目の見えない人は世界をどう見ているのか 伊藤亜紗
見えない人は、耳の働かせ方、足腰の能力、さらに言葉の定義などが、見える人と異なる。これを4本脚の椅子と3本脚の椅子の座り方の違いで説明している。3本脚の椅子に座るにはコツがいるし、考え方を変えなければならない。
目の見えない人は世界をどう見ているのか 伊藤 亜紗 光文社新書 2015年 |
ドイツの生物学者であり哲学者であるヤーコブ・フォン・ユクスキュル(1864〜1944)は、1930年代に「環世界」という概念を提示した。生き物は、意味を構成する主体であり、この主体は周りの物事に意味を与えて、それによって自分の世界を構成している。この自分にとっての世界が「環世界」であるとした。
生き物は、自分にとってまたそのときどきの状況にとって必要なものから作り上げた、一種のイリュージョンの中に生きているという。つまり、そのときどきの自分の固有の空間にいるということだろう。
著者は「環世界」こそが、見えない人が捉えている世界であるとする。
見える人が見えない人にとる態度には、情報ベースと意味ベースがある。
情報ベースとは福祉のこと。見えない人はどうやったら見える人と同じように生活してゆくことができるかに、関心が集中しがちである。
意味ベースとは、見える人と見えない人が対等で、差異を面白がる関係である。
見えない人の行動を凄いという評価ではなく面白いと評価することで、お互いが対等に語り合えるという。
たとえば、見えない人の部屋は片付いている。理由は簡単、物がなくなると探すに大変だ。使ったものは必ず元の場所に戻す。頭の中のイメージに合うように物理的空間をアレンジしている。
見えない人には視点というものがないので、視点に縛られることない。見える人には視点があるから必ず死角がある。
見えない世界でサーチライトの役目をするのは足。「さぐる」「支える」「進む」というマルチな役割をしている。見えない人の体とは、サーチ能力と平衡感覚を日々鍛えている体である。説得力のある説明である。
ブラインド・サーフィン、合気道、ブライン・ドサッカーの具体的な事柄を説明する。
著者がこうした分野に興味をもったのは、専攻した「美学」によるという。「美学」は芸術や感性的な認識について哲学的に探求する、言葉にしにくいものを言葉で解明する学問である。本書では、言葉にしくい事柄をわかりやく説明している。→人気ブログランキング
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