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『がんー4000年の歴史ー』シッダールタ・ムカジー

著者は1970年インド•ニューデリー生まれのがん研究者。スタンフォード大学・オックスフォード大学・ハーバード•メディカル•スクールを卒業し、現職はコロンビア大学准教授という華々しい経歴の持ち主である。
著者が「がんの自伝」と位置づけする本書は、次がどう展開するかわくわくさせる上質のミステリようだ。2010年ピューリッツァー賞受賞作。
著者の究極の目的は、いつかがんが終焉を迎える日がくるのかという疑問を投げかけることにあるとする。
上巻の巻末には著者へのインタビューが載っている。

がん‐4000年の歴史‐ 上 (ハヤカワ文庫NF)

がん‐4000年の歴史‐上

posted with amazlet at 16.07.20
シッダールタ•ムカジー
田中 文 訳
早川NF文庫
2016年6月
がん‐4000年の歴史‐ 下 (ハヤカワ文庫NF)

がん‐4000年の歴史‐下

posted with amazlet at 16.07.20
シッダールタ•ムカジー
早川NF文庫
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎

紀元前2625年前後に活躍したエジプト人医師イムホテプの書いた本に、はじめてがんについての記載がある。乳房の隆起するしこりについて「治療法はない」と書かれている。
紀元前400年頃、医聖ヒポクラテスは、人体は四つの主要な液体、血液、黒胆汁、黄胆汁、粘液で構成されていると提唱した。そして、がんを「カルキノス(カニ)」と名づけた。周囲の拡張した血管をしっかりとつかんでいる腫瘍の姿から、脚を伸ばし、輪を描きながら砂を掘り進んでいくカニを連想したのだ。
このあと、紀元160年前後のローマ帝国時代に活躍した医者で著述家のクラウディウス・ガレノスが、がんはヒポクラテスの唱えた黒胆汁が貯留し密度の高い塊になったものであるとし、18世紀までこの珍説がまかり通っていた。

19世紀になって、熱血宰相ビスマルクの政敵であった病理学者のルドルフ・ウィルヒョウによって、「がんは細胞の異常な増殖による〉と、やっと正しく理解されるようになった。
20世紀に入ると、がんの本質を理解することなく、医師たちは根治的な治療を試みようとした。外科医のウィリアム・ハルステッドは、乳がんに対し大胸筋を剥ぎ取り、腋窩•頸部•鎖骨窩リンパ節まで徹底的に郭清する根治的乳房切除術を行った。しかし、根治手術を信奉するあまり、正しい手術が施されれば、患者の病気は間違いなく局所的には治癒するわけで、外科医が責任を持つべきは唯一その点だけであると、外科医のおごりともいうべき無責任なことをハルステッドの弟子は言った。
内科医のシドニー・ファーバーは白血病に細胞毒を極限に近い量を用い、一時的にあるいは生涯の寛解を得た。このあと、白血病を中心に次々と薬剤が試され、多剤併用療法へとつながっていく。
手術や化学療法のほかに、放射線照射も早くから試みられた。レントゲンがX線を発見してほぼ1年後の1896年に、シカゴの医学生エミール・グラッペは乳がんの局所再発に対しX線照射を行ない、腫瘍は潰瘍をつくり硬くなり縮むことを経験した。
一方、がんと戦うには膨大な資金が必要であり、そのためには政治を動かさなければならないと、慈善家のメアリ・ラスカーは八面六臂の働きをした。

がんの原因を排除する動きも出てきた。
1950年代なかば、リチャード・ドールとブラッドフォード・ヒルはイギリスの医師59,600人にたばこと疾患に関する調査票を送付して、40,1024人から回答を得た。肺がんで亡くなった38人は全員喫煙者であった。
こうして肺がんにたばこが関与していることが明らかになったにもかかわらず、そのあとたばこ業界との長い期間のうんざりするほどタフな闘いがあった。
さらに、肝がんや子宮頸がんを誘発するウイルスが同定されワクチンが作られた。
1980年代になると、きわめてまれなカポジ肉腫がゲイの男性エイズ患者に多発した。
そして、批評家であり作家であるスーザン・ソンタグは、がんと同じくエイズも、ただの生物学的な疾患ではなく、もっとずっと大きな何かー懲罰的な隠喩に満ちた、社会学的、政治学的な何かーになりつつあると書いた。

20世紀末から21世紀にかけて、分子生物学の進歩により、がんの根本的な原因が明らかにされるに至った。
がんが成立するには、遺伝子の突然変異が複数個生じる必要がある。
最近では次世代シークエンサーという、DNAの塩基配列を効率よく決定する装置が開発され、網羅的な解析が可能となった。
また、がんをがんたらしめている「ドライバー変異」と呼ばれる主要な遺伝子変異をみつけ(意義が少ない変異は「パッセンジャー変異」)、そこに照準を定めて分子標的治療薬を選んで使用するようになってきている。

著者は冒頭で投げかけた疑問に応えている。がんはその特性から撲滅されることは永遠にありえない、がんと人類は永遠に戦い続ける運命にあるという。
われわれは死を排除するよりも、生存期間を延ばすほうに集中したほうがいいのかもしれない。がんとの闘いに「勝つ」最良の方法は、勝利を定義し直すことなのかもしれない、という。

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