から宗教にアプローチすると、宗教がかかえる危うさやが見えてくる。

傍から見れば、宗教ほど利己的で胡散臭いものはないだろう。その点は、新興宗教であろうと3大宗教であろうと違わない。 本書は、経営者を目指す人の、毛色の変わった啓発本とも捉えられる。

完全教祖マニュアル (ちくま新書)
完全教祖マニュアル
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架神 恭介 辰巳 一世
ちくま新書
2009年11月

著者が、なにを置いても伝えたいことが、表紙に抜粋されている。
それは以下。

〈宗教の本質というのは、むしろ反社会性にこそあるのです。・・・特に新興宗教においては、どれだけ社会を混乱させるかが肝だということを胸に刻んでおいてください。 〉

ユダヤ教徒であったイエスは、娼婦や徴税人の話を聞いたり、安息日に医術を施したりしていた。イエスの行動は、今日、社会的に何も問題のないことであるが、当時のユダヤ教社会では反社会的だった。つまり為政者にとってやり過ぎだったのだ。イスラム教でも仏教でも、超人的な能力を発揮したエピソードである。

本書の語り口は、ジョークを交え軽くかつ大胆であるが、その実、鋭く深い。
教祖になるために成すべきことは、次のふたつ。
人(信者)をハッピーにする。ほか(社会、他の宗教)との差別化をはかる。
宗教の本質は反社会的なものという著者の指摘は的を射ている。→人気ブログランキングへ

完全教祖マニュアル架神恭介×辰巳一世 ちくま新書 2009年
マグダラのマリア エロスとアガペーの聖女岡田温司 中公新書 2005年
不思議なキリスト教橋爪大三郎×大澤真幸 講談社新書 2011年
新約聖書 ~イエスと二人のマリア~DVD ジャコモ・カンピオッティ 2012年
ファンシイダンスDVD 周防正行 1989年 
星の旅人たちDVD エミリオ・エステヴェス 2010年
アレクサンドリアDVD アレハンドロ・アメナーバル 2009年
セブンDVD デヴィッド・フィンチャー 1995年

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2015年9月 3日 (木)

忘れられた巨人 カズオ・イシグロ

アーサー大王(ブリテンの王)がサクソン人との戦いに勝ち、イングランドが平穏を保っていた頃を舞台にしたファンタジー小説。
作品を発表するたびに読者を驚かせるテーマに挑戦してきた著者は、今回もまったく新しい世界を披露している。
寓意がこめられた老夫婦の愛情物語である。
Image_20201123091401忘れられた巨人
カズオ・シグロ(土屋政雄 訳)
早川書房 2015年

ブリトン人のアクセルとベアトリスの老夫婦は、村会で蝋燭の使用を禁止され、夜は暗い家で過ごしていた。子供がいたころは、村の中心のもっと暖かいところに家があったはずだ。
ふたりは村で大切にされていないと感じていた。
そして、ふたりは東の方の村に住んでいるはずの息子に会いにいくことにした。
記憶がはっきりしないのは、この国が忘却の霧に覆われているからだ。しかし、記憶が不確かなのは必ずしも不幸なことではない。このことは本作の重要なテーマである。

ふたりは廃墟で船頭と老婆に出会った。
老婆は、夫を船に載せて別の島に連れていった船頭に恨みつらみを並べている。その島では、強い絆がなければ夫婦といえども一緒に暮らせないと、船頭は含みのある言葉を口にする。

夜は、サクソン人の村に泊めてもらうことになった。
その夜、村から連れ去られた少年が戦士に助けられて戻ってきた。少年は竜に傷を負わされていた。村人は竜の傷を負った者は災いをもたらすと信じている。村に残れば、少年は間違いなく村人に殺されることになる。
翌朝、老夫婦は戦士とともに少年を隣町のキリスト教徒の村に連れて行くことになった。

途中でアーサー大王時代からの生き残り、大王から雌竜クエリグを命じられ、未だに成し遂げていない、老いたガウェイン(アーサー王の甥の円卓の騎士)が甲冑をつけて、老馬とともに 現れれた。
アーサー王がもたらした平和を、サクソン人のブレヌス卿が踏みにじろうとしている。
ブレヌス卿はクエリグを手なずけ軍の勢力に加えようとしている。実現すると、ブレヌス卿の野望も実現の芽が出てくる。
サクソン人の戦士ウェスタンには、命尽きるまでブリトン人と戦う使命が課せられている。
ウェスタンはブリトン人のガウェインとかつて戦ったことがあったかもしれない。

ベアトリスはウェスタンから、霧の正体が雌竜がはきだす息であることを知らされ、大いに納得するのである。
竜が退治されれば霧が晴れ記憶はもどってくる。
しかし、記憶が戻ると過去の遺恨が人々の心によみがえってきて、いさかいが再燃するのではないか。それは老夫婦にもあてはまるかもしれない。
忘却が平穏をもたらすのではないかと、幾度も読者に問いかけながら物語の結末がやってくる。→人気ブログランキング

【カズオ・イシグロの作品】
『クララとお日さま』Klara and the Sun 早川書房 2021年
忘れられた巨人』The Buried Giant 2015年
夜想曲集』Nocturnes 2009年
『わたしを離さないで』Never Let Me Go 2005年→DVD
『わたしたちが孤児だったころ』When We Were Orphans 2000年
『充たされざる者』The Unconsoled 1995年
日の名残り』The Remains of the Day 1989年→DVD
浮世の画家』An Artist of the Floating World 1986年
『女たちの遠い夏』(日本語版は『遠い山なみの光』と改題)A Pale View of Hills 1982年

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