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2016年7月

『露の玉垣』乙川優三郎

頻繁に水害に見舞われる越後の小藩・新発田藩が舞台。
藩は水害や飢饉による財政難に喘ぎ、藩主も武士も農民も経済的に逼迫した状況から逃れられない。
実在の人物であった溝口半兵衛(1756〜1819)は、新発田藩の正史『御記録』を編纂し終えた後、藩士たちの家系譜の編纂にとりかかった。家系譜『露の玉垣』の誕生までには20有余年がかかった。
著者はこの生きた史料をもとに、彼らの魂に忠実な物語を書こうと思ったという。

露の玉垣 (新潮文庫)
露の玉垣
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乙川 優三郎
新潮文庫  2010年7月

「乙路 」 天明6年(1786)
外様の小藩・新発田藩が直面している問題は水害と財政難だった。
31歳の溝口半兵衛は、いきなり家老役組頭を仰せつかった。
半兵衛は、勘定奉行の板倉平次郎とともに借金の普請に近郷の豪農に向かう途中、家臣の譜を編むことを告げた。
「新しい命」寛文8年(1668)
岡四郎右衛門のお役目は掛蔵地区の細工所預かり。周囲から吝嗇と嫌われているのではないかと思うようになった。
そんな四郎右衛門の家から出火し、本丸まで焼けた。切腹を覚悟したが、所払いの沙汰で済んだ。夫婦の出立にあたり、思ってもみない多くの人から声をかけられ、餞別も受けた。
「きのう玉蔭」宝永3年(1706)
代官になった遠藤吉右衛門は、足軽長屋から中曽根に越して来て、ここなら野菜をたっぷり作れると喜んだ。吉右衛門は、下僕だった頃、新造の橘(きつ)に想いを寄せていた。すでに結婚をし7歳の息子がいる吉右衛門は、庭で野菜を作って親しい人におすそ分けをすることが楽しみであった。離縁された橘が病気で臥していると知った吉右衛門は、野菜を担いで見舞いに出かけていった。
「晩秋」享保15年(1730)
清左衛門は、53歳で元〆役を御役御免となった。かつては用人として家老を罷免するという役目を果たしたこともあった。清左衛門は余生の生き方を模索する。
「静かな川」元文元年(1736)
加治川の土手が決壊したが藩には金がない。二人の奉行の内密の話に佐治右衛門も同席せよという。佐治右衛門が感じたことは、贅肉をそぎ落とした二人の奉行の生き様だった。
「異人の家」寛保元年(1741)
茫洋として捉えどころのない元中老の男・山庄小左衛門は有能な半面・恐ろしく薄情で気短な異人として知られていた。
「宿敵」宝暦11年(1761)
夫の弟が自分の弟を切り殺したと、年は聞いた。実弟の横死と義弟の断罪に心が揺れる。その事件の根底には逃れられない貧困があった。
「遠い松原」寛政元年(1789)
家臣の譜を編みはじめて4年になる。
水損は5万石を超えた。5万石の藩で5万石を失えばどうなるか。水難に完膚なきまでにやられても前に進むしかない。半兵衛は家系譜『露の玉垣』の編纂を遂行した。→人気ブログランキング

『がんー4000年の歴史ー』シッダールタ・ムカジー

著者は1970年インド•ニューデリー生まれのがん研究者。スタンフォード大学・オックスフォード大学・ハーバード•メディカル•スクールを卒業し、現職はコロンビア大学准教授という華々しい経歴の持ち主である。
著者が「がんの自伝」と位置づけする本書は、次がどう展開するかわくわくさせる上質のミステリようだ。2010年ピューリッツァー賞受賞作。
著者の究極の目的は、いつかがんが終焉を迎える日がくるのかという疑問を投げかけることにあるとする。 上巻の巻末には著者へのインタビューが載っている。

がん‐4000年の歴史‐ 上 (ハヤカワ文庫NF)
シッダールタ•ムカジー
田中 文 訳
早川NF文庫
2016年6月
がん‐4000年の歴史‐ 下 (ハヤカワ文庫NF)
シッダールタ•ムカジー
早川NF文庫
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紀元前2625年前後に活躍したエジプト人医師イムホテプの書いた本に、はじめてがんについての記載がある。乳房の隆起するしこりについて「治療法はない」と書かれている。
紀元前400年頃、医聖ヒポクラテスは、人体は四つの主要な液体、血液、黒胆汁、黄胆汁、粘液で構成されていると提唱した。そして、がんを「カルキノス(カニ)」と名づけた。周囲の拡張した血管をしっかりとつかんでいる腫瘍の姿から、脚を伸ばし、輪を描きながら砂を掘り進んでいくカニを連想したのだ。
このあと、紀元160年前後のローマ帝国時代に活躍した医者で著述家のクラウディウス・ガレノスが、がんはヒポクラテスの唱えた黒胆汁が貯留し密度の高い塊になったものであるとし、18世紀までこの珍説がまかり通っていた。

19世紀になって、熱血宰相ビスマルクの政敵であった病理学者のルドルフ・ウィルヒョウによって、「がんは細胞の異常な増殖による〉と、やっと正しく理解されるようになった。
20世紀に入ると、がんの本質を理解することなく、医師たちは根治的な治療を試みようとした。外科医のウィリアム・ハルステッドは、乳がんに対し大胸筋を剥ぎ取り、腋窩•頸部•鎖骨窩リンパ節まで徹底的に郭清する根治的乳房切除術を行った。しかし、根治手術を信奉するあまり、正しい手術が施されれば、患者の病気は間違いなく局所的には治癒するわけで、外科医が責任を持つべきは唯一その点だけであると、外科医のおごりともいうべき無責任なことをハルステッドの弟子は言った。
内科医のシドニー・ファーバーは白血病に細胞毒を極限に近い量を用い、一時的にあるいは生涯の寛解を得た。このあと、白血病を中心に次々と薬剤が試され、多剤併用療法へとつながっていく。
手術や化学療法のほかに、放射線照射も早くから試みられた。レントゲンがX線を発見してほぼ1年後の1896年に、シカゴの医学生エミール・グラッペは乳がんの局所再発に対しX線照射を行ない、腫瘍は潰瘍をつくり硬くなり縮むことを経験した。
一方、がんと戦うには膨大な資金が必要であり、そのためには政治を動かさなければならないと、慈善家のメアリ・ラスカーは八面六臂の働きをした。

がんの原因を排除する動きも出てきた。
1950年代なかば、リチャード・ドールとブラッドフォード・ヒルはイギリスの医師59,600人にたばこと疾患に関する調査票を送付して、40,1024人から回答を得た。肺がんで亡くなった38人は全員喫煙者であった。
こうして肺がんにたばこが関与していることが明らかになったにもかかわらず、そのあとたばこ業界との長い期間のうんざりするほどタフな闘いがあった。
さらに、肝がんや子宮頸がんを誘発するウイルスが同定されワクチンが作られた。
1980年代になると、きわめてまれなカポジ肉腫がゲイの男性エイズ患者に多発した。
そして、批評家であり作家であるスーザン・ソンタグは、がんと同じくエイズも、ただの生物学的な疾患ではなく、もっとずっと大きな何かー懲罰的な隠喩に満ちた、社会学的、政治学的な何かーになりつつあると書いた。

20世紀末から21世紀にかけて、分子生物学の進歩により、がんの根本的な原因が明らかにされるに至った。
がんが成立するには、遺伝子の突然変異が複数個生じる必要がある。
最近では次世代シークエンサーという、DNAの塩基配列を効率よく決定する装置が開発され、網羅的な解析が可能となった。
また、がんをがんたらしめている「ドライバー変異」と呼ばれる主要な遺伝子変異をみつけ(意義が少ない変異は「パッセンジャー変異」)、そこに照準を定めて分子標的治療薬を選んで使用するようになってきている。

著者は冒頭で投げかけた疑問に応えている。がんはその特性から撲滅されることは永遠にありえない、がんと人類は永遠に戦い続ける運命にあるという。
われわれは死を排除するよりも、生存期間を延ばすほうに集中したほうがいいのかもしれない。がんとの闘いに「勝つ」最良の方法は、勝利を定義し直すことなのかもしれない、という。

『ふたり女房』京都鷹ヶ峰御薬園目録 澤田瞳子

豊富な知識に裏付けされた緻密な設定で、移り変わる京都の四季のなかに物語が展開される。溢れでんばかりのアカデミズムが魅力だ。
京都鷹ヶ峰御薬園目録シリーズの第一弾。

ふたり女房: 京都鷹ヶ峰御薬園日録 (徳間時代小説文庫)
澤田 瞳子
徳間文庫 2016年1月

主人公・真葛(まくず)の母方の祖父・従四位下左兵衛佐・棚倉静晟(しずあきら)は、娘の倫子(のりこ)と南山城の農家の出身である医師・玄巳(げんい)との仲を激怒し、娘を義絶した。
夫婦が水入らずの暮らしを始め、娘の真葛を授かり3年がたったときだった。玄巳が何日か留守をしたさいに、倫子が流行風邪をこじらせて、あっけなく亡くなった。
玄巳は、3歳の真葛を鷹ヶ峰御薬園の名医・藤林信太夫に預け、勉学の目的で長崎に向かい行方知れずとなった。
真葛が5歳のときに、信太夫が書をしたため、それまでの経緯を棚倉家に伝えたが、静晟からの回答はなかった。その代わり、年に1度米1俵と味噌1樽の真葛の食い扶持を、一方的に届けてくるようになった。

「人待ちの冬」
成田屋は先代が亡くなり娘婿に代わってから、すこぶる評判が悪い。
成田屋の奉公人お雪からの便りは絶えたまま。棚倉に仕える平馬は、真葛に、お雪が人に会わない理由を探ってくれるようにと願い出る。
「春愁悲仏」
患者は、真葛の煎じる薬が効かないと、仏像を削って薬として病人に与える坊主・忍円に頼っているという。
「為朝さま御宿」
匡のひとり息子・辰之助が、疱瘡に罹った。三条西家の次男実季の疱瘡は重篤である。辰之助の容態は山越えたが、実季は亡くなった。そして、実季の乳母が姿を消した。
「ふたり女房」
浪人の広之進は、江戸で狼藉者に絡まれていた男を助けたのが縁で、男の娘である強烈な気性の汐路の婿になった。新発田藩京詰めのお役目となったが、京には夫の帰りを待ち光穏寺で病気療養をする妻がいた。光穏寺の様子を伺う不審者が出没していた。
「初雪の坂」
氷室屋のご隠居が薬草園の薬を飲んで殺された。
薬を渡したのは安養寺の住職・範円。範円に毒芹を渡したのは年長の孤児•小吉だった。
「粥杖(かゆづえ)打ち」
禁裏の粥杖打ちの行事で、粥杖で伏見宮様に尻を 叩かれたお竹が妊娠したという。
書肆・佐野屋の娘・お竹は、医者になりたくて産医の賀川満定にその旨を願い出ていたが、満定は断っていた。いったい父親は誰なのか?お竹は産むという。

師走の扶持 京都鷹ヶ峰御薬園日録/徳間書店/2015年
ふたり女房 京都鷹ヶ峰御薬園日録/徳間文庫/2016年
京都はんなり暮らし/徳間文庫/2015年
与楽の飯 東大寺造仏所炊屋私記/光文社/2015年
若冲/文藝春秋/2015年
満つる月の如し 仏師・定朝/徳間文庫/2014年
泣くな道真 ―太宰府の詩―/集英社文庫/2014年

『赤ひげ横丁』人情時代小説傑作選 縄田一男選

時代小説・歴史小説の評論の第一人者・縄田一男によるアンソロジー。
名だたる書き手による江戸時代の「医」にまつわる短編を集めた珠玉選。

赤ひげ横丁―人情時代小説傑作選 (新潮文庫)
縄田一男 選
新潮文庫  2009年10月

「徒労に賭ける」山本周五郎
療養所の医師・新出去定(にいできょじょう)は、ボランティアで岡場所の娼婦たちを検診をしている。ところが娼家と結託した医師たちが去定を妨害する。去定は5人の暴漢を手荒すぎるほどに返り討ちにした。
「介護鬼」菊地秀行
妻の高は夫・景八郎の手を借りて厠へ行く以外は寝たきりの老女になってしまった。
景八郎が介護する。3年経ったある日、娘が介護人の志代を連れてきた。志代は高の介護と景八郎の世話に働いた。武士の親子が景八郎に女(鬼)をかくまっていないかと訊く。
「向椿山」乙川優三郎
庄二郎は、5年前に種痘の技法を学ぶために水戸に留学した。
16歳だった美佐生とは夫婦の契りは交わしていないものの、待っていてくれると思っていた。ところが、美佐生は生け花の師匠と関係を持ってしまっていた。
「眠れドクトル」杉本苑子
長崎の丸山遊郭に検梅所を設立し運営しようとするイギリス人・ニュートン先生と娼婦たちの攻防をユーモラスに描く。
「鬼熊酒屋」『剣客商売2 辻斬り』より 池波正太郎
死と隣り合わせの壮絶な喧嘩人生を送る居酒屋主人を描く。