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2016年3月

2016年3月31日 (木)

少年の名はジルベール 竹宮惠子

1970年、すでに新人の漫画家として連載をはじめていた著者は、徳島大学を中退して上京した。同じく新人の萩尾望都と、彼女が連れてきた増山法恵と3人で 、増山の実家から徒歩30秒の一軒家に住むことになった。やがて、そこは「大泉サロン」と呼ばれ、漫画家志望者が寝泊りしたり居候したりする場所となった。いわば、女性版「トキワ荘」である。
竹宮惠子や萩尾望都を中心とした昭和24年25年生まれの女性漫画家は、その華々しい活躍から「花の24年組」と呼ばれている。
Image_20201204113401少年の名はジルベール
竹宮 惠子
小学館
2016年

担当の編集者の言葉が、著者と萩尾の作風を端的に言い当てている。「萩尾は安定した個性を持っているから、売りやすいんだよ。お前は描くたびに違うものを描くから売りにくい」と。

著者は、萩尾望都に憧れとジェラシーがないまぜになった気持ち抱くようになり、「大泉サロン」が2年しか続かなかった理由でもあった。
「一つ屋根の下に作家が二人いるなんて」と同居に反対した編集者の危惧が当たった。

音大を志望していた増山は、文学や映画や音楽について詳しく、漫画に対する論評は鋭かった。ある日、著者は増山に少年愛について描きたい旨を話した。増山の賛同が得られ、ふたりとも同時期に、稲垣足穂の名著『少年愛の美学』を愛読していた。
少年愛の魅力とは、少年がもっている細くて不安定で、そんな薄紙一枚の時期にしかない透き通るような声。体も声もあと少しで絶対に消えてしまうとわかっている残酷な美しさであるという。

編集者の駄目出しにもめげず、なんとかしてボーイズラブの漫画を世に出したいと奮闘する著者の願いが実り、1976年に発表された『風と木の詩』は熱狂的支持を得た。

『風と木の詩』の第一話は、少年同士のベッドシーンの行為が終わった情景から始まるという衝撃的なものだった。さらに生徒と教員による売買春、少年と父との近親相姦が描かれる。本書のタイトルにあるジルベールが主人公であった。
多くの批判にさらされたが、寺山修司や河合隼雄はエポックメイキングな作品であると高く評価した。ボーイズラブは、女性の心理メカニズムを描くのに適した表現法であったと著者はいう。

本書は、京都精華大学の学長である竹宮惠子が20歳で漫画家として歩みはじめ、少女漫画界に革命をもたらしたとされる『風と木の詩』を発表するまでを描いた自伝である。→人気ブログランキング

2016年3月27日 (日)

蒼路の旅人 上橋菜穂子

守り人シリーズの第1作『精霊の守り人』で、新ヨゴ皇国の11歳のチャグム皇太子は水妖の卵を宿したために、父の帝から命を狙われた。15歳のいまも、チャグムは帝に疎ましく思われている。
本書は守り人シリーズの外伝のような位置付けであり、女用心棒のバルサは登場しない。
綾瀬はるか主演で豪華キャストをそろえ、『精霊の守り人』がNHKでテレビ放映されている。
Image_20210108084101蒼路の旅人
上橋 菜穂子
新潮文庫
2010年

タルシュ帝の侵略を受けた海洋国サンガル王国の艦隊から、神の国新ヨゴ皇国に援軍の依頼がきた。この依頼がタルシュ帝国がしかけた罠だと見抜きながらも、帝はチャグムの母系の祖父トーサ海軍大提督を向かわせると朝議で決めた。
チャグムは「帝であるならば、私の父であるならば、妻の父の失脚をよろこぶような卑劣なことをなさるな」と帝に食ってかかり、帝は「そこまで言うならチャグムに任せよう、祖父殿を救ってくるがいい」と言い放った。
こうしてチャグムは行くも地獄止まるも地獄の苦境に立った。

チャグムとトーサ大提督は、たった3艘で援護に向かった。
案の定、チャグムたちは戦わずして捕虜の道を選ばざるをえなくなった。チャグム以下の海士をサンガルの船に捕虜として乗り込ませた後、ひとり残ったトーサは船に火を放ち自害した。

チャグムはタルシュ帝国のラウル王子に謁見することになった。
ラウル王子はチャグムに、新ヨゴ国がタルシュ帝国の枝国になることが、国を焼け野原としない唯一の方策であると迫った。帝を殺害しチャグムが帝にとってかわるというもの。
強大な軍事力を持つタルシュ帝国に新ヨゴ皇国は決してかなわない。チャグムは、新ヨゴ国の民を救うためにラウル王子の提案を飲まざるを得なかった。

新ヨゴ皇国に向かう船の中で、チャグムは思案した。
ロタ王国とカンバル王国と新ヨゴ皇国の北の3国で同盟を結ぶことこそが、タルシュ帝国に対抗しうる唯一の方法であるとの思いに至った。
その交渉をタルシュ帝国に気付かれずに成し遂げなければならない。

そして、読者が「え〜」と思われるかもしれないと著者自身が語るのは、最後の衝撃的なシーンである。それは、あとに続く『天と地の守り人』の3部作への布石である。→人気ブログランキング

精霊の守り人
闇の守り人
夢の守り人
虚空の旅人
神の守り人来訪編
神の守り人帰還編
蒼路の旅人
天地の守り人 第1部 ロタ王国編
天地の守り人 第2部 カンバル王国編
天地の守り人 第3部 新ヨゴ皇国編
獣の奏者1 闘蛇編
獣の奏者2 王獣編
獣の奏者3 探求編
獣の奏者 外伝 刹那
流れ行く者 守り人短編集
バルサの食卓
孤笛のかなた
鹿の王
水底の橋 鹿の王 

2016年3月25日 (金)

レオナルド・ダ・ヴィンチー天才の挑戦@江戸東京博物館

連休だったので、チケットを手にするまで60分、『糸巻きの聖母』を見るためにさらに75分も列に並ばなければならないという、まるで修行のような美術展であった。

レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452〜1519年)とは、ダ・ヴィンチ村出身のレオナルドという意味だという。
14歳のときに、フィレンツェのヴェロッキオの工房に修行に入った。
絵画から兵器と、なんでも手がけるヴェロッキオの影響を受けて、ダ・ヴィンチも様々なことに興味をもった。
人体の解剖は30回関わったというし、空を飛ぶための研究には20年もかけている。
何しろ売れっ子画家なので絵の注文はどんどんくるが、作品を最後まで仕上げるのは稀で、途中で投げ出したり、はじめから手をつけなかったり、注文を反故にすることがしばしばあったという。

『鳥の飛翔に関する手稿』など、ダ・ヴィンチ直筆の資料をじっくり見たいところだったが、何しろ混んでいるので早めに切り上げ、『糸巻きの聖母』の列に加わった。

Event20160410_leonardo

『糸巻きの聖母』を見るための列にたどり着くまでに、『糸巻きの聖母』のレプリカや他の作家の模写などが並んでいた。「『糸巻きの聖母』は、75分待ちです」という掲示にうんざりしながらも、「ここまで来たのだから見ないで帰るわけにはいかない」と気持ちを奮い立たせ、列に加わった。
列にいる間、音声ガイドを聞き直し、あるいは列に加わっている客たちを観察して、時間を潰した。なかには、薄暗い照明のなか本を読んでる人もいた。連れとのべつ喋っている人もいたが、大抵は何をするともなくただ列が前に進むに身を任せている人たちだった。

『糸巻きの聖母』の前を、横に蛇行するように赤いテープで仕切られていた。
最初は遠くで、列が進むと段々近づくという閲覧システムなので、遠目から至近距離までたっぷりな時間をかけて鑑賞できた。
いよいよ真正面の至近距離で鑑賞できるポジションにきてじっくり見ようと思っても、そこでいすわれるような雰囲気はない。閲覧者がしばしとどまろうと儚い抵抗を試みても、列は氷河のようにじわりじわり動いていき、その動きには誰も抗しきれなかった。

『糸巻きの聖母』は、聖母に抱かれたキリストが、十字架を暗示する糸巻きを手にもって遊んでいる構図である。背景には『モナリザ』と同じような丘や岩肌が描かれている。聖母の「静」とキリストの「動」が見事に調和して描かれているが、漫画的である。
なお『糸巻きの聖母』は、バクルー公爵家の個人所有である。

ダ・ヴィンチの弟子についても触れられていた。
弟子のサライは、平気で嘘をつき盗み癖があってだらしないという性癖の持ち主であったが、ダ・ヴィンチは生涯そばにおいたという。ダ・ヴィンチがホモセクシャルだったこともあるが、サライは憎めない性格だったという。

天才、男色、偏屈が、ダ・ヴィンチを語る上でのキーワードである。
(2016年1月16日〜4月10日)

2016年3月24日 (木)

ダロウェイ夫人 ヴァージニア・ウルフ

1925年に発表されたヴァージニア・ウルフ(1882〜1941)の代表作。
「ミセス・ダロウェイはお花はわたしが買ってくるわ、と言った。」という有名なフレーズで始まる。ミセス・ダロウェイが自宅で開くパーティのために花を買いに家を出たのは、第一世界大戦(1914年〜1918年)が終結して5年が経った、6月半ばの晴れやかなロンドンの朝のこと。
Image_20210123134801ダロウェイ夫人
ヴァージニア・ウルフ/丹治 愛 訳
集英社文庫
2007年

主人公のクラリッサ・ダロウェイは51歳になったばかり、クラリッサの夫リチャードは保守党の国会議員。
ミセス・ダロウェイという存在は、ミセス・リチャード・ダロウェイというだけの存在、つまり妻は男の付属物でしかないとクラリッサは不満を抱いている。

クラリッサは、反抗的な14歳のひとり娘エリザベスに頭を痛めている。つまり、それは若かりし頃のクラリッサ自身であるわけだが。。
エリザベスの家庭教師ミス・キルマンが、クラリッサに敵愾心を持っていて、クラリッサもミス・キルマンを嫌っている。ミス・キルマンは異常なほどの信仰心をもっている。始末が悪いことに、エリザベスはミス・キルマンに憧れている。
ミス・キルマンの存在は、宗教に束縛されたくないあるいは無宗教という、クラリッサの意思の暗喩である。

30年前に、クラリッサの家で過ごした夏の日々を、登場人物たちが回想する。1890年代の初期、夏のブアトンことだ。
ピーター・ウォルシュはクラリッサにべた惚れだった。ところが、最終的にクラリッサを心を射止めたのはリチャード・ダロウェイ。ピーターはリチャードのせいでクラリッサと結婚できなかったと思っている。
その夏、クラリッサは自由奔放なサリーに憧れレスビアン的な関係にもなっていた。

レイディ・ブルートンの昼食会や、大戦によるPTSDで苦悩するセプティマスが飛び降り自殺を図るエピソードが挟み込まれる。
そして、予定通りに、ロンドンの名士たちが集い、ピーターもサリーも出席するパーティが始まる。

物語はパーティのための花を買いに行くという晴れやな始まりが、自殺という不吉な話題で終わろうとする。それは、まるで、クラリッサに熱烈に恋をして振られ、インドに行き失敗してしまったピーターの人生のようでもある。

めまぐるしく視点が変わる文体で、多彩な登場人物たちの心象を通して、ロンドンのある濃厚な1日が描かれている。→人気ブログランキング

→『めぐりあう時間たち』(DVD)
→『バージニア・ウルフなんかこわくない』(DVD)

2016年3月19日 (土)

霜の降りる前に ヘニング・マンケル

ヘニング・マンケルが、2015年10月5日に67歳で亡くなった。末期の肺癌だった。
2年前に頚部痛で医療機関を訪れ診断されたときには、すでにかなり進行していたという。
ご冥福をお祈りします。

1978年、南米のガイアナのジャングルで起きたカルト教団の集団自殺から、死を逃れたひとりの男がいた。男は教祖の犯した過ちの轍を踏まぬよう、何年もかけて準備をしてきた。
Image_20201206073801霜の降りる前に〈上〉
ヘニング・マンケル
東京創元社
2016年
Image_20201206073901霜の降りる前に〈下〉
ヘニング・マンケル
東京創元社
2016年1月

本作の主人公は、クルト・ヴァランダー刑事の29歳になる一人娘のリンダである。
リンダは警察学校を卒業して、9月から父の勤めるスウェーデン南部にあるイースター署で警察官実習生として仕事を始めることになっている。実習が始まるまで、バツイチで独り身のヴァランダーのアパートに居候している。

リンダの幼馴染みのマリアが、20年前に行方不明になった父の姿を目にしたと言って、失踪した。医学の勉強をしているはずのマリアのアパートには、医学に関する書籍が1冊もない。不思議に思ったリンダはアリアを探しはじめる。

そしてイースターの周辺では、白鳥ヤ子牛の焼殺事件、湖畔の小屋で頭と手だけが残こされた女性の惨殺事件が起きた。さらに、ペットショップの火災、2件の教会の火災が起きた。

制服を着ていない微妙な立場のリンダは、事件に関わっていいものか戸惑う。性格が似てるがゆえに、ちょっとしたことで父娘はぶつかってしまう。
リンダが行方不明者のバイクを発見したことがきっかけとなり、宗教がらみの猟奇的事件の様相を呈していく。そして、否応なくリンダは捜査チームの重要な一員として活躍することになる。→人気ブログランキング

霜の降りる前に
北京からきた男
ファイアーウォール
リガの犬たち
背後の足音

2016年3月15日 (火)

"お金"から見る現代アート 小山登美夫

現代アートの悲観論を極力排除して、現代アートの前向きな部分を取り上げている。
現代アートは、抽象的だったり、あるいはメッセージ性が強すぎたり、こうあるべきだというような、美術のための美術になっていて、難解なだけであった。
Photo_20210630085001“お金”から見る現代アート
山 登美夫
講談社+α文庫
2015年

奈良や村上の作品は、お勉強ではなく、自分たちのリアリティつまり自分たちの中から出てきたアート、生きているアート、リアルクローズなアートである。

アートの価格には2種類ある。
プライマリー・プライスとは、ギャラリストとアーティストの間で決定される。作品がアーティストの手から離れ初めてアートマーケットに出されたときにつく価格のこと。
セカンダリー・プライスとは、市場の動きによって上がったり下がったりする価格のこと。オークションにでた場合に落札価格やコレクターが作品を手離し転売するときの価格などさまざまである。
セカンダリープライスがどんなに高くなろうと、作家にはお金は入ってこない。

どんな作品にも共通している価格設定の原則。サイズが大きくなれば値段ば高くなる。恒久性の素材で描かれたものほど値段が高くなる。ドローイングよりもペインティングの方が高くなる。

現代アートを難しくしている元凶は、作品の評価と価格が結びつかないことだ。美術館に飾られている絵画も、もともとアートは値段がついていたものであるという意識で見るのがいい。

名画・作品といわれる人気作品は、技術・感情・コンセプトの3つの要素のうちどれかが際立っている。
たとえば、セザンヌの絵は技術とコンセプトで革新的。ムンクは感情表現が優れている。
ピカソのゲルニカはコンセプトと感情表現が優れている。

コレクターに対して、嫌いだけれどすごいは買いだという。
嫌いということは強烈な個性があるはずである。好きなものばかりを集めていると、同じような作品だけを集めることになるので要注意だという。

アジアン・コンテンポラリアート・オークションについて苦言を呈し、世界最高の美術品の見本市アート・バーゼルについて紹介し、日本の現代アートの現状を解説している。→人気ブログランキング

2016年3月 8日 (火)

死んでいない者 滝口悠生

葬儀がはじまってから夜中過ぎまでの、「死んでいない」親族たちの言動をユーモアを交えて、三人称多視点と神視点から描いている。
第154回(2016年1月)芥川賞受賞作。

85歳で亡くなった故人には5人の子どもがいて、親族はひ孫を入れると総勢30人ほどになる。故人の妻はすでに亡くなっている。
10月の晴れた日。暑くもなく寒くもない、いい季節に死んでくれたと何人もが口にする。

Photo_20201121083101死んでいない者
滝口 悠生
文藝春秋
2016年

親戚たちの略歴が説明され、また会話の中で語られる。血縁関係がところどころで挟み込まれるが、そんな話を聞いて「誰が誰だか全然かわんねえよ」と、祖父の幼馴染みが故人の三男にいった言葉は、この小説のテーマを象徴する。著者は鼻から読者に誰が誰のなにに当たるかを、わからせようと考えていない。
何しろ〈誰が誰の子どもで、誰と誰が兄弟なのか、もはや親戚のごく一部しかわからないし、当人たち同士さえ年の離れたいとことおじおばとの区別がつかない。〉という状況なのだ。大人数の親戚が集まるとこんなものだろう。

遠方すぎて都合がつかなくて来れない奴もいて、離婚して行方不明の奴もその妻だった女の話も出る。まともな奴はまともじゃない奴を、まともな奴から見た基準で選別したりする。

葬式に集まった親戚たちの普通にありそうな有様を描いた作品。→人気ブログランキング

2016年3月 4日 (金)

目の見えない人は世界をどう見ているのか 伊藤亜紗

見えない人は、耳の働かせ方、足腰の能力、さらに言葉の定義などが、見える人と異なる。これを4本脚の椅子と3本脚の椅子の座り方の違いで説明している。3本脚の椅子に座るにはコツがいるし、考え方を変えなければならない。
Image_20201206083901目の見えない人は世界をどう見ているのか
伊藤 亜紗
光文社新書
2015年

ドイツの生物学者であり哲学者であるヤーコブ・フォン・ユクスキュル(1864〜1944)は、1930年代に「環世界」という概念を提示した。生き物は、意味を構成する主体であり、この主体は周りの物事に意味を与えて、それによって自分の世界を構成している。この自分にとっての世界が「環世界」であるとした。
生き物は、自分にとってまたそのときどきの状況にとって必要なものから作り上げた、一種のイリュージョンの中に生きているという。つまり、そのときどきの自分の固有の空間にいるということだろう。
著者は「環世界」こそが、見えない人が捉えている世界であるとする。

見える人が見えない人にとる態度には、情報ベースと意味ベースがある。
情報ベースとは福祉のこと。見えない人はどうやったら見える人と同じように生活してゆくことができるかに、関心が集中しがちである。
意味ベースとは、見える人と見えない人が対等で、差異を面白がる関係である。
見えない人の行動を凄いという評価ではなく面白いと評価することで、お互いが対等に語り合えるという。

たとえば、見えない人の部屋は片付いている。理由は簡単、物がなくなると探すに大変だ。使ったものは必ず元の場所に戻す。頭の中のイメージに合うように物理的空間をアレンジしている。

見えない人には視点というものがないので、視点に縛られることない。見える人には視点があるから必ず死角がある。

見えない世界でサーチライトの役目をするのは足。「さぐる」「支える」「進む」というマルチな役割をしている。見えない人の体とは、サーチ能力と平衡感覚を日々鍛えている体である。説得力のある説明である。
ブラインド・サーフィン、合気道、ブライン・ドサッカーの具体的な事柄を説明する。

著者がこうした分野に興味をもったのは、専攻した「美学」によるという。「美学」は芸術や感性的な認識について哲学的に探求する、言葉にしにくいものを言葉で解明する学問である。本書では、言葉にしくい事柄をわかりやく説明している。→人気ブログランキング

2016年3月 1日 (火)

ヤマザキマリの 偏愛ルネサンス美術論 ヤマザキマリ

著者は映画『テルマエ・ロマエ』(2012年)の原作者。17歳でイタリアに渡り国立美術学校で美術史と油絵を学んだ。
ルネサンスは、普通であることに満足しない変人たちが成し遂げたムーブメントであるとする。美術史を扱っているにも関わらず、美術史特有の堅苦しさがない。

まずは、フィレンツェで起こった〈初期ルネサンス〉を、サンドロ・ボッティチェリ(1444/45〜1510)を中心にとりあげる。ボッティチェリの師は破天荒な修道士のフィリッポ・リッピ、息子のフィリッピーノ・リッピはボッティチェリの弟子であった。3人の共通点は少女漫画風と言っていいロマチックなところだという。
初期ルネサンスのパトロンは、フィレンツェのメディチ家に代表される資産家たちであった。
Image_20201120152101ヤマザキマリの偏愛ルネサンス美術論
ヤマザキ マリ
集英社新書
2015年

次に、舞台はローマに移り、ラファエロ・サンティ(1483〜1520)、ミケランジェロ・ブオナロティ(1475〜1564)、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452〜1519)の三大巨匠が活躍する〈ルネサンス盛期〉となる。
この頃のパトロンは資産家たちから教会に変わる。

その画家がどのように女性像を描いたかを見れば、その画家の人格が推し量れるというのが、著者の持論。
ラファエロは、女性の美を一番認識した人物で、好感が持てるという。ミケランジェロが描く女性は、プロレスラーと見紛う筋骨隆々で色気も何もあったものではないと、筋肉フェチぶりを嘆く。ダ・ヴィンチは、マルチな才能を持った人物だが、人間嫌いでホモセクシャルであった。温かい母性や女性特有の柔らかさを感じられない女性を描いているが、芸術性の高さは認めている。

〈盛期ルネサンス〉の後をヴァザーリは〈マニエリスム〉と呼んだ。マニエリスムとはマンネリと語源となる言葉である。

フィレンツェやローマ以外のイタリアの都市、ヴェネチアやシチリアで活動した人物たちや、フランドルやドイツなどの北方地域で活躍した人物を紹介している。それらの人物の中には、自然描写の名手アレブレヒト・デュラー(1471〜1528)、北方のミケランジェロと呼ばれたハンス・ホルバイン(1497〜1543)、ジャーナリスティックな風刺画を描いたピーテル・ブュルーゲル(1525〜1569)などの特徴的な画風をもった人物がいる。

本書では、誇張と偏見があるといわれるジョルジュ・ヴァザーリ(1511〜1574)の『芸術家列伝』が、ところどころで引用されている。→人気ブログランキング

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