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2015年12月

2015年12月22日 (火)

下町ロケット 池井戸潤

ジェットコースターのように、めまぐるしく状況が変わる勧善懲悪もの。
第145回直木賞受賞作(2011年上半期)。
7年前の種子島宇宙センターでの実験衛星打ち上げシーンから始まる。
総責任者である佃航平の長年の研究の結晶である、大型水素エンジン・セイレーンを搭載した衛星の打ち上げは、あえなく失敗した。

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池井戸 潤
小学館文庫
2013年

失意の佃は研究者としての行き場を失い、父親が社長をしていた佃製作所を継いだ。
佃が引き継いでから、会社は製品開発で業績を伸ばし、父親が社長をしていたころの3倍の業績を上げるようになった。
しかし、筑波大学の客員教授の職に就いた妻・沙耶の不満は募り、別居することになる。そして離婚、娘は佃の元に残った。

そんなある日、商売敵の大手メーカー・ナカシマ工業から主力商品ステラが特許侵害で訴えられる。ナカシマ工業の目的は、裁判を長引かせ佃製作所の信用をを兵糧攻めにし、吸収合併しようというもの。
佃製作所の売り上げは下降線をたどり、メインバンクからの融資が断られ、万策つきたかに思われたときに、沙耶が知財関係では国内トップクラスの凄腕弁護士の神谷を紹介してくれた。
仲たがいして離婚したわけでなかったことが佃を救うことになる。
神谷弁護士は、ナカシマ工業の製品を特許侵害で訴えるという起死回生の策を打った。
ナカシマ工業の裁判を引き延ばす戦術をお見通しの裁判長は、和解を勧告し、双方の訴えをそれぞれ認めた。
佃製作所は難を逃れ、思いもよらない和解金を手にしたのである。

佃には別の難題がのしかかってくる。
大手の帝国工業が自社部品だけで製作を進めていた人工衛星のエンジンに不具合がみつかり、佃製作所の特許を50億で購入したいと伝えてきた。
特許を売るか、売らずに特許使用量を得るか。

ところが、佃の帝国工業への要求は、佃製作所にキーデバイスを作らせてくれというものだった。キーデバイスを作成するという佃の案に、社内では現実路線を顧みるようにと若手たちは猛反発し、社を二分する騒動となる。
佃は苦悩するが、夢を持ち続けることが将来の会社の飛躍につながると、自分の考えに固執するのだった。→人気ブログランキング

2015年12月18日 (金)

現代アート入門の入門 山口裕美

日本の現代アートは世界の流れに大きく取り残されていて、惨憺たる状況だという。著者はアートプロデューサー。

2001年1月、村上隆が企画した「スーパーフラット展」は、アメリカでセンセーショナルに受け入れられた。2002年5月、クリスティーズのオークションで、村上隆の「HIROPON」に38万ドル(4860万円)の値がついた。
ところが、アメリカで大成功を収めた「スーパーフラット展」は、日本のマスコミではほとんど報道されず、日本の美術界で話題にされることもなかったという。
日本人は才能の突出した同胞を無視する傾向があるという。確かにそう思う。

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山口裕美
光文社新書
2002年

日本の現代アートを取り巻く環境は厳しい。
アーティストが作品を作るアトリエが郊外に追いやられている。
美術館から要請されても、大作を作る大きなスペースがアトリエがない。
美術展が終わった後に作品を収納する場所がない。
そもそもキュレーター制度がなっていない。

美術館の役割の一つは、同時代のアーティストの作品を市民に成り代わってコレクションすることだが、そういう意識が美術館にない。まったく嘆かわしいことだという。
かつて、村上隆と奈良美智の個展を行った東京都美術館と横浜美術館が、彼らの作品をコレクションしなかったのは世界の常識ではありえないことだという。

日本の美術館には、教育的鑑賞、高尚な趣味、という思い込みが充満している。もっと自由に鑑賞させるべきだというのが著者の意見。

海外アート市場で、日本アーティストがバナナと呼ばれる理由は、肌は黄色いが中身は白く欧米化されていることを指す。現代アートはアーティストのアイデンティティが重要な要素になっている。日本人らしさが求められているのだ。

八方ふさがりの日本の現代アートだが、著者が期待する日本のアーティストを何人か紹介し、現代美術を展示するやる気十分な美術館を巻末に挙げている。

現代アートは不動産よりも確実に値上がりする可能性があり、10倍になるなどザラだという。それゆえ投機の対象になるので、購入しましょうと提案している。→人気ブログランキング

2015年12月12日 (土)

村上隆の五百羅漢図展@森美術館

村上隆の美術展が、日本で開かれるのは14年ぶりだという。
外国で評価されているが、日本での評価は毀誉褒貶が相半ばし、未だに日本美術界に完全には受け入れられていないからだろう。

閲覧者は、外国人がちらほら、青年層が多め、美術学校生らしい奇抜な服装の若者がいて、幼児連れの夫婦もいるといったところで、写真撮影可であった。
縦3m×横100mという超大作の『五百羅漢図』に圧倒されたが、なんでまたこんなどデカイものを作ったのだろうという単純な疑問が湧いてきた。

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東日本大震災にいち早く支援の手を差し伸べてくれたカタール政府への謝意を表すために、美大生200人を集めたった3カ月で完成させたという。
3年前、同国の首都ドーハで初披露された。
それにしても100メートルとはどういうことだ。
横山大観の横幅40メートルある『生々流転』の向こうを張ったのだ。

『五百羅漢図」は、中国の古代思想で東西南北を司る四神「青龍」「白虎」「朱雀」「玄武」の名を付けた4つのパートに分かれていて、16人の羅漢や霊獣が大きく描かれ、その周りに大小500人の羅漢たちを配する構図になっている。
羅漢とは、阿羅漢(あらはん)の略で、「修行を完成した尊敬するに値する人」「悟りを得た人」のことである。
釈迦の弟子で特に優れた16人の弟子を16羅漢と呼び、五百羅漢とは,初めての経典編集に携わった弟子たちのこと。『五百羅漢図』はありがたい作品なのだ。
村上の五百羅漢図像を、ピカソの『ゲルニカ』に匹敵する作品と持ちあげるのは、森美術館の館長だが、いくら何でも買いかぶりすぎだと思う。

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異能の日本人絵師たちについて美術史家・辻惟雄が書くエッセイに対し、村上が呼応する形で作品を製作する「絵合せ21番勝負」が『芸術新潮』に連載された。それらの作品も展示されていた。
異能の絵師とは、狩野永徳(↑)、伊藤若冲、葛飾北斎、曾我肅白、鳥居強右衛門、井上有一、荒川修作、赤塚不二夫など。辻惟雄と絵師たちにインスパヤーされて、村上が作品を作るというものだった。

2001年1月、村上が企画した「スーパーフラット展」が、ロサンゼルス、ミネアポリス、シアトルを巡回し、一大センセーションを起こした。
そして、2002年5月には、ニューヨークの老舗オークション会社クリスティーズにおいて、「ポストウォー&コンテンポラリーアート」部門のオークションで、村上隆の『HIROPON』に38万ドル(4860万円)の値がついた。『HIROPON』は、自らの母乳で縄跳びをする裸同然の美少女フィギュアである。

こうしてブルドーザーのような村上は世界に出て行ったのだが、〈おたく文化を劣化コピーして外国に売っている売国奴〉と、おたくたちに叩かれた。村上の登場で、おたくたちは、おたく文化が外国で高く評価されることを知った。しかし、彼らが育んできた聖なる文化を「おたく」ではない「ヤンキー」の村上が、あれこれやるのが気に食わなかいのだろう。村上が「おたく」でないバリバリのヤンキー気質だから問題なのだ。

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パクリの観点から村上の作品を観ると、『DOB』はミッキーマウス、『HIROPON』はセーラームーン、『マイ・ロンサム・カウボーイ』はドラゴンボール、『五百羅漢図』は水木しげるの妖怪たちを彷彿とさせる。そのほかハクション大魔王に出てくるキャラクターもどこかにいるはずだ。
とはいってもパクリでないアートなんてそうそうないだろう。
アートは、インスパイヤーやら模倣やらパクリやらを、追放したら成り立たない。やった者勝ちなのだ。

村上を世界は大いに認めているのだから、日本美術界はそろそろ寛大な応対をしてもいいのではないかと思う。

村上隆の五百羅漢図展
2015年10月31日(土)〜2016年3月6日(日)
森美術館(六本木ヒルズ森タワー 53階)

2015年12月10日 (木)

現代アメリカ宗教地図 藤原聖子

生活において「神が重要」と答えたアメリカ人は54.2%と、先進国では飛び抜けて高い。ちなみに日本は5.4%。アメリカは宗教の国である。

アメリカ人の各宗教との関わりを人口比率で見ると、プロテスタント51.3%、カトリック23.9%、モルモン1.7%、エホバの証人0.7%、正教0.6%、ユダヤ教1.7%、仏教0.7%、イスラム教0.6%、ヒンドゥー0.4%、リベラル度の強いクリスチャン0.7%、無所属(無神論、不可知論など)16.1%、わからない0.8%、となる。キリスト教が75.8%を占めている。
本書の特徴は、ユーチューブからの情報を多用していることである。

D58b18b25e584bce8675e2751ab1bc36 現代アメリカ宗教地図
藤原 聖子 (Fujiwara Satoko
平凡社新書
2009年

 アメリカの政教分離は、国家は特定の宗教を優遇しないことを示すだけで、政治の領域から宗教を排除することを意味しない。アメリカの信仰の自由とは、どこでも祈る場所を提供することである。

宗教上の保守は父親は外で働き、母親は専業主婦として家庭を守る。性のモラルをはじめとする道徳を強調する。
対して、リベラルは道徳よりも「反差別」に重きを起き、女性、民族・人種的マイノリティ、性的弱者の差別に反対する。国際問題や環境問題にも関心が高い。
保守は、聖書を神の言葉と絶対視しその言葉を文字通り受け取る。世界は神が創造したと信じ、進化論を否定する。天国と地獄の存在や近未来の終末の到来を信じ、天国での救いを最大の目標とする。教会に熱心に通う。
同性愛に反対し、人工中絶に反対し、公立高校に宗教教育の導入を求め、そうしたことを政界に働きかける。
宗教上のリベラルには二つのパターンがあって、リベラル派プロテスタントと呼ばれる人たちで、聖書は人が書いたものと認識している。もうひとつは、東洋の宗教やヨガやスピリチャルなものにひかれているという人たちである。

保守派プロテスタントが目指しているのは、古き良きアメリカを取り戻すことである。
「文化戦争」という言葉が、使われるようになったのは1990年代で、冷戦終結が影響している。保守派の敵が、共産圏から国内のリベラル派に移ったことによる。
人工中絶、同性婚や同性愛者の権利を認めるか、公立学校での宗教的祈りや反進化論教育などを認めるかが争点になっている。

クリスチャンシオニズムという保守派プロテスタントの考えは、イスラエルとパレスチナ紛争をハルマゲドンの始まりと捉え、敵であるユダヤ教徒を支援すれば、終末が近づき敬虔なクリスチャンである自分たちが救われる日が近づくとする。アメリカがイスラエルを支援する理由はここにあるという。
保守派プロテスタントは、ユダヤ教徒はいずれはキリスト教に改宗し、そうでなければ死滅すると考えている。
保守派プロテスタントは、自分たちの宗派以外は天国に行けないと信じているから、改宗を促す。
なんという都合のいい考え方なのか。

何かと面倒を引き起こすのは、保守派プロテスタントということだ。→人気ブログランキング

仏像図解新書/石井亜矢子・岩崎隼/小学館101新書/2010年
日本の10大新宗教/島田裕巳/幻冬社新書/2007年
現代アメリカ宗教地図/藤原聖子/平凡社新書/2009年
完全教祖マニュアル/架神恭介・辰巳一世/ちくま新書/2009年
ふしぎなキリスト教/橋爪大三郎・大澤真幸/講談社現代新書/2011年

2015年12月 6日 (日)

悲しみのイレーヌ ピエール・ルメートル

カミーユ・ヴェルーヴェン警部シリーズの第1弾、著者のデビュー作である。
昨年、翻訳され爆発的にヒットした『その女アレックス』は、本シリーズの2作目。

パリ警視庁犯罪捜査部の警部カミーユの妻イレーヌは数週後に出産を控えている。
カミーユはふたりの女性の殺人現場に呼び出された。電気ノコギリやバーナーや酸が使われ、遺体は無惨に損壊されていた。頭蓋骨が釘で打ちつけられた壁には、《私は戻った》と血文字が書かれていた。指紋が残っていたが、ご丁寧にもスタンプによるものだった。
指紋のスタンプから1年前に起こった未解決の女性殺害事件と同一犯と推定された。
この事件では、奇妙なことに被害者の髪の毛が綺麗にシャンプーされていたのだ。

 

6efa9cbf65454ca6998e615c83165754悲しみのイレーヌ ピエール・ルメートル  橘 明美 訳 
文春文庫 
2015年

カミーユは、記者のあいだで手腕とその低すぎる身長で、ちょっとした有名人である。
事件解決のめどがつかない状況の中、カミーユの個人情報が大々的に新聞に載った。
ル・マタン紙の記者がカミーユの父親から聞きだきたものだった。
記事により、カミーユの立場は悪くなり、事件捜査から外されそうになる。

夜中に悪夢で目覚めたカミーユは、1年前に起きた事件の死体の状況が、小説の『ブラック・ダリア』と同じであるとひらめいた。
そして、今回の事件に合致する小説を洗い出すと、『アメリカン・サイコ』にたどり着いた。
犯人からカミーユ宛に、捜査の進捗状況を見透かしたような手紙が届く。

そして、過去の未解決の殺人事件と一致する小説を結びつける作業が始まった。
イギリスのグラスゴーで作業中の浚渫船が女性の遺体を引き上げた事件は、スウェーデン発のミステリの古典『ロゼアンナ』を摸したことが、判明した。
ミステリ好きには、たまらない展開となっていく。

ついには、犯人から次の殺人を示唆する手紙が届く。
仕上げの殺人は、果たしてどんな小説を模倣して行うのか?→人気ブログランキング

傷だらけのカミーユ
悲しみのイレーヌ
その女アレックス

2015年12月 3日 (木)

モネ展@東京都美術館

日曜日なので、チケットを買うまでに30分以上かかり、入館までにさらに10分以上かかるという混みようで、作品に近づいて鑑賞するには、大いなる忍耐力と不躾な強引さを発揮しなければならない美術展であった。
そこまでの貪欲さがないので、もっぱら音声ガイドを頼りに、遠巻きに眺めることにした。
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マルモッタン・モネ美術館所蔵
モネ展  「印象、日の出」から「睡蓮」まで
東京都美術館
2015年9月19日〜12月13日
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10代の頃のモネは、風刺画(カリカチュア)を描いていて、町ではちょとばかり知られた存在で、風刺画で収入を得ていたという。
その後、油絵を書くように勧められ本格的な画家の道に入った。

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モネはルノアールと仲がよかったそうで、なんとなくルノアールの優しいふわっとした筆使いが、作品全体に見られるようだ。

第1回の印象派展で出品された『日の出』だけは、是非ともまじまじと見たいと思っていたにもかかわらず、すでに展示期間が終わっていた。
『日の出』はどこにあるのだろうと作品一覧表を確かめたところ、終わっていたのだ。
今日つめかけた客の何人がこの不条理を、前もって知っていたのだろう。
詐欺だ。

もう一つの目玉は、汽車が吐き出す蒸気が印象的な『ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅』だ。
何年か前にボストン美術館展で展示されていた作品と構図が違ったが、強烈な近代化の息吹が感じられる印象派らしい作品だった。

パリのマルモッタン美術館はモネの作品を多く所有することで有名である。
他に、ドラクロア、ピサロ、ロダン、ルノアール、シニァックらの作品が展示されていた。

晩年の、しだれ柳やバラの小道を描いた作品群は、緊張感がなくなった感じがした。
数ある『睡蓮』の中でモネが自らの手元においていた『睡蓮』は、池の底に映る睡蓮や光までもを描がこうとしていると説明が加えられていて、眺めれば眺めるほどに奥深さを感じさせる見事な作品だった。

予想通りグッズ売り場は芋洗いの状況、人をかき分けてなんとか出口にたどり着くという有様だった。

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