ピカソは本当に偉いのか? 西岡文彦
パブロ・ピカソを中心に、近代美術の変遷を解説している。
ピカソの作品は油彩1万3千点、版画・素描・陶器など油彩以外が13万点という膨大な数に上る。作品にせよ、金にせよ、女性問題にせよ、ピカソだからこそまかり通った理由があった。
ピカソは本当に偉いのか? 西岡 文彦 新潮新書 2012年 |
『アヴィニオンの娘たち』を描いたとき、ピカソはすでに売れていたので、評価がどうであろうと構わなかった。だから実験的な作品を描くことができたという。
アカデミーの理論教育の教材がヌードだったため、画家にとってヌードを描くことは論文を描くようなもの。最新の手法でヌードを描くことは最新の学説を発表することだった。『アヴィニオンの娘たち』はピカソが世に問うた「新理論の論文」なのである。
ピカソは何人もの女性と生活をともにしたが、結婚したのは二人である。最初の妻オルガとジャクリーヌである。
次々と女性と関係を結び、捨てていく。「ピカソはまず女を犯し、それから絵を描くのです。相手が私であれ誰であり、同じことでした」とはマリー・テレーズの言葉。孫娘がピカソを、「人間の苦悩の熱狂的ファン」と評している。それほど冷たい面を持ち合わせていた人物ということになる。
近代絵画の出発点は、写真に対抗して写実描写を放棄せざるを得なかったことである。
「ピカソを偉い」とする芸術という概念の登場は、美術館というものの誕生と密接に関連している。
教会にあれば神の威光を表し、宮殿にあれば王の権威を表し、市民の家庭にあれば暮らしを美しく彩るというそれぞれの場面で、実用的な目的を持っていた美術は、美術館の登場で象牙の塔ともいうべき、権威ある施設の登場によって、用途から切り離されてしまい、美術品それ自体の持つ色や形の美しさ、細工の巧みさだけが鑑賞されるようになった。以降、美術館なる場所に飾られることを最終ゴールとして作成されるようになる。
美術が実用性というものを軽蔑するようになったのはこの時からである。
審美主義的価値観から見ればピカソの絵は美しくない。
しかし、プロの目から見ると、ピカソの描く線は完璧だという。言い換えれば、ピカソの絵は美しくないが驚異的にうまい。
1929年ニューヨーク現代美術館(MoMA)創設された。
初代館長アレフレッド・バーは、MoMAの威信にかけて、『アヴィニオンの娘たち』を手に入れようとした。
ピカソに関する利権を独占しようとする画商との権力争いや、ピカソ自身の優柔不断と格闘しながら、15年を費やして1939年に、ピカソの1939年大回顧展にこぎつけた。
バーの見る目は正しかったのである。→人気ブログランキング
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