ガレの庭展@東京都庭園美術館
東京都庭園美術館は恵比寿からの直線距離は近いが、恵比寿と白金台の間に目黒川の崖があり迂回しなくてはならないと、遠回りする理由をタクシーの運転手が説明する。
庭園美術館の門から建物までの道は広く、道の両側のところどころに植えてあるソメイヨシノはまだ咲いていないが、梅は満開だった。美術館は灰色がかったクリーム色の落ち着いた造りである。
東京都庭園美術館は旧朝香宮邸であるとパンフレットに書かれている。
朝香宮邸は1933年に竣工、幾何学的なアール・デコ様式が存分に取り入れられた建物である。1947年朝香宮家が皇籍を離脱してからは、吉田茂が公邸として1954年まで使用した。赤坂迎賓館が改装されるまでの1955年から1974年までの間は、迎賓館として使われた。そして東京都に委譲され、1983年、東京都庭園美術館として一般に公開されるに至った。
第一次世界大戦以降、アール・ヌーボーは世紀末の頽廃的なデザインとして廃れ、かわりに幾何学的模様を尊重するアール・デコへ移り変わる。1960年代にアメリカでアール・ヌーボーのリバイバルが起こるまでは、美術史上ほとんど顧みられることがなかったという。
そんな歴史を踏まえると、アール・デコ様式の朝香宮邸で、アール・ヌーボーの旗手であるエミール・ガレの美術展が行われるのは、味なマッチングと言えるだろう。
館に入ると、右に行くべきやら左に行くべきやら、順路が示されていない。あるいは示されていても、あまりにも控え目で目につかないから、まあ適当にというゆったりとした空気が漂っていた。
ガレの作品には、アイデアをものしようとする強い意図がみえる。植物や昆虫を題材にしたガラス工芸品は、それぞれに工夫が施され、悪趣味とされかねないくらいに派手である。ガレの特徴は、それぞれの動植物がもつ特徴を少し大げさに表現しているところにある。
ガレは、伝統的な様式の継承にはじまり、東方文化への憧景、特にジャポニズムへの強い関心があった。それらを独自に解釈し、豊かな想像力と遊び心で作品を作り上げた。
オルセー美術館所蔵の作品の下絵も展示されていた。
それぞれの作品の所蔵元が書かれていたが、多くが北澤美術館(諏訪市)の所蔵であった。まるで、北澤美術館の出張美術展のようであった。
ガレ(1846〜1904年)は陶磁器焼きと家具製造の家に生まれた。
1877年父親に代わって、フランス北東部の都市ナンシーにある工場の責任者となった。翌1878年のパリ万博には意欲的な作品を何点か出品し、銀賞と銅賞を受賞している。その後は毎年のように新しい作品を商品登録している。
おりしも、フランスではジャポニズムが流行していたころで、日本趣向を取り入れた作品を数多く手がけている。特に、1885年より、留学中の農商務省官僚高島得三と交流を持ち、日本の文化や植物などの知識を得たといわれる。
さらにガレは広大な庭で、約3,000種の植物(このうち400種以上が日本の品種、シーボルトから苗を購入した品種もあった)を育てる植物マニアであった。本作品展のタイトルにもなっている2ヘクタールの広大な庭の見取り図が示されていた(ガレの庭展 2015年1月16日〜4月10日)。
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