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音楽の聴き方

吉田秀和賞(第19回 2009年)を受賞した名著。
〈私たちは皆、特定の歴史/社会の中で生きている以上、音楽の聴き方もまた、そこからバイアスをかけられるのはいかんともしがたい。自由に音楽を聴くことなど、誰にもできない。ただし自分自身の聴き方の偏差について幾分自覚的になることによって、もっと楽しく音楽と付き合うことができるのではないか。〉
これがサブタイトルに掲げた「聴く型」であり、著者がもっとも強調したいことである。

Image_20210221145701音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉
岡田 暁生
中公新書
2009年

「音楽は言葉にできない」とは、ドイツロマン派の詩人たちの発想だが、それが今日まで、私たちの音楽の聴き方・語り方に縛りをかけているという。実は言葉なくして音楽を体験することはできないというのが、著者の主張。
そして音楽を語る語彙は、できるだけ身体に響くものがいいという。音楽は比喩を用いずして語ることは不可能な芸術である。ゆえに、「〜のような」という表現だらけになる。

ピエール・バイヤールのいう「内なる図書館」は、これまでに読んだ本、読んだけれど忘れてしまった本、噂に聞いたことがある本、どこかでその批評を読んだことがある本などについての諸々の記憶の断片から、成り立っている(『読んでいない本について堂々と語る方法』)。音楽についても、この「内なる図書館」があるという。

著者が音楽を聴くときのただひとつの目安は、「音楽を細切れにすることへのためらいの気持ちが働くか否か」ということである。何かしら立ち去りがたいような感覚があるかどうか。自分にとってそれが意味/意義のある音楽体験であったかを測るサインは、これ以外ない、と著者は断言する。
CDを聴くこと中断しても何の痛痒も感じなかったとすれば、その人にとって「音楽=生命」ではなく、ただの「シグナル=モノ」だったということである。

ある音楽を聴いていてどうもよくわからないというケースの大半は、「音を音楽として知覚するための枠組みを持っていないことに起因する。
クラシック音楽のかなりの部分、前衛音楽のほぼすべてが、多くの人にとって「退屈」な理由は、この参加できないということに尽きると著者はいう。聴く型を持っていないということである。
「音楽の聴き方」は、「音楽の語り方」を知ることに他ならない。音楽を「して」みれば、いくらでも語ることは出てくるはずであるという。
巻末には、聴き上手になるためのマニュアルが箇条書きになって列挙されている。→人気ブログランキング

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