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2016年2月 8日 (月)

新しい須賀敦子 湯川 豊 篇

2014年10月に、神奈川近代文学館で開催された「須賀敦子の世界展」で、対談や講演が行われた。それらをまとめたものの他に、須賀敦子研究の第一人者である編者が、5つの観点から分析を試みている。


須賀敦子の最初の本『ミラノ 霧の風景』が刊行されたのが1990年。1998年に69歳で亡くなったものの、その後もずっと人気が続いているのはなぜか?
なにより、よい文章であり美しい文章であることに尽きるとしている。









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江國 香織 松家 仁之 湯川 豊
集英社
2015年

須賀敦子を読み解くうえで、欠かせないのが父親の存在である。
「(父との)灼けるような確執」(『遠い朝の本たち』)があったと須賀敦子は書いている。
妹によると、両親の反対を押し切ってクリスチャンになったり、反対を押し切って留学したり、結婚したり、両親に反抗しっぱなしだったという。若い頃、父親に散々反発したが、父親が勧めた本はちゃんと読んでいた。ファザー・コンプレックスだったという。


イタリアに留学した須賀敦子はコルシア書店に出入りし、カソリック左派の運動に首を突っ込むようになる。そこで知り合ったペッピーノと結婚する。
ある日、ペッピーノが君向きの本だと、ナタリア・ギンズブルグの『ある家族の会話』を渡した。読み始めるとたちまち熱中した。
のちに須賀敦子はキンズブルグに直接会いにいき、翻訳の許可を直接交渉している。
『ある家族の会話』の特徴は、家族が交わしている会話そのものが、物語を語る文章になっていることである。須賀敦子の文体もキンズブルグと同じものを目指した。


夫の家族は下級鉄道員の出、須賀敦子と生活とは違う階級であり、夫の家族のことは書きにくかったはず。書きにくさを物語にすることで乗り越えたという。→人気ブログランキング

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