ピカソ展@宮城県美術館
雨がしとしと降っている11月の仙台市は寒かった。
開館は9時半、宮城県美術館に着いたのは9時7分。
開館前でも入れてくれるだろうという予測は甘かった。館内は明かりがついているものの人影は見えず、時間がくるまで扉は閉まったままだった。
入り口の脇にあるオープンカフェ用のデッキチェアーに縮こまって座って待った。
同じ考えの客がぱらぱらと現れて、「早すぎた」「まだか? 」「開けてくれてもいいのにね」などと、つぶやいていた。開館時には50名ほどが扉の前に並んだ。(2015年10月31日〜12月23日)
ドイツのケルンにあるルートヴィッヒ美術館と国内からの計80点が展示されている。
パブロ・ピカソ(1881~1973年)の初期の作品、『貧しい食卓』『手を組んだアルルカン』は素晴らしかった。
キュビズムを取り入れたばかりの頃の作品は、意図するところが理解できて納得がいく。
しかし、時代を経るごとに意図を測りかねる作品が多くなっているように思う。
晩年の作品は精彩を欠き弛緩した印象を受けた。
唾を履いても作品になると、世の中に喧嘩を売るようなことを言ったと伝えられるピカソは、天才なのだろう。
あまりに才能が豊かゆえに、小さくまとまらず、自由奔放に作品を手がけた結果、一貫性のない作品群になったのだろう。どんな作品もべらぼうな値段がつくのだから、意に添わぬ作品を手がけたかもしれない。
作品のあまりの多さも、まとまりのない印象を与える。ピカソの作品は油彩1万3千点、版画・素描・陶器など油彩以外が13万点あるといわれている。ちなみに、ピカソと同じように90歳をこえるまで活躍した葛飾北斎は、3万点の作品を残したと言われている。
ゲルニカを持ってくれば、間違いなく盛り上がる美術展になっただろう。
きっとキュレーター泣かせの画家なのだ。
ピカソを撮影したマン・レイの写真が40点も展示されていた。
常設展には、ピカソに影響を与えたと言われるワシリー・カンディンスキー(1866~1944年)の作品20余点が展示されていた。音楽を感じさせるわかりやすい抽象画だった。< /p>
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帰りのタクシー男性運転手によると、ピカソ展はサッパリ盛り上がっていないそうだ。
もう少しコマーシャルをうったほうがいいと言う。
話は変わって、運転手は羽生結弦の親戚だと言い出した。
葬式では羽生の父親の隣に座るというから、父親と兄弟かと思ったが、それ以上は関係を語らなかった。
運転手は甲高い声で早口で喋る。
母親はどうか知らないが、羽生一家は運動神経がすごくいいという。羽生は頭脳明晰で、成績はオール5だったそうだ。
話題は女子のフィギアスケートに移り、きのう(11月7日)の中国大会で2位になった本郷理華について語り始めた。
羽入と同じ宮城県出身の本郷は、父親が外人で幼い頃に別れ行方知れずになっているという。祖母が美容師で、かつて仙台市でフィギュアスケートを習っていた荒川静香と親しいという。また東北福祉大出身の鈴木明子にも可愛がられ、ここまで来たのだという。
東日本大震災のとき、中学生の本郷は一人で船に乗って、名古屋のコーチの元へ行き練習をしたという。さぞや不安だったろうが、根性は見上げたものだと褒めた。
演技で転んだシーンを見たことがないそうだ。それほどジャンプは安定しているという。
長い手足をヘリコプターのようにブルブル振り回しながらの演技がいいという。
羽生はもちろんだが、一番応援しているのは本郷だそうだ。
「インタビューの対応が子供すぎるのがねー」とオチがついたいったところで、タクシーは三越デパートの横に着いた。
地下の〈青葉亭〉で〈塩牛タン〉を買うことになっている。
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