東京オリンピックを開催できるのか?
東京オリンピック・パラリンピック競技大会の招致決定まではよかった。
あれは、日本時間2013年9月8日、ブエノスアイレスでのことだった。IOCのジャック・ロゲ会長が、封筒から 「TOKYO 2020」と印刷された紙を取り出して、震える声で「トキョウ」と発表した。何度もテレビに流れているので目に焼き付いている。
同年12月19日に、それまで招致運動の中心にいた猪瀬直樹東京都知事が、徳洲会グループからの献金問題で辞職した。これがケチのつき始めだった。
招致決定にさかのぼること約1年前の2012年11月に、新国立競技場の設計は、国際コンペティションの最優秀賞を獲得したザハ・ハディッド女史のデザインに決まっていた。
いよいよ着工が迫った今年の7月になって、総工費が予定の1300億円をはるかに上回る2520億円であることが明らかになった。3500億円との試算も出てくるに及び、いくら何でも高すぎると、各方面から声が上がった。
この予算の中には、JSC(日本スポーツ振興センター)のビルの新築予算165億円が、ちゃっかり組み込まれていたことも大いに批判された。なお、8月10日の参議院予算委員会で、民主党の蓮舫議員がビル新築の問題を追求したが撤回はされていない。
最終的には、8月28日になって、政府がデザイン選定のやり直し、観客席は6万8千席、座席の冷暖房なし、総工費は1550億円と発表し、振り出しに戻った形になった。
座席に冷暖房をつけない代わりに、医務室には万全の設備を整えるという。医務室は手を抜いてもいいから、冷暖房はつけたほうがいいと思う。
次に待っていたのは、オリンピックのロゴマーク事件である。
7月24日に、大会組織委員会から佐野研二郎氏の作品が、公式エンブレムに決定したと発表された。ところが29日には、ベルギーの劇場のロゴに似ているとして現地のメディアで、盗作疑惑が報道された。30日になると、劇場のロゴを作ったデザイナーが法的手段を取ると発言し、ただ事では終わらない状況になった。
8月26日、審査委員の代表が、現在公表されているデザインは、佐野氏の応募案を一部修正したものだと明かした。つまり、ベルギー劇場ロゴとは似ていなかったと述べた。審査委員会は、デザインを修正するよう2度要請したという。この業界では、コンペティションの受賞者に対して、主催者がデザインの変更を要請することが当たり前に行われているのだろうか。ことさら著作権を重んじる印象があるデザイン業界において、デザイン変更の要請が行われたことに、大いに違和感を覚える。
8月28日、エンブレム選考委員が、記者ブリーフィングに応えて選定過程を公表したが、委員の構成は佐野氏と関係が浅からぬ人物が多く、かえってデザイン選定の過程に疑問が持たれる結果となった。
一連のエンブレム盗作騒動の間に、佐野氏の事務所が手がけたほかのデザインに、パクリ疑惑が次々に指摘され、その数は20例を上回る数になった。ダメ押しのパクリは、エンブレムの展示例を示した2枚の写真であった。羽田空港内と渋谷のスクランブル交差点の写真は、どちらも個人のブログから拝借したものだった。ここまでくれば、エンブレムが佐野氏のオリジナルであろうがなかろうが、完全に信用は失墜し、デザインの取り下げは時間の問題となった。
9月1日、ついに、JOCは佐野氏のデザインの使用中止を発表し、デザインの選考もやり直しとなった。
日本人は何をやらせても、まともにそつなく実行できるというのが、今までの評価だったはずである。ところがこの体たらくだ。各国の有力新聞はこぞって、「日本は焼きが回った」と報道した。まったく情けないかぎりである。
そもそも船頭が多過ぎる。文科省があって、オリンピック担当大臣がいて、天下り先に見える日本オリンピック委員会(JOC)があり、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会があり、さらにどさくさに紛れて、文科省の外局にスポーツ庁なるものができつつあり、鈴木大地氏が初代長官なるというのだ。都庁の中にも準備局がある。誰が一番上にいるのか序列をはっきりさせるべきだ。そしてふたつの騒動で被った金銭的損失をどうするのか、公表すべきだろう。
この騒動で問題になったのは、いつものことだが誰も責任を取らないことである。日本国には、いつの間にか自己責任の発想がなくなり、誰も責任を取らない仕組みが出来上がった。今回の騒動には、利権に群がる金の亡者たちが見え隠れしていることは、誰もが気づいていることだろう。
もうひとつ問題がある。オリンピックの開催期間を「7月24日から8月9日」にしたことである。もっとも気候が安定している時期であることが、選定の根拠というが、まともな神経を持ち合わせている人間が決めたこととは思えない。
灼熱地獄の東京で、競技をできるのだろうか。あるいはまともに観戦できるのだろうかと不安が募る。しかも、メイン会場の新国立競技場の観客席には冷房をつけないという。死者が出るのではないか。
悪いことは言わない、暖房はつけなくともいいが、冷房はつけた方がいい。
忘れもしない、1964年の東京オリンピックの開会式が10月10日になったのは、気候が安定していることが理由だった。気候が過去の経験値とは、まったく違ってきていることは十分に承知しているが、よりによって日本の最も暑い時期に開催するのは、合理的とは思えない。
例えば、アメリカのイリノイ州の白人一家3世代3家族がオリンピック観戦に日本を訪れたとしよう。
新国立競技場での陸上競技観戦中に、その一家の72歳の老婦人が熱中症で倒れ意識が混迷した。
かつて、冷暖房を備えない代わりに万全な設備を整えると明言された医務室で、応急措置が滞りなく行われたものの回復せず、救急車で都内の病院に搬送された。
しかし、老婦人は意識が戻ることなく死んでしまった。
パラリンピックが終わり秋風が吹きはじめた頃に、シカゴの辣腕弁護士を通じて、遺族が100万ドルの損害賠償の訴訟をJOCに対して起こしたのである。
このことが世界中で報道されると、死に至らないまでも熱中症に罹ったのは、新国立競技場の行き届かない設備のせいであるとの訴状がJOCに続々と届き、その内訳は米国から5件、EUから3件、中国から10件、韓国から4件、国内からも3件となった。このうち死亡に至ったケースは、米国人が計2件、中国人1件、日本人1件である。
というようなことが起こったら、どうする?
ともかく、オリンピック開催までに、これ以上の不祥事が起こらないことを望むばかりだが、どうなることやら。
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